M18 さくらの歌

 地下に続く階段を下り、湊音はライブハウスの扉を潜った。


 ちょうどトッパーを飾るバンドの演奏中だ。ちぐはぐな演奏は、楽器同士が噛み合っていない。伴奏の音量に打ち消されたボーカルは、何を歌っているのか一切わからなかった。


 リズムも後半につれて、駆け足になっていく。リズム隊ドラムとベースが安定していないからだ。

 なし崩しに曲が進行していく、典型的な例だった。学生バンドらしい演奏とも言える。


 ステージ前には楽屋で取り付けた約束通り、仲間内がガヤガヤと盛り立てていた。

 本人たちが楽しければ、それでいいのだが――案の定、後方のまばらな客は白けていた。生暖かい目で見ている。


 隣の柚愛にちらりと視線を向ける。彼女もまた、ステージに侮蔑の視線を送る一人だった。


「なんか悪いな」


 彼女が嫌うバンドの渦中へ連れて来たことに謝罪の意を伝えるも、彼女は黙りこくったままだ。

 湊音は気まずい道中を思い出す。商店街のチャイムが鳴る中、夕日に照らされた横顔からは、真意を推し量ることはできなかった。

 ライブハウスに入ってからも、その横顔は変わらない。


 バンドが袖にけると、フロアの照明が明るくなった。ステージ前を陣取っていたオーディエンスは散り散りになる。


「果菫」

「湊音さん。間に合ってよかったよ」


 湊音を待っていたのだろう。会場入ってすぐの壁を背にして、果菫は立っていた。


「君が雅楽代柚愛すか?」

「ええ」

「私は」

「八尋果菫でしょ。元『小春日和』のギター」


 果菫は目を見開いた。『小春日和』――確か、果菫の所属していたバンドの名前だ。


「果菫のこと、知ってんのか」

「ギター上手いから。解散してから点々としてるみたいだけど、どこでもバンドの色にも溶け込む演奏するのは尊敬する」


 今度は湊音が目を丸くする。柚愛が果菫に一目置いていたことよりも、他人を評価したことが意外だった。

 だが、よくよく考えてみれば意外なことではない。彼女は他人に壁を作っているが、高飛車というわけではなかった。中途半端なバンドマンに厳しいだけで、音楽に真剣に向き合っている相手にはリスペクトの精神を持っている。


 そして、その一言は柚愛が完全に他人を、音楽を拒絶していない証拠でもあった。


 ――さくら、お前次第で柚愛の心を溶かせるかもしれないぞ


 湊音の期待に呼応するように、かわいらしいテクノポップな入場曲が、会場を包み込む。

 マイクを片手に、さくらがステージにあがった。オーディションのワンピースを身を包み、フロアに大きく手を振る。


「みなさ~ん、こんにちは!」


 センターに立ったさくらは両手でマイクを包むと、挨拶を告げた。


「乙羽さくらです。よろしくお願いしますっ!」


 愛らしい挨拶が、会場の視線をステージに集める。


「誰だよ、アイドルなんか呼んだやつはよぉ」

「しらけるなぁ」


 湊音たちの斜め前に立つ二人組は、スミノフ片手にステージに向けて野次を飛ばした。

 周囲はガヤガヤと騒がしくなる。そのどれもが、さくらを軽んじる言葉だった。


「治安悪いな」


 果菫はむっとした口調で言うと、後方にある音響スタッフエリア――PA席に鋭い視線を向けた。『マッシュくん』が吊るしあげられる様が頭に浮かぶ。


 南無阿弥陀仏。


 心の中で唯一知る短い念仏を唱えると、湊音はステージに視線を戻した。

 客席ここからさくらに手を貸すことはできない。湊音にできるのは一人のアイドルを見届けることだけだ。


「今日はピンチヒッターで来ました。早速ですが歌います」



 湊音たちの心配を他所に、さくらは笑顔を崩さなかった。


 イントロが流れる。キャッチーな曲は渋谷のライブで見たアイドルグループの曲だ。

 ダンスは各パートの主役メインの振りを、ソロに組み変えている。

 さくらのダンスは上手いと断言できなかった。アイドルの土俵にギリギリ上がれる程度の実力だ。しかし、誰よりもステージを楽しむ一人のアイドルに、湊音は目が離せなくなる。


