第9話 これはいわゆるデートというやつ(後編)




 異形街四番区に構える小さな料理点"だらだら亭"。

 中々の味と手頃な価格で地元民にも親しまれるお店です。名物料理は魔界東部の地中に生息するイモウシと呼ばれる牛の肉を使った"イモウシのハンバーグ"です。これは魔界東部を治める魔界四天王タユタもお気に入りで時折食べに来るとか。


 今日は休業日ですが、店内には二名のお客さんが来店しております。


「お待たせしました。"イモウシのハンバーグ"のセットです。」


 目の前に出された食事に、グダリエルは目を輝かせました。


「いただきます。」


 そして、早速一口ハンバーグを口に運び、もぐもぐとほっぺたを動かして……。


「んん~~~~~。」


 とろけるような表情になって。


「…………おいしい。」


 感嘆の声をこぼします。

 その様子を見ていた、店を切り盛りする天使リベリエルは嬉しそうに笑いました。


「お口に合ったようで何より。」


 厨房の方から帽子を取りながら出てくるのは同じ天使のアベリエルです。彼女がこのお店の料理人のようです。


「焦って食うなよ。ゆっくりな。」

「んあ。」


 同じ天使同士で話す様子を見て、先に出てきたアイスコーヒーを口にしながら、ウリムベルは微笑ましく思います。その様子はまるで姉妹のようです。

 食事に夢中になっているグダリエルの向かい側に座るウリムベルの傍に椅子を置き、リベリエルは後ろで束ねていた桃色の髪を解きながら尋ねます。


「魔王様は何も召し上がらないんですか?」

「俺は一日二食だからな。」

「ああ。魔界の方は結構そうらしいですよね。割と異形街にはお昼も来る方もいらっしゃるので忘れがちですが。」

「ああ。身体のつくりの違いからな。」


 魔界に多い、というより魔界で国を築き文明を扱うのは人間型の魔族、魔人が殆どです。魔人はあまり食事を多く採らないのですが、異形街にいるような人型から離れた魔族は事情が違うようです。人間の身体よりも使うエネルギーが多いのでしょう。たとえば、センジュ服飾店の"蜘蛛人"のセンジュなどは背中から生えた八本の腕を扱ったりと、魔人よりも頭も身体も多く使っているように、複雑な身体や大きな身体である程にエネルギーを多く使います。

 さらりと異形街の客の話をしたリベリエルを見て、ウリムベルは尋ねます。


「魔族とも上手くやれているんだな。」

「ええ、まぁ。翼や輪は隠して接客はするんですけどね。異形街ではそこまで気にされませんよ。これも魔王様とタユタ様のお陰です。ありがとうございます。」

「感謝とかはいい。異形差別の撤廃は先代からの方針だし、何よりまだまだ進んでいないからな。まだ色々と困るだろう。」

「それは仕方ないですよ。特に私達は天使ですので。魔族から嫌われるのも仕方が無いと思っています。」


 天使自身からそう言われるとウリムベルも複雑です。

 天使との友好関係は未だに改善していません。大きな争いこそありませんが、小競り合いや睨み合いが続いている状況です。

 魔界にどれだけ天使がいるのか、そもそもこの場に居る三名以外にいるのかもウリムベルには把握しきれていませんが、彼女達に生きづらい世界なのは違いないのでしょう。

 "天使は敵"、それは古くからの魔界での認識です。

 それにウリムベルは違和感も感じた事もなければ、変えなければいけないとも思っていませんでした。グダリエルと出会うまでは。


「いつか天使と和解できる日が来るのだろうか。」

「ウチは無理だと思うけどな。」


 話に割って入ったのはアベリエルです。リベリエルの傍に椅子を置いて座ります。

 アベリエルの言葉が気になって、ウリムベルは尋ねます。


「アベリエルは魔族が嫌いか?」


 アベリエルは慌てて首を横に振りました。


「そ、そうじゃねーよ! 天界を捨てたウチらに良くしてくれてるし感謝もしてるんだ。魔族が嫌いって訳じゃなくて……。」

「ああ、いや、怒った訳じゃないから。気にせず聞かせてくれ。」 


 アベリエルはほっと安心してから続けます。


「"天使"ってヤツに魔族や人間に歩み寄ろうって気が更々ないからな。ウチらみたいな例外もいるけど、頭張ってる"評議会"の連中が考えを変える筈もないしな。」

「"評議会"?」

「天界の上層部にいるまとめ役のようなものですよ。」


 リベリエルが説明しました。

 天使の社会というものをウリムベルは知らなかったので興味を持ちます。


「俺はてっきり"神様"とやらの独裁なのかと思っていたが。」

「…………そんなもんは」

「アベリエル。」


 曇った表情で何かを言い掛けたアベリエルを、リベリエルが睨み付けます。どうやら何かを言い掛けたのに対して釘を刺したようです。

 リベリエルはウリムベルに微笑みかけて頭を下げます。


「失礼しました。『天界は"神様"直属の"評議会"が治めている』。こう思って頂ければいいです。」

「何か聞かれたら不味い事か? 言いたくないなら無理には聞かないが。」


 何かを隠すリベリエルに気付いたウリムベルがそう言えば、苦笑いして彼女は視線を逸らしました。


「……私達が"堕天"した、天界を見限った理由に関わる"秘密"です。これを知ると色々とまずい事になるので伏せさせて下さい。」


 アベリエルとリベリエルが天界を裏切るきっかけとなった"秘密"。知るだけでまずい事になるという事ですが……。

 無理に聞くつもりはないウリムベルでしたが、それでも言います。


「言いたくないなら構わないし無理にも聞かないが、お前達が抱えるには重すぎる問題で、それでお前達がまずい事になるのなら。いつでもいい。覚悟が決まったらで良いから話すといい。」


