第3話 魔王のお仕事




 魔光の光がカーテンの隙間かr差し込む頃にウリムベルは起床します。

 ソファから身を起こすと案の定グダリエルはすやすやと気持ちよさそうに眠っていました。ベッドから転げ落ちてひっくり返っていましたが。

 はぁ、と溜め息をつきグダリエルに歩み寄ります。多少音を立てても起きないとは思いましたが足音を立てないようにゆっくりと。そして、抱き上げてベッドに乗せてやり毛布をかけてやりました。

 ウリムベルは起床後の身支度を済ませるとキッチンに内線で連絡を入れます。一応朝食の時間は決まっていますが起きた事の連絡です。それと食事を二人分用意する事を念押しすると電気は付けずにベッドに腰掛けました。


 敵地の魔界に落ちていながらのんきにすやすやと眠る天使の女の子。改めて見ても呆れてしまいます。しかし、確かにかわいらしいと思える寝顔をぼんやりと眺めて、ウリムベルは微笑みました。


 しばらくすると、入口のドアをノックする音が聞こえます。


「魔王様。朝食をお持ちしました。」

「分かった。そこに置いておいてくれ。」


 少し名残惜しく思いつつウリムベルは部屋の明かりを灯します。部屋の外に出て、配膳台を部屋に持ち込むと、手早くテーブルに食事を並べました。指定通りに二人分、食器類も全て二人分以上多めに用意されています。

 テーブルに食器を並べ食事を二人を二人分に取り分けた後に、ウリムベルはすやすやと眠るグダリエルに近寄り、身体を揺すりました。


「起きろ、グダリエル。」

「んあぁ……。」


 ぺしぺしと軽く頬も叩くと、ゆっくりとグダリエルは目を開けました。


「おはよう、グダリエル。」

「…………おはよ、まお。」

「顔を洗ってこい。朝食の準備はできてるぞ。」

「ごはん……。」


 むくりと起き上がり目をしぱしぱさせながら、グダリエルは起床しました。ウリムベルに手を引かれ、洗面所へと連れて行かれます。そして促されるままに顔を洗います。


「つめたい……。」

「目が覚めるだろ?」

「…………おといれ。」

「えっ。風呂は入らないのにトイレは行くのか?」

「……んあ。」

「トイレはこっちだ。ほら、ちゃんと歩け。」

「んあ。」


 手を引いてお手洗いに案内して、その中に押し込み、扉を閉めます。


「終わったらちゃんと手を洗えよ。その後でテーブルに来い。」

「んあ。」


 扉から間の抜けた返事が聞こえました。相変わらずグダリエルの返事は間が抜けていましたが、起きた後すぐよりもはっきりしていたのでお手洗いの中で寝てしまう事はないでしょう。音を聞いてはよろしくないと急いでウリムベルはテーブルに戻ります。


 しばらくするとお手洗いから出る音と、洗面所で水が流れる音が聞こえました。どうやらきちんと言った通りに手を洗ったようです。

 先程よりも安定した足取りで、とてとてとグダリエルは戻ってきました。


「おはよう、まおー。」

「おはよう。さぁ、朝食にしよう。」


 今日もグダリエルはウリムベルの向かい側に座ります。今日も並べられた朝食を見て、きらりと目を輝かせています。

 その様子を見て微笑むと、先んじてウリムベルが手を合わせた。


「いただきます。」


 それを見たグダリエルが真似をします。


「いただきます。」


 昨日のような長ったらしい挨拶をしなくても良いと覚えていたようです。

 早速グダリエルは朝食に手をつけました。

 スクランブルエッグを口に運び、もくもくもくと食べ始めます。


「んあ~……おいしい……!」


 昨日と同じく幸せそうな笑顔でした。


「口にあうようで良かった。」

「天界のごはんより、ずっとおいしい……!」

「天界の飯はそんなに美味しくないのか?」

「まずくはないけど、こっちのがおいしい。」


 ウリムベルが作った訳ではありませんが、自分の雇っているシェフの作った料理をベタ褒めされて悪い気はしませんでした。どうやら天使も魔族とは味覚はそう変わらないようです。

