魔王の部屋にふわふわ天使が落ちてきて

夜更一二三

本編 魔王と天使の物語

第1話 ふわふわ天使が落ちてきて




 この世界は三つの層に分かれています。


 遙か空の上、天上に構える層。

 "神様"と呼ばれる存在が御座おわす、"神様"とその使いたる天使達が暮らす"天界"。

 遙か地の底に沈む層。

 人間とは異なる禍々しき異形を持つ魔族達が蔓延り、魔族の王"魔王"が君臨する"魔界"。

 その中間でどっち付かずの人間達がいる"人間界"。


 この中でも天界と魔界はとても仲が悪く、永らく争いあっておりました。


 この物語の舞台は、三つの層のうちの"魔界"です。





 "魔王"とはは荒くれ者の魔族達を統治する絶対の唯一王です。

 世襲制ではありますが、力無き魔王が取って代わられる事も歴史上にはあるくらいに、魔界の力の象徴でもあります。


 そんな魔王の中でも歴代最強とも言われるのが第十三代魔王、現魔王"ウリムベル・ナタス・グ・ラエブ"です。


 地底にあり天を支配する"招雷しょうらい"の異名で恐れられた第十二代魔王、先代魔王の"トロルベル・ナタス・ギ・ラエブ"を父に、その父と同等の力を持ち魔王の座を奪う一歩手前まで迫ったと言われる最強の女魔族"晴嵐せいらん"と呼ばれた"フウリン"を母に持つ男女最強魔族のハイブリット。

 両親の血は色濃く受け継がれたようで、ウリムベルは"獄炎"の異名で恐れられる最強の魔王として知られています。

 "獄炎"の由来は、燃え上がるような炎を思わせる揺らめく赤い髪の毛と、黒目の中に浮かぶ真っ赤な瞳、そして得意とする炎魔法から来ています。


 その熱い炎を思わせる姿とは裏腹に、本人は口数が少なく寡黙でクールな男として知られています。多くを語らず、力で我を貫き通す姿に憧れる魔族も少なくありません。

 一方で、気難しい男としても知られ、常に何かに怒っているような恐ろしい形相は決して笑う事はないと言われ、その目に睨まれれば成体の魔族でも震えてしまう事でしょう。




 ここは、そんな尊敬と畏怖を集める恐ろしき魔王ウリムベルの私室です。

 魔王城内に設けられた執務時間外のウリムベルの居住空間であり、配下達は立ち入り禁止のプライベート空間です。魔王として常に強くあらねばならず、統治者としての責任に追われるウリムベルにとっての唯一の憩いの場です。


 そんなプライベート空間にありながらも、ウリムベルの表情は硬いものでした。


 仏頂面に頬杖をつき、テーブルの上の本をぱらぱらと捲りながら読んでいる。少しも楽しそうには見えない顔です。

 読んでいる本は別に職務の本ではありません。最近話題の軽い文体の娯楽小説です。それを読んでもこの表情です。

 本を単調なペースで捲りながら、時折かたわらに置いたティーカップに注がれた飲み物を口に運んだりして、とても楽しそうには見えない顔で娯楽に興じる。これが魔王ウリムベルの休日です。


 魔界には太陽の光は差し込みません。温かさのない魔法で作られた魔光まこうと呼ばれる偽物の太陽があるのみです。これは地上の夜の時間帯になると自動的に休眠状態になるので、時間の流れは地上と同じです。


 事件が起こったのは魔光の光が弱まり始めた、夕方頃の事でした。

 相も変わらずウリムベルは私室で本を読み進めていたのですが……。




 ガッシャアアアアアアアアアアンッ!!!!



 凄まじい音が響きます。それと同時にウリムベルの横を白い何かが通り過ぎます。流石のウリムベルもビクッと肩を弾ませ、思わず立ち上がります。

 白い何かはなんと窓をぶち破ってウリムベルの私室に飛び込んできたようです。そのままゴロゴロと転がって床にぴたりと止まりました。


襲撃カチコミか!?)


