M7 風見楽器店
駅ビルの側道から繋がる商店街は、レトロな店構えが並んでいる。良くも悪くも趣のある、昔ながらの商店街だ。
お目当ての風見楽器店は、駅の正反対にあるアーケードから数えて四店舗目。左右の店同様に年季の入った小さな店だが、店主の技術と人柄からこの地域の
背後から刺さる騒々しい金切り声に、耳をふさぎながら湊音は足を踏み入れた。エプロンをしたアルバイト――
彼女は店主、
剛二は出張作業や楽器の買い付けで、店を開けることが多い。そんな時は、彼女が代わりに店先に立っていた。
簡単な修理やメンテナンスなら、彼女に依頼しても満足できるだろう。特に打楽器には強い。
「湊音くん……か?」
湊音に気づいた一颯は、来店の挨拶も忘れ、目を丸くする。
四年前、彼女は高校生だった。ボーイッシュな見た目も、地についたアルトも、大きな変化は感じられない。
お互いに何を話していいかわからず、沈黙が流れる。先に切り出したのは一颯だった。
「もうこの店には来ないかと思ってたぜ」
「……ああ」
店に顔を出さなくなった理由は、恐らく誰かから聞いているだろう。
ギスギスした居心地の悪い空気が店を包む。
一颯は再度、話題のボールを投げる。
「いつの間に子供なんてできたんだ?」
「子供――?」
何を言ってるのか、一瞬理解ができなかった。一颯の何とも言えない視線の先を追う。
この場にいるのは、残り一人しかいない。当然一颯が見つめていたのは、紡満だった。
「じゃあ彼女か? さすがに犯罪一歩手前って感じだぜ。いや、外野が口だしたら、馬に蹴られちまうか――」
「失礼ね。こんな顔も品格も何もかも平凡な庶民と大人の私では、つり合いが取れませんことよ」
投げ返したのは紡満だった。腕を組んで、不服そうに鼻で笑う。
酷い言われようだったが、紡満の一言は店内の空気を変えた。
まさかお嬢様に救われると思わなかった。拾い物にはお礼一割とは、よく言ったものだ。緊張の糸が切れた湊音は、呑気に考える。
――が、心の余裕は十秒ももたなかった。
紡満が投げた直滑降の球は、一颯の基準ではデッドボールだった。前髪の隙間から覗いた眉間が、ぴくりと動くのが見える。
「なんだ、この失礼なガキンチョは」
「ガキンチョですって!! なんて失敬な人ですの。私はビューティフルな大人の女でございますわ」
「どっからどうみても初めてのおつかいに失敗して、泣きながら連行されてきた迷子じゃねぇか。あん?」
『大人』というワードを何度も強調する紡満に、語気が荒くなってドスが混ざり始めた一颯。眉を吊り上げた二人のキャッチボールは、どんどん熱量を上げていく。
しかし、内容は精神年齢の低い言い争いだ――だからこそ終着点がない。落石事故のように、ゴロゴロと悪口の塊が転がる。
罵倒のレパートリーに関心を覚えながら、湊音はしばし静観していたが、終わりの見えない言い合いに白旗をあげた。二人の声に負けない程度の音量で、迅速に要件を伝える。
「彼女は紡満さん。20歳(自称)だ。ピアノの調律依頼」
「あー、お客さんだったのか。失礼しました」
紡満を曲がりなりにも客だと判断したらしい。
先ほどまでの般若の顔はどこへやら。張り付けた営業スマイルを浮かべた一颯は、紙とペンを手早く用意すると、紡満をカウンターに促す。
「この予約表に希望日時と連絡先の記入をお願いします」
一颯の変わりように顔面を引きつらせた紡満は、湊音の耳に顔を寄せた。
「本当に、ほんと~に、信頼できるお店ですの?」
「店主の腕は確かだから」
コソコソした二人のやり取りを見ている間も、スマイルゼロ円の笑顔を張り付けている。視線を浴び続けた紡満はしぶしぶといった様子で、必要事項を紙に記入する。
手持ち無沙汰になった湊音は、紡満の対応が終わるまで、店内を見回すことにした。壁に並んだギターを眺めていると、背中越しに名前を呼ばれる。一颯はスラックスのポケットに手を突っ込んだまま、白い歯を見せた。
