第9話 ビール

「お前さあ、大丈夫なの?」


 石江の呂律が怪しい。もうアルコールが回ったのか。


「何がだよ」

「何って。……いや、何でもない」


 俺は鼻を鳴らし、枝豆をつまむ。なんの変哲もない、ただの冷凍枝豆なのだろうが、なんだか懐かしい味がした。居酒屋もアルコールも、無職の俺には久しぶりだった。


 志塚家での仕事が終わった帰り、俺たちは居酒屋で飲んでいた。石江と飲むことはあまりない。というのは、石江が酒に弱いためだ。それも一杯飲めるか飲めないかくらいの弱さなので、酒よりも食事がメインになることが多い。しかし今回は、珍しく石江のほうから誘ってきたのだった。


「仕事はどうなの?」

「相変わらずだな。やる気による」

「やる気はどうなの?」

「週二十時間労働くらいだ」

「意外と多いな」


 多いもんか。普通の社会人と比べれば、既定の半分だろうに。


「まあ、負担になってないならいいんだけど」


 石江とはネット上で出会った。SNSで見た石江の絵がなんとなく目に留まり、暇だった俺はらしくもなく声をかけた。専用のサイトを作ったら儲かるのではないかと、婉曲的に伝えたのだ。


 しかし当時の石江は一般企業に勤めていて、趣味として絵を描いていた。だからサイトを作っている余裕も、知識もないのだと答えた。そういうことであればと、俺はテンプレートを利用してサイトを作成した。ほんとうに暇だったのだ。


 余計なお世話だと言われかねない話だが、石江は純粋に喜んでいた。そのうち俺も石江も乗り気になり、俺は出来心で、いくつかのサクラサイトを作成した。もっともらしい、ありきたりな記事をいくつか投稿したうえで、石江のサイトやSNSアカウントに誘導するような好評レビューを書くためだ。それがきっかけだったのか定かではないが、石江は大いに売れた。そして、専業のイラストレーターとなった。


 つまり正攻法ではないわけだが、石江に素質があったのは間違いない。芸術を生業にするには、実力と同じくらいに営業が欠かせないものだ。俺はそのきっかけを作ったまで。そう考えている。


 ところが石江は律儀な男で、そのおかげで売れたのだからと、サイトの制作費を後で支払った。それも、かなり色をつけて。ほんとうは断りたいところだったが、厚意を無下にするのもいかがなものかと思い、今後もサイトの管理をするということでけりをつけた。そういう付き合いが発展し、今の関係になっている。


 その時に作ったサクラサイトは、今も仕事に活用している。手っ取り早くサイトの閲覧数を増やしたい時や、サイトの記事の信憑性を増したい時に重宝するのだ。そうして仕事が二次的に軌道に乗り、ぼんやりしていても仕事が来るようになった。


 完全に、中途半端な無職になった。無論、定義の上では無職ではないのだが、感覚としては無職だった。やっていることがネットサーフィンと大差ないのだから、仕事をしている実感が無いのだ。それが良いことなのか悪いことなのか、俺にはわからない。


「今回のだって、サイトさえできていれば広めるのは簡単だからな。問題はその内容のほうで」

「それが問題なんだよなー。設定が唐突だからか、ぴんと来ない」

「絵があるだけでも変わるけどな。代金は後で払うよ」

「気にするなって。ボランティアみたいなもんだし」


 そういうわけにはいかない。相手がその道のプロである以上、代金を支払うのは礼儀みたいなものだ。職業に対する冒涜だとすら思う。


「それにさ、なんか嬉しいんだよ。こういう話が現実にあって」

「オタクは喜びそうだもんな」

「それもそうだし、お前が信じたってこともだよ。そういうの、絶対に信じないと思ってたからな」


 石江が本当に嬉しそうな顔をしていて、言葉に詰まる。


「まあ、目にするとさすがにな。確かに信じてはいなかったが、あり得ないって確信もなかったわけで」

「え、見たの? いいなあ。俺も見たいんだけど」

「頼めば見せてくれるだろ」


 どうしてこうも、すんなり受け入れられたのか。自分でも不思議だった。実際に目にしたからと言っても、俺が見たのは召喚のデモみたいなものだ。美澄の話をすべて信じるには到底実感が足りない。それでも、疑う気にはならなかった。


「ところで、なんで俺が信じたことが嬉しいんだよ」

「なんとなくだよ。理由はわからん」


 石江が言わんとすることが何となくわかって、複雑な気持ちになる。それを言わないのが石江の優しさであることも、わかってはいる。


「やっぱりさ、お前に無職は似合わないんじゃない?」

「お前、無職の俺しか知らないだろうが」

「今のそれは、無職とは言わないだろ。本気で商売する気はないわけ?」

「考えてない。労働だと認識しない程度を目指してるからな」

「よく言うよ」


 ビールを喉に流す。コーヒーと同様に、ビールも無職には相応しくない飲み物だ。苦い飲み物は総じて、ストレスを抱えた人間のためにあるものだと思っている。それでも、やはりビールは美味かった。


 俺はいったい、何がしたいんだろう。泡がついた口元を拭い、ぼんやり考える。


 もしかすると俺は、コーヒーやビールを飲むための口実として、中途半端に仕事をしているのかもしれない。そんな馬鹿げたことを考える。

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