第二話「夢じゃなかった異世界?転移。この世界のことを整理してみよう」
この世界に飛ばされてから初めての朝を迎えた。昨夜部屋に戻るとすぐに防具を外し、そのままベッドに潜り込んだが、この理不尽な状況に対する怒りと不安で、結局朝まで寝付けなかった。
窓から朝日が差し込んできたので、窓を開けて空気を入れ替える。
部屋の中を見渡すと、そこには見慣れないようで見慣れた光景が広がっていた。ここは若い
着替えをするが、ごわごわの木綿の
この下宿には管理人はいるものの食事は自炊となる。ここに食堂などという上等なものはなく、裏庭の井戸の脇にある竈を使い自分で火を熾して料理を作らないと食事にありつけない。
竈を見ながら、六人での生活のことを思い出す。
(六人で拙い飯を作って食って、ちょっと金が入ると安い酒を買って……こいつらも青春をしていたんだな……)
それでも自分自身のこととは思えず、感傷に浸るまでには至らない。
井戸で顔を洗う。
その際、桶の水面に映る自分の顔を初めて見た。黒い髪に黒い瞳。日に焼けているが白人特有の白い肌。少し自信無さ気な表情を浮かべた十代半ばの若者の顔だった。
(十七歳か。随分若返ったな。日本なら高校生か……それが命を張って金を稼いでいたんだな。俺にそんなことができるのか……)
ぼんやりと水面を眺めた後、
食堂で一番安い飯――固いパンと生臭い魚と野菜のスープ――を食べる。昨夜は碌な物を食べていなかったせいか、そんな食事ですら美味く感じる。
食事を終えるとすぐに組合の建物に向かう。組合では未だに昨日のキメラ騒動が燻っており、受付で組合職員と狩人が揉めていた。
少し早すぎたのか、それとも時間にルーズなのかは分からないが、同行するはずの斥候が集合していない。俺は組合のロビーで座りながら、ぼんやりとこの世界のことを考えていた。
この世界はいわゆる剣と魔法の世界らしい。
魔法は“
その魔導器が魔象界と具現界を繋ぐ器官らしいのだが、レオンハルトの知識では詳しいことは分からなかった。
分かったことはいわゆる魔法=魔導を使うためには“
但し、魔導師でない普通の人間も魔象界の力を使うことができる。それは身体強化で、達人になれば普通の人間の十倍ほどの力が出せるらしい。
信じられないことに、レオンハルトも身体強化が使えた。といっても達人のように能力を十倍に高めるほどではないが。
元々、彼は職業軍人の家、それも将軍クラスを輩出する名家の三男坊で“四元流”という流派の武術を学んでいた。
四元流は魔導器の効率的な使い方を鍛える流派らしく、達人になれば身体だけでなく、武器にも魔導を纏わせ岩をも砕くことができるらしい。
レオンハルトはその“中伝”に達しており、あと十年ほど修行をすれば“皆伝”になると言われていたようだ。
この情報を知った時の俺の第一印象は“気功”だった。本物の気功がどんなものか知らないから、俺のイメージはコミックや映画で得た知識に過ぎないが、“気”を集めて体内に循環させ、力を得るという点が似ていると思った。
本物を知っている人間に笑われるかもしれないが、自分では分かりやすい例えだと思っている。
純粋な魔法、つまり魔導については専門の魔導師しか使えない特殊技能だが、この世界では割と普通に見られるものらしい。塔から各国に派遣されている魔導師――“
実際、レオンハルトも何度か魔導を見ている。
もう一つの大きな特徴として、
魔獣は意思を持った魔素で、魔象界から具現界に現れたものと言われている。但し、これは狩人たちが言っているだけの俗説で、実際のところは分からないらしい。
何者かは分からないが、危険なものであることだけは分かっている。魔獣は
魔素溜以外にも
通常、魔獣は魔素の濃い場所を好むため、魔素溜を離れることは稀らしい。しかし一定数以上に増えると
そのため定期的に魔獣を狩る必要があり、
組合に加盟すると、
組合員証にはランクがある。
ライトノベルなどでよくあるアルファベットではなく、犬札の材質がランクを表している。一番下は鉄級で上に行くに従い、銅、銀、金、白金、
レオンハルトは鉄級の駆け出しだった。
銀級以上になると魔窟で魔獣を狩るようになる。魔窟は魔獣の数が多く、強力なものが多いため、腕に自信さえあれば一攫千金も夢ではない。
レオンハルトも将来魔窟に挑戦して一攫千金を狙っていた一人だ。
魔獣を狩ると身体や使っていた武器などは一切消えてしまい、
何故なのかはよく分からないらしいが、魔素でできた身体や武器は倒されると形状を維持できなくなり、魔素に還元されるという説が有力だ。
但し、強力な魔獣は武器や他の素材も落とすらしいが、噂だけで真偽のほどは分からない。
また、魔石についてもよく分かっていない。
魔石は魔導で動く道具、“
