番外編 誰かの物語
誰かの物語1(第8.5話) 灰色に揺蕩う
人間界で、人間の両親の間に生まれながら、少女の右目は人間では白い筈の部分が真っ黒に染まっていました。
人間界ではあまり知られていない事でしたが、黒い目は体内に含有する魔族の扱うエネルギー"魔力"の量によって発露します。この魔力は人間でも微量ながら保持している力であり、時折この魔力量に優れた人間が生まれた時には黒い目が現れる事があり得ました。
黒い目は魔族の特徴であると信じられており、少女の目を見た父は、母が魔族と交わったのだと疑い、母を裏切り者と罵り母子の元から去りました。
母には心当たりなどありません。ただ、黒い目が現れる程に魔力量の多い子供を産んでしまっただけなのです。
父に捨てられた母は酷く心を痛めましたが、村人達から半魔と呼ばれて忌み子とされた我が子でも愛したいと思いました。
天界と魔界が争う世界。人間界はその中央で、どっちつかずで存在しています。
ある者達は天界に住まう"神様"こそが世界を創った存在だと信じ、"神様"こそが絶対として、"神様"を強く信仰しました。彼らは天界と対立する魔界の魔族は邪悪なるものとして扱いました。
ある者達は魔法という不思議な力を扱う魔族達を尊敬し、彼らのもたらす力にあずかりたいと思っていました。魔族に媚びを売って力を借りる事ができないか、そこから発展して自分達も魔族のような強い存在になれないか、彼らの王"魔王"と契約すれば魔族になれるのではないか……そんな思想を持ち始めた者達もいました。彼らは"神様"という存在を絶対とする経典は嘘っぱちだと嘲りました。
天界派と魔界派の人間はその思想の違いから対立していました。
少女が生まれたのは天界派の村です。半魔の少女への軽蔑の目は特別強く、母子への迫害は苛烈を極めました。
この村では生きていく事が難しいと考えた母は、少女を連れて他の集落へと移り住む事にしました。
母は元々はこの村の出身ではありませんでした。父と知り合い恋仲になるに当たって、村に移り住んだ移住者だったのです。
彼女が元居た街は天界派でも魔界派でもない中立で、天界と魔界を人間が信仰すべき世界ではなく、共に歩む並んだ世界だと考えていました。
母は自身の実家に身を寄せ、少女の祖母はそれを拒まずに暖かく迎え入れてくれました。
普段は眼帯で右目を隠しながらではありましたが、少女はこの街で母と幸せに暮らしておりました。
いつも眼帯をしていたので面白がった子供達にはからかわれており友達はできませんでしたが、それでも優しい母さえいればいいと少女は思っておりました。ちなみに、子供達にからかわれていましたが、人一倍気の強い少女でしたので、からかったやつはボコボコにしてやるくらいで苛められていた訳ではないようです。
そんな少女は母から強く言いつけられていた事が二つあります。
一つは街にある教会……"神様"を信仰している人達が集まる建物には絶対に行かないこと、もう一つは決して街の外には出ないことです。
少女は好奇心旺盛でした。ダメだと言われると気になります。
何よりも、きらきらとして色鮮やかな教会のステンドグラスを見て、あの中を見て見たいと強く思うようになりました。
それでも何とか好奇心を押し殺していた少女でしたが、ある日の事、遠目に眺めていた教会に入っていく女の子を見て興味を抱きます。
白い服を着た、どこかこの世界から浮いているような、綺麗で、儚げな女の子。大人に囲まれて教会へと入っていった女の子に少女は強く惹かれました。
この時点で少女には自覚はなかったのですが、この時少女はあの女の子の天使にも似た空気に憧れていました。魔族に近い身から最も程遠い、天使のような女の子に無意識に惹かれていたのでしょう。幸せだと自身に言い聞かせ、からかう子供を返り討ちにしても、自身の不遇にどこか不満を抱いていたのかもしれません。
少女はあの女の子に会ってみたいと思いました。それが最後の引き金となって、いよいよ我慢していた感情が爆発します。
少女は教会へと忍び込みました。
教会は特に閉ざされた空間でもなく、街の人達に向けても広く開かれた場所でした。それ故に、忍び込む事はさして難しくはありませんでした。
一般に開かれたスペースから、更に奥へと少女は進んでいきます。
