第二十六話「魔導師を舐めてはいけません。高位の魔導で死にそうです」

 俺の目の前に巨大な魔獣ウンティーア、合成獣キメラが悠然と立っている。

 そいつはアフリカ象より大きい獅子の身体を持ち、肩までの高さは三メートルを超えていた。


 その肩の上から真っ黒なヤギが独特の四角い瞳孔で俺たちを見ている。更に尾となっている大蛇は俺たちを睨みながらチロチロと赤い舌を出していた。

 その圧倒的な存在感に足が竦みそうになる。


 何とか偵察アオフクラーレ魔導マギを使って能力を確認するが、その能力は三五〇〇/五〇〇〇。今の俺たちの能力は俺が二千を超えた程度、ベルが二千弱、ラウラが千弱であり、ようやく準災害級の魔獣を倒せるようになったところだ。まだ、完全な力を得ていないとはいえ、今まで戦った魔獣の数倍の能力を持っていた。

 その存在感に圧倒されていた俺にベルが警告を発した。


『旦那! ジクストゥスが魔導を使おうとしているニャ!』


 真理の探究者ヴァールズーハー魔導師マギーア、ジクストゥスの存在を完全に忘れていた。ベルの叫びがなければキメラの存在感に圧倒され気付かないところだった。


 後ろから迫る間者のリーダー、アインを牽制するため、突撃銃シュトルゥムゲヴェーアの魔導を発動していた。すぐにそれをフルオートで乱射する。


 オレンジ色の閃光がジクストゥスに向かった。しかし、それが彼に届くことはなかった。

 キメラは瞬間移動かと思うほど一瞬で移動し、ジクストゥスを突撃銃の射撃から庇っていたのだ。


『面白い魔導を使う。威力は大したことはないが、実に興味深い』


『確かに。魔素プノイマで作ったにしては精巧だ。何を模しているのかが気になるところだ』


『邪魔をしては悪いんじゃないか? かわいそうに呆然としているぞ』


 キメラの三つの頭の念話が響き渡る。

 その間に後ろからアインが迫り、鉄球を撃ち込んでくる。


 俺とラウラが横に飛び、それを避けるが、アインは俺たちに斬り掛かることなく、ジクストゥスの下に向かった。慌てて突撃銃を乱射するが、変則的な動きに狙いを付けられない。

 ラウラは短剣を片手にアインを追おうとした。しかし、ジクストゥスの後ろから現れた魔導師に炎の弾を撃ち込まれ、慌てて退避する。


 その間にジクストゥスに魔素が蓄積されていく。その力はキメラを召喚した時と同じ程度で、強力な魔導を発動しようとしていることは明らかだ。


漏斗型遠隔砲トリヒターでジクストゥスを狙ってくれ! 俺は監視者ともう一人の魔導師を牽制する! ラウラは一旦民家の方に向かってから、奴らの後ろに回り込め!」


 ベルは『了解ニャ!』と言って俺の肩から下り、トリヒターを召喚する。ラウラは俺の言葉を聞いても動かず、


「後ろに回っている余裕はありません。ベルさんの護衛に回ります!」


 俺が逃がそうとしていることに気付いたようだ。

 俺は何も言わず、突撃銃を魔素に還元する。そして、剣を構えると、全身に魔素を循環させ、更に剣と鎧を強化していく。幸いなことに拘束された後も兜以外の鎧は着たままだった。恐らく俺を洗脳した後、護衛にするつもりだったのだろう。


 最大の身体強化を掛け、爆発的なダッシュでジクストゥスに向かう。俺の後ろでは召喚されたトリヒターがキメラを回避するように左右に散り、ジクストゥスを目指す。


 キメラを放置することは不安だったが、余裕を見せるキメラに手を出すより、魔導を発動しようとしているジクストゥスだけを狙う方が効果的だ。俺が何も言わなくても、ベルだけでなく、ラウラにもそれは伝わっていた。


 キメラはベルのトリヒターを見て再び念話を放っていた。


『この魔導も知らぬものだ。この使い魔も興味深いな』


『この使い魔は何者だ? 具象界ソーマに顕現する際に今の形態を取ったのか……』


『そんなことより、このままじゃ召喚者がやられちまうぞ。まあ、俺たちにはどうでもいいことだが。ククク……』


 大蛇の言葉に獅子が『面倒だ』と言いながら、右側に展開しつつあるトリヒターに向けて炎を吐き出した。二機のトリヒターは一瞬にして消滅した。

 結構離れた場所を通過したはずなのに肌を焼くような熱風が俺の頬を撫でていく。


(圧倒的な力の差だ。速度も力も魔導も全部及ばない。能力値以上に基礎的なスペックで負けているんだ……勝てる気がしない……)


