第十六話「犬娘の処遇問題で頭が痛いです。誰か代わって考えてください」
ラウラ・ヤークトフントという奴隷の少女を偶然助け、気付けば彼女の“ご主人様”になっていた。相棒のベルに今後のことを相談するが、とりあえず引き取るしかないという結論しか出てこない。
ラウラはハスキー犬のような三角形の耳とふさふさとした銀色の尾を持っており、名前の通り
髪はセミロングで尾と同じ銀色、サファイアのようなブルーの瞳と白い肌が艶かしく、細い鼻梁がやや鋭い感じを与える。背は俺より十センチほど低い、百七十センチ弱くらい。すらりとしているが、出るところは出るという感じで女性らしい身体つきだ。
今は粗末な貫頭衣と海水でベタベタになった髪のせいでそれほど感じないが、充分に美少女に分類される見た目だろう。
レヒト法国で奴隷にされた仲間の生存が絶望的なことから、今は生気のない目をして俺の後ろを歩いている。
(あんな目をした
正直途方に暮れている。奴隷制など創作の中だけの話だと思っていたし、レオンハルトの記憶でも奴隷を見た記憶は数えるほどしかない。
それも明らかに堅気じゃない顔付きの犯罪奴隷だけだ。
彼女の境遇に同情するが、今の俺が置かれた状況で仲間を増やすのはデメリットしかない。もう少しこの街で稼いだら、
日本に帰る算段はできていないが、少なくとも
そうなると、この獣人の娘は足枷になる。この娘の高い潜在能力なら少し鍛えれば付いてこられるかもしれないが、俺が異世界から来たという秘密や、ベルがただの黒猫ではなく魔導が使える使い魔だと教えるつもりはなく、結果として一緒にいることはできないのだ。
『うだうだ考えても結論は出ないニャ。宿に着いたら部屋をどうするか、着る物や装備をどうするかを考えた方が建設的ニャ』
常に冷静なベルが俺の思考を読んで提案する。確かに明日以降のことを考えるより、喫緊の課題を片付ける方が先決だ。
宿である“ホテル・
「二人部屋でしょうか? それとも一人部屋の追加ですか?」と聞いてきたので、
「一人部屋の追加」と答えようとしたが、ベルが『あんな状況の
だがすぐに「もちろんツインタイプだ」と付け加える。
支配人が部屋の確認をしている間にベルに念話で抗議する。
(心は三十代だが身体は健全な十代だぞ。いや、日本にいる時だって枯れていたわけじゃないんだ。あんな美少女と一緒の部屋に泊まったら歯止めが利くか自信がないぞ)
『我慢できないニャら、娼館にでも行ってくればいいニャ。今でも行っているんだから変わらないニャ』と涼しい声で伝えてくる。
確かに数日に一度、性欲の発散のために娼館に行っているが、それとこれとは話が違う。
『あんな顔をした女の子を襲えるほど旦那は鬼畜じゃないニャ』とそれまでとは違い真面目なイメージの念話を送ってくる。
振り返ってみると、俺の後ろではぼんやりとした表情でラウラは立ち尽くしており、確かにその姿を見て性欲を発散させるほど落ちぶれてはいない。
今までの部屋に加え、もう一部屋となるが、今までの収入と今日手に入れた金貨や宝石からこの程度の贅沢は全く問題ない。宝石は鑑定しないと価値は分からないが、少なくとも貨幣だけで二万マルクはあった。
支配人に部屋の鍵を渡されるが、「お連れ様は湯浴みをなさった方がよいのでは」と遠慮気味に言われる。確かに海水独特の生臭い匂いが立ち込めていた。
この宿は部屋に浴室はなく、一階に浴場がある。浴場といっても大きめのたらいに湯を入れてもらい、それで身体を洗うだけでシャワーすらない。
支配人に湯浴みの準備を頼むと三十分ほどで準備ができるということで、一旦部屋に向かう。
部屋は二階にあるツインタイプで寝台が二つと小さなテーブルと椅子のセットが置いてあった。
「湯浴みの準備ができるまで話をしよう」と言って椅子に座らせる。
「まずは自己紹介だな。俺の名前はレオンハルト・ケンプフェルト、今年で十七歳になる。出身はこの国の首都、ゲドゥルト。この街で
こういったシチュエーションに慣れていないため、やや口数が多い気がする。
「君の名前はラウラ・ヤークトフントでよかったんだな?」と話を振るが、小さく頷くだけだった。