 グダリエルが食べ始めたのを見てから、ウリムベルも朝食を口に運び始めました。


「……そうだ。食べながらでいいから聞いてくれ。」

「んあ。」

「今日から俺は仕事があるからしばらく部屋からいなくなる。」

「んぁ……。」


 寂しそうな「んあ」でした。後ろ髪を引かれたような思いをしつつ、ウリムベルは話を続けます。


「ちゃんと夕方には戻るから。俺が居ない間は絶対にこの部屋から出るな。」

「お部屋から?」

「ああ。魔族と天使は仲が悪いのは知っているだろう? ここから出ると危ないかもしれない。だから、絶対に部屋を出るなよ。」

「魔族と天使は仲が悪いの?」

「……お前はそんな事も知らないのか?」


 グダリエルがここまで世間知らずだとはウリムベルも思いませんでした。

 思わず怪訝な表情をしてしまうと、こくりと頷きグダリエルは答えます。


「わかんない。どうして仲が悪いの?」

「…………それはだな……長い歴史があって……。」

「ぐだはまおーともっと仲良くなりたい。」


 その一言で完全にウリムベルは毒気が抜かれてしまいました。


「俺達には関係のない話だよ。飯がまずくなるからこの話はここまでだ。」

「んあ……?」

「とにかく、魔界は危ないところだから。勝手にでないように。そうしたらご褒美にお土産買ってきてやる。」

「ごほうび……!」

「分かったな?」

「んあ!」


 元気な肯定の「んあ」でした。どうやら変に注意するよりも、物で吊った方が早いようです。心配ではありますが聞き分けは良さそうだったので、ひとまずウリムベルは安心しました。





「ごちそうさまでした。」

「ごちそーさまでした。」


 朝食を終えてウリムベルが配膳台に食器を運ぼうとすると、グダリエルは真似して自分の食器を配膳台に運び始めました。

 意外な行動にウリムベルも驚きます。


「手伝ってくれるのか?」

「お手伝いする。」


 別にいい、とはウリムベルは言いませんでした。

 

「ありがとう。」

「んあ。」


 食器を配膳台に乗せ終わると、ウリムベルは早速それを外に運び出します。ここでもグダリエルは手伝おうと着いてこようとしたので、外に出ないように制止しつつウリムベルは外にでました。

 すると、丁度部屋の前には食器を下げに来た配膳担当が来ていました。


「あっ、魔王様。おはようございます。」

「おお、おはよう。丁度良かった。下げてくれ。」

「えっ……えっと……あっ、はい。」


 配膳担当は何故か戸惑っています。

 ウリムベルは不思議に思いましたが、ひとつ思い出した事があり、構わず話を続けました。


「あとそうだ。今日の朝食は美味かったぞ。シェフにも伝えておいてくれ。」

「えっ……。あっ……ありがとうございます!」


 配膳担当はがばっと頭を大きく下げます。あまりのオーバーリアクションに、ウリムベルはぎょっとしました。


「…………どうしたそんなに大袈裟に。」

「あっ、す、すみません! ……おはようと言って頂いたのも、美味しかったと言って頂いたのも嬉しかったので、つい……。失礼しました!」

「あっ、ああ、構わん。」


 ウリムベルも言われてみて気付きました。

 今まで配下に対して、「おはよう」という挨拶をした事はあまりありませんでした。「美味しかった」と料理の感想を述べたのも随分と久し振りの事でした。

 ウリムベルからしたら、美味しいと喜んでいたグダリエルの言葉を伝えたつもりでした。しかし、思いの外喜ばれた事に照れ臭さを覚えつつ、悪くないとも思いました。

 どうやらグダリエルと接した僅かな時間で、ウリムベルの人当たりも少し変わってきているようです。


 照れ隠しのように、そそくさとウリムベルは部屋に戻ります。

 

 ウリムベルは気を取り直して、いつもの身支度をするのに加えて、今日は掛札に入室禁止の文字を書きます。一応、部屋に入るものはいない筈ですが念のためです。


「グダリエル。部屋の本は好きに読んでてもいいし、ベッドも使ってもいいから、大人しくしてるんだぞ。……まぁ、お前が大きな声を出す事はないとは思っているが。」

「んあ。大人しくしてる。」

「よし。じゃあ、いってくる。」

「いってらっしゃい。」


 いってらっしゃい、にこそばゆさを覚えながら、ウリムベルは部屋を出ます。ドラに入室禁止の掛札をかけて、一層気合いを入れて執務室へと向かいました。


 



