第18話 光陰
当初の計画通りにふたつの記事を投稿してから、半月ほどが経つ。
俺はすでに、百万円には程遠いものの、相場の料金を美澄から受け取っている。それからしばらくの暇を挟み、別のゆるい案件に取り掛かり始めていた。コーヒーを片手に音楽を垂れ流しながら、休み休み作業する。
肘をついてぼんやりし始めたところで、デスクが振動していることに気づく。振動源はスマホのバイブレーションだった。画面には、美澄の名前が表示されていた。
「はい」
「お久しぶりです。お元気ですか?」
「久しぶりだっけ? 元気ではあるけど」
引きこもっているうえにテレビも見ないから、曜日も日付も感覚が失われているのだ。半月という月日が、長いのか短いのかもよくわからなかった。
「あ、その後どう? 閲覧はまあまああったみたいだけど」
「はい、その話で。昨日、お犬様を召喚してみたんです。なかなか言うことを聞いてくれませんでしたが、召喚じたいはうまくいきました」
「言うこと聞いてくれないの? ああ、そういう設定はなかったか」
お犬様はあくまでも森の守り神であって、その本質はオオカミと大差ないという設定だった。
「そういう設定も足そうか?」
「もともと志塚家に伝わるご眷属ですから、馴れれば問題ないと思います。召喚の用途も含めて、工夫次第でしょうし。追加の依頼ではないのですが、取り急ぎ報告をと」
「それはよかった。感慨深いね」
感慨深いのは本当だったが、俺はかすかに落胆を感じていた。それは非日常との別れに対してではなく、猶予期間の終了に対してだと、自分でわかっていた。
数秒の沈黙の後、「あのさ」と、切り出すところまではやってみる。
「あ、はい」
「あのことなんだけど」
髪をかき上げる。ふとした瞬間にぼんやりと考えることを繰り返していたのに、いまだに結論に達していなかった。ふとした瞬間は毎日何度もあったのに、だ。つまり俺にとって、半月は短い。
「いつが空いてる?」
「私ですか?」
「俺は無職だから、基本いつでも」
「来週以降であれば、平日の放課後は空いています。あの、できれば現場のほうが、術的に良いんですけれど」
「わかった。俺はいいけど、それだと帰りが遅くなるよね」
「それなら、来週の月曜はどうですか? 授業が早く終わるので」
「じゃあその日でお願い」
美澄は「わかりました」と答えた後、「あの」と、躊躇いがちに言う。
「急かすつもりはなかったんです。私は本当に、いつでもいいので」
「わかってる。でも俺はたぶん、いつまで経っても引き延ばすから」
俺はいい加減、けりをつけるべきなのだ。隣の部屋には今でも段ボールが残っているし、旭のことを思い出しそうな物品は段ボールの中に入ったままだし、旭の両親にも一度会ったきりだ。そして無職を自称しておきながら、惰性で仕事を受け続けている。
「よくよく考えたんだけどさ」と、言い訳を述べる。
「俺は今でも、十分に不健全なんだよね。だから仮に立ち直れなくても、悪化はしないだろうと思って。それに、このことで後悔を増やすのもどうかと。だから、連絡してくれてよかったよ」
「それなら、よかったです」
美澄はほっとした声を出した。それを聞いて、やっぱりこれでよかったんだと、自分に言い聞かせる。
「あ、石江さんとは会ってます?」
「連絡はとってるけど、そういえばあれから会ってないな。どうかした?」
「やっぱりなんでもないです」
「え、ナニその反応」
美澄はくすくす笑って、「美園が黒髪になりました」と報告する。
「あ、もしかして髪切った?」
「はい。ばっさりと」
「最近、筋トレを始めたとか」
「どうしてわかるんですか」
開けっぴろげな美園のことだ。美澄には話しているのだろうが、そうでなくてもわかりやすい。
「春が来たねえ」
「もうすぐ冬ですけどね」
美澄とひとしきり笑い、ため息をついた後に仕切り直す。
「今さらだけど、本業のほうはどう?」
「順調といえば順調です。今は過ごしやすい季節ですから、神々も落ち着いていますし。最近は春夏が忙しいので、今のうちにお犬様に懐いてもらわないといけません」
「なるほど。また今度、見物に行こうかな」
「ええ。よければぜひ、石江さんと一緒に来てください。仮にも生みの親ですから、お犬様も喜びますよ」
「わかるのかなあ、そういうの」
それからいくつか他愛のない話をして、「また月曜日」と電話を切る。よほどの用でなければ電話なんて滅多にしないが、悪いものでもないなと考え直す。
コーヒーを飲み干し、ふたたびぼんやりとする。音楽を再生する気にもならず、パソコンの排気音だけが聞こえる部屋で余韻に浸っていた。
ふと気が付くと季節が変わっている。それは会社に勤めていた頃からそうだったが、月末に突如として湧く焦りすらも感じなくなり、年末とか年度末とか、そういう区切りもしれっと超えていくのだろうなと、うっすら悲しくなる。
もうすぐ冬か。そう思うと、急に石江に腹が立ってきた。なんだあいつ。
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