 歌いだし。


 そのワンフレーズで、騒がしかったフロアがしんと静まった。


「え?」


 さくらに野次を飛ばした片割れが、思わず驚嘆を零す。


 圧倒的な歌唱力が、アウェイな空気を捻じ伏せた。そう表現する以外に、言葉が見つからない。

 フロア中の誰もが、さくらの歌の虜だった。それどころか、ロビーにいた客まで流れ込んでくる。


 一曲目が終わると、最初は見向きもしていなかった二十人弱が大きな拍手をおくった。


「まだまだいきます!!」


 次の曲はガーリーなフューチャー系アイドルソング。

 スカートの裾が翻り、何度も練習していたターンが成功する。さくらの世界に惹き込まれた客は、揃って手拍子を刻む。


 湊音ですら予想外だった。ステージに立つと化けるタイプは一定数いるが、さくらの場合は一皮剥けて、異彩を放っている。

 その豹変ぶりに圧倒されたのは、湊音だけではない。果菫がぽつりと呟いた。


「あれで受かんないって、どんだけ厳しい世界なんすか。アイドルって」


 二曲目を歌い終わると、さくらは大きくお辞儀した。

 一滴の汗が髪を伝って、床に落ちる。マイクを口元に近づけた。


「次で最後の曲です」


 さくらは柚愛をまっすぐに見つめる。


「ある人のライブが私の背中を押してくれたように、私もこの曲でその人の力になりたい。そう思って選びました」


 さくらはすっと息を吸う。たった一拍の間。世界が止まった。


 アカペラで歌い始めたのは、柚愛の作った曲だ。

 楽譜に書かれたオタマジャクシが、さくらによって一つの歌に変わる。邪魔な音は一切なく、さくらの歌唱力が際立った。

 熱く、儚く。楽しさも悔しさも悲しみも喜びも。全てを織り交ぜた歌詞は柚愛の感情そのものを、ぶつけたような歌だった。同じ高い壁を抱えるさくらでなければ、描けない歌だ。


 路上ライブのステージに立つ柚愛と、さくらの姿が重なる。

 斜め下に顔を向けると、柚愛はステージを見上げていた。あの夜のさくらのように、切れ長の瞳にスポットライトが反射している。


「乙羽さくらでした。ありがとうございました」


 歌い終わったさくらはフロアを見渡す。返ってきたのは静寂だった。


 余韻を残した無反応に、ステージの花は不安げな表情を浮かべる。その杞憂を打ち消す柏手が響いた。ひとつ、ふたつと増えると、割れんばかりの喝采となり、会場を包む。


 心を置いてきたようなように放心していた湊音も、遅れて手を叩いた。

 ダイレクトに感情をぶつけるような歌。自分の入れた仮歌と同じ曲だとは到底思えなかった。


「さくらちゃ~ん!」

「かわいい!!」


 袖へと向かうさくらに、称賛の声があがる。さくらが手を振ると、ほんの十五分前まで興味なさげだった観客たちが、鼻の下をのばして振り返した。


「めちゃくちゃ歌うまいじゃん。まじすごくね」

「てか、アイドルってだけあって、よく見たらかわいいよな」

「打ち上げ参加すっかな。あわよくばお持ち帰りしてーな」


 最初にさくらをののしっていた二人組も、例外ではないようだ。

 鉄拳を落としそうになった湊音よりも先に、絶対零度のオーラが湊音の背筋を凍らせる。


「あいつら顔覚えたっすよ」


 淡々と言った果菫の表情は、百戦錬磨のスナイパーと同じだ。

 流石に人殺しはしないよな――湊音は肝を冷やす。


「ねえ」


 自信なさげな声は、柚愛のそれだった。恐る恐る這う視線は、湊音の胸元で止まる。


「あの子に、会わせてくれる……?」

「もちろん。あいつも会いたがってるよ」


 湊音は白い歯を見せると、関係者用の出入り口へと向かった。

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サウンドスコープ 春埜天 @haruno_ame342

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