「大丈夫そうなら、今日は湯浴みをして服を買いにいく。それから飯を食ってゆっくり休んでくれ。これからのことは明日にでも話そう。ちょっと待っていてくれ。いつもの部屋から荷物を持ってくるから」
俺がそう言って四階の部屋に荷物を取りに行こうとすると、
「なぜあたしを助けたの? あのまま放って置いてくれたら、みんなと一緒に死ねたのに……あたしはまた一人になってしまった……」
そう言って顔を伏せ、泣き始める。こんな時どう慰めればいいのか分からないから、肩に手を置いて背中をポンポンと叩くことしかできない。
しばらく嗚咽を上げていたが、すくっと顔を上げた。
「ごめんなさい。命の恩人に変な事を言って……あなたが新しい
無理をしていることは分かった。だが、どういっていいのか分からない。
「俺のことはレオンハルトでも、レオでも好きなように呼んでくれればいい。明日には奴隷から解放するつもりだから主でも何でもないんだ」
「奴隷から解放? なぜ?」と聞いてきたので、考えていたことを話していく。
「そもそもこの国には犯罪奴隷以外ほとんどいない。それに俺自身、奴隷って奴をどう扱っていいのか分からないしな。まあ、解放しても無一文で放り出す気はないんだ。少なくとも故郷に戻れるくらいの金は渡すつもりだし……」
俺の説明を目を見開いて聞いていたが、最後に「どうして……」と呟き、
「故郷はもうないわ。家族もみんな殺されたし……それに一緒に奴隷にされた仲間も……」と言って生気の無い目を俺に向ける。
「あなたは命の恩人。だから、あなたに恩を返す。あたしにあるのはこの身体だけ……」
それだけ言うと自らの身体を抱き締めた。
そんなことを言われると心が揺らぐ。
「今日はいろいろあったんだ。明日ゆっくり考えよう。そろそろ湯浴みの準備もできた頃だろう。石鹸とか手拭いとか取ってくるから少し待っていてくれ」
そう言って逃げるように部屋を出る。ベルに相談しながら荷物を取りにいきたかったが、ラウラと同じ部屋に置いてきてしまったため、一人で四階の部屋に向かう。
(過酷な人生だな。といっても俺に同情以上のことはできないし……今は落ち着くまで待つしかないか……それにしても“身体しかない”って言われた時はドキッとしたな……)
そんなことを考えながらいつもの部屋に向かった。
■■■
あたしはどうしていいのか戸惑っていた。
あたしを助けてくれたレオンハルトという
聖堂騎士団の連中は虫けらのように仲間たちを殺したし、あの豚のように太った奴隷商人はあたしに鞭を打つことを愉しんでいた。
でも、あのレオンハルトという人は違った。
最初に見た時に思ったのは“強い”ということ。あたしの生まれた部族、
今まで聖堂騎士団の騎士でもそんなに強いと思わなかった。今は勝てなくても頑張って修行すれば勝てる程度の差しか感じなかったから。
でもレオンハルトという人はそんな次元の人じゃなかった。魔獣も含めて、今まで見た中で唯一勝てないと思ったほど。
街に入って役人のところに連れて行かれ、あの人があたしの
仲間のみんなが絶望的って思い出したら、死にたいと思った。一人で生きていけるほどあたしは強くない。
騎士団に村を襲われた時に家族はみんな殺された。戦いの最中、気を失ったあたしだけが奴隷商に売られた。その奴隷商で他の獣人族の仲間と一緒に売られることになった。苦しかったけど、仲間たちはみんな優しかった。
あたしは何度も奴隷商人に逆らったけど、それは仲間の幼い子供や身体の弱い人たちを守りたかったから。だから帆柱に括りつけられて鞭で打たれても我慢できた。
でも、もうその仲間たちもいない。
仲間が絶望的って聞いて動転したけど、船が転覆した時のことを思い出したら、あたしが生きていることだけでも奇跡だと思う。まして、鉄格子で仕切られた船倉の奥に鎖で繋がれていた仲間たちが生き残れる可能性はない。
あたしはまた天涯孤独になった。
そんなあたしにあの人は奴隷から解放すると言った。確かに奴隷という立場は嫌なんだけど、一人になるのはもっと怖い。
