SE2 アイドルになりたい女の子

 じっと顔を見て、ようやく湊音は気づいた。


 彼女を知っている。それもそのはずだ。昼にオーディション会場で見たからだ。     

 待機場所から面接会場まで案内したのは、他の誰でもない――湊音だった。


「今日はありがとうございました」


 赤みがかった茶色の瞳がパチリと瞬きする。

 写真に重ねられた真っ赤なバツ印を思い出した湊音は、無意識に目を逸らした。彼女の不合格は変えられない。

 湊音のあからさまな態度は歯牙にもかけず、彼女は声をかけてきた。


「大丈夫ですよ。落ちたのわかってますから」


 心の内を見透かした言葉に、湊音は目を丸くした。その顔を見て、彼女は「やっぱり」と小さく笑う。


「お兄さんが面接の部屋に案内してくれた後、あのぅ……なんていうか」


 女性っぽい男の人に……、尻すぼみで彼女は言った。言葉は濁しているが、形容し難い怪物上司のことだろう。

 何度も振り払おうとした、インパクト大の残像が脳裏に浮かぶ。


「ちなみに、なんて言われたんだ」


 言いよどむ彼女に書き損じた退職届を見せる。


「今日であの会社辞めたんだよ。ただの電車で知り合ったお兄さんだと思って、話せるだけ話してみてくれ」


 愚痴くらいなら聞くぜ。と付け加えた湊音に、彼女の緊張は溶けたようだ。


 今更だが、小さくはにかんだ顔はアイドルを目指すだけあって愛らしい。

 もし湊音が学生で同じクラスなら、修学旅行の夜は話題の中心にあげていただろうし、卒業文集の『バレンタインデーにチョコもらいたいランキング1位』にだってランクインしてたはずだ。


「大学生で事務所に所属していないのは、行き遅れだから諦めなさい。って言われちゃいました」


 彼女は気まずそうに告げた。

 行き遅れ――確かにアイドル適齢期と定義して、おかしくない年齢がある。十代後半から二十代前半だ。

 彼女と同い年で引退するアイドルだって少なくはない。


「やっぱり時間切れなのかな」

「オーディション受けるのが、か?」

「……はい」


 アイドルのオーディションには年齢制限が設けられている。十六歳、十八歳までの募集が一般的だ。

 観音原芸能事務所のように二十歳までと設ける事務所もあれば、地下アイドルなど二十五歳前後まで募集している例外もあるが、どちらにせよ若い子が選ばれやすい。それが現実だ。


「絶対に諦めないほうがいい」


 あれは出来レースだったんだ……とは、口が裂けても言えなかった。

 湊音は彼女に夢を諦めて欲しくなかった。彼女を推薦したのが、湊音だったから。


 俺が君に才能を感じたから、夢を叶えてほしい――?

 なんとも無責任な話である。


「すごい歌がうまかっただろ」

「わたしの歌、聞いてくれたんですか!?」


 跳ね上がった声に、車内の視線が集まる。彼女は慌てたように、ぺこぺこ頭を下げる。


 ――当然だ。


 答えは口にしなかった。


 湊音が携わっていた仕事は――応募書類を見ながら、応募者を選定すること――だった。もちろん、彼女の書類に添付されていた歌唱音源も聞いた。


 ワンコーラスを聞いた時、彼女の歌声に強く惹かれた。この歌声なら時代を切り開くアイドルになれる。そう思って湊音は強く推薦したのだ。

 新人を卒業した気になっており、自分の意見が通って歴史的アイドルが誕生したらどうしようなんて、邪な感情があったのも事実ではあるのだが――。


 個人的な感情を抜きにしても、応募してきた中で一番魅力を感じたのが彼女だったが、合格したのは湊音が書類で把握していない少女だった。


 どこから湧いてでてきたんだとオネエ上司に問いただしたら、所属が決まっている子のためにパフォーマンスとして、オーディションを開催したと白状した。

 つまり、彼女のおかげで、何も知らない新人社員を卒業できたわけだ。


「あの面接で歌ったのか?」

「いえ。歌唱審査の前にアイドルは賞味期限が命だからって、追い返されちゃって」


 彼女の目元は赤く腫れていた。湊音の視線に気づき、恥ずかしそうに両手でこする。


「やめとけって」

「明日は学校だけなので、大丈夫です」

「大丈夫じゃないだろ。アイドル目指してんなら、いつでも一番かわいくいないと。俺はあんたの歌に惚れたんだから」


 鞄からハンカチを取り出す。押し付けると、さくらはぎゅっと握りしめた。

 オーディションが終わったのが十二時前。つまり五時間近くどこかにいたことになる。


「オーディション終わってから、どこかで泣いてたのか?」

「カラオケにこもってて」

「そうか……」


 肩を震わせ泣いていたのかと思うと、偶然にも話ができて良かった。大したアドバイスはできないが、彼女が歌うことを嫌いにならないでいてくれるなら。

 湊音の罪悪感を知らないさくらは、ハンカチで目元を抑える。


「気にしないでください。慣れっこだから」


 百回受けたって、一度も合格できないかもしれない。

 しかし、その内の一度でチャンスを掴める可能性がある。

 湊音はそんな思いで諦めきれない若者を何人も見てきたし、その気持ちは痛いほどわかる。


「今更かもしれませんが、お名前聞いてもいいですか」

「鳴海湊音」

「わたしは乙羽おとわさくらです」


 さくらは座席を立ち上がると深く頭を下げた。


「この駅で降りるんです。色々お話聞いてくださって、本当にありがとうございました。元気でました」


 矢継ぎ早に言ったさくらは閉まりかけたドアを潜る。湊音はその背中を追いかけて、一緒にドアを降りた。

 さくらは驚いたように口をぽかんと開ける。


 誤解しないでほしいが、湊音はこの六つ年下の女の子を下心で引き留めたわけではない。


「俺も降りる駅、ここなんだ」

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