第八話「ノイシュテッターに到着。これがいわゆる中世欧州風の街って奴ですか……」

 二日目にコボルトの襲撃を受けたものの、その後は特にトラブルもなく、予定通りの三日目の午後四時頃にグランツフート共和国南部の大都市ノイシュテッターに到着した。


 ノイシュテッターは人口二万人の街で南側が海、東側がゼールバッハ河、北と西が森に囲まれている城塞都市だ。レオンハルトの記憶が正しければ、グランツフート共和国独立前のレヒト法国の領土だった時代に、フォルタージュンゲル一帯を開拓するための前線基地として建設されたらしい。


 ノイシュテッターは正八角形をした珍しい都市で、一辺の長さが約四百メートル、高さ二十メートル、幅五メートルもある重厚な石壁で守られている。


 俺たちは西門から街に入るのだが、門には入市手続きを待つ長い行列ができていた。

 行列の進み方からまだ三十分はかかると思い、暇つぶしにベルと念話で会話を行う。


(これだけの城壁を作ったのは大暴走アンシュトルム対策なんだが、どれだけの魔獣ウンティーアを想定していたんだ?)


『レオンハルトの記憶が正しければ、フォルタージュンゲルには天災級の巨人ギガントいたらしいニャ。巨人は身長十メートル以上あるから、このくらいは必要になるニャ』


 そう言われて見上げてみると、各頂点には塔があり、そこには大型の弩弓バリスタが何門も備えられ、森に向けられている。


 大暴走は魔窟や魔素溜で発生した魔獣が増えすぎ、人間のいるエリアに暴走してくる現象を言う。通常の状態より更に攻撃的であり、自らが傷付くことを厭うことなく、消滅するまで攻撃を続けるため非常に厄介だ。


 通常の町や村が大暴走に遭遇すると住民が全滅するだけでなく、建物すら破壊し尽くされ、人間のコミュニティがあったことすら分からなくなると言われている。


 ちなみにこの世界の巨人はうなじを斬らなくても倒せるらしく、ワイヤーを使う機動方法は存在しない。


 そんな話をしながら待っていると、ようやく俺たちの番が回ってきた。


 門を守る衛兵に狩人組合イェーガーツンフトの組合員証と手帳を見せ、この街で狩人の登録をすると告げるだけで問題なく手続きが終わる。


 商人や通常の旅行者は入市税を払う必要があるが、狩人イェーガーには必要ない。正確にはこの街に登録する予定の狩人には入市税を払う義務が発生しないのだ。


 これはこの街の住民として登録され、税を収めるからだ。それに魔獣を狩るために門を出入りするのに、いちいち税金を払っていたら面倒で仕方がない。


 門をくぐると、そこには真っ直ぐな大通りが延び、その両側に石造りの建物がところ狭しと立ち並んでいる。その多くが商店のようで、チュニックのような服を着た商人らしい出で立ちの男たちが商品を手に交渉している姿が多く見られた。


 石造りでスレートの三角屋根、白い漆喰と布のオーニング。雰囲気は正に中世ヨーロッパの街並みで、テーマパークのような美しさがある。


「活気のある街だな」と思わず独り言を呟いていた。


『確かにゲッツェに比べれば景気は良さそうな街ニャ』とベルが同意する。


 もちろん、東京の繁華街に比べれば大したことはないのだが、レオンハルトの記憶から首都であるゲドルゥトより賑わっているという印象があり、思わず口を突いたのだ。


 この辺りが商業地区らしく、すぐに一緒に旅をしたエイセルの隊商と別れることになる。その際、エイセル本人から「特別報酬ボーナスだ」と言って、硬貨が入った革袋を手渡される。


 中には金貨が十枚、千マルクが入っていた。日本円で十万円であり高いのか安いのか判断が難しいが、元々報酬なしの護衛契約であったので俺にとっては充分だ。


 後で知ったのだが、こういった護衛の契約でボーナス自体が出ることが稀だそうだ。更にいきずりの狩人にボーナスを払うメリットは少ないため、出ても一夜の飲み代程度、だいたい銀貨五枚、五十マルクが相場だということだ。