 ウリムベルは懐から名刺ケースを取り出し、一枚の名刺をテーブルに放ります。連絡先が記された名刺を見て、リベリエルはきょとんとしています。


「魔界に住まう民の問題は極力解決するのが魔王の役目だ。」

「で、でも……。」

「まずい事になると言ったが、俺にどうにかできない事があるとでも?」


 こと武力に関してだけ言えば、ウリムベルは負けない自信があります。

 秘密を知ったら天使に狙われる……程度であればウリムベルをどうこうする事はできません。そんな事が可能ならとっくに天使と魔族の争いは天使の勝利で終わっています。

 そんなウリムベルの言葉にリベリエルとアベリエルは顔を見合わせ、互いに笑い合いました。


「ありがとうございます。まだ、お話する気持ちの整理が付いていないので準備ができるまで待って下さい。」

「やっぱ、タユタ様の言った通りだったな。……それにしてもサインだけじゃなく連絡先まで貰えるなんてなぁ。」


 アベリエルが名刺をウキウキで眺めています。

 魔王を誇張表現して変な魔王像を作っているタユタが何を言ったのか気にはなりましたが、今日はタユタの話をしたい訳ではないのでウリムベルは話を変えます。


「秘密とやらは良いとして。アベリエルとリベリエルは割と……なんというか、その、しっかりしてるんだな。」

「しっかり?」

「いや、グダリエルを見て、天使というのはこう……浮き世離れしたものなのかと思ってたからな。」


 ふわふわとしていてのほほんとしていて、常識がないというか見た目よりも大分子供っぽいというか、グダリエルのそんなところを見ていたウリムベルが選んだ表現が"浮き世離れ"です。ウリムベルのイメージする天使はこんな常識の及ばない存在でした。

 しかし、アベリエルとリベリエルはそれとは大分違う、普通の魔族と変わらない印象を受けます。

 それを聞かれたリベリエルは、「うーん。」と考えます。


「確かに、グダちゃんは少し……年齢よりも幼く見えるかもしれませんね。」

「それもあるし、白い髪ってのも珍しいよな。」


 アベリエルも同調します。どうやらグダリエルは天使でも変わり者のようです。

 話題の対象になっていますが、当のグダリエルはお構いなしにご飯に夢中になっています。そういうところも幼く見えます。


「何でも仕事途中でサボって寝てたら寝惚けて天界から落っこちたらしい。」

「えっ? なんだそりゃ?」

「……すみません。私が理解できないだけでしょうか?」

「いや。俺も理解しかねる事だからその反応であってる。」


 言葉通りに聞いても訳が分からないのですが、実際グダリエル自身がそう説明しています。三つの視線がグダリエルに集まります。もくもくと幸せそうに頬を膨らませる天使は視線に気付いてすらいません。

 とんとんとグダリエルの傍のテーブルをアベリエルが叩きます。


「グダリエル。」

「んあ?」

「お前、天界でどんな仕事してたんだ?」

「おそうじとか、おかたづけ。」

「……掃除片付け? どこで働いてた?」

「しんでん。」

「しんでん……"神殿"?」


 アベリエルとリベリエルが顔を見合わせます。ウリムベルはさっぱりと言った様子です。信じられないという様子の天使達。どうやらその"しんでん"とやらで働いている事はただならぬ事のようです。


「"神殿"って、本当なのグダちゃん?」

「んあ。」

「その"しんでん"っていうのは何なんだ?」


 話についていけないウリムベルが質問します。リベリエルがその質問に答えます。


「"神殿"は"神様"が住まう宮殿ですね。」

「つまり、魔界で言う魔王城のようなものか?」

「そうです。普通の天使では立ち入る事さえもできない領域な筈ですが……。」


 アベリエルが怪訝な表情で尋ねます。


「……本当なのか? にわかには信じがたいんだが。」

「ぐだは嘘つかない。」

「……あそこの天使はもっと、こう……お高くとまってる、感じの悪い奴らってイメージなんだが。」


 アベリエルのイメージとはどうにもグダリエルは一致しません。

 そもそも、天界のトップの宮殿に仕える程にグダリエルがしっかりしているようにも見えません。


「どういう経緯でそこで働く事になったんだ?」

「ぐだはうつわでうつわになるけどうつわにならなくてもよくなったからぐだはてんしでいきていくからてんしのおべんきょうでしんでんでまずははたらくことになるっていってパパとママがしんでんにつれていっててんしちょうがぐだにそうじとかたづけをやるっていった。」

