第20話 指切り
「旭は本当に死んでるの?」
俺は単刀直入に尋ねた。すぐ隣にいるから、この期に及んで信じられなくなったのだ。
「そうなのかも。私、真冬用のコート着てるけど、どう考えてもまだ冬じゃないよね? 今日は何年の何月?」
「えーと」
俺はスマホを見て、旭にも見せる。彼女は目を丸くして、「あなたは未来から来たんですか?」ととぼける。
「むしろ逆だろ。お前が、過去から来た」
「冗談。私もあんまり実感ないんだよね。あれ死んだと思って、今ココ」
「そういうもんなの?」
「知らないよ。初めて死んだし」
そりゃそうだと思いつつ、変わらない彼女にほっとする。変わっているはずもないのだけれど。
「あの子は何者?」
「召喚師って言ったら信じる?」
「まあ、信じざるを得ないよね。お呼び出しされちゃった身としては」
俺はこれまでの流れを、つまり旭が死んでから、俺が会社を辞め、ひょんなことからサイト制作の仕事を始め、紆余曲折あって志塚家と関わることになった経緯を、言い訳がましく説明した。女子高生と夜道を歩く罪を、どうにか弁明しておきたかったのだ。
彼女はいちいち茶々を入れながら、「大変だったねえ」とか、「やっぱり無職になれてないじゃん」とか、「女子高生を家に入れるなんて認識が甘すぎる」とか、他人事みたいな感想を述べた。
「お前がいなくなるのが悪いんだぞ」
俺はむっとして言った。俺は何が起きたかも、彼女を責めてもどうしようもないことも知っているのに、文句を言わずにはいられなかった。けれど次の言葉が出る前に目頭が熱くなって、とっさに袖で顔を隠す。一年弱、ずっと出なかった涙が今さら押し寄せてきて、とてもこらえられそうになかった。
「偉いねえ」
彼女はそう言って、俺の頭を撫でた。事あるごとに口にする、彼女の口癖だった。それを思い出して、俺は余計に泣いた。
「死んだら見守ってあげるなんて、都合の良いことはできなかったんだよね。死んだらそこで終わり。こうして呼び出してもらわない限り、私は和泉を見ることも、触れることも、考えることもできないみたい。でもずっといるわけにはいかないし、私も未練はたっぷりあるけど、死んだのなら受け入れないといけないじゃない? だから今のうちに、私が知らない話をいっぱい聞かせてよ。自分は死んだんだって思えるように」
そう言われて、ほとんど引きこもっていた日々を思い返す。思い出と呼べるほど大層な出来事はなかったが、恨み節ならいくらでもあった。
旭が消えた後、推奨されるべき時期に退職したこと。中古の一軒家に引っ越したこと。段ボールがいつまで経っても片付かないこと。宗教勧誘のおばさんがしつこかったこと。石江と知り合ったこと。石江の売れるきっかけをつくったこと。遊び半分で仕事を始めたこと。突拍子もない仕事をもちかけられたこと。美澄や美園と出会ったこと。突拍子もない仕事が成就したこと。彼女を作れとうるさい人間が、ちゃっかり彼女を作っていたこと。
旭はけたけた笑いながら、「和泉らしいねえ」と、懐かしむように言う。どの話にも自分がいないことを確認し、噛みしめているかのようだった。
「私がいなくても、和泉は大丈夫だね」
彼女の中では、そういう結論に至ったらしい。俺は納得しなかったが、彼女がそう言うならそうかもしれない、とも思った。
「だからね、和泉にお願いがあります」
「何?」
「クリスマスの日に、二セット宝くじを買うこと。和泉と、私のぶん。たとえイヴの日に女の人と寝ていたとしても、クリスマスの日には必ず、宝くじを買うように。死ぬまで、一生」
「マジ? 一生なの?」
俺はさすがに慄いた。すでに高額当選という旨みを味わい、おそらく幸運を使い果たしたであろう人間にとって、宝くじを買うという行為は寄付に近い。二セットくらい大した出費ではないにせよ、それが一生となると結構な額になりそうだ。
「そ、一生。私はね、私のことは忘れて幸せになってね、なんて言うほど、寛大な人間じゃないし、和泉に忘れられたくないの。死んだ彼女の遺言を一生守るなんてキモ、なんて言う女には、和泉を盗られたくないんだよ。だからゼッタイ、守ってね」
「そんな誓約なくたって忘れないよ。守るけども」
「忘れないとしても、思い出してほしいの。他の人と付き合うなとも、結婚するなとも言わないけどさ、死んだ時に思い出してもらえなきゃ、嫌だからね」
「わかった。死ぬまで、一生守るよ」
クリスマスの朝に売り場を見つけて、面白そうだからと買った宝くじ。「これから毎年買おうよ、クリスマスの日に」と、旭ははしゃいで言った。じゃあ来年もここで買おうと、当たり前に来年があると思って、彼女と約束したんだった。
ほら、もう忘れてる。旭に怒られそうだ。
「じゃあ和泉」
「うん」
「今度こそ、結婚しようね」
「そっちこそ、結婚する前にいなくなったりするなよ?」
「痛いことを言う」
旭が渋い顔をして笑った。彼女が無言で差し出した小指に、自分の小指を結ぶ。小学生みたいだとからかわれそうで声には出さなかったが、一拍ずつ噛みしめるように、ゆっくりと刻む。
最後の一節が来なければいいのに。彼女の指が緩み始めても、未練たらしく指に力を込めてしまう。
離したくなかった。こんなにはっきりと感触があるのに、幻のはずがない。このまま繋ぎとめていれば、この一年弱のすべてを悪夢として処理できるのではないかと、夢みたいなことを考える。
「お、ホントに指切る?」
「え、それは勘弁して」
「意気地なしめ」
渋々指を放すと、彼女は消えていた。
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