「君のおかげで損失なく輸送を終えることができた。狩人を辞めるなら、いつでも私のところに来なさい……」


 随分と買われている気がするが、よく考えれば当たり前かもしれない。誰も気づかなかったコボルトの気配を感じた才能は一種の異才であり、それで危機を回避できるなら彼くらいの大手なら安いものだろう。


 俺としては日本に帰る手段を探したいので丁重に断り、旅の途中で護衛の一人から教えてもらった狩人街に向かった。


 狩人街はノイシュテッターの北側、フォルタージュンゲルの森に最も近い北門付近にある。この街には千人以上の狩人が暮らしていると言われ、百近い数のクランが拠点を構えている。


 俺の場合、ソロで活動するため、賃貸の部屋を借りるか、安い宿を利用することを考えていた。


『安い宿じゃニャくてもいいんじゃニャいか?』とベルが俺の施行を読んで話し掛けてきた。


「今は金に余裕があるが、普通の宿に泊まったら、二万程度の金なんてすぐになくなってしまうぞ」と俺が指摘すると、


『おいらと旦那が組めば月に五千や一万は稼げるニャ』と陽気な感じで伝えてくる。


「月に五十万から百万円だと……日本にいた時の月収より多いぞ。十七歳のガキには無理な話じゃないか?」


『普通ならそうニャ。でも、旦那なら中級クラスでも充分に狩れるニャ。下級でも十や二十は簡単に倒せるから、おいらが見つけて旦那が狩れば、日に五百マルクくらいは堅いと思うニャ』


 確かに銀級の実力があるとするなら、ベルの考えも分からないでもない。


(コボルトとの戦いでやれる自信は付いた。ベルがいれば奇襲を受けることはない。魔導マギによる遠距離攻撃も考慮すれば充分に可能か……)


 俺の考えを読んだのか、ベルが止めを指してきた。


『安宿に大金を持って泊るのは危険ニャ。ガラの悪い連中がゴロゴロいるはずだからニャ。それに寝台ベッドは汚いし、変な虫もいそうニャ。それに旦那の貞操も……』


「そ、そうだな。少々金が掛かっても安全なねぐらは必要だな。組合で斡旋してもらうか」


 この国の宿の相場だが、最も安い雑魚寝の部屋なら一泊二十マルク、二千円程度で泊ることができる。但し、貴重品の管理は自己責任だし、男色家がいないとも限らない。


 個室だと一泊素泊まりで五十程度だが、ノイシュテッターのような都市では二から三割ほど高い。日本でいえばビジネスホテルと同じ感覚だ。最も東京の都心では曜日によっては一万円を軽く超えるから一概には言えないが。


 当然、宿にも当たり外れがあるだろう。レオンハルトの記憶にもゲッツェに到着した当初、外れの宿に泊まった記憶が残されている。


 その教訓を生かすわけではないが、今回は狩人組合に斡旋を頼もうと思っている。狩人組合は商人ギルドヘンドラーツンフトの下部組織と言えないこともないため、宿や商店とのつながりは強い。

 また、組合も優秀な狩人の定着を促したいから、おかしなところは紹介しないだろう。

 ベルとどんな宿にするかなど話ながら狩人街に向かった。


 狩人街に入るとそれまでの商業地区とは雰囲気が一変し、どことなく殺伐とした空気が漂っていた。

 防具を着け武器を手にした狩人たちが戦いを終えて帰ってきた時間と重なったようで、戦いの余韻を残しギラギラとした目をした男たちの姿が目立つことからそう思ったのかもしれない。