「え、ちょ、待って。なんて?」


 すごい長々と何かを言ったグダリエル。その後で、ハッとして口に手を当てます。


「これは誰にもしゃべっちゃだめなやつだった。」

「……何か内緒にしなきゃいけない話だったりするのか?」


 しゅん、としてグダリエルは三名の目を見上げてきました。


「しゃべったのないしょにして……。怒られる……。」


 どうやら訳アリのようです。

 浮き世離れした不思議な天使だと思っていましたが、何やら特別な事情を抱えているようです。この浮き世離れも彼女の生い立ちによるものなのでしょうか。

 ウリムベルは他の天使達の方を見ます。何か心当たりはないか、という視線です。


「……うつわ……"器"? その"器"というものが何なのかは分からないですね。」

「"神殿"の話で、口止めされてるって事は天界のかなり深いところに関わる話かもな。ウチらみたいな一般天使じゃ知れないような"秘密"だろ。」

「ないしょにして……。」


 考察している天使達に、泣きそうな顔でグダリエルが懇願しています。

 どうやら天界の"秘密"とやらに関わっているようです。先程、リベリエルが話していた"秘密"にせよ、天界には天使達にすら知らない多くの秘密があるようです。

 グダリエルが本当に可哀想な顔で涙目になっているので、ウリムベルは気の毒になってきました。


「分かった。この話は終わりにしよう。アベリエルとリベリエルも聞いといて悪いがもう大丈夫だ。」


 グダリエルが内緒にして欲しいと言っている事もありましたが、ウリムベルは何となく、グダリエルが聞かされたまんまの事を喋っているのだろうと察しました。恐らく深く聞いたところで何も分からない、と思ったのです。

 ウリムベルが話を打ち切ると、少しだけ安心した様子でグダリエルは食事を再開しました。

 

「しかし、天使は何かと秘密が多いんだな。」

「そうですね。何かと秘密主義な部分はあるかもしれません。」

「空の上なのにかたっくるしくて窮屈で仕方が無い。地中の魔界のがよっぽど開放的だよ。皮肉なもんだ。」


 アベリエルの嫌味を聞いて、リベリエルは苦笑しました。

 どうやら相当天界を毛嫌いしているようです。

 天使の話をしづらい空気でしたが、ウリムベルには他にもどうしても知りたい事がありました。


「たとえば、なんだが……天界に登る方法とかはないのか? あんまり話したくない事かもしれんが、良ければ教えてくれ。」


 グダリエルの迎えが来るのを待っているウリムベルですが、迎えが来なくても帰る方法があるのなら、グダリエルも自分で帰る事ができるかもしれません。

 アベリエルは複雑な表情をしました。帰るつもりのない者からしたら、あまり話したくない事なのかも知れません。 

 リベリエルは、少し考えてから答えます。


「えーっと、"神様を信仰している天使"なら、人間界からでも魔界からでも、この翼の力で天界まで登れるんです。それは鳥が飛ぶようなものとは違って、もっと特殊な力で運ばれるような感じですね。それ以外の手段では、たとえ空を飛んでも天界には辿り着けないです。」


 天界は遙か上空にあると言われています。

 しかし、どうやら空を登っていくだけでは辿り着けないようです。


「神様を信仰している、というのは?」

「"天使"の力は"神様"から分け与えられるものです。神様に忠誠を誓わないと力を分け与えて貰えません。この力を"神通力"と呼ぶのですが……私とアベちゃんはもう"神様"への信仰を捨ててしまったので天界には登れないんです。」


 "神様"という存在が、天使全てに力を分け与えている。これはウリムベルも知らない話でした。全ての天使に魔族とも渡り合える程の力を持つ存在……少し薄ら寒い感覚をウリムベルは覚えます。"神様"というものはどれだけ強力なのでしょうか。

 ご飯を大分食べ進めたグダリエルを見ながら、ウリムベルは更に聞きます。


「じゃあ、グダリエルは……いけるのか? まぁ、信仰とかそういうのしてなさそうだけど。」


 こちらが本題です。グダリエルは自力で帰る事ができるのか?

 神様への信仰が力になるなら、何も考えていなさそうなグダリエルは大丈夫なのでしょうか。

 今度はアベリエルは答えました。


「何も考えてなさそうでも、無意識に"神様"への信仰心は天使誰もが持ってる。ウチらみたいに持たない方が訳アリなんだ。一応、輪を調べれば"神通力"の蓄積量は見える。」

「……輪? 輪って頭の上の?」

「そう。頭の上の……。」 


 アベリエルがグダリエルを見ました。

 頭の上には輪がありません。


「……なんで輪がないんだ?」

「……落ちた時に割れたらしい。」

「…………じゃあ無理だと思う。神通力は輪に溜まるから、グダリエルは天使の力を何一つ使えない。」


 輪が割れたと知ったグダリエルは、一瞬取り乱しつつも、別になくても大丈夫かとか言っていました。


(なくなるとめっちゃ困るヤツじゃねーか!)


 ウリムベルは思わず心の中でツッコみました。

 天使の能力、たとえば天界に登る能力なども、輪がないと使えないという事が分かりました。つまり輪を失ったグダリエルは最早天使の力を使えない、翼が生えてるだけの人間みたいなものです。


「グダちゃん……輪なくしてたのね……そんな事ある……それ痛くないの……?」


 リベリエルがもの凄く困惑しています。ドン引きしています。

 天使からしたらそのくらい重要な部分なようです。

 

「んあ。いたくない。」

「この輪っか、痛覚とか通ってないんだな……。」


 アベリエルが自分の頭の上の光る輪を弄りながら言いました。どうやら天使からしたら損傷するのはよほど珍しい事のようです。


「その、天使の翼で飛ぶ以外には、やっぱり迎えに来て貰うしか方法はないのか?」

「そうですね。天界との連絡も神通力を使うものですので、私達では無理でしょう。」

「神殿勤めってのも信じられないけど、それが本当ならそんな天使が失踪したら気付くと思うけどな。そう時間は掛からないんじゃないか。」

「そうか。ありがとう。」


 やはり、今まで同様に待つしか無いようです。


「ごちそうさまでした。おいしかった……。」


 丁度そのタイミングでグダリエルの食事も終わります。

 