少女は見つからないようにこっそりと教会の中を探り、やがて少女が入って行くひとつの部屋を見つけました。
少女を連れていた大人たちが部屋から出て行くのを見計らって、少女は女の子が入って行った部屋に入ろうとしました。ドアには鍵は掛かっておらず、あっさりとドアは開きました。
母にダメだダメだと言われていたので少女には緊張もありましたが、思っていたよりもあっさりと目的は達成されたのです。
部屋に入ると、あの時見掛けた女の子が机に向かって座っていました。何か本を開いていたようでしたが、部屋に入った人に気付いて少女の方を振り向きました。
少女と女の子の目が合います。
女の子は間近で見ると遠目で見た時よりも更にきらきらしているように見えました。
いざ出くわすと少女は何がしたかったのか思い付きませんでした。ただ、部屋に忍び込んで、黙って目を合わせるだけ。明らかに不審者です。
言葉を探しておろおろとしていると、先に声を発したのは部屋の主である少女でした。
「なにしとん。」
怪訝な表情で女の子は尋ねます。
「ここは入っちゃダメな場所なんよ。」
そう言われて少女は焦ります。元々入ってはいけない場所だと思っていたので、それは知っていました。しかし、改めて咎められると悪い事をしているのだと自覚してしまって余計に気まずくなってしまいます。
おろおろとしている少女を怪訝な表情で睨んでいる女の子でしたが、その慌てようをしばらく見ているとぷっと吹き出す様に笑い、顔をほころばせました。
「なんなん。そこまで怖がらんでええて。別に入ったからって取って食いやせん。」
女の子は椅子から立ち上がり、少女の方に歩み寄ります。
「わたしは"ドロワ"って言うんよ。あんたは?」
戸惑っている少女に、女の子……ドロワは口を尖らせて言います。
「自己紹介して言うてるんよ。あんたの名前は?」
「…………ヤグラ。」
「そ。ヤグラ言うんやね。こんなとこまで入ってくるなんてとんだ悪戯坊主やわ。」
それが少女と、不思議な女の子ドロワとの出会いでした。
「ま、嫌いやないよそういうの。わたしも部屋に籠もりきりで退屈やし、たまには同い年くらいの子供と話してみたいとも思ってたし丁度ええわ。ヤグラ、こっちおいで。」
ドロワに手を引かれてヤグラは部屋に招かれます。
そして、ベッドに座らせられると、隣に並んで色々な事を話しました。
ドロワはこの教会に住んでいる"
"巫女"というのは"神様"の言葉を聞ける特別な存在であるため、神様の言葉を告げるために保護されているのだということ。
普段は大人と一緒でなくては外に出てはいけないと言われており、外には出られないということ。
それと比べると、ヤグラの話はとても退屈なものだったかもしれません。ヤグラは自身の目のせいで母が苦労した事を知りませんでした。それ故に、眼帯のせいで子供達にからかわれるだとか、その仕返しをしてやっただとか、友達は大していないだとか、そんな話しかできませんでした。
しかしドロワはその話を楽しそうに聞いていました。気付いたら、恐る恐る話していたヤグラも、いつしか笑って話していました。
時間はあっという間に流れて、外はオレンジ色になっていました。
「そろそろ帰らないと。」
「そうなん? 寂しいなぁ。」
ドロワは口惜しそうに口を尖らせます。しかし、門限を破るわけにはいかずにヤグラは申し訳無さそうに言いました。
「ごめん。門限があるから。」
「しゃあなしやなぁ。…………うーん。」
まだ口惜しそうにドロワは唸り、少しだけ申し訳無さそうに上目遣いでヤグラに尋ねます。
「……また来てくれん? ……いや、コソ泥みたいな真似さすのも悪いか。」
その言葉を聞いたヤグラは目を輝かせます。
「また来ていいの?」
「えっ? ……うん! 来てええよ! いや、来て欲しい! また、ヤグラの話聞きたい! 上手いことまた忍び込んでや!」
嬉しそうにドロワが無茶を言います。
上手いこと忍び込めと無茶を言われているのですが、ヤグラはそれでも嬉しくて、笑顔を返しました。
「うん。また来る。」
「ほなら、わたしらもう友達やね!」
友達。ヤグラにはいなかったものです。
ヤグラのはじめての友達は、入ってはいけないと母から言われた教会の中にいました。
その後もヤグラは何度も教会に忍び込み、ドロワの元を訪れました。
毎日繰り返すのは取り留めも無い話ばかりでしたが、それでもドロワは楽しそうに話を聞きました。