 今までウリムベルに手を出そうという魔族もいなかったのですが、一応狙われる立場でもあるのでウリムベルが最初に思い浮かべたのは何者かの攻撃でした。部屋に暗殺者か何かが飛び込んできたのかと疑い、身構えて飛び込んできた白い物体に視線をやります。

 しかし、白い物体はぴくりとも動きませんでした。

 では、誰かが何かを私室に投げ込んできたのだろうか? とウリムベルは考えます。

 しかし、白い物体はなにやら生き物のように見えました。白いのは羽に見えます。そして動きませんがよく見ると、僅かに息づかいを感じさせる緩やかな上下の動きは見受けられました。


 ウリムベルは恐る恐る近付きます。やはり白いのは羽毛のようです。

 生き物だと分かったあとは、攻撃してきたらいつでも反撃できるように身構えつつ、ウリムベルはゆっくりとその生き物を覗き込みました。

 羽毛の中にある生き物の正体を見てウリムベルは思わず息を呑みました。




 雲のようにふわふわの翼は背中から生えており、身体はこの翼にくるまれておりました。翼に埋もれていたのは目を閉じてすぅすぅと眠る人間に似た容姿の生き物。

 長くて軽くパーマが掛かったもふもふふっくらした真っ白な髪の毛。

 目の周りに生えた白くて長いまつげ。

 つやつやとした同じく真っ白なたまご肌。

 

(かわいい……。)


 息を呑んだウリムベルはそんな事を思いました。まずはそんな感想が出ましたが、ウリムベルもすぐにその生き物の正体を理解します。

 これは天使です。魔界と対立する天界に住まう、憎き神に仕える兵隊です。つまり魔王であるウリムベルの敵なのです。


(やはり、襲撃カチコミ……?)


 しかし、天使は動きません。すやすやと気持ちよさそうに眠っています。

 窓ガラスをぶち破ってすごい勢いで天使は飛び込んできました。あれは絶対に痛いでしょう。もしかして、部屋に突入した勢いで気絶したのでしょうか? そんなアホな話あるでしょうか?

 ウリムベルはしゃがみ込み、恐る恐る天使の頬をつついてみます。吸い付くようなもち肌でした。触り心地がとてもいい。ウリムベルは思わず様子を確かめる目的以上につんつんしてしまいました。

 天使はまだ寝ています。あまりにも気持ちよさそうな寝顔なので、これは気絶してるとは思えなくなりました。


 思えばこれは確かに天使ですが、かつてウリムベルが戦った事もある天使とは雰囲気が違います。天使は鎧に身を纏い、もっと鋭い空気感を持った兵士達でした。"これ"はあまりにも気が抜けすぎていて、下手したら魔族の一般人……いや、人間よりも大分まぬけに見えます。


 しかし、なんでそんなのがウリムベルの部屋に飛び込んできたのでしょうか。

 天使を起こして聞くのが一番なのでしょうが、あまりにも気持ちよさそうに眠っているので、ウリムベルは起こすのも悪い気になって困っていました。つんつんともちもちほっぺをつつくことしかできません。


(とりあえず……ベッドの上で寝かせてやるか?)


 床に置いておくのもなんなので、天使を運ぼうかとウリムベルが思い始めたその時。


「魔王様! 何事ですか!」


 私室の扉の方から声が聞こえました。すごい差し迫ったような女性の声です。


("エンゲ"? なんで休日に……?)


 声の主は"エンゲ"。魔王の秘書を務める魔族の女性です。今日は休日なので部屋を訪ねてくる筈がないのですが、すごい剣幕で扉を叩いています。


(あっ。)


 ウリムベルは気付きました。

 窓ガラスをぶち破って飛び込んできた天使。凄まじい音を立てて割れたガラス。明らかに異常事態です。エンゲは音を聞きつけてやってきたのです。


(まずい!)


 ウリムベルは気付きました。今、天使に気付かれたら、エンゲはこう思うでしょう。

 天使が魔王に襲撃を仕掛けた、と。

 そうすれば、このふわふわ天使は処刑されてしまうかも知れません。天使に対する魔族の悪感情はとても強いものです。しかもこれだけの無礼を働いたものは、絶対に処刑すべきと配下達は言うでしょう。

 魔王の一存で処刑はしないという事も言えるのでしょう。従えるだけの実力も地位もウリムベルも持ち合わせています。


 しかし、それだけの気概は持ち合わせていませんでした。


 ウリムベルは口下手なのです。


(隠さなければ!)


 ウリムベルは慌てて天使を拾い上げます。とても軽いし、羽はふかふかで触り心地がいいです。しかし、今はその触り心地を楽しんでいる暇もありません。

 急いでベッドに運びます。ウリムベルはベッドに置こうとしましたが、ベッドに置いたらすぐにバレるでしょう。じゃあ、よく物を隠すベッドの下に……と思いましたが、流石に天使が入るだけのスペースはありませんでした。

 他に隠せる場所はと周囲を見渡します。咄嗟に目がついたのはクローゼット。どたどたと天使を抱えたまま走って行き、クローゼットを開けます。何とか天使一匹入れられるスペースはありそうです。