 絶望しそうになるが、それでもジクストゥスを倒すためにキメラを回り込もうと必死に足を動かす。

 しかし、キメラに意識を集中すると、アインが鉄球を放ち、鉄球を避けているとキメラが近づいてくる。更にもう一人の魔導師も炎の弾を撃ち込んでくるため、ジクストゥスになかなか近づけない。


 その間に二機のトリヒターが撃ち落されたが、最後の一機がキメラの背後に回った。

 そして、ジクストゥスを直接狙える位置に辿りつく。


 真っ白なビームが放たれ、ジクストゥスに向かった。

 しかし、必殺のビームはジクストゥスに届かなかった。いつの間にか間に入っていたアインが身を挺して庇ったのだ。


『惜しかったな』という大蛇の念話の直後、最後のトリヒターが獅子の炎によって撃ち落された。


「我が魔導マギを受けてみよ!」


 ジクストゥスはそう叫ぶと、愉悦に顔を醜く歪ませ、魔導を発動させた。


「顕現せよ! 炎の巨人フランメリーゼ!」


 その直後、俺の目の前に直径五メートルほどの炎の柱が二本現れた。それは柱ではなく、巨大な人型の脚だった。


 炎の巨人は三十メートル以上の身長を持ち、足で踏み潰そうとしながら、更に直径五メートルほどの炎の塊を投げ付けてくる。鈍重そうに見えるが、思った以上に動きが速く、その大きさと相まって回避することしかできない。

 ベルとラウラも回避に専念しており、打つ手がない。


『なかなかやるではないか。第五階位という割には小さいがな』


『この未熟者が曲がりなりにも第五階位を使えたことの方が驚きだ』


『第五階位? あれがか? 半分の大きさもないんじゃないのか?』


 キメラはそう揶揄するが、溶鉱炉の前のような熱気と掠める炎で炙られながらも、俺の冷や汗は止まらない。


(第五階位といえば一軍を粉砕できる魔導だ。こいつならキメラでも倒せるんじゃないのか……)


 しかし、キメラたちの揶揄する念話は止まらない。


『制御が甘い。この程度で我らを従えようとは笑止千万』


普人族メンシュ魔導師マギーアも少しはやるかと思ったが、これが限界か』


『そんなこと言ってやるなよ。あの顔を見ろよ。必死に魔導器ローアを繋いでいるんだぜ。この程度の魔導であの表情は笑えるな。ククク……』


 ジクストゥスは当たり構わず炎の塊を投げさせており、多くの民家が炎上する。可燃物が仕込まれているかのように民家は爆発的に燃え上がり、住民たちは火達磨になって飛び出していた。


 燃え上がる炎と人々の悲鳴。

 村は阿鼻叫喚の様相を呈している。


 ジクストゥスは狂ったように「すべて燃えてしまえ!」と叫び、巨人はその言葉に忠実に従い、無差別に炎の塊を投げつけていった。


『我らに捧げる供物ではなかったのか?』


『このような低質の供物などいらぬが。過度の魔導の使用で精神が崩壊したか……』


『こいつは駄目だな。完全におかしくなっているよ。まあ、あの小さな魔導器じゃ、魔象界ゼーレに飲み込まれるしかないさ。さて、どこまで続くかな?』


 キメラの念話すら聞こえないのか、ジクストゥスは破壊衝動に突き動かされているだけだった。


 炎の巨人の攻撃を避けながら打開策を考えていた。大蛇の言うことが正しいなら、放っておいても炎の巨人は消える。


 しかし、この状況がいつまで続くか分からない以上、俺たちが焼き殺される可能性の方が高い。何とか近づくか、魔導で攻撃して、奴の魔導を止める必要がある。近づくにはキメラが邪魔だし、魔導で攻撃しようにも狙いを付ける余裕すらない。


 その時、一つだけ打開策を閃いた。


(転移を使えれば……前に使った時も時間を掛けて集中していたわけじゃないんだ。こんな絶体絶命の状況で使ったんだ。ならば、今も使えるんじゃないか。ここは賭けに出るしかない……)


 俺は炎の巨人の攻撃を転移によって回避すると決めた。

 巨人の足を避けた後、俺はそのまま立ち止まる。その唐突な行動にラウラが「レオさん! 避けて! どうして!」と叫ぶ。更にキメラも驚いていた。


『何をする気だ?』


『諦めたわけでもなかろう? 何をするのだ?』


『そんなところに立っていたら、焼かれてしまうぜ。もう少し愉しませてくれよ』


 そんな念話が交わされていたが、俺は集中力を高め、転移をイメージする。イメージは小説などに出てくる超能力のテレポート。深く理屈は考えず、物質を転送することだけをイメージする。