この魔石だが、魔獣の強さによって大きさが変わり、最下級のものは日本円で千円ほどになる。また、キメラのような災害級だと魔石だけで一億円相当の価値があり、これに討伐の報奨金が加わるため、災害級の魔獣の討伐は一回で数億円の報酬となる。
もちろん、一人で災害級を倒すことは難しいから頭割りになるが、それでも運が良ければ数年は遊んで暮らせるほどの金が手に入ることになる。
金の話が出てきたので簡単に説明すると、この世界の通貨の単位はマルク、正式には
“らしい”と言ったのは、ここグランツフート共和国ではツンフトマルクを使っており、他の通貨を見たことがないためだ。ちなみに西隣のレヒト法国、北隣のゾルダート帝国などでは独自の通貨を発行しているという話だ。
マルク円レートは当然ないが、物価から見た感じでは一マルク=百円程度だろう。つまり、千円は十マルク、一億円は百万マルクくらいになる。ちなみにマルクの補助通貨として百分の一のペニヒがある。
他にもこの世界の基本的なことを思い出していく。
距離や重さの単位は日本で使っていたものと同じメートルやキログラムだ。俺としては助かるが、異世界なのに地球の単位系というのは違和感がある。
住んでいる人種は普人族と言われる人間、
そんなことをぼんやり考えていると、組合職員が手招きしてきた。どうやら準備が整ったようだ。
組合長が斥候のリーダーに「レオンハルト君だ」と俺を紹介すると、
「くれぐれも注意してくれ。もし、キメラがいる痕跡を発見したら、すぐに戻ってくるんだ」と注意を促した。
斥候のリーダーは目付きの悪い三十代半ばの男でほとんどしゃべらない。他の斥候たちも同じように無口で重苦しい雰囲気を感じていた。
午前九時過ぎに町を出発する。
普段なら門が開かれ、街道を行きかう旅人や荷馬車がいるのだが、今日は町長の権限で門は閉じられ、許可のある者しか街の外に出られない。
これはキメラが街道沿いをうろついていた時を想定し、人間の痕跡をできるだけ残さない配慮だそうだ。俺に言わせればキメラが近くにいるなら三千人も人間がいるゲッツェの町に気付くし、そもそも昨日確認にいった連中が襲われている。無駄な配慮だと思うが、念には念を入れたいのだろう。
出発して二時間。狩人たちが踏みしめてできた獣道を歩いていた。いつもなら弱い魔獣を見かけるのだが、今日は一度も見かけていない。
森になっている丘を越えると、二本杉が見えてきた。この二本杉というのは狩人たちが勝手に呼んでいるもので、樹齢三百年の立派な杉の木が二本並んでいることからこう呼ばれている。ちなみに樹齢についてはみんながそう言っているだけで本当かどうかは分からない。
リーダーが静かに停止の合図をする。
「あの場所で間違いないな」と念押ししてくるので、大きく頷く。
昨日の偵察隊はフランクたちの遺体を回収せず、そのまま放置してきた。もちろん、武器や道具など使えそうで簡単に持ち帰られる物は回収している。
これは可能な限り短時間で戻ってくることが一番の理由だが、キメラが戻ってきた場合、遺体がなくなっていれば匂いを追って追いかけてくるかもしれないと考えたからだ。
俺は気が進まなかった。聞いた話では遺体の損傷が激しく、スプラッターなものを見ることになるからだ。全く駄目ということはないが、頭がない死体や半分に食いちぎられた死体を平然と見ることができるほど肝が据わっているわけでもない。
最初に俺と一緒に逃げたゲオルグの遺体のところに向かう。昨日のことが鮮明に思い出され、背筋に冷たいものが流れる。
リーダーの指示で大きな岩の陰に隠れ、斥候の一人が先行する。すぐに草むらに姿が消え、風が吹きぬける音だけが聞こえる。
この辺りにも魔獣の気配がない。昨日もおかしいと思っていたが、それ以前はここの先にある小さな魔素溜から湧き出るネズミ型や虫型の魔獣が徘徊していたのだ。
五分ほどでピッという鋭い口笛が聞こえた。先行した斥候の合図らしく、リーダーが「行くぞ」と出発を促す。
慎重に足を進めていくと変形した鎧がバラバラに撒き散らされていた。その鎧はゲオルグが着けていた鋼製の鎧だった。更に進むと地面から伸ばされた腕が見える。
胴体は草に隠れて見えないが、死の間際に伸ばしたのだろう。まだ、五メートルほどがあるが、吐き気を催す、血と臓物の臭いが漂ってきた。
慎重に近づいていくとゲオルグだったらしい物体が転がっていた。
頭から右上半身はなく、胴体が半ば千切れている。内臓はほとんど残っておらず、白い骨が見える。一瞬吐き気が込み上げるが、レオンハルトの記憶にこれ以上のものがあり、何とか平静を保つことができた。
「仲間で間違いないか」とリーダーが聞いてくる。
「鎧の残骸はゲオルグの物みたいなんですが」と答えることしかできない。斥候の一人が「これを見てくれ」と言って血塗れの組合員証を持ち上げる。
「多分、ゲオルグのものです。鉄級のくせにチェーンだけ銀に換えていましたから」と答える。