そんな気持ちが言葉になった。自分には身体しか残っていないなんて、今思い出しても何でそんなことを言ったのか全く分からない。みんなが死んだかもしれないのに、何てあたしは弱いんだろう。一人になるのが嫌だから身体を使ってもなんて……。
ふと気付いたことがある。自分が思った以上に元気だということに。
あたしが帆柱に括りつけられたのは昨日の昼。そして、船が沈んだのはその夜。一日近く何も食べていないし、一晩帆柱にしがみついていたのにほとんど疲れていない。
何となくだけど助けてもらった時に、あの人に治療の魔導を掛けられた気がする。そのおかげなのかもしれない。守備隊の治療師の人もこんなにケガがないなんて奇跡だっていっていたし……。
ぼんやりそんなことを考えていたけど、ふと隣の寝台を見ると黒い子猫があたしを見ているのに気付いた。あの人が相棒と言ったことを思い出す。
あの時は気付かなかったけど、今気付いたことがある。
この子猫は強い。
あの人ほどじゃないけど、あたしが勝てないほどの強さを持っている。
そのことに気付いた途端、身の毛がよだつほど恐ろしくなった。
あたしは椅子から転げ落ち、立ち上がることなく後ずさることしかできなかった。
だってそうでしょう。愛らしい子猫に見えるけど、強さは上級の魔獣を遥かに超えているんだもの。トロルと戦ったことがあるけど、あの巨大なトロルよりこの子猫の方が強い。だから、見た目通りの黒猫じゃなく、魔獣の一種なんじゃないかって。
あたしが震えていると、子猫が心に直接話し掛けてきた。
『おいらの強さが分かるのニャ? なかなかやるニャ』
あたしは震えたまま声を出すことができなかった。
『おいらは旦那の使い魔みたいなものニャ。このことを知っているのは旦那とおいら以外にはいないニャ。もし、このことを誰かにしゃべったら……これ以上は言わなくても分かるニャ?』
あたしは必死に頷いた。
今までこんな恐怖を感じたことはなかった。レヒトの聖堂騎士団に襲われた時より、いいえ、船が転覆した時より絶望的な気持ちになった。
『分かってくれてよかったニャ。旦那は優しくてお人好しだけど、おいらは甘くないニャ。お前はこれから旦那とおいらの仲間になるニャ。これは決定事項ニャ。理由は分かるニャ?』
あたしは必死に声を出そうとした。何とか出てきた声は掠れていたけど、目的は果たせた。
「あ、あなたの、ひ、秘密を知って、しまったから……だから、目の届くところに……」
黒猫は満足そうに頷いた。
『思ったより頭がよくてよかったニャ。駄犬だと思ったけどこれなら旦那の傍に置いても迷惑を掛けることはないニャ』
どうにか合格をもらえたみたい。一緒に船に乗っていた仲間が死んで、自分も死のうと思っていたのに情けないけど、目の前のネコの形をした悪魔に殺されることが無性に恐ろしかった。
『悪魔とは酷い言い草ニャ。こんなかわいい子猫はそうそうお目にかかれないニャ』とニヤリと笑う。
あたしはその笑顔に失禁しそうになった。それを何とか堪え、
「ベル様の言う通りにしますから……」と頭を擦り付けるようにして許しを乞う。
『様はいらないニャ。まあ、ベルさんか兄貴と呼ぶニャ。もちろん、旦那のことはきちんと呼ぶことが前提だけどニャ』
「分かりました。ベルさん」と言って頷く。しかし、身体の震えは未だに止まらない。
『おいらに怯えるのは、なしにして欲しいニャ。おいらは旦那を守るためにここにいるニャ。だから、旦那に迷惑を掛けないなら何もしないニャ。そこのところはきちんと理解して欲しいニャ』
あたしは理解した。目の前の存在はレオンハルト様のためだけに存在するものだと。
そして、あの方の障害になるもの、敵対するものは排除するが、そうでないなら危害は加えないと。
そこでようやく身体の震えが止まった。
『今は臭いから許さないけど、身体をきれいに洗ったら、おいらを撫でる権利を認めてやるニャ。ありがたく思うニャ』
その言葉は冗談めかしているが、あたしを仲間に認めてもいいという言葉だった。あたしは頷くが、同時にベルさんの考えも分かっていた。
ベルさんがあたしを救ってくれた。あたしの居場所を作ってくれたのだと。
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