M13 時間潰し
最寄りの停留所を経由するバスの時刻表は、四十分のインターバルを繰り返している。特急電車の到着に合わせたローテーションだろう。
「まじかよ……」
風見楽器店から帰路につくため、湊音はバスのロータリーへとやってきた。しかし、乗り場に辿り着いた時、バスは目と鼻の先で出発したのだ。これが三十秒前の話である。
時刻表の看板を確認して、ため息を吐いた。乗り場に突っ立っていても、バスは戻ってこない。
ロータリーでじっと待つことも視野に入れたが、熱々のアスファルトで蒸し焼きにされるのはごめんだった。
ふと一颯が読んでいた音楽情報誌が頭に浮かぶ。
駅ビルに入った楽器チェーン店のワンフロア下は、近場で一番大きな本屋だった。宛のない湊音が暇を潰すにはちょうどいい。
湊音はロータリーから繋がるビルの入口へと歩き始めた。
エスカレーターを上がって真正面の一番目立つ場所には、CMでよく見るファッション誌や定番の料理雑誌など、メジャーな情報誌が並んでいる。その背が低い棚の奥、通路一つ開けたところに二列の棚が垂直に伸びていた。
左の棚の側面に『雑誌 芸能・音楽・アニメ』とカテゴライズされたプレートがついている。右に伸びる矢印に従い、湊音は棚の間に入り込んだ。
俳優や映画ドラマを扱う芸能系雑誌が手前側に、二次元のキャラクターが表紙を飾るアニメ系雑誌が奥側に、全て表紙が見えるように陳列されている。
エンタメで一括りにされた列の真ん中が目当てのコーナーだった。
邦楽や洋楽、メタル、ヴィジュアル系と音楽性でわかれていたり、ギター、ベース、ドラム、キーボードと楽器ごとにわかれていたり、アンプやエフェクターといった機材を専門に扱っていたり。音楽を題材にした雑誌も、細かくカテゴライズすると多岐にわたる。
湊音が手に取ったのは、国内のアーティストを取り扱う日本で一番有名な邦楽雑誌だった。
バンドマンならだれでも一度は載りたいと思う表紙を飾っていたのは、今注目の人気若手バンドだ。
柚愛の目指すバンドはこういうメジャーバンドなのだろう。
湊音と同い年の彼らは、音楽業界のシンデレラストーリーを駆け抜けている。
ドラマタイアップが続々と決まり、昨年末はレコード大賞を受賞し、彼らの曲を聞かない日はない――社会現象となっていた。
湊音はぱらぱらとページを捲りはじめた。インタビュー記事の細かい文字を流し読みしていると、隣から伸びた細い指が雑誌の山に伸びた。
少し太い指を見た湊音はバンドマンだと推理した。指弾き特有の弾力を感じさせない指から、恐らくベーシストだ。
女の目当ては湊音が読んでいる雑誌のようだった。場所を譲るついでに、チラリと隣の女の顔を確認する。
「…………あ」
湊音は間抜けな声をあげた。眉根を寄せた顔がゆっくりと振り向く。
目が合った女は――柚愛だった。
ぱちくり瞬きを繰り返す。信じられないものを見た顔で、二人は見つめあう。そこにロマンチックな雰囲気は微塵も感じられない。
見たくもない顔と遭遇してしまった柚愛はその場で半回転し、湊音に背を向けた。黒髪がふわりと広がる。
「待ってくれ」
湊音が背中を追いかけると、柚愛の足取りは早くなる。湊音が速足になれば、柚愛は更に駆け足になる。いたちごっこがしばらく続く。
広くない店内を三周すると、突如柚愛は振り返った。
「しつこい」
鋭い声音を浴びた湊音は、両手をあげて降参の意を示した。
「もう追いかけないから、少し落ち着いて話をしないか」
柚愛にとっては最低最悪の再会だが、湊音にとっては絶好の機会だった。
風の噂で聞いた雅楽代柚愛と、剛二の語った雅楽代柚愛。本当の彼女はどちらなのか知りたかった。いや、知らなければならない。
「なあ、教えてくれ。どうして音楽をやめようと思ったんだ」
「あんたに関係ない」
「ああ、俺には関係ないよ。あんたが続けようがやめようが、正直どうでもいい」
柚愛の言う通り、湊音には彼女を諭す権利はない。引き留める気だって毛頭ない。
「だけどな。理由も聞かずに引き下がれないんだわ」
さくらの顔が脳裏を掠めた。彼女は今、貸しスタジオで歌とダンスの練習をしているはずだ。
急に決まったライブで練習時間が限られているにも関わらず、さくらは毎日欠かさずに河川敷へ足を運んでいた。もう柚愛が来ることはないとわかりきっていたのに。
自分にできることは全部やりたいと言うさくらを止める言葉を、今の湊音は持ち合わせていない。
だが、柚愛の意志が強いとわかれば、さくらも根負けするかもしれない。
「さくら――俺の連れは自分の時間削って、あんたのためにライブの準備してんだ。もう一度、音楽を好きになってもらいたいってな。音楽の道諦める理由、あいつには知る権利があるだろ」
湊音はきっぱりと言い切った。柚愛は視線を落とす。しばしの間が、湊音の中で沸き上がっている熱を冷やした。
冷静になった湊音の耳に、店内BGMと周囲を取り巻くざわめきが聞こえる。
もちろんざわめきの中には、湊音たちを指す声もある。「痴話喧嘩かな?」学校帰りの女子高生の声が、鮮明に聞こえた。
「周りの視線痛いし、レジ通してくるから。少し待ってて」
柚愛は雑誌を抱えたまま、がらんとしたレジに持って行った。暇そうな店員に差し出して会計を終える。再び彼女が湊音に背を向けて、逃げ出すことはなかった。
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