「アベリエル、リベリエル、今日は色々聞かせてくれて助かった。」

「いえいえ。天使絡みで困った事があったらいつでも連絡して下さいね。お店の電話番号お渡しするので。」

「電話じゃなくてもグダリエル連れてまたメシ食いに来てくれよな。」


 センジュの下心から出会った天使達から天使のお話も聞けました。

 やはり待つしかないという結論ですが、それが分かっただけでも収穫です。

 今、このままでいいのか? 他にできる事があるのでは? そんな迷いがなくなっただけでも心の荷が下りたようにウリムベルは感じました。


「アベリエル、リベリエル、ごはんおいしかった。ありがとう。」

「また来てね、グダちゃん。」

「また来いよ、グダリエル。」


 こうして、食事と堕天使との話を終えた、ウリムベルとグダリエルは店を出ます。




 この後、センジュ服飾店に寄って、グダリエルの仕立て終わった服を受け取りに行き、最初のお出かけ先の異形街を後にします。


 異形街の傍のバス乗り場で座りながら待っていると、グダリエルが寂しそうに言いました。


「……このあと帰るの?」


 ウリムベルは微笑んで言いました。


「このあと散歩でもしないか?」


 この後帰らずに、お出かけをまだ続けられると分かったグダリエルは、嬉しそうに、笑顔で答えます。


「んあ。」






 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




 バスに乗って到着したのは魔界東部にある大きな魔桜まおうと呼ばれる木で有名な魔桜公園です。

 出かける際に言っていたグダリエルの花が好きという言葉から、ウリムベルは行き先を此処に決めました。

 名物の魔桜の他にも、魔王城の庭先よりも多くの種類の花がある花壇もあります。花に囲まれたぐるりと公園を一周する散歩道は、観光客がカメラを構えながら歩いていたり、近隣住民が日課のウォーキングしていたりします。

 魔界に雨は降りません。今日も太陽代わりの魔光まこうは晴天です。魔法の風が優しく吹く散歩道を、ウリムベルとグダリエルは並んで歩いています。


「きれいだねぇ。」


 グダリエルは花をゆっくりと見ながら歩いています。そんな彼女に歩幅を合わせてウリムベルは歩きました。

 普段は散歩をする事も、こんな風に花を見る事もありません。大体休日は読書やトレーニング、たまに挑戦者との手合わせなどで時間を潰していました。


「意外と悪くないな。」


 魔光の光を浴びながら、風に吹かれ、のんびりと歩くのは存外気持ちの良いものでした。花々の甘い香りも心地良く、色鮮やかに歩くと次第に変わっていく花の景色も目が飽きません。

 たまに横を歩くグダリエルの顔を見下ろします。楽しそうに、色んな花を見渡す顔は無邪気な子供のようでした。


 会話がなくても歩いているだけで気持ちのいいものでした。

 しかし、歩幅を合わせながら、ふとグダリエルに尋ねます。


「魔界はどうだ? ……いや、殆ど俺の部屋にしかいないから分からない事も多いだろうが。」


 グダリエルは歩きながらウリムベルを見上げます。


「ごはんがおいしい。まおーがやさしい。まおーのママはこわい。センジュは手がいっぱいある。アベリエルとリベリエルはやさしくてごはんがおいしい。お花がたくさんあってきれい。」

「うーん、見たもの全部並べただけだな。」

「ぐだは魔界が好き。」


 嫌がっているとは思っていませんでしたが、改めて聞けるとウリムベルは安心します。

 そして、少し聞きづらいと思っていた、あの質問を投げ掛けました。


「グダリエルは、すぐにでも天界に帰りたいか?」


 帰りたいと答えたらどうするつもりなのか。

 逆に帰りたくないと聞いたところでどうしていくつもりなのか。

 それらの答えはウリムベルは用意していません。ただ、母のフウリンがグダリエルと話した時に引っ掛かった事を聞きたかったのです。

 グダリエルは、帰りたいのかという質問に黙りました。あの時の沈黙の意味を、ウリムベルは知りたかったのです。


 グダリエルは少しだけ大きく目を見開きました。いつも眠たげに細めている垂れ目が開くと、また違った印象を受けます。

 グダリエルは足を止めました。合わせてウリムベルも足を止めました。


 グダリエルは口をもごもごと動かし、何かを言おうとしています。ウリムベルの顔を見上げていますが、少しだけ目を逸らす時間があります。

 やがて迷いに迷った上で、グダリエルは震えた唇を開きました。


「まおーは、ぐだがいるのが迷惑?」


 それは「帰りたいのか」に対する答えではありませんでした。

 ウリムベルは答えます。 


「迷惑なんかじゃないぞ。」

「まおーはやさしいからそう言う。」


 安心させてやろうと思って出した答えを、グダリエルは間髪入れずに否定しました。いつもののんびりした表情ではなく、怯えたような表情で、グダリエルは見つめていました。


「違う。本当に迷惑じゃない。」

「嘘だとは思ってない。でも、まおーはやさしいから、迷惑だって言えない。ほんとはぐだは邪魔してるのに。」

「邪魔なんかじゃない。」


 グダリエルが悲観的な事を言うのは初めての事……ではありませんでした。ウリムベルは思い出します。

 ベッドの方が気持ちいいと、一緒に寝ようと誘ってきたグダリエルに、男女はそういう仲ではなければ一緒に寝てはいけないとウリムベルは諭しました。これ自体はグダリエルの世間知らずの結果で、それをグダリエルは不満に思ってはいないとウリムベルも思います。

