1stライブ 「桜と月」

M1 乙羽さくら

 テレビに映るアイドルが好きでした。


 かわいくてフリフリの衣装を着たら、私もかわいいアイドルになれるかな。


 ママに同じ衣装を作ってもらいました。


 ダンスにお歌をマネしたら、みんなが喜んでくれました。


 みんなを笑顔にできるお仕事。


 みんなを感動させられるお仕事。


 あのステージに立ちたい。


 私はアイドルになりたいです。






 人の多い土曜の渋谷。

 友人や恋人を待つ人が、びっしり壁沿いに並ぶ。定番の待ち合わせスポットに湊音はいた。

 湊音も例外ではない。一般的な用途通りに使用していた。


 集合時間には少し早い。視界に入った喫煙ブースで、一服するか逡巡していると、


「湊音さ~ん!」


 鈴を鳴らしたような声が、名前を呼んだ。周辺にいた数人の男も、湊音と同時に顔を上げる。

 乙羽さくらは大きく手を振って、まっすぐ湊音に駆け寄ってきた。


「お待たせしました」

「俺も今来たとこだから」


 彼女の声に反応した男たちが、彼氏持ちかと肩を落とすのがわかる。つい得意げな顔をするが、湊音とさくらの関係は年の離れたただの知人だ。

 顔をあわせて会話したのは二回目。出会った日から三日ぶりの再会になる。


「ハンカチ、ありがとうございました」

「すっかり忘れてた」


 水色の小さな手提げの中には、電車で貸したハンカチとマドレーヌが三つ入っていた。ハンカチは綺麗に端を揃えて四つ折りにされ、アイロンまでかけてあるのがわかる。


「湊音さんには、たくさんお礼返さなくちゃですね」


 今日の『お願い』に対してのお礼も含まれるのだろう。

 あの夜、再び静寂に包まれたベンチで、彼女はライブの行き方をたずねてきた。どうやらバンドそのものに興味が湧いたらしい。

 最初は適当に説明をしていたのだが、話がどう転んだのか。気づけば湊音は流されるまま、連れて行くと約束してしまった。


 元来、湊音は年下の女の『お願い』を断れた例しがない。


 これは妹の存在が大きかった。幼少期の妹は『お願い』を拒否すると、泣きわめいて手がつけられなくなった。母にはお兄ちゃんなんだから付き合ってあげなさいと、口癖のように言われ続け、ついに妹が大学生になっても「お兄ちゃんおねが~い♡」と上目遣いでねだられれば、しぶしぶ頷いてしまう。


 おかげで年下の女――さくらに対しても例外なく――の『お願い』に弱い。


「気にしなくていいよ」


 初心者向けのフェスが近場でなかったことや、アイドルの卵を日差しの下に長時間いさせるのも良くないなど、あれこれ悩んだ末――バンドとアイドルの異種格闘技戦といった屋内フェスを見つけた。これなら彼女にとっても勉強になるはずだ。


 アングラ感の強い場所に連れて行くのは大人としてどうなんだと、葛藤を抱えながらも、今日に至るまでにチケットを二枚手配した。


 中高校生でもライブハウスに行く子供はいるし、親に連れられた小学生がいたりもする。そう過保護に考えなくてもいいだろう。湊音は自分に言い聞かせる。

 現に、目の前のさくらの表情は期待に満ちていた。


「今日はよろしくお願いします。とってもわくわくします」


 彼女の服装は、先日のオーディションと異なりスポーティーだ。

 シフォン地のワンピースもかわいいと思ったが、ビックシルエットの半袖シャツをショートパンツにしまったコーディネイトは、今時のおしゃれ女子といった印象を受ける。


「ちゃんとスニーカーだな」

「はい。言われた通り、スニーカーで来ました。でも、どうしてぺたんこの靴じゃないとダメなんですか?」

「会場につけばわかるよ」


 道玄坂を上って十五分。

 コンビニの横を抜けて、更に細い路地を上る。

 左手にピンクのホテルが見えた。その存在をすっかり忘れていた湊音だが、素知らぬふりで通過する。


 だと勘違いされたら、淫行罪で逮捕されかねない。綱渡りに足をかけるような緊張感を抱きながらも、のこのこついて来るウサギのような女が心配になった。純粋な目には欲望の塊とも言うべき施設は目に入っていないのだろう。


 ――俺が人畜無害な男で良かったなぁ。


 危機感の欠片も感じさせないさくらに、一種の心配を抱きながらも、突き当りまで進む。T字路の角に目的の場所はあった。


「ここがライブハウスですか?」


 五階建てくらいの建物は、小型の複合型店舗のような外観をしている。

 壁にはライブのポスターが貼られ、頭上に設置されたモニターでは代わる代わる告知が流れていた。

 

「この建物にはライブハウスが大小三つ入ってるんだ。ちなみに、向かいの建物にも系列のライブハウスがある」

「今日のライブはその中の一つでやるんですね」


 建物の入口付近をうろつく客は、目当ての演者――いわゆる『推し』――ごとにバラバラの服装をしている。


 目の前に突っ立っているのは、推しグループの法被を着たアイドルオタクだ。チケットを複数枚持って辺りを見回している。同行者を待っているのだろう。

 最近のアイドルも多様化しているが、同様にファンも様々だ。典型的なドルオタを見ると安心するのは、元職業柄だろうか。


 壁沿いの若い男女の集団は、ライブキッズ。

 腕には大量のラババンをはめて、同じバンドのTシャツを着ている。しかも、全員お揃いのディッキにスニーカーの出で立ちだ。何年経っても流行りは変わらないない。


 座り込んでいる女子三人組はバンドギャルか。

 ファンシーなキャラクターのリュックを背負っている。金に近い茶髪や奇抜な赤髪で、近寄りがたい印象を受ける。彼女たちは独自のルールも多いが、そのぶんマナーが良かったりする。

 ヴィジュアル系のバンドがいることまでは確認不足だった。刺激が強そうだったら、その時だけ退場しよう。


「路上ライブのバンドは探したんだが、名前も曲もわからなかった」


 メッセージで伝えたことだが、再度念を押しておく。

 掲示板や動画サイト、SNS、できる限り徹底的に調べたが、情報は全く見つからなかった。

 ひと昔前ならまだしも、ネット社会で何の情報も見つからないというのは珍しい。告知や立て看板なくライブをしていたから、身内の寄せ集めが悪ふざけで路上ライブをしたのかもしれない。


「今日は出演していないと思う」

「バンドのライブ自体に興味があったので、お気になさらないでください」

「どちらにせよ、勉強にはなると思うから」


 さくらはチケットを掲げて小躍りしている。


「体調が悪くなったりしたら、すぐに言うんだぞ。あと勝手に離れるなよ。特に前の方いっちゃダメだからな」

「子供じゃないんですから。心配しなくても大丈夫ですよ」


 係員にチケットをもぎられて、湊音たちはライブハウスに足を踏み入れた。

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