血が乾き文字は読めないが、支給品の革紐ではなく銀のチェーンであったことからそう判断した。
「あいつは見栄っ張りでしたから」というと、リーダーは小さく頷き、「二分やる。持っていきたい遺品があれば外しておけ」と言って離れていった。
グロい遺体を触る気はなかったが、奴がいつも腰に付けていたポーチを外す。奴はこのポーチに宝石などの貴重品を入れていた。ポーチも血塗れで、ゲオルグのズボンで血を拭き取る。
その後、フランクや他の仲間たちの遺体を確認し、全員の組合員証と遺品を回収した。
不思議なことに周囲に魔獣の気配はなく、日本の長閑な森にしか思えなかった。リーダーも同じことを思っていたのか、「俺が駆け出しの頃はもう少し魔獣がいたが、いつもこうなのか」と聞いてきた。
俺は「いえ」と
「俺の頃と変わっていないか」とリーダーは呟くが、すぐに「撤収する。周囲の警戒は充分にしておけ」と命じて町へ向かって歩き始めた。
午後二時くらいに町に着くが、昼食を摂ることなく町役場の町長室に連れて行かれる。
リーダーがキメラの姿がなく、気配もなかったと報告すると、町長たちは一様に安堵の息を吐き出していた。
町長が「
「昨日の報告のとおりでした。金属鎧を紙のように引き千切るほどの膂力を持った
淀みのない説明に町長は苦虫を噛み潰したような表情をし、
「では、町の封鎖はまだ必要ということか」と呟いた。
横にいた組合長が「それには及ばんでしょう」といい、守備隊の隊長もそれに賛同する。
俺にはなぜ町の封鎖を解いていいのか分からなかったが、町長も同じようで理由を尋ねていた。組合長はそれに答えていく。
「
大型の魔獣は存在するために多くの魔素がいるといわれており、そのことを指摘したのだ。
「確かにそうだな」と町長も納得するが、念のため明日の朝まで町の封鎖は続けることになった。
話し合いが終わり解散となるが、俺は組合長に呼び止められる。
「今回の件で特別報酬が出る。災害級の魔獣の情報は重要だからな。明後日には渡せるはずだ」
俺が礼を言うと、更に「亡くなった連中とは同郷か?」と聞かれた。違うと答えると、
「そうか。遺品はクランで処理してくれ」と言って立ち去っていく。
クランは魔獣を狩るためのチームのようなものだ。大規模なものは百人以上、小規模なものは俺たちのように数名で構成されており、拠点となる家を借り、消耗品などを共同で購入する。
クラン内のことに組合は一切関知しないため、大手の酷いクランでは若い狩人を奴隷のように扱い、ほとんど報酬を与えないところもある。
レオンハルトのいたクランはそんな大手のクランに入ることを嫌った新人が集まって作ったもので、報酬は平等に分配されたし、一部はクランの共有資産としてきちんと
クランの生き残りが俺だけであり、更に誰も遺言を残していないはずで、すべての資産は俺のものになる。
ちなみに遺産の総取りになるが、今回のように簡単に認められるのは稀なケースだ。
通常なら自分たちの実力の見極めを誤ったとしても、半数は生き残るからクランメンバーで処分方法を協議するし、今回のキメラの出現のような対処しようのない突発的なことが起きれば全滅する。一人だけ生き残るケースというのは極めて珍しいことなのだ。
仮に俺が謀略でクランメンバーを抹殺し遺産を総取りしようとしたら、今回のように簡単に遺産の処理を任されることはなかっただろう。今回はキメラの痕跡があったことと、俺の言動と状況が一致していたため、組合側が簡単に認めたのだ。
(貯金といえるほどの金はなかったが、借金もなかったはずだ。使える武器を売るだけでも多少は金になる。
正直不安だった。
個人的に持っている金は千マルク、十万円分ほどしかない。拠点として使っている下宿の部屋は月払いだからあと半月は住めるが、その後は家賃を払うだけでほとんどなくなってしまう。
そうなる前に働かなくてはならないが、俺自身狩人としてやっていける自信がない。
他の職業に就くといっても、伝手もなければ技術もない。レオンハルトが唯一持っている技能は戦闘技術だけだし、俺、すなわち
確かにこの中世レベルの世界より知識はあるが、ライトノベルであるような技術革新を起こそうにも、金も人脈もない十七歳の若造にできることは少ないだろう。
唯一、食事の改善ならできそうな気もするが、俺は食べる方であって作る方ではなかった。時々、自炊していたが、日本の優秀な食材や調味料があって初めて作れるものであり、素材から作る方法はほとんど知らないのだ。
正確な金額は分からないが、クランの資産とフランクたちの遺品を合わせれば一万マルクはあるだろう。それだけあれば少なくとも三ヶ月くらいは生きていける。その間に元の世界に戻る方法を探すなり、生きていく方法を探すなりできるだろう。
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