 しかし、あの時にグダリエルは、ウリムベルに聞きました。


【……まおーもぐだの事きらい?】


 すぐに嫌いじゃないと否定しました。これ以上グダリエルを泣かさない為に。

 そのせいで聞き流していたのです。


【……まおーぐだの事きらい?】


 ウリムベルははっきりと思い出せます。確かにグダリエルはそう言ったのです。

 まるで、嫌われているような言い方でした。

 

 グダリエルは言いつけを守ります。

 先程思い出したグダリエルの言葉が出た時もそうでした。納得のできない事には、言うことを聞かないのではなく「どうしていけないのか」を尋ねます。僅かな期間ですが、グダリエルはそういう女の子なのだとウリムベルは思っています。


 それはふとした直感でした。




『グダリエルは、本当に寝惚けてこの魔界に落ちてきたのでしょうか?』




 与えられた仕事をサボって昼寝をしていて、寝惚けてそのまま落っこちた。変わり者だと思いました。そんな事をするのは変わり者と思う程度に、それは信じがたい話でした。…………『それが嘘である』などとウリムベルは一度も考えませんでした。

 恐ろしく思いました。聞いていいのか。聞く事で彼女を傷付けてしまうのではないか。聞いてもいい話なのか。聞くことで何かが変わってしまうのではないか。聞く事で……、聞く事で……、聞く事で……、聞く事で……。





 そんな理屈や心配事を頭の中から追い出します。

 ウリムベルは"自分が知りたいと思ったから"ウリムベルに聞きました。


「……グダリエル。お前は"自分から望んで天界から落ちた"のか?」


 グダリエルの青い瞳が揺れます。動揺が目に見えました。目が潤みます。泣きそうなのだと分かりました。小さな手のひらをぎゅっと握っています。身体が僅かに震えているのも分かります。怖がっているようでした。緊張しているようでした。

 それでも、ウリムベルは今までとは違い、グダリエルの答えを待ちます。じっと、優しく目を見ながら。

 グダリエルはウリムベルが「答えなくてもいい」と言わない事を理解しました。決して目を逸らさずに、グダリエルは答えました。


「うん。」


 頷きもせず、ウリムベルの目を見ながらグダリエルは答えました。


「……天界の誰かに、嫌われているのか?」


 更にウリムベルは切り込みます。今度は時間をおかずに、悲しげに目を細めてグダリエルは答えました。


「うん。」


 今にも泣き出しそうな顔で、声で、それでもしっかりと答えます。


「それは、誰に? それは、どうして?」


 これ以上踏み込んでいいのかと怯える自分と、今だからこそ聞かなければならないという自分の間で迷いながら、ウリムベルは後者の自分を選びました。

 知らなければいけない。


(違う。そんな義務感や責任感を言い訳にするな。俺が知りたいのだ。)


 グダリエルは目を逸らしかけました。それでも、ウリムベルはグダリエルから目を逸らしません。


「パパとママ。"しんでん"の天使。」


 母親と父親、そして"神殿"の天使。それを口にしたグダリエルはぎゅっと唇を噛みました。潤んでいた目から涙が一筋流れました。


「ぐだは"うつわ"。"かみさま"の"うつわ"。だから、パパとママは、ぐだを好きになってくれた。でも、"うつわ"はいらなくなった。ぐだはいらなくなった。"かわり"ができた。」

「神様の……器?」

「ぐだは"うつわ"から"天使"になった。天使として生きなきゃだめって。天使のお勉強をしないとだめだって。"うつわ"は何も知らないから。」

「…………。」

「お勉強のために、ぐだは"しんでん"で、はたらけって。パパとママと、お別れだって。パパとママが好きだったのは"うつわ"のぐだで、"天使"のぐだではなかったから。」


 ぽろぽろと泣きながらグダリエルは言葉を続けます。


「ぐだは、パパとママのところに、いちゃいけないんだ。だから、ぐだは"しんでん"にいったんだ。でも、"しんでん"のみんなも、本当はぐだにいてほしくないんだ。聞いちゃったんだ。ぐだのいないところで"どうしてあの子の面倒を見なくちゃいけないのか"って。」


 ウリムベルはただ黙って言葉を聞き続けます。

 "だらだら亭"でまくし立てる様に話したグダリエルの言葉の意味も今なら理解できます。グダリエルの境遇を、ウリムベルはようやく理解し始めていました。

 沸き上がる様々な感情。可哀想に思う同情の気持ち、この子をここまで傷付けた天界への憤り、訳の分からない"神様"や"器"というものへの怒り、それらを全て押し殺して、理解しようと話を聞き続けます。


「"しんでん"のみんなはやさしかった。ぐだは大好きだった。でも、みんなが、ぐだを"しんでん"にいさせてくれたのは、みんながやさしいからだった。ほんとはいやだったのに、やさしいから、ぐだをあそこに、って言ってくれた。」