 ウリムベルは急いで天使をぽいっとクローゼットに放り込み扉を閉めると、呼吸を整えてから入口の扉に向かいました。


 扉を開くと、スーツ姿のメガネをかけた女魔族"エンゲ"が必死の形相で立っていました。

 ウリムベルは澄まし顔で尋ねます。


「なんだそんなに慌てて。」


 理由は知っているのにすっとぼけます。


「さ、先程ガラスが割れる音がきこえたので! 何があったのですか!?」

「あっ、えっと……コップを落として割っちゃっただけだ。」

「あっ! 窓ガラスが割れてるじゃないですか!」

「あっ。」


 思いっきりバリバリに窓ガラスが割れています。嘘をついたけど一瞬でバレました。当たり前です。

 ガラスが割れてるのは明らかに異常事態です。何とかして取り繕わないといけません。

 窓ガラスが割られた、となると襲撃者がいたと思われるでしょう。襲撃者の捜索が始まるかもしれません。そうなれば天使を隠しきれなくなるかもしれません。

 ウリムベルが考えた次なる嘘は……。


「えっと、あの、なんか……むしゃくしゃして割った。」

「割った!?」

「叩き割った。」

「思春期ですか?」


 自分が割ったことにした。無茶苦茶な事を言っている自覚はあるし、頭のおかしいやつだと思われるだろう。それを覚悟の上でウリムベルは天使を匿う事にした。


(……そう言えば、なんで天使なんかを庇っているのだ俺は?)


 天使は魔族の敵です。庇う意味も理由もありません。ウリムベル急に冷静になりました。

 どうして庇おうと思ったのか、思い返した時に浮かんだのは気持ちよさそうな、かわいらしい寝顔でした。


(もしかして……。)


 これが一目惚れというやつでしょうか。一目見ただけで天使が愛らしくなってしまったのでしょうか。


(そんなまさか!)


 一目惚れを否定しつつも天使を庇った理由が分からずに、それでも天使を庇おうとウリムベルは思い、エンゲには隠し通す事にした。


「中に入ってもいいですか?」

「えっ。」

「ガラスの様子を見たいので。ほら、修理するのでどの程度の被害なのかを確認しなければ。」

「あっ、えーっと……。」


 ここで否定するのもおかしいだろうか。魔王なのだから我を通して「ダメだ」とでも言えば相手も引くのですが、ウリムベルははっきりと言うのが苦手です。

 ウリムベルは口下手なのです。


「…………とっとと済ませてくれ。」


 結局、エンゲの目力に負けて入室を許可してしまいました。

 

(まぁ、窓ガラスを見るだけなら大丈夫だろう……クローゼットなら安全だ。)


 ウリムベルは口下手でノーと言えなかった訳ではありません。そうたかを括った計算の上で許可したのです。

 エンゲは失礼しますと一礼してから部屋に入り、割れた窓ガラスに近寄ります。何枚ガラスが割れたのかを見上げて確認した後に、しゃがみこんで割れて落ちたガラスの破片を拾い上げてまじまじと見つめていました。


「……おかしいですね。」

「え?」

「割れた破片が部屋の内側に落ちすぎています。魔王様が内側から叩き割ったのなら、破片の多くは外に落ちる筈では?」


 エンゲの冷静な分析にウリムベルはドキッとしました。


「……この窓ガラスは外から割られたのでは?」

(こいつ名探偵か!?)

 

 窓ガラスをウリムベルがぶち破ったという嘘もバレました。エンゲが立ち上がり、ウリムベルの方をじろりと見てきます。


「魔王様がこのガラスを割った……ですよね? 外から割ったんですか?」

「う、うん。」

「なんでそんな面倒臭い事を?」

「……………………。」

「言い訳も思いつかない嘘を吐かないで下さい。」


 エンゲの尋問にウリムベルの視線が泳ぎます。ウリムベルは魔族には寡黙なクール系と思われてますが、単純に口が回らないだけです。

 エンゲは秘書なので知っています。ウリムベルは口下手なのです。


「…………魔王様、何か隠し事をしていますね?」

「…………!」

「いや、何故分かったみたいな反応してますけど、バレバレですよ? 逆に何でバレないと思ったんですか?」


 エンゲのツッコミがウリムベルに刺さります。そう言われると言い返せません。ウリムベルは口下手なのです。魔王の面目丸つぶれです。

 エンゲは視線を右へ左へ動かして部屋を見回し始めます。露骨にウリムベルは慌てました。その瞬間にエンゲの視線の向きがウリムベルに戻ります。


「何か部屋に見られちゃ困るものを隠してますね?」

「…………!」

「いや、何故分かったみたいな反応してますけど。ちょっと部屋見回しただけで慌てすぎです。別に何も探してないのに。」

(は、謀ったな……!)