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




 魔王の仕事は実のところそこまで多くありません。

 平時の職務は中間管理職に当たる部下から流れてくる書類の最終承認などで、大体の事柄は手元に来る前にまとまっています。

 かつて魔王に就任する前は、ウリムベルも前線に立ち、その力を振るうこともありましたが今ではそういった機会もありません。

 天使との戦争が激化した際には出向く事もあるのかも知れません。しかし、最近の天使との争いは膠着状態が続いており睨み合いが続いているので、大きなドンパチは起こりそうもありません。小競り合いは今もありますが、魔王が出向くまでもなく部下達が片付けています。


 今日も今日とて魔王ウリムベルは積まれた書類に目を通していき、承認印を押していきます。

 有能な秘書や部下がいるので問題のあるものは事前に弾かれています。否認する事は滅多にありません。それでも一応しっかりと書類は見ていきます。


 魔王秘書エンゲがお茶を運んできました。

 黒い髪をびしっとまとめてスーツを着こなすできるビジネスウーマンと言った風貌の女性魔族です。黒目(魔族は人間でいう白目の部分が黒いのです)の中にある瞳の色は金色。いつもメガネをかけています。

 エンゲはお茶を置きます。


「ああ、ありがとう。今日は午後から定例会だったか。予定に変更はないな?」

「はい。四天王全員定刻通りで問題ないとの事です。」


 今日は大体月に一度開催される定例会の日です。

 魔界の各地は集落単位で役人が納めており、その集落のある範囲までを更に上位の役人が納めています。更にそれを四つの地域に分けて管理しているのが"魔界四天王"と呼ばれる魔王直属の配下です。

 定例会はこの魔界四天王を集め、体裁上は近況報告などを受け付ける場となっています。


 実際は、昔からの魔王は各地の統治を任せた配下達への監視の意味も含めて、各地から中央に代表を集めて忠誠を確認していたようでした。

 今はそういった締め付けの意味合いはすっかり薄れていましたが。


 魔界四天王は、新しい魔王が就任する際に、魔王により選出されます。

 当代の魔界四天王は、各地の有力者から選考会を通して選出された四人です。ペーパーテストや戦闘試験、魔王との面接を通して選ばれた文武両道の若い魔族が揃っています。

 先代魔王の四天王は先々代から継続して採用されていた古株でしたが、新世代にも活躍の場をという事で新しく選出されています。勿論、古株達からは反発はありましたが、魔王と四天王それぞれが力を見せつけ、今では古株も相談役として立てる事でひとまずは落ち着いています。


(憂鬱だ……。)


 そんな経緯はあるのですが、基本的には相談役の先代魔王や秘書エンゲの選考基準に頼っているので、ウリムベルは特別四天王を良く思っている訳ではありません。むしろ、結構なくせ者揃いなので苦手なくらいです。それを差し引いても、そもそも誰かと話すのはあんまり得意ではないのです。ウリムベルは口下手なのです。