 グダリエルはへたりと座り込みました。ここで限界を迎えて、ウリムベルから目を逸らし、泣き崩れました。


「グダリエルはみんながやさしいから"いてもいい"だけなんだ。ほんとはもう、"いらない子"なのに……。」


 「嫌いじゃない」、「迷惑じゃない」、「邪魔じゃない」……グダリエルに必要なのはそんな言葉じゃありませんでした。

 はじめてこの不思議な天使グダリエルの内面を、ウリムベルは見たような気がしました。


 これはあくまでウリムベルが、グダリエルの言葉から紡いだイメージでしかありません。

 "神様"の"器"というものとして生まれたのがグダリエルだったのでしょう。

 それが何かは分かりませんが、彼女の両親は"器"としてグダリエルを育てたのでしょう。

 しかし、何かの理由で"器"は不要となりました。そのせいで、"器"として両親がグダリエルを育てる理由がなくなったのでしょう。

 そんなグダリエルは"神殿"に預けられて"天使"として生きていく為に働く事になったのでしょう。

 "神殿"のみんな、というのはグダリエルのお世話をしてくれたのでしょう。しかし、それは理由があって仕事としてやっていたのでしょう。

 ある日グダリエルはその本心の愚痴を聞いてしまったのでしょう。


 それが、彼女が天界から落ちた理由。

 

 何も知らない子供のような天使。

 その正体は"器"なるものして育てられて、"天使"として生きてこなかった、子供のままの天使なのではないか。

 本来"天使"として持つべきものを何も持たない無垢な、無知な天使の彼女は他の天使にはできる事の多くができないのではないか。

 "器"でなくなった途端に、両親から捨てられた経験は、彼女自身に"器として以外の価値がない"という劣等感を植え付けたのではないか。

 

 生まれながらに魔王の座を約束され、両親の才能を引き継ぎ、両親に鍛えられて魔界を治めるのに相応しいだけの力を手に入れてきた魔王"ウリムベル・ナタス・グ・ラエブ"。

 彼にはそんな彼女の心情を理解する事も、どれ程辛いのかを推し量ることなどできません。


 この天使は、彼とはありとあらゆるものが真逆な存在なのです。




 グダリエルは「帰りたくない」のではありません。「帰りたい」のです。

 でも、「帰ってはいけない」と思っているのです。


 あの質問に黙りこくっていた理由を、ようやくウリムベルは理解しました。


 ぼんやりとして"何も考えていない"ような……"何も考えないようにしていた"グダリエルの心を開いてしまったのは「帰りたいのか」という質問でした。




 泣いているグダリエル。彼女に必要なのは同情などではありません。その同情に彼女は傷付けられたのです。同情をすべきではないのです。

 ウリムベルは考えます。彼女に掛けるべき言葉は何か。

 考えた時に、母フウリンの言葉を思い出します。


【あなたは本当は何をしたいのか。】


 グダリエルのために何をするべきか、ウリムベルは今まで考えていました。

 しかし、ウリムベルはどうして彼女にそこまで何かをしてやりたいと思うのでしょうか。

 部屋に落ちてきた天使を見て、ウリムベルが彼女を守ってやろうと思ったのは、本当に同情からきた感情なのでしょうか。

 

(違う。)


 あの時は彼女の境遇も何も知りませんでした。魔族と対立する天使を助けてやる義理も動機もありませんでした。

 それでも彼女を守ってやろうと思ったのは何故か。


(可愛いと思ったから?)


 見た事もないふわふわとした天使。気持ちよさそうに眠る寝顔はとても愛らしいと思いました。言葉を交わすよりも前に彼女に抱いた感情はたったそれだけの筈です。そして、たったそれだけの為に、ウリムベルは彼女を守ってやろうと何とはなしに思ったのです。


 どこか抜けていて放っておけない危なっかしさが可愛いと思いました

 嬉しそうに、美味しそうにご飯を食べる姿が可愛いと思いました。

 気持ちよさそうに、幸せそうに眠る姿が可愛いと思いました。

 自由気ままに思えて、幸せを共有しようとする優しさが可愛いと思いました。


 それはグダリエルの境遇を知らない内に、確かにウリムベルが抱いた感情です。

 同情などではない、心からの本心の筈です。

 その姿を見た時から、目を覚まして話した後も、一緒の生活を送る中でも、その気持ちが変わる事はありませんでした。


 同情するのは間違っています。しかし、泣いている彼女を見て、泣かせたくないと思いました。それは彼女の内心に寄り添った感情ではなく、ウリムベルの感情なのです。


 彼女にかけるべき答え。それをウリムベルは言語化できません。

 しかし、言語化できなくても、言わなければいけないと思いました。


「グダリエル。」


 しゃがみ込み、小さな方に手を添えます。ぼろぼろと泣いて崩れた顔が見上げました。


「お前が好きだ!」


 グダリエルは泣きじゃくるのを止め、ぽかんとした顔で固まりました。


「……まおーは……! 優しいから……!」

「優しいからじゃない!」


 すぅーっ、と息を吸いこんで、ウリムベルは吐き出します。

 もう考えるのをやめました。

 同情や打算での言葉ではない事をグダリエルに伝えるには、考える必要なんてないのです。


「白くてふわふわした翼と髪の毛が綺麗だと思ってる! たまごのようでもちもちとした肌が可愛いと思う! その青い目が綺麗だと思うし、小柄なのも小動物みたいで可愛いと思う! 寝顔が可愛い!」

「み……見た目だけ……!?」

「い、いや! 最後まで聞け! のんびりおっとりとしているのが可愛いと思ってる! 舌っ足らずな喋り方も、食いしん坊なのも可愛いと思った! 気持ちいいベッドを共有してくれようとするのも優しいと思ったし、きちんと言いつければ言うことを聞く素直さも好きだ!」

「あう……。」

「俺の選んだ服を着たいと言ってくれたのは嬉しかった! それを着て喜んでくれたのも嬉しかった! 俺はその……女の子とあんまり関わりがなかったから、そういうのには自信がなかったんだ! はじめて贈り物をして、喜んで貰えたのが、嬉しかった!」