「ところで湊音くんの要件ってなんだ。迷子の案内だけじゃないんだろ」
四年の時を経て、湊音と一颯の関係は――近所のお兄ちゃんと馴染みの看板娘に戻っていた。カウンターで予約表と睨めっこしてる紡満に、改めて感謝の念を送っる。
「人探しをしてる」
「人探し?」
湊音の要件を一颯はオウム返しした。
なんでまた……、と言いたげな顔に、湊音は「ちょっと色々あってな」と前置きした。
「駅前のステージで路上ライブをしてるベースボーカルなんだが」
「ミュージシャンか」
「この辺りの楽器屋なら、情報があるんじゃないかと思って回ってんだ」
一颯に特徴を伝えると、思い当たる節があったようだ。
「あの子かな……」
「知ってるか?」
やっと掴んだ尻尾を逃すわけにはいかない。湊音は前のめりになる。
「ん~、まあね」
煮え切らない返事で、一颯は言葉を途切る。何か思うところがあるのだろう。
だが、湊音も引き下がるわけにはいかなかった。九十度に頭を下げる。
「やめてくれよ」
「どんな情報でもいい。頼む、教えてくれ」
「…………頭あげてくれ。湊音くんだから話すけど、ほんとはダメなんだからな」
「お母さんには内緒だよ」とお菓子を手渡すような口調に、大きく首を縦に振って、湊音は了承の意を示した。
音信不通の相手が突然訪れ、頭を下げて懇願しているのだ。全てを語らなくとも、並々ならぬ事情を察したのだろう。何より湊音に個人情報を悪用する度胸がないことを、長い付き合いから知っているはずだ。
例え身勝手だとしても、ベースボーカルの情報が聞き出せることより、築き上げた信頼が色あせていないことが嬉しかった。
「確か名前は
芸名かもしれないし、本名かもしれない。そもそも本人かさえもわからない。その名前だけで彼女に会える可能性は限りなく低い。
だが、一つ情報が手に入っただけでも大きな収穫だった。
「店にはどのくらいの頻度で来るんだ?」
「月一くらいかな。ベースの弦を買っていくんだ。毎回結構な量を買っていくから、記憶に残っちゃって」
「マイクは買ったことあるか?」
「ん~、覚えてないな」
一颯は視線を壁のギターに移す。
「そうだ。年一でベースのメンテに来るんだけど、一緒にギターも持って来るぜ。ギターっても、アコギだけど。あと、シンセ買っていったこともあるな」
「ギターにシンセか?」
「ああ。弦の購入数と頻度から考えて、ベーシストなのは間違いないけど」
一颯はきっぱりと断言した。
間違いはない。湊音が確信するくらいには、店員としての彼女も信頼している。
「ちなみに――」
もう一歩踏み込もうと湊音が詰め寄るが、本題に踏み切る前に一颯は断ち切った。
「連絡先は依頼が終わったら削除してるし、もし残ってても教えれないぜ」
思考が筒抜けになっているかと驚くほど、正確に刺された釘。湊音は言葉を奪った。
社会人として『当たり前のこと』を七つ下の女の子に言われ、大人としての矜持が崩れる音が聞こえる。
「書き終わりましたわよ」
二度目の天の声は、やはり紡満だった。
「はいはい。今いきますよ~」
二人が希望日時の相談をはじめた隙に、さくらと果菫のグループメッセージに雅楽代柚愛の名前を送信した。これがベースボーカルの手掛かりになればいいが――。
スマホをポケットに入れる暇もなく、カウンターから一颯のドスが効いた声があがる。
「お嬢様って生物には、常識ってもんがないのかよ!!」
「希望する日時と書いてるじゃありませんか」
「『今すぐ』って書いたやつ、初めて見たわ! 普通は、常識的に翌日以降の日付で書くだろ」
目を離した隙に、一颯と紡満はまた喧嘩を始めている。何やら今度は修理の日程でもめているらしい。
やれやれと呆れを全身で表しながら、湊音はカウンターへ向かった。
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