「謀ってないですよ。」

(こいつ、俺の心の中を……!)

「全部顔に出てるんですよ。」


 何もかもエンゲにはお見通しです。伊達にこの魔王の秘書をやっていません。

 まるで悪戯がバレた子供のようなしゅんとした顔をしているウリムベルを見て、エンゲは「はぁ」と大きく溜め息をつきました。


「……下手な嘘を吐かなくても、言いたくないなら言いたくないと言って頂ければ無理に聞きません。窓の修理業者を呼びますので、"隠し事"は見つからないようにして下さいよ。」

「す、すまない……。」


 エンゲは隠し事があることを理解した上で見逃してくれたようです。

 とりあえず、エンゲ付き添いの上で掃除番を呼び、窓の応急処置とガラスの破片の掃除を終えて、後日業者を呼ぶことになりました。

 エンゲと掃除番を返した頃には夜も遅くなっていました。

 ようやく一人になって落ち着いたウリムベルは、エンゲの足音が遠ざかるのを確認した上で、クローゼットに向かいます。


 扉を開くと、相も変わらず天使はすやすやと眠っていました。


(暢気な事だ。)


 窓ガラスをぶち破って部屋に飛び込んできて、ほっぺたをツンツンされて、クローゼットに放り込まれて、外でガチャガチャと部屋の後処理をしている中で、部屋に飛び込んできてから今になるまでずっと天使は眠り続けている。


(…………いや、流石に起きなさすぎじゃないか?)


 ウリムベルは嫌な予感がしました。

 ガラスをぶち破る勢いで部屋に突撃しておいて、怪我もしていない等という事はあるのでしょうか。ウリムベルは強靱な身体を持つ自分の基準で考えていた事に気付きます。

 もしかしたら、この天使は部屋に落ちた衝撃で、意識を失っているのではないか。危険な状態なのではないか。ウリムベルはようやくそれに気付きました。


 ウリムベルは急いで天使をベッドに運びます。その間も天使は起きません。


 天使を匿っている事は隠しています。誰かに相談する事もできません。取り急ぎ、ウリムベルは本当に起きないのかを確かめようと思いました。

 本当なら意識を失った相手にはよろしい事ではないのですが、天使をゆすってみます。


「おい……おい、起きろ。起きられないのか。」


 ゆさゆさとされるがままにベッドの上で天使が転がります。つんつんと頬をつついてみても反応はありません。もちもちしています。

 力加減は分からないのですが、もう少し強く起こそうとした方がいいのだろうか、とウリムベルは思いました。

 そぉっと手を寄せて、平手でペチンと天使の頬を叩いてみます。ちょっと良い音がしたのでウリムベルはびっくりしました。


(やばっ、強く叩きすぎたか?)


 その時でした。「うぅん」と唸り声がきこえます。気持ちよさそうな天使の寝顔が少し歪みました。


「!」


 天使は反応したようです。ウリムベルはここぞとばかりにさっきより抑えめの力で「おい」と頬を叩きます。ペチン、とやっぱり良い音がして、ぷるんと天使の頬が震えました。

 

「…………。」


 もう一度無言で頬を叩きます。ぷるん、と震えました。もう一度頬を叩きます。ぷるん、と震えました。もう一度、もう一度、もう一度、ぷるぷるぷるぷる……。


(…………面白いなこれ。)


 ちょっと面白くなってきた時です。


「んあぁ……。」


 天使が丸めていた身体をぴんと伸ばしました。思わずビクッとウリムベルが飛び退きます。天使は大きくあくびをすると、ゆっくりと目を開きました。

 白目に浮かぶ青く透き通った瞳が虚ろに天井を見ています。目を開いた天使を見て、ウリムベルは改めて思いました。


(かわいい……。)


 天使は寝転んだまま目を開いてそのまま動きません。しばらくぼーっと天井を見ていました。

 動けないのだろうか、とウリムベルが気になり顔を覗き込んでみると……。

 天使の瞳がウリムベルの方を見ました。


「…………どちらさまですか?」

「えっ……。」


 天使がはじめて喋りました。

 どちらさまですか。出てきたのはそんな質問です。

 ウリムベルは思いました。


(……こっちが聞きたいんだが。)