一方で、ドロワの語る巫女のお話もヤグラは好きでした。
「これは表で言ったら怒られるんやけど。神様はほんとは魔族の事嫌いじゃないんよ。ようわからんけど"守備範囲"が広いんやって。ほんとはみんなが仲良くきゃっきゃしてるのが好きなんや。昔、自分が主人公の夢小説を書いた神様が」
……………………。
そんなデタラメな話を聞いていて、ヤグラはそれでも少し嬉しい気持ちになりました。
神様はあらゆるものを愛しているのだそうです。
それが天使であろうと、人間であろうと、そして魔族であろうとも。
みんな違っている事が、たまらなく愛おしいのだと、神様は言っているとドロワは言いました。
(右目が黒くても、眼帯をしていても、神様なら私も愛してくれるのかな。)
この時、ヤグラは知りません。
それは、広く知られる天界信仰とは異なる異端と呼ばれる話である事を。
ドロワは本当に神様の声を聞ける真の巫女ではありますが、それは天界を信仰する者達や、天界に住まう一部の天使に取っては都合の悪い存在である事を。
幸せの終わりは、教会に行っていることが母にバレた訳でもなく、ドロワの部屋に忍び込んでいる事が教会の大人にバレた訳でもなく、ヤグラの知らない街の秘密がきっかけとなります。。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
街に兵士が攻め込んできます。
街の人々が次々に取り抑えられていきます。
街の家々が荒らされ、乱暴に様々な本や資料が外へと放り出されていきます。
教会にも兵士は雪崩れ込んできました。
その時丁度、ドロワの部屋を訪れていたヤグラ。部屋に駆け寄ってくる足音を聞いて、ドロワは慌ててヤグラをベッドの下に押し込みました。
ヤグラはベッドの下で声だけを聞いていました。
「ドロワ様! 早く支度を! ここから脱出します!」
「え? 何言うてるの? 何があったの?」
「説明は後です! さぁ、早く!」
「えっ、ちょっと待っ……! 痛っ! んんん!」
ドタドタと騒がしい音が鳴ります。ドロワの声は途中で口が塞がれたようになりました。まるで取り抑えられたようでした。
何かおかしいと思ったヤグラは慌ててベッドの下からずりずりと這い出ます。ドロワは既におらず、ドアは乱暴に開けっ放しにされていました。
「巫女がいたぞ! 逃がすな!」
そのドアの前を武装した兵士達が走って行きます。思わずドロワは部屋の隅に身を隠しました。
今街で何が起こっているのかを、ヤグラは知りません。
ただ、兵士達の叫んだ巫女を追うような言葉だけがヤグラの耳に焼き付いて離れませんでした。
唯一の友達、ドロワが酷い目にあっているのではないか。
何となくそれを理解したヤグラは、すぐに部屋を飛び出しました。
先程兵士達が巫女がいたと叫びました。その兵士達の走って行った方を追い掛けます。兵士達が怖いと思いながらも、ヤグラはそれよりも友達を失う事がずっと怖かったのです。
兵士達の足跡が廊下に残っています。それを追い掛けていくと、足跡は教会の裏口へと通じていました。そのまま裏口を出て、ブーツの足跡が続く方へと追い掛けていきます。
その先で、ヤグラは、兵士達に取り抑えられた教会の大人たちと、ドロワの姿を見ました。ドロワは裸足で、足は泥だらけで、あちこちが汚れています。そして、頬には叩いたような跡が残り、口からは一筋の血が流れていました。
ぼろぼろで涙を浮かべている彼女を見て、ヤグラはすぐに理解します。
この兵士達がドロワを傷付けたのだと。
怒りにまかせて走ります。
ヤグラ自身は気付いていなかった、人間の領域を外れた魔力が、彼女の膂力を大幅に跳ね上げます。そして、少女とは思えない速さの足で駆け抜け、その勢いのまま、その速さを成す脚力で思い切り背後から兵士を蹴り飛ばしました。
ベコン、と金属の鎧が背後からへこみます。「ぐえっ!」とくぐもった悲鳴を響かせて、兵士の一人はゴロンゴロンと転がっていき倒れたまま気絶しました。
「何だこの子供は!?」
「ヤグラ!」
驚き身構える兵士達。兵士を蹴り飛ばした少女を見て、ドロワは声を上げました。
ヤグラはにこりとドロワに笑いかけました。
「ドロワ! 助けに来たよ!」
ドロワを傷付けるやつは許さない。ドロワを泣かせるやつは許さない。
そんな決意を胸にヤグラは兵士を睨み付けます。