 その後もウリムベルの午前の仕事は滞りなく進みました。





 ~~~~~~~~~~~~~~~~~



 魔王城第一会議室。

 そこに魔界の最高権力者が集まります。


 第十三代魔王ウリムベル・ナタス・グ・ラエブ。その秘書エンゲ。

 他に集まるのはくせ者揃いの魔界四天王。


 魔界東部を治めるのは魔界四天王の紅一点。

 すらりとした体型の長身、長い黒髪を頭の天辺でひとつに括り、切れ長の右目には青い瞳、左目を眼帯で隠した女。

 "流麗りゅうれい"と呼ばれる剣術の達人、名前は"タユタ"。 


 魔界西部を支配するのはウリムベルが見上げる程の巨体を誇る怪物。

 ごつごつとした筋肉の塊はゴリラを思わせる風貌で、髪はない丸坊主。ぎらぎらとした金色の瞳をぎょろりと動かす大男。

 名前は"ガラク"、山さえ崩すと言われる怪力から"崩山ほうざん"の異名を持ちます。


 魔界北部を担当するのは細身な青い長髪の男。

 顔立ちは非常に整っており、男にして美人という印象を与える色男。髪と同じく青い瞳で、目の周りには薔薇のタトゥーが入っています。

 "凍血とうけつ"と呼ばれ恐れられた残忍な男、名前は"チナシ"と名乗っていました。


 魔界南部に構えるのは人間界との境界線を守る"ノーム"と呼ばれる魔族。

 その身体の大きさはガラクをも上回りますが、まるで煙のように実体を感じさせずにゆらめいています。霧の中から赤い目の輝きだけが覗く、正体不明の怪物です。

 "霧幻むげん"と呼ばれる怪しい術を操り、その術の名を異名としています。


 一癖も二癖もある魔界四天王。彼らは同席しながらも、どこか双方にピリピリとした空気を漂わせていました。

 空気を漂わせている訳ではありません。実際にこの四名は非常に仲が悪いのです。


「久し振りの定例会だな。が予定の調整もできないお陰で。」


 始めに嫌味を言ったのは、じろりとチナシを睨んだタユタでした。


「おやぁ、すまないね。誰かさんと違って仕事で忙しくてね。天使と争った事すらない未熟者には分からないのだろうが。」


 チナシはフフンと鼻で笑って言い返します。


「天使との小競り合い程度で手一杯になるのはご自身の力不足ではござらんか。なんなら我が手を貸しますかな?」


 そこに更に嫌味を割り込ませるのはノームです。


「余計なお世話だね。人間程度を見張っているだけで天使を知らない者は足手まといさ。」

「てめぇら、ごちゃごちゃとみみっちい口喧嘩してんじゃねぇ。別にやりあっても構わねぇんだぞ。俺も混ぜろよ。」


 そこで喧嘩する気満々のガラクまでもが入ってきます。


「いい加減にして下さい。魔王様の御前ですよ。」


 そんな彼らを秘書エンゲが咎めるのでした。

 こんな感じで四天王は定例会の度にまずは喧嘩を売りあいます。それをハラハラしながらウリムベルは見ているのです。

 エンゲの注意を受けて、不満があったり、つまらなさそうにしたり、本当に申し訳なさそうにしたり、反応はそれぞれですが頭を下げて「失礼しました」と四天王は謝罪します。


(謝るなら最初から喧嘩するなよ……。)


 ウリムベルは深く溜め息をつきました。

 緊張で眉間にしわが寄っているので、一目見たら怒っているようにも見えていますが、むしろビビっているのです。

 実際に腕っ節の喧嘩になったら、四天王が束になってもウリムベルには敵いません。しかし口喧嘩ではウリムベルは四天王の誰にも勝てない自信がありました。


「忙しい中よく来てくれた。ご苦労だったな。」

「勿体なきお言葉っ!!!!」


 勢いよく頭を下げるのはタユタです。一番最初にチナシに喧嘩を売っていますが魔王への忠誠心は随一です。逆に忠誠心がありすぎて、彼女に困らされる事が珍しくないためウリムベルは彼女が苦手です。


「大変失礼しました。嫌味のつもりはなかったんですがねぇ。」


 ふふんと笑って目を逸らすのはチナシです。前回の定例会はチナシが出席できないという事で書面での状況報告だけに留まりました。こちらはタユタとは真逆で、忠誠心というものがあるのか怪しいくらいに、魔王に対して不敵な態度を取ります。とはいえ、口と態度にしか反抗的な態度は見せない為、ウリムベルは苦手と思いつつも咎めたりはしません。咎めたらめっちゃ言い返してくるので怖いからです。