 しかし、どう接すればいいのか分からずウリムベルは素直に答えます。


「ウリムベル・ナタス・グ・ラエブ。」

「…………?」


 天使は首を傾げました。そして、ぽかんとしてしばらくまた黙ります。目を開けたあとも、表情がぼーっとしていて今ひとつ分かりません。

 なんで首を傾げられたのか、ウリムベルが分からずに天使の返事を待っていると、天使はじーっとウリムベルの顔を見つめてきました。


「あの……そんなまじまじと見て……あの……なんだ?」


 ウリムベルは恥ずかしくて思わず顔を背けました。ウリムベルはシャイなのです。

 ウリムベルが顔を背けると、天使はようやく上半身を起こしました。そして、逃れたウリムベルを目で追い掛けます。


「黒い目に……赤いひとみ……あたまに生えた角……まぞく?」


 どうやら今更気付いたようです。この天使は今、魔族の部屋にいる事に気付いていないようでした。

 首を傾げた理由を理解して、大雑把に名前だけ名乗ったウリムベルは、天使に状況を説明してやる事にしました。


「そう、魔族だ。俺は魔王。お前は俺の部屋に突っ込んできた。」

「まおー?」


 寝惚けまなこをぐしぐしと手でこすり、天使はぼんやりとした表情で固まります。

 なんだかふわふわとした、ぼけーっとした女の子です。

 ウリムベルは独特のペースに戸惑いつつも、こちらが気になっている事も聞いてみました。


「お前は天使か?」

「……ぐだは天使。」

「ぐだ?」

「ぐだは"グダリエル"ってゆう。」

「お前の名前は"グダリエル"と言うのか?」

「んあ。」


 今ひとつゆるゆるな口調で掴みづらいが「んあ」は肯定の返事なのでしょうか。ウリムベルはそうだと判断しつつ、質問を続けます。


「どうして俺の部屋に突っ込んできた?」

「んあ? つっこんできた?」

「お前があの窓ガラスをぶち破って部屋に飛び込んできたんだよ。」


 窓ガラスを指差すと、天使……グダリエルはその方向を見ましたた。ようやく緩慢ながら動きはじめました。グダリエルはまた少しの間ぼけーっと固まると、首を傾げました。


「ここどこ?」

「魔界だ。魔界にある魔王城。魔王城の俺の、魔王の私室だ。」

「まかい……まおー……まおうじょー……。」


 ウリムベルの説明した単語を復唱して、グダリエルは天井を仰ぎました。どうやら考えを整理しているようです。この緩慢な動きと独特のペースは、やはりまだ寝惚けているのでしょうか。

 グダリエルはしばらく「うーん」と唸った後に、ウリムベルの方を見ました。


「ここ、まかい?」

「そうだ。」

「まおーじょう?」

「そう。」

「ぐだ、まかいに、おちた?」

「そうだ。」

「んあー。」


 グダリエルは目を閉じてゆらゆらとしています。なにやら考えているようです。

 しばらく考えると、グダリエルは自分の頬を摘まんでぐいーっと引っ張りました。結構伸びたほっぺたを見て、ウリムベルはちょっと面白いなと思いました。


「…………夢じゃない。」

「そうだな。」

「…………そっか。魔界に落ちたのかぁ。」


 グダリエルのゆるゆるな口調が少しまともになりました。緩慢な語調は相変わらずですが。ようやく目が覚めてきたようです。

 グダリエルは目を開ける。相変わらず眠そうなとろんとした目つきです。これは元々なのでしょうか。


「目が覚めたか。」

「んあー。」

「なんでここに落ちたのか説明できるか?」


 グダリエルは考えながらも口を開きました。


「多分、ねぼけてベッドから落ちた。」

「ベッドから?」

「それで、ねぼけて天界から落ちた。」

「天界からも?」

「そのまま人間界からも落ちた。」

「えっ。」

「それで魔界に落ちた。」

「お前、天界のベッドからここまで落ちてきたの!?」

「んあ。ぐだは寝相が悪い。」

「寝相が悪いってレベルじゃないだろ……。」


 グダリエルは寝惚けて天界からここまで落ちてきたようです。

 嘘を言っているようには見えない間抜け面でした。


襲撃カチコミではないらしいが……。)


 グダリエルは怪訝な表情で見ているウリムベルの方を向きました。


「ごめんね。窓、わっちゃった。」

「……え? いや別にそれは構わないんだが。」

「ぐだは弁償できない。お金もってない。」

「弁償も別にいい。」

「おなかすいた。」

「……ん?」


 グダリエルはお腹に手を当てています。


「おなかすいた。」

「……家に帰って飯を食えばいいんじゃないか?」

「帰り方わからない。」

「え?」

「帰り方わからない。」




 寝相の悪さで魔界まで落ちてきた、ふわふわとした天使グダリエル。

 グダリエルに家に突っ込まれた、魔王ウリムベル。

 この天使と魔王の出会いから、物語は始まります。




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