「何してるんヤグラ! 馬鹿な事してないではよ逃げ!」
「友達を見捨てて逃げる訳ないだろ!」
ヤグラは右目の眼帯をするりと外します。
人間の白目に当たる部分が真っ黒に染まった目が、魔族の呪われた目と言われた黒い目が晒け出されます。
それは、片目では距離感が掴みづらいと、本気で戦う事を決めたヤグラの覚悟でした。
「ヤグラ……その目……!」
「な、何だその目は……このガキ、ま、魔族か!? 」
兵士達が剣を向けます。
「やはりこの街は魔族と通じていたのか……!」
「邪教徒どもめ……!」
兵士達の言っている事はヤグラには理解できません。
ヤグラは構わずに、兵士達へと向かって行きました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
捉えられたドロワとヤグラが街の中央で縛られ晒し上げられています。
「神の言葉を騙り、偽りの神、邪神信仰を広めようとした邪教徒達を率いていたのがこの"巫女"である!」
ぐいと引っ張り上げられたドロワが前に放り投げられます。
「そして、この半魔の娘! この街が魔族と通じ、邪教を広めていた事は最早明白である!」
続いて、黒い目が晒け出されたドロワが放り投げられます。
これは秘密裏に行われていた邪教徒狩りでした。
中央教会の意向に反する、魔族と繋がる者達や、中央と異なる教えを説く者達を"神"の名のもとに裁くという、身勝手で愚かな行い。
ヤグラも母も、教会が魔族を嫌うと思い、避けていて知りませんでした。
"神様"の言葉を聞く巫女が教えを授けるこの街の教会では、中央とはまるで違う教えを説いていたのです。
魔族は敵ではなく、異なる姿を持つだけの隣人である。
天使もまた、同じように異なる姿を持つだけの隣人である。
それは中央の意向に合わない教えでした。
「邪教に身を捧げた悪魔達には裁きを!」
兵士達の代表らしき男が声をあげます。
それを聞いて、ヤグラは歯ぎしりしました。
ドロワを傷付け、街の人々にも乱暴して、街を散々に荒らし……こんな事をする人間の方が……。
「……悪魔はお前らだろうが。」
ヤグラも悪魔の話はドロワに聞いていました。
魔族の名前の由来にもなった、大昔の、ドロワが声を聞ける"神様"よりももっと古い、誰も知らない神様と対立した悪しき存在。
あらゆるものを壊し傷付け、誰ともわかり合おうとしなかった災害のようなもの。
ヤグラの目には、この人間達の方が、よほど悪魔に見えました。
「……何?」
「悪魔はお前らだろうが!」
叫んだ瞬間、ヤグラの顔を兵士が蹴りつけます。
「穢れた半魔が生意気な……!」
兵士の代表は集められた街の人間達を見渡します。
そして、禍々しい笑みを浮かべて声を張り上げました。
「お前達! この巫女と半魔に石を投げろ! そうすればお前達の罪は不問としてやろう! お前達が邪教徒ではない事を証明して見せろ!」
街の人々は怯えながら顔を見合わせます。その顔には迷いが見えました。
助かる為には従わなければなりません。しかし、彼らもまた、巫女の教えを信じていました。そして、ヤグラの言った事と同じように思っていました。
命を取るか、自分達の意思を取るか。その選択が迫られます。
「卑怯者……。」
「……なに?」
「言い返せないから、人に頼るのか。街の子供だって、売られた喧嘩は自分で買うのに。」
ヤグラは兵士を睨み付けて煽ります。兵士は怒りに顔を歪ませます。
「……生意気なんだよ、この半魔!!!」
兵士が何度もヤグラを蹴りつけます。それでも、何度でもヤグラは起き上がります。
「こいつ……! 半魔の分際で……!」
「……半魔がなんだ。その半魔すら黙らせられないお前は、どれだけ立派な存在なんだ。」
「この……! この……!」
「もうやめて、ヤグラ……これ以上煽らないで……。」
悲痛なドロワの制止など耳に入りません。
黒い目に浮かぶ青い瞳が、兵士を重く鋭く睨み付けます。
その視線にびくりと兵士は身を震わせます。それをヤグラは見逃しませんでした。
ふん、と鼻で笑います。
「ビビってるのか? 情けない。」
「…………殺す。」
兵士が剣を抜きます。ドロワの悲鳴が響きます。
兵士は迷いなく剣を振り上げ……
勢いよく振り下ろしました。
「全くだな。情けない。」
ガキン。と響くのは金属音。