 頭だけ下げるのはノームです。こちらは何を考えているのか今ひとつ分かりません。そもそも正体さえ分かりません。ウリムベルは苦手です。


「悪いなぁ魔王さんよぉ。」


 悪びれもせずにへらへらと笑っているのはガラクです。これはこれで魔王に忠誠を誓ってはいるのですが、やたらと好戦的です。隙あらば、腕試しさせてくれやと魔王に突っかかってきます。たまに相手をしないとあまりにもしつこいので、ウリムベルは言われた通りに手合わせをしてやります。ウリムベルは面倒臭くて苦手です。


「では定例会を始める。順番に報告をしていけ。」

「はっ!!! では、わたくしめから!!!」


 こんな忠誠心があるのかも怪しい面々ですが、一応選定試験はパスしているので適正や忠誠心はある程度ありますし、仕事はきちんと熟します。

 今日も順番に各々の治める地方の近況や課題を報告していきました。


 近況と言っても魔界の情勢はあまり変わりません。

 人間との対立も特になく、天使との争いも相変わらず膠着状態でたまに小競り合いがある程度、魔界の統治にも影響はなく、民からも不満の声はあがっていないようです。


 なので適当に聞き流す程度のつもりでいつもウリムベルは構えているのですが……。




「人間界との関係性は変わりませぬ。しかし、一点気になる事が。」


 それはノームの報告でした。


「魔界の天蓋てんがいに損傷がありました。何が衝突したような。」

「…………!」


 ウリムベルはぎょっとしました。

 魔界の天蓋というのは、魔界と人間界を隔てるふたのようなものです。物理的に魔界に入るにはこの天蓋を通る必要があります。

 「何かが衝突した」……その一言にウリムベルは心当たりがありました。

 自身の私室の窓に「衝突して」ぶち破って飛び込んできた、とある天使の事を思い出します。


 更に追い討ちと言わんばかりに、その報告を聞いたチナシが「ん?」と怪訝な表情をします。


「……その損傷はどの程度のものなんだい?」

「大したものではありませぬ。まぁ、子供一人通れる程度の穴が開いているくらいで。」

「……じゃあ、関係無いか?」

「関係無いとは何ですかな?」


 ノームが聞き返すと、チナシは顎に手を当て考えながら話し始めます。


「私からも報告がありましてねぇ。天使の動向を探る中で、天使の痕跡らしきものを見つけましてね。……使、まぁその程度の天蓋の損傷なら違うのかなと。」

「…………!」


 再びウリムベルはドキッとしました。

 グダリエルの存在を疑う材料が立て続けに出てきています。今はまだ明確に侵入者を疑う段階ではないようですが、下手をすると存在がバレてしまうかも知れません。


「まぁ、後程報告書を提出しますよ。まだ情報収集の段階でしてね。」

「我も後程天蓋の損傷状況をまとめて提出しましょうぞ。」


 チナシの情報収集とやらが進むとまずいのではないか、ウリムベルは焦りました。しかし、それと同時に天使の動向を探る任も与えられているチナシが、最もグダリエルを天使達が捜索しているかを知る為の鍵でもあります。

 調査を進めて欲しくもあり、程々に天使の動向も教えて欲しい……そんな複雑な立場にウリムベルは渋い顔をしました。


「ま、魔王様……如何致しましたか?」


 ウリムベルの怖い顔に気付いて、タユタが恐る恐る尋ねます。

 割と弱気な感情から来る表情変化でも怖い顔になりがちなので、ウリムベルはよく誤解を受けます。

 怖い顔をしているので気にされただけなのですが、一方のウリムベルはと言うと、てっきり心中を読まれたのかとびくりとします。


「…………な、なんでもない。気にするな。」

「し、失礼致しました。」


 ウリムベルがそう言うと、タユタは頭を下げて引き下がりました。




「他に報告がなければ以上で定例会を終了します。」


 エンゲがそう締めると、まず最初にウリムベルが席を立ちます。それにあわせて四天王は立ち上がります。四天王はウリムベルの退出までは部屋を出ません。エンゲを伴いウリムベルが去ると、ガラクを除く四天王は再び席につきました。




「なんだ? おめぇら帰らねぇのかよ? この後喧嘩すんのか?」


 ガラクが不思議そうに尋ねます。

 額に手を添えやれやれと首を横に振り、タユタがじろりとガラクを睨みます。


「黙れ脳筋。考え事だ。」

「ああ?」


 タユタは考えます。