「うう……。」

「俺のことを優しいと、好きだと言ってくれたのも嬉しかった! 俺は、何かと周りに怖がられるから! 泣く子ももっと泣き喚く魔王だと怖がられたから! 俺を慕うやつらも、そりゃ有り難いが、なんか過剰に俺を持ち上げて疲れるんだ! 俺を怖がらずに、普通の魔族のように、接してくれるのはお前だけだ!」

「……そんなこと言われてるの?」

「そ、それは一旦置いといて! 魔界が好きだと言ってくれた時には嬉しかった! 天使の事なんて全く知らなかったから、俺に至らない部分がないかと、変に思われないかと怖かった! でも、お前は何でも喜んでくれた! 心の底から喜んでると分かる笑顔が可愛くて好きだ!」

「えっと……。」

「これでもまだ足りないか!? いいか!? 俺は魔族だ! お前は天使だ! 魔界や天界の常識なら敵同士だ! そんな中で、今ようやく本当の事を話してくれる前までのお前を、ただの同情で助けてやるとおもうか!?」


 一気に言葉を吐き出しました。そして、最後に結論を伝えます。


「俺はお前に! じゃない! 俺が、お前に、ここに居て欲しいんだよ! 全部俺のワガママだ!」


 ウリムベルは気付きます。

 ウリムベルが今まで、グダリエルの為を想って行動している……そう表向きは振る舞うのに、いち早く返してやるために積極的に動かなかった、消極的にを選んでいました。

 その気になれば魔王の権限を利用して、天使の迎えを捜索する事もできた筈でした。それでもウリムベルは、迎えが来るまでの時間を待ちました。

 "だらだら亭"でアベリエルとリベリエルから「天界へ自ら戻る手段」も「連絡を取る手段」もない事を聞いた時、"待つしかない"と知った時に、残念に思わずにむしろ安心しました。

 全部理由に気付きます。知らず知らずの内に、ウリムベルは言い訳を並べて、自分の願望を選んでいたのです。


「帰って欲しくない。これが俺の本心だ。」


 目を見開いて話を聞いていたグダリエルの目が再び潤み始めます。止まり掛けていた涙がまたぼろぼろと零れます。




 

 ―――グダリエルは言いつけを守ります。納得のできない事には、言うことを聞かないのではなく「どうしていけないのか」を尋ねます。


 彼女に最も必要だったのは、耳障りの良い言葉ではなく、彼女も納得できる"理由"でした。


「ぐだは……ここにの……?」

「違う。俺はお前にんだ。まだ"理由"は足りないのか?」

「ううん……いっぱい、教えてくれた……。ちゃんとわかった……。」

「俺はお前に。だけど、お前がなら、無理に留めようとはしない。だから選んでくれていい。お前はここにのか?」


 彼女が好きだから居て欲しい。好きな理由をこれでもかと並べ立てた。

 グダリエルは"理由"に納得できれば、素直に受け入れます。もう彼女に言葉は伝わっています。

 ウリムベルの気持ちを理解し、選択肢を与えられたグダリエルは、選びます。


「ここに……。ぐだも、まおーが、好きだから……。いっぱいやさしくしてくれて、いろんなものを見せてくれて、いっぱい好きだって言ってくれる、まおーが大好きだから……。」


 グダリエルも、ウリムベルと同じように"理由"を並べて言いました。


「ぐだを……ここに、くれますか……?」

「頼むのはこっちだ。ずっとここにくれ。」

 

 グダリエルの顔が崩れて、ウリムベルの胸に飛び込んできます。そして、今まで聞いた事のない声で、子供の様にわんわんと泣きました。

 そんな彼女の頭を優しく撫でて、ウリムベルは彼女をうんと泣かせてやりました。


 互いに相手を想っていた魔族と天使は、この時初めて本心で言葉を交わしました。






 泣き疲れたのか、溜まっていたものを全て吐き出し終えたのか、グダリエルはウリムベルの胸から離れます。

 真っ赤な目でぐずぐずに鼻を啜りながら、手でごしごしと顔を擦ります。


「…………ごめん、まおー。服がぐちょぐちょ。」

「……あー。」


 ウリムベルの服がグダリエルの涙と鼻水でびちゃびちゃになっていました。

 苦笑いして、ウリムベルはポケットからハンカチを取り出し、グダリエルに渡します。


「ま、気にするな。ほら、手じゃなくてこれで拭け。」

「…………まおーはやさしいからそう言う。」

「怒って欲しい訳じゃないだろ?」

「…………それはそう。」


 ハンカチを受け取って、グダリエルは顔を拭います。


「全部吐き出せたか?」

「…………うん。」

「よし、だったら次は気分転換だ。この先にある魔桜を見に行こう。きっと気が晴れるぞ。」

「…………うん。」

「ほら、立てるか?」

「…………うん。」


 先に立ち上がり、ウリムベルは手を差し伸べます。グダリエルはその手を取り、立ち上がりました。

 ウリムベルとグダリエルは再び花に囲まれた散歩道をすすみます。今度は手を繋いで。


 言葉なく歩いていきます。

 先程まできょろきょろしていたグダリエルは、静かに小さく周囲を見回すだけでした。

 ウリムベルはと言うと。


(勢いでめっちゃ恥ずかしい事言った気がする……! 嘘は吐いてないし本心だけど……すごい事言った気がする……!)


