第12話 影
車を降りた。少し前までほとんど毎日通っていた、馴染みのある道だ。どういうことかと、説明を求めて美園を見る。
「この辺り、数年前はもっと暗くて、事故が頻繁に起こる通りだったんだって。死亡事故も起きてる」
「へえ。改善された後だったんですね」
今はLEDの街灯が設置されており、近隣住民にはむしろ迷惑なのではないかと思うほどに明るい。交通安全的にも防犯的にも明るいほうが良いとはいえ、ここまで明るい必要があるだろうかと疑問に思う。
「それで、ここが何か?」
「昔起きた死亡事故が、けっこう悲惨だったみたい。住宅街だから目撃者もまあまあいて、心霊スポットとまではいかないけど、薄気味悪い場所だと恐れる人もいるんだって。今は明るいから、そのことを知らない人も増えてるんだろうけど」
俺は「へえ」としか言えなかった。「だから何ですか」と言いかけてやめ、話の続きを待つ。
「だけど最近、また増えたみたい。幽霊がなんとかって噂が」
「明るくなったのに? 何かきっかけが?」
「真夜中に自損事故があったんだって。だから何だって話だけど、その事故が起きた時、なぜか街灯が消えていたらしいの。街灯が切れたのは事故の衝撃だろうって皆思ってたんだけど、結果的にドラレコで証明された。そもそも街灯が切れていたところで、事故の言い訳にはならないんだけどね。それで、もしかして幽霊の仕業じゃないかって話になって、再燃したわけ」
死亡事故を知っている近隣住民であれば、そんな気もしてくるだろうか。設置されて数年程度のLEDなのだし、街灯が切れていたというのも不自然ではある。
「それで、どうして今ここに?」
ここまでの話で、察するべきなのかもしれない。そんな気がして後回しにしていたが、やはり尋ねずにはいられなかった。
「ここで悪霊が発生したって言ったら、今の君は信じられる?」
俺は自分の影を見つめ、毎日この道を通っていた時のことを思い出していた。あの頃はスーツを着て、革靴を鳴らしながら歩いていたのだった。
パーカーにスニーカーという出立ちが、影に丸みを帯びさせている。太ったかなあ、なんて思いながらまじまじ見ていると、一瞬、隣に並ぶ人影を空目した。
「今でなくとも、信じたと思いますよ」
あれは、あまりにも突然のことだった。神隠しを疑うくらいには、事実そのものが現実味に欠けていたのだ。悪霊の仕業だと言われれば、俺はあっさりと受け入れていたかもしれない。そこから霊能力だとか超能力だとか、もしくは宗教じみたものにはまり、財産もろともこの身を捧げていた可能性だってある。それくらい、衝撃的で信じ難い出来事だった。
「国内の行方不明者は、毎年八万人を超えるんですって。八万人もいるんだから、自分の彼女が行方不明になったとしても、そう珍しいことではないですよね」
八万人を超えると言っても、そのうちの六万人以上は一か月以内に所在確認されるらしい。とはいえ、それを除いても二万人。まだ珍しいとは思えない。
自分にそう言い聞かせて諦めた。彼女の帰りを望んでも、それは叶わないのだと決めつけた。少しでも希望を見出して心がすり減るよりも、すべてに絶望して空っぽになったほうが楽だった。
彼女が消えた理由がどうであれ、彼女が二度と戻ってこないのであれば同じことだ。そう考えると、本当にどうでもよくなった。
もう一度会いたい。そんな願いも、期待を押し殺し続けていれば浮かんではこなかった。
***
いわゆる、社内恋愛だった。
同じ部署に配属されてきた、ひとつ下の後輩。初めて会った時にふと、可愛いな、と思ったのを覚えている。彼女は院卒だったので、年次はひとつ下、年齢はひとつ上だ。プラマイゼロで、どっちつかずな接し方をしていた。
それからも、特別印象的なイベントがあったわけではない。同じ部署の同僚として仲良くなって、何となく二人で会うことが増えて、いつの間にか付き合っていた。そんな感じだ。クリスマスに初めて正式なデートをして、ふたりで宝くじを買った。
「これ、
彼女にそう言われて気づいた、一等の前後賞。信じられなかったが、何度確認しても見間違いではなかった。
「すごいじゃん。結婚する?」
彼女は茶化して言ったが、俺は満更でもなかった。というか、真剣にそうしたいと思った。高額当選したことよりも、彼女の口から「結婚」という言葉が出たことのほうが、俺にとって嬉しいことだと気づいたからだ。
なんとなく一緒に過ごす時間に、今が一番幸せなのかなあと思う。ただ漫然と仕事をして、成功も失敗も、それを覆す改進もない人生だとしても、彼女と過ごせれば楽しいかなあと思える。運命だとか奇跡だとか、そんなものは信じていなかったけれど、この先に同じ感覚は無いと確信した。それこそが奇跡だと思った。
そんな矢先、彼女が失踪した。
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