(天蓋の損傷……天使の痕跡……そして、あの深刻そうなお怒りの表情……魔王様は何かお気付きなのだろうか? いや、お気付きなのだろう。あれだけの情報で何か重要な事実に気付かれたのだ。流石は魔王様……!)


 タユタはぐぐっと拳を握ってふるふると震えました。


(考えるのだ、タユタ……! 魔王様は何にお気付きになられた? ……調べなければ! 今魔界に何が起こっているのか! そして、魔王様のお役に立たねば! 頑張れタユタ! お前ならできる!)


 タユタは魔王に忠誠を誓っています。誓いすぎています。

 彼女の脳内で作り上げられた"魔王様"は美化されすぎており、勝手に深読みして、勝手に思慮を巡らして、勝手に暴走する事があります。今では平和な魔界で起きる事件の三割ほどはタユタの暴走から始まると言われるくらいに暴走します。

 タユタは完全にスイッチを入れて、勢いよく席を立ち上がりました。


「(そうと決まれば急がねば!)ではお先に失礼するっ!」

「お、おう……。じゃあ俺も帰るか……。」


 ガラクがタユタの勢いに困惑しながらも、続いて会議室から出て行きます。

 残るノームが考えています。


(……明らかに魔王様は何かに気付いてたよね。天蓋の損傷にも天使の痕跡にも心当たりがあるんだ。……タユタが余計な暴走しなければいいけど。)


 ノームはゆらりと立ち上がります。


(見張るべきはタユタの方かなぁ。)


 ノームは意外と良識派です。普段は雰囲気作りで他の四天王に嫌味を吐いたり、「我」とかいう強そうな一人称を使ったり、自分の姿を大きく見せたりして強者感を演出していますが常識人です。

 魔王が何かに気付いた上でそれを隠したいと思っている事。そんな魔王の心中を察する事はできずにタユタが暴走して色々と探るだろうという事。それらを察した上で動きます。平和な魔界で起きる事件の三割はタユタが起こしていますが、ノームがいなければタユタの被害は五割に増えているでしょう。


 ノームが会議室出て行き、最後に残ったのはチナシ。彼もまた魔王の表情の変化に気付いています。というか、ガラク以外みんな気付いているくらいに露骨に反応していました。


(天蓋の穴……流石に天使が侵入したとは思えないんだがね。ただ、、それは対天使政策を請け負う私の責任になるね。)


 魔王の怒りの表情(誤解)に、実は一番心中穏やかではなかったのはチナシでした。


(あの様子じゃタユタも暴走するだろうね。あいつに先を越される前に調査しなければ。そして、もし、万が一、天使が魔界に侵入していた場合……。)


 チナシは冷や汗を拭い席を立ちます。




 ウリムベルの与り知らぬ所で、四天王は各々、ウリムベルの望まぬ方向に動き出してしまったようです……。





 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~





 夕方が来て、本日の業務終了の鐘がなります。

 ウリムベルはぐっと背中を伸ばして大きく息を吐きました。


「はぁ~。」

「お疲れのようですね。」


 エンゲに言われたように、ウリムベルはいつになく疲れていました。グダリエルの存在に気付かれないかとハラハラしていたためです。

 それが気が気じゃなくて仕事もなかなかに落ち着いていませんでした。

 

「この後は部屋に戻られるのですか?」

「……いや、少し外出する。」

「そうですか。お供しますか?」

「い、いや、いらない。」


 これからウリムベルはお忍びで街に出て、グダリエル用の服などを見に行きます。使エンゲの手も借りたいところでしたが、流石に彼女にバレる訳にはいきません。

 エンゲは慌てるウリムベルを見て、ふうと溜め息をつきました。


「……魔王様。貴方は分かっていないようですが、魔界においては『魔王様が黒と言えば、白でさえも黒になる』んですよ。」

「…………?」

「分からないならもういいです。仰ってください。」

「あ、ああ。」


 ウリムベルはエンゲの言っている事が分かりませんでした。

 



 何はともあれ本日の業務は終わりです。ウリムベルは執務室を出ます。


(グダリエルは良い子で待っているだろうか?)


 ウリムベルは結局今日もグダリエルの事を考えっぱなしでした。




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