 狩人組合の建物は北門近くの大通り、通称“北門通り”に面したところにあり、ほとんど探すことなく見つけられた。

 建物自体は石造りの四階建てで周りの商店や宿らしき建物と大して変わらない。大きな看板が出されており、その意匠は剣と弓が交差した分かりやすいものだ。


 中に入ると今日の狩りを終えた狩人たちが魔石の買い取りカウンターに並んでいた。俺は一般受付に向かいながら、彼らの様子を眺めていた。


 二十歳くらいの五人組がカウンターで魔石を出したようだ。カウンターは横や後ろから見えないように作られており、どの程度の大きさでいくつなのかは確認できない。


『下級の魔石が六個ニャ。二百マルクってところニャ』とベルが教えてくれた。


 五人で一日二百マルクかと考えていると、


『多分今日は調子が悪かったニャ。この街でその程度の腕の狩人がいることはほとんどニャいはずニャ』


 ノイシュテッターは若い狩人の登竜門とも言える場所で、ゲッツェのような小さな町である程度自信を付けたら、この街にやってくる。ここで更に強くなり銀級以上に上がれば、より稼げる最前線の町エッケヴァルトに向かうのだ。


(そう考えると宿の相場は結構高いかもしれないな……)


 そんなことを考えながら一般受付カウンターに座る。

 受付の職員は如何にも事務職という雰囲気の四十絡みの中年男だった。


 すぐに転入手続きを行い、最後に宿の話を切り出すと、男性職員は三軒の宿を紹介してくれた。


 いずれも比較的治安がいい行政地区に近い北門通り沿いにあり安全そうなのだが、素泊まりの一泊で七十から八十マルク程度と通常の宿より割高だった。


 今の手持ちの金でいけば半年以上は軽く泊れるので、その三軒を回ってみることにした。


 一軒目と二軒目は清潔感がある宿だったが、ベルと一緒というと断られてしまった。最後の望みとして三軒目に向かう。

 三軒目は狩人街の最も南、行政地区と商業地区に近い十字路にあった。周囲は狩人より商人や役人風の人たちの姿の方が目につく。


 宿の名はそのまんまの、“ホテル・十字路クロイツヴェーク”。三階までが石造りで四階以上が三角屋根部分。灰色の石壁と濃いグレーのスレート屋根が重厚さを醸し出している渋い感じの宿だった。


 カウンターで話をすると、ペット可の宿でベルの宿泊も金さえ払えば問題ないとのことだった。更に嬉しい誤算としてリーズナブルな屋根裏部屋が空いており、ベルの分も含めても一泊六十マルクで済む。


 とりあえず三泊分の支払いを済ませ、部屋に案内してもらう。

 最上階の五階部分で四部屋あるうちの一つが俺たちの部屋になる。


 中に入ると部屋の入口側は普通に歩けるが、ベッド側に行くと斜めになった屋根があり、屈まないと頭がつかえてしまう。だが、部屋の広さとしてはビジネスホテルのシングルとほぼ同じであり俺たちには充分な広さだった。


 担いでいた荷物を降ろしてベッドに腰掛けると自然と息を吐き出していた。それを見たベルが『お疲れだニャ』と声を掛けてくれる。


「ありがとう。大したことはないんだが、とりあえず落ち着く場所が見つかってホッとしたんだろうな。引越しっていう奴は気付かないうちに疲れるみたいだ」


 引越しというほどのものでもないが、生活の拠点を移すというのは結構精神的に疲れる気がする。特に今回のように初めての土地で宿泊先が決まっていないような場合は知らず知らずのうちに不安を感じていたのだろう。



 既に夕食の時間となっていた。この辺りは商業地区に近いこともあり、外食も可能だが、今日は面倒なので宿で食べることにする。ペット可のホテルでもさすがに食堂にベルは連れて行けないので留守番をしてもらう。


 食堂は酒場も兼ねているようで、宿泊客以外も食事を楽しんでいる。俺は空いているカウンター席に座り、食事を頼んだ。


 出てきた料理は白身魚のパイ包み焼きと温野菜の付け合わせと二枚貝のスープクラムチャウダー、それに柔らかいパンだった。温かいパイ包み焼きは酸味の効いたソースが掛けられており、香辛料の香りと相まって食欲をそそる。


 このセットで十五マルクなので、ゲッツェの食堂で食べた肉料理と同じ値段だ。この街は南が海、東が川の河口であり、水産物が豊富で新鮮な魚や貝が安く手に入るようだ。


(なかなか美味いな。パイにもう少しバターが効いていればよかったが、それでもゲッツェの食堂に比べれば充分に美味い。この宿は当たりだったな……)