最後まで目を逸らさずに兵士を睨みつつけたドロワの前には、いつの間にか黒い影が立っていました。
目を閉じた覚えはないのに、まるで瞬きの間に現れたかのように現れたその影を認識した瞬間に、ヤグラはぞくりと背筋に冷たい感覚が走るのを感じました。
剣を持った兵士ですら、恐ろしいとは思いませんでした。
そんなヤグラでさえも、本能で理解します。
"それ"は、この兵士達よりもずっと恐ろしい存在であると。
ヤグラは顔を上げ、その影の正体を目にします。
赤く揺らめく赤い髪。初めて見る、ヤグラの右目と同じような黒い目。その男には両の目に黒が宿っていました。
瞳には髪と同じような熱い赤を宿し、その炎のような男はヤグラを見下ろしていました。
「威勢の良いガキだ。気に入ったぞ。」
「な、なんだお前は!?」
炎のような男の後頭部には、兵士の剣が当たっていました。しかし、頭は割れることなく、まるで斬れる様子もありません。
兵士は驚き剣を引くと、顔だけ振り返り、炎のような男は兵士を睨みます。
「この見世物は悪趣味が過ぎるな。そして、こんなガキ相手にムキになるとは情けない。今の口喧嘩はこのガキの勝ちだな。」
「なんだと……! い、いや……お、お前その目……魔族か!?」
兵士は炎のような男の双眼を見て魔族だと察します。
そして、続けて男の炎のような赤を見て、気付きました。
「ま、待て……赤い瞳……赤い髪……お、お前は……"獄炎"……!?」
「そのダサい異名は嫌いなんだ。」
男の一睨みで兵士は震え上がります。
「俺の名は"ウリムベル・ナタス・グ・ラエブ"。魔界四天王の一人。いずれ魔王になる男だ。よく覚えておけ。」
身体も兵士の方へと向けて、炎のような魔族、ウリムベルは前進します。兵士は恐怖のあまり、取り乱したように剣を振りました。
人間と似た姿をしているウリムベル。しかし、剣をいくら打ち付けられようとびくともしません。傷ひとつつかず、怯む事もなく、金属音のような音が剣の衝突の度に響きます。
やがて、剣の方が硬さで負けたように、へし折れて兵士の足元に落ちました。
「ひ、ひぃ……!」
「どうした? 剣がなくなれば引け腰か? 剣がなくとも手を縛られていても、そこのガキは引かなかったぞ? お前はガキ以下か?」
「う……あ……。」
「……そう言えば、お前達はこのガキどもを見せしめにしようとしていたな。悪趣味だと思ったが……お前達にはこれが一番効きそうだな。」
「や、やめ……!」
兵士が命乞いする間も与えずに、ゴン!と一発ウリムベルのゲンコツが兵士の頭をぶっ叩きます。目に止まらぬ速さで地面に頭を打ち付けた兵士は、一瞬で動かなくなりました。
ウリムベルの登場から、その威圧から動く事すらできなかった兵士達が、一瞬の出来事を理解した瞬間に崩れ落ちます。
ウリムベルの目がへたり込んだ兵士達の方を向きました。
「ひ、ひいいい!」
「…………いや、加減はしたぞ? すごい倒れ方したけどな。」
ひょいと頭から地面にめり込む兵士の代表を持ち上げ、ウリムベルは他の兵士達の方にもののようにそれを放り投げます。
「こうなりたくなければ……とっとと"それ"持って帰れ。置いてくなよ?」
「う、うわあああああああ!」
兵士達は、気絶した兵士を抱えて、必死の形相で逃げていきました。
ウリムベルははぁ、と深く溜め息をついて、傍らにいるヤグラを見下ろします。そして、しゃがんで手を伸ばしました。
一瞬びくりと怯えて身構えるヤグラ。しかし、ウリムベルの手が伸びたのはヤグラの手枷でした。
バチン、と音がなり、ヤグラの腕が自由になります。指先で紙でも千切るように手枷を外したウリムベルは、続いて傍にいるドロワの方にも行き、同じように手枷を引き千切りました。
思わずきょとんとしていたヤグラですが、ドロワが開放されたのを見て、その炎のような男に言いそびれた言葉を言います。
「あ、ありがとう……。」
ウリムベルは振り返りもせずに言いました。
「気にするな。むしろ、遅くなった。すまなかったな。」
どうして、魔族が、それも魔族でもかなり偉そうな男がこの街を救ってくれたのでしょうか。この時のヤグラは知りませんでした。
実はこの街が魔族と通じているというのは事実でした。魔族と交流があり、交易などを行っていたのです。
邪教徒狩りでこの街が襲撃されると知った当時の魔王"トロルベル・ナタス・ギ・ラエブ"