M2 歌うお仕事
ちょうど転換中だった。ライブとライブの間の小休憩。
スタッフは機材の入れ替えやら、次のライブの準備で一番忙しい時間であり、客にとっては周囲の友人と会話をするくらいしかない、手持ち無沙汰な時間だ。観音開きの重い扉は開かれ、内側から客の会話が響いている。
そのままフロアに入ろうとするさくらを呼び止め、ロビーに設置されたロッカーを開いた。貴重品以外は仕舞うように伝えると、不思議そうな顔を浮かべたが、彼女は素直に従った。
防音の厚い壁を越えたさくらは、ぐるっと一周見回してチケットに視線を落とす。
「あれ? 座席がないですよ」
「スタンディングライブだからな。立ち見だけなんだ」
「なるほど。だから後ろの人が見えるようにヒールを履いちゃいけないんですね」
「それもあるけど、人を踏んだら危ないからな」
客席右側後方の階段を上るとバルコニーになっている。会場をゆっくり見渡せる穴場だ。ここなら彼女が客に流されることもないだろう。
タイミングよく空いた二人分のスペースに並び、柵の下を見下ろした。八割程度が客で埋まっている。なかなか盛況なイベントのようだ。
腰を落ち着けたところで、入口で配られたタイムテーブルを確認する。湊音の手元を覗き込んださくらは、次に登場するアイドルグループの名前を指さす。
「このグループ知ってます。もっと大きなステージでコンサートしてるイメージでした」
「フェスの出演を、大きく宣伝することは少ないからな」
「どうしてですか?」
「熱量のあるファンなら、公式サイトに一文載せるだけでも集まるから」
フェスは知名度をあげるために出演する。さくらのような出演者をよく知らない客に、音楽性を知ってもらったり、あわよくばファンになってもらうのが狙いだ。
他の出演者のファンを食ってやろうという趣旨のイベントだったりもする。
「こういう現場で認知度をあげて、大箱のワンマンライブを積極的に宣伝するかな」
「オオバコ……ワンマン……」
湊音の言葉がピンときていないようだ。さくらは口をもごもごと動かす。
歌の上手さから勘違いしていたが、彼女はアイドルの卵。業界用語も知らないものがほとんどだろう。
「ええっと……、ライブハウスのことを箱。つまり大箱は大きな会場のことな。ワンマンライブは単独公演のこと」
「勉強になります!」
ステージには十人ほどの女の子たちが登場し、パワフルなダンスで観客を魅了する。
さくらはキラキラ目を輝かせてステージを見ていた。
彼女が憧れるのも理解できる。
非日常を楽しませるパフォーマンスは、観る人の心を昂らせる。誰かの人生の糧になる。アイドルはそういう仕事だ。
しかし、同じ音で人を鼓舞する仕事は、アイドルだけじゃない。
アイドルグループの次は三人組バンドが会場の熱をあげる。人気のロックバンドらしい。
内臓を押し上げるような音に、さくらの肩が跳ねた。
初めてスピーカーの音を聞いた時は、体が破裂するんじゃないかって驚いたものだ。小学生時代を回顧した湊音は、懐かしさに小さく笑った。
「人が扇風機みたいに回ってます」
「サークルか」
さくらは吹き抜けの下を指さす。小学校のプールで遊ぶように、中央では人がぐるぐる回っていた。
アイドルの現場で見ることがは少ない光景で、バンド特有のノリ方だ。
「今度はおしくらまんじゅうです」
「モッシュだな。ああいう楽しみ方もあるんだよ」
「は……、激しいですね」
嵐のように五曲を披露すると、袖に帰っていった。
曲はポピュラーなオルタナティブロックだったので、さくらも取っ付きやすかったはずだ。
次はビジュアル系バンドが控えていた。
身構えていたが、見た目はホストみたいなお兄ちゃんたちだ。血みどろのダークなバンドではないことに、ほっと胸を撫で下ろす。
曲調もポップで親しみがあった。興味深々のさくらを見て、湊音は引き続き楽しむことに決める。
「髪の毛が舞ってますね」
「ヘドバンだな」
「今度は一斉にお祈り始めました」
前方のバンギャたちは見事に動作が揃っている。圧巻の光景だ。
さくらは見様見真似に手を動かしている。
アーティストの数だけ表現の仕方がある。
そして、ファンの数だけ楽しみ方がある。
彼女がそれを知っただけでも、収穫だったのではないか。
最後の一組が終わるまで、二人はライブを満喫した。
帰りの電車では語り足りなかった様子のさくらに、湊音は少しだけ付き合ってやることにした。あの日と同じ飲み物をコンビニで買って、あの日と同じようにベンチに並ぶ。
駅前の広場は今日も閑散としている。電車が到着するたび、家路へ向かう人々が眼前を通過した。長居しているのは二人だけだ。
「アイドルだけじゃなくて、歌でお客さんを笑顔にする方法はたくさんあるんですね」
「今日だけでロックバンドやらビジュアル系やら色々見たしな」
「ステージ上もお客さんも楽しそうでした」
さくらはビジュアル系バンドの手振りをする。余程気に入ったらしい。
「やっぱり歌で、人を笑顔にしたいです」
歌う仕事の花形はアイドルやボーカルだ。
しかし、ライブやレコーディングでコーラスをいれる仕事もあれば、音楽教室の講師や、アーティストと作曲家の橋渡しをする仮歌のシンガーという手段もある。
アイドルとして成功するのは一握りだが、彼女次第でどんな道も選ぶことができる。
それでも湊音は歌うことを続けてほしかった。
きっと諦めたら、二年後、三年後……いつか後悔する。
さくらはステージを見つめている。憧れの先に、どんな景色が見えているのだろうか。
さくら自身がアイドルとして歌っている姿かもしれない。もしくは路上ライブの景色が繰り返されているのか――。
「今日聴いた歌も良かったけど、やっぱりあの歌は何倍もすごかったです」
湊音も同じ意見だった。
今日のアーティストも良かったが、あの歌に勝るメロディーはなかった。
演奏のレベルでいえば、プロたちが優れていたのは明白だが、歌詞やメロディーは圧倒的にあの歌が心に響いた。
「あの人と話がしたいです」
「あの人って、ベースボーカルの女の子か」
話をするにしても、名前も連絡先もわからない。
「あてはあるのか?」
「全く」
さくらは即答した。
少しは考えろよ。
湊音は小さく息を吐いた。ニコチンが足りないのかもしれない。
「どうするんだ」
「張り込み……ですか?」
確かに警備員の反応を思い出すと、常習性はありそうだ。
だが、いつやるのかもわからないゲリラライブを、ずっとベンチで待ち続けるわけにはいかないだろう。
湊音は天を仰いだ。
星一つ見えない夜空に、三日月が弧を描いている。誰の手にも届かない遥か高みから、あざ笑うように。
「さすがになあ」
「ですよね」
さくらは苦笑する。しかし、彼女が諦めたようには見えなかった。
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