誰かの物語2 とある天使の昔語
とある部屋の中で、天使は目を覚ます。
見覚えのない木の天井。天使はそこが部屋の中だと気付いて飛び起きた。身体を起こすと、そこは木製の小屋のようだった。
「起きたようだね。」
男の声に気付いた天使が怯えた様子でそちらを見る。
台所だろうか。そこには背の高い、華奢な男が立っていた。人間でいう青年くらいの年頃だろうか。整った、優しい穏やかそうな顔立ちをしている。
男はマグカップを持って出てくる。マグカップには透明な水が注がれていた。
「飲むかい?」
「あなたは……?」
怯えるように天使が尋ねれば、男は優しく微笑んで答えた。
「"元"天使……と言っても信じて貰えないかな。」
男には天使の翼も天使の輪もない。
「翼も輪も大分昔に失ってね。今は人間とそう変わらないかな。」
男がそう話すと、天使は怯えた表情をより一層強ばらせる。
それを見た男は、安心させようとしたのか、より一層優しく微笑んだ。
「心配しなくてもいいよ。もう僕は天使ではないからね。天使として君をどうこうしないよ。」
この天使が"天使を恐れている"事を察した男の補足を受けて、天使は僅かに強ばった表情を緩めた。
「ここは……?」
「ここは魔界だよ。」
「まか……!?」
「心配しなくてもいい。誰もここには来ない。君は僕が保護するから。」
魔界。天使と敵対する魔族の住まう世界。それを聞いて再び顔を強ばらせる天使を見て、男はマグカップを差し出した。
「ただの水だけど。これでも飲んで少し落ち着いて。」
「……ど、どうして魔界……?」
「人間界で倒れていた君を、魔界の僕の家まで連れてきた。人間界には"天界の目"も届くけど、魔界には届かないからね。」
天使は恐る恐るマグカップを受け取り、震えながら口をつける。冷たい水が混乱していた頭を冷やすようで、潤いが渇いた身体に染み渡る。そこでようやく天使は緊張していた身体の力を僅かに抜き、その目に涙を溜めた。
「心配なのも怖いのも分かる。けど安心して欲しい。僕は君の味方だよ。」
ぽろりと天使の目から涙が零れた。
「僕の魔界での名前は"アベク"。君の名前は?」
「……"ケイプエル"。」
"元天使"アベク。
男は天使ケイプエルに問い掛ける。
「君はどうして堕ちたんだい?」
「……話せない。」
「抱え込むと気が滅入るよ。僕であれば力になれるから。」
「……話したら、巻き込んでしまうから。」
「そういう事なら大丈夫。」
アベクは笑う。
「"天界の秘密"ならほぼほぼ知っているからね。」
ケイプエルの目がアベクを見た。
まるで、ケイプエルの堕ちた理由が"天界の秘密"に関わっているという事を知っているかのように。
何かを見通しているかのように、アベクは言った。
「吐き出せば楽になる、というのも本当だけど、君が何処まで知ってしまったのか。それを知らなきゃ助けになれない。だから、教えて欲しい。」
ケイプエルの目から、続けてぽろぽろと涙が零れる。
絞り出す様に、胸につかえた言葉を吐き出す。
「…………私達は、"天界"に騙されてたの。」
震えながら、ケイプエルは、知ってしまった"秘密"を口にした。
「"神様"なんて、いなかった。」
アベクはじっとケイプエルを見つめながら話を聞いていた。
ケイプエルは続けて話す。
「天界に運び込まれた、人間の作った不思議な箱。私、それが気になって、見てしまった。知ってしまった。"神様"の正体。私達の信仰していたものは……。」
「君が知ってしまったのは、"神様"の正体だけ、なのかな?」
ケイプエルはこくりと頷く。
それを聞いたアベクはふぅと息を吐いて微笑んだ。
「それなら、堕ちた時点で怯える必要はないよ。秘密を知った者を追い掛ける程に天界はその秘密に躍起にはならない。」
「…………本当、ですか?」
「本当だよ。上層部は"天界"の治安が維持できていればそれでいいのさ。その秘密を天界で話してしまったならまだしも、秘密に耐えかねて逃げた天使を追い掛ける事まではしないさ。」
アベクの言葉を受けても、まだケイプエルは安心した様子を見せない。
「本当に? 残してきた家族は……。」
「大丈夫だよ。君の家族にどうこうされる事もない。不安なら、君と同じように秘密を知っても別にどうにもなってない堕天使の知り合いも紹介するよ。」
「……そんな堕天使いるんですか?」
「何度かそういう天使を助けてるんだよ。」
そこまで聞いていたケイプエルは気になった。
そこまで自分と同じような天使がいるというのか。それを助けているというアベクは何者なのか。
そんな疑問もお見通しなのか、アベクは笑って言う。
「それなりに長生きしてるからね。それだけそういうものにも出会うさ。」
「それなりに……?」
「まぁ、それなりにね。知りたければ話すけど、ジジイの長い昔語はつまらないでしょ。」
「ジジイ……? 若く見えるのに……?」
「ははは。嬉しいね。」
それなりに長生きしたジジイ、そう言われると尚更気になる。
そんな自分から興味を逸らすように、アベクは何かを懐かしむように話し始める。
「"神様"ねぇ。今もまだ続けているのか。彼女が知ったら、どんな顔をするんだろうね。」
「彼女?」
アベクはにこりと笑う。
「……"神様"の真実を知ってしまった君は、酷く失望しただろうね。だけど、秘密を守ってきた天使達も、決して悪意から君達を騙していた訳じゃないんだよ。」
ケイプエルは、アベクをまじまじと見つめて問います。
「……あなたは、一体何者なんですか?」
「隠すつもりはないから話すよ。直接僕の話をするのもいいけど、それよりも"神様"と"彼女"の話をするのが手っ取り早いかもね。君にとってはその話が一番分かりやすいだろう。そして、天界に過度な怯えを抱いている、今の君の不安を和らげるのにもこの話がいいかもしれないね。」
アベクは天井をあおいで物思いにふける。
「ジジイの昔話に、ほんの少しだけ付き合ってもらおうかな。」
魔界に済む謎多き元天使アベク。
彼の口から語られる、"神様"と"彼女"のお話と、アベクという男の正体。
それはまたの機会に。
魔王の部屋にふわふわ天使が落ちてきて 夜更一二三 @utatane2424
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