 今更照れ臭くなっていました。意気地なしです。

 



 やがて、花畑が途切れ、木々の並ぶ道に入ります。そのまま進んでいくと、ぼんやりとした明かりが目に入り、少し伏し目がちになっていたグダリエルが思わず顔をあげました。


「…………きれい。」


 ひらひらと舞い散る桃色と紫色の花びら。花びらは魔光の明かりを反射するようにかすかに光っているように見えます。

 その花びらは見上げる程に大きな巨木が散らしているものでした。

 桃色と紫色がグラデーションを描くように入り混じる花びらを纏ったその木こそ、この公園の名物"魔桜"です。

 その圧巻とも言える迫力と美しさに、グダリエルはぽかんと見惚れていました。

 今までのきゃっきゃと喜ぶ様とは違います。ただ、唖然として木を見上げていました。

 ウリムベルも一緒に魔桜の木を見上げます。


「……散り始めかな。少し散りすぎたな。来るのが遅かったか。」

「……こんなにきれいで大きいのに?」

「満開の時にはもっとすごいぞ。花に詳しくない俺でも分かる位に目に見えてな。」

「いつ、満開になるの?」

「魔桜は一年に一度、春頃に咲いて、春のうちに散るんだ。また満開が見られるのは、来年になるかな。」

「へぇ……。」


 グダリエルは魔桜に見惚れながら呟きます。


「満開……見たかったなぁ。」


 そんなグダリエルの寂しそうな顔を見て、ウリムベルは言います。


「また見に来ればいいだろ。。」


 そう言ったウリムベルの方をグダリエルが振り向きます。僅かに頬を赤らめて、こそばゆそうな顔をしながら桜を見上げる横顔を見て、グダリエルはくすりと笑いました。


「うん。そうだね。」


 グダリエルが繋いでいた手をするりと解きます。どうしたのだろうと気になりウリムベルが視線を落とすと、グダリエルは右手の小指を差し出しました。


「ん。」

「なんだ?」

「"ユビキリ"。まおーはしらない?」

「"ユビキリ"?」


 魔界にはない、天界の文化のようです。

 グダリエルは左手でウリムベルの右手を取りました。そして、自分の目の前まで運んできます。


「小指と小指を結びつける。これが"約束"のおまじない。」

「……こうか?」


 小指と小指を結ぶと、グダリエルはそれを上下に振ります。振り回されるように、ウリムベルも合わせて手を振りました。

 そして、グダリエルは歌い出します。


「ゆびきりげんまん、うそついたら、頭が爆発して弾け飛ぶ。」

「すごい怖い事言い出した……。」

「これで"約束"。まおーとぐだは、来年満開を見に来る。」

「……ああ、"約束"だ。」 


 約束が終わって、ウリムベルとグダリエルは小指を解きます。

 結んでいた小指を見つめて、グダリエルはくすりと笑いました。

 その様子を見てウリムベルも優しく微笑みました。









 魔桜をしばらく見た後、ウリムベルとグダリエルは帰路につきます。

 帰りのバスに乗った後、グダリエルはバスの窓から外を眺めています。


「なぁ、グダリエル。」

「なぁに、まおー。」


 窓の外を眺めながらグダリエルは答えます。


「そろそろ、『魔王』じゃなくて、名前で呼んでくれてもいいんじゃないか?」

「まおーの名前、なんだっけ?」

「あのなぁ……。」


 はぁ、と溜め息をついて呆れていると、バスの窓に映ったグダリエルがおかしそうにくすりと笑いました。


「嘘だよ、ウリムベル。」


 どきりとウリムベルの胸が高鳴ります。

 たまに見せる、普段の子供のようなグダリエルとは違う一面。それを見る度にウリムベルはドキッとしてしまいます。

 すぐに取り繕って、おほんと咳をします。


「……お前、嘘をつかないって"だらだら亭"で言ってなかったか?」

「それが嘘だよ。」

「…………悪い子になったなぁ。」


 これはより打ち解けたとも言えるのでしょう。

 グダリエルは窓を見たままで言いました。


「……ほんとに、ウリムベルはパパにそっくり。」

「…………え?」


 




 ウリムベルが固まります。


「パパみたいだから、ウリムベルの事、好きだよ。」

「……パパみたい?」

「……うん。」

「…………パパみたいで好き?」

「…………うん。」

「えっと……グダリエルの言ってた好きって、パパみたいな相手として好きって事か?」

「…………………………。」

「グダリエル?」


 返事がありません。

 バスの窓に反射するグダリエルは、目を閉じて、すぅすぅと寝息を立てて眠っていました。


「……なんだ寝たのか。」


 お出かけをして歩き回って、たくさん泣いて、たくさん喋って、グダリエルも疲れたのでしょう。ウリムベルもどっと疲れました。

 ふぅ、と息を吐き、バスの背もたれに深くもたれ掛かります。


「……パパかぁ。」


 ウリムベルは赤面します。


「舞い上がってたの俺だけか……!」


 ベッドで一緒に寝ようとグダリエルが言った時に分かっていた筈でした。

 この天使には、男女の関係や恋愛感情といった知識がそもそもないのだと、グダリエルは知っていた筈です。

 あの時の言動も、ウリムベルをパパのような存在だと思っていたなら納得です。彼女の好きはあくまで家族のような存在として好きということなのです。


 ウリムベルは両手で顔を隠して、ハァ~~~と深く息を吐きます。

 

「…………………………ちょっと寝よう。」


 そして、手を下ろして、ウリムベルは目を閉じました。















 


 グダリエルが、ちらりと目を開いて窓に映るウリムベルの横顔を見ます。

 ほんの少し桃色に頬を染めて、グダリエルは再び目を閉じました。




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