 白ワインを頼み、久しぶりに食事を楽しんだ。ワインはピノ・グリのような軽めのものだったが、やはり温度が高く爽やかさがない。もし適正な温度だったら充分に満足いけたはずだ。


 食事を楽しみながら、周囲の会話に聞き耳を立てる。酒が入っていることと、人が多いことから大声で話している者が多く、いろいろな情報が耳に入ってくる。


 話を聞いている限り、この食堂にいる者の半数以上が商人だ。また、役所勤めの男たちもおり、狩人は少なそうだった。気になったのでカウンターの中にいる給仕にそれとなく聞いてみると、狩人たちは近くの居酒屋にいくことが多いそうだ。


 理由を聞くと、こことは違って給仕が若い女性であるところが多く、その女給たちはそのまま春を売る商売に切り替えるそうで、そちらが目的らしい。


 食事代と一夜の快楽を合わせると、金貨二、三枚、二百から三百マルクは飛んでいくそうだ。逆に言うとここの狩人たちはそれだけの豪遊が出来るほど稼いでいることになる。


 もちろん、俺すなわちレオンハルトのような若い銅級の狩人では無理なのだろうが、実力があればそれだけ稼げるほど魔獣が多いということだ。


(俺はソロで行くつもりだ。調子に乗らないように気をつけないといけないな。まあ、ベルがいるから大丈夫だとは思うが……)


 情報収集を終え、部屋に戻る。

 ベッドの上で丸くなっていたベルが顔を上げ出迎えてくれる。たったそれだけのことだが、この部屋が自分の“家”という気になってくる。


(今日泊ったばかりなんだが、実家や十年以上住んでいる東京のアパートより、ここの方が馴染む気がする……そういえば昔から感じていた違和感が消えた気がする……)


 まだ数時間しか滞在していないのだが、ここが俺の居場所という安心感があることに気付いた。


「どういうことなんだろうな」とベルに話しかける。ベルは『分からないニャ』と小首を傾げるが、すぐに『旦那はこういう世界に憧れていたニャ。それが原因かもしれないニャ』と付け加える。


「確かに中学時代にRPGロールプレイングゲームに嵌った時はこういう世界に来たいと思ったが、いくらなんでも三十過ぎまでは引き摺っていないぞ」


 そう反論するが、ベルはニヤリと笑い、


『おいらは旦那の記憶をすべて把握しているニャ。当然、旦那の黒歴史も……』


 俺は焦りながら「まあ待て」と言ってそれ以上の発言を封じ、


「二十歳過ぎても中二病を患っていた。それは認める」と即座に肯定しておく。


 ベルは何か言いたそうな顔をするが、すぐに話題を戻す。


「それはそうとしてもだ。憧れだけで懐かしさを感じるものなのか? 正直にいえば、こっちの方が本物の俺だと思えるくらいなんだが……」


 ベルはもう一度『分からないニャ』と言い、


『それは考えても答えが出る話じゃニャい気がするニャ。今からいろいろ調べていくうちに分かるかも知れニャいニャ。だから、今は深く考えない方がいい気がするニャ』


「そうだな。考えて答えが出ないことをうだうだ考えても仕方がない。この話はとりあえずこれ以上考えるのを止めるとするか」


 ベルは小さく頷き、『それがいいニャ』とニコリと笑った。


『それはそうと明日からどうするニャ? 近場で狩りをするとして情報収集はどうするニャ?』


 ベルの言う通り、ここノイシュテッターに来た目的は魔導に関する情報を集めることだ。もちろん、生活のためや魔導の練習のため狩りに出るが、どちらを優先するかをきちんと決めておく必要がある。


「明日は近場で狩りに専念するつもりだ。まずは生活基盤を確立しないと情報収集もままならないからな」


『それがいいニャ。雨の日に情報収集をして、晴れの日に狩りと練習に当てるの効率的ニャ。明日は晴れそうだからちょうどいいニャ』


 当面の行動方針が決まったところで床に就いた。

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