 俺の頭上から巨人の足が振り下ろされようとしていた。


「レオさん!」というラウラの叫びが聞こえる。更に「焼け死ね! ハハハ!」というジクストゥスの嘲笑も聞こえている。

 しかし、俺の精神は落ち着いていた。


(できる。必ずできる……歩くように当たり前のことだ。何も難しいことはない……)


 暗示を掛けていた影響なのか時間が引き延ばされた感じがする。

 ゆっくりと振り下ろされる巨大な炎の足。熱気が皮膚を焼くが、不思議と恐怖は感じない。


 あと一メートルで炎に包まれるという瞬間、俺の視界がぶれた。耳元でブオンという音が響くと、一瞬にしてジクストゥスの正面に移動した。

 俺は深く考えることなく、彼の胸に向けて剣を伸ばす。魔導で切れ味が上がっているミスリルの剣は、驚愕で目を見開いているジクストゥスの胸に吸込まれていく。


「な、何をした! ゴボッ……」と血を吐き出す。


 更に剣を無視して俺に掴みかかるように近づいてくる。


「き、貴様は何者だ……ありえぬ……私はこんなところで……神の高みに登るために、私はまだ……」


 そこまで言うと再び血を吐き出す。俺が軽く彼の体を押すと、仰向けに倒れていった。

 彼が地に伏した直後、炎の巨人は燃え尽きた花火のように小さくなり、急速に消えていった。


『異界の者か。その能力で転移が可能とは……うむ、これは思わぬ行幸かもしれぬな』


『そうかもしれぬ。身体はただの普人族メンシュだが異質すぎる。我らでも扱えぬ転移を行えるとは……よい拾い物をしたようだ』


『面白いところに召喚されたもんだ。愚か者だったが召喚者には感謝だな。ククク……』


 俺の頭上で危険な会話が聞こえる。ゆっくりとキメラに身体を向け、次の行動について考えていく。


(転移で逃げるか……それじゃ、ベルとラウラを残すことになる。どうする……)


 キメラの三対の視線が俺に突き刺さる。蛇に睨まれた蛙のように思わず身が竦んでしまう。


 その時、「レオさん、危ない!」というラウラの悲鳴にも似た声が広場に響いた。その直後、背中に強い衝撃を受け、キメラの前に吹き飛ばされた。

 忘れていたが、一人だけ生き残っていた魔導師が炎の弾を放ったようだ。


(油断した……魔導を纏っていたから致命傷じゃないが、この状況は不味い……)


 直撃を受けたものの、火傷による痛みはなく、吹き飛ばされた衝撃だけが残っている。ただ、背中に強い衝撃を受けたことから一瞬息が止まり、身体の自由が利かない。


『何をしておる普人族メンシュ! 我らの獲物に手を出すな!』


 獅子が怒りの咆哮を上げる。その咆哮に魔導師は腰を抜かし、無様に倒れこんだ。

 腰を抜かしながら必死に後ずさるが、恐怖のためほとんど動いていなかった。


 キメラは一瞬にして魔導師の目の前に辿り付くと、その巨大なあぎとで咥えた。魔導師の「あぁぁ!」という悲鳴が燃え盛る村に響き渡る。ちらちらと照らす炎の光の中、魔導師は一瞬にして噛み千切られた。


 不用意な魔導師のお陰で俺に僅かな時間が与えられた。魔素を循環させることで呼吸を整える。その間にベルとラウラが掛け付けた。


『大丈夫ニャ?』と心配そうにベルが見上げる。ラウラも半分泣きながら、「心配しました」と言ってくるが、俺はそれに答えなかった。


「まだ奴が残っている。一か八か転移の魔導を使って懐に入り込むしか、手が思いつかない」


 ベルもラウラも何も言えない。

 その間にキメラが魔導師を食い終え、俺たちの方に目を向けた。


『さて、お前たちも我らの糧となれ』


 獅子の重々しい念話が心に圧し掛かってくる。


『貴様の転移は封じさせてもらった』


 黒ヤギが瞳から怪しい光を放ち始める。


『知らぬようだから教えてやろう。転移は魔導器を使って魔象界を通る魔導だ。魔素の流れを少し乱すだけでも転移はできぬのだ。嘘だと思うなら試してみればよかろう』


 その言葉に衝撃を受ける。切り札だと考えていた転移を封じられれば勝機はない。念のため転移のイメージを作り上げていくが、黒ヤギの言う通り転移は発動しなかった。


(ジャミングか……確かに転移は他の魔導より集中力が必要だが、こんなに早く手を打たれるとは……これで完全に打つ手が無くなった……)


 最悪の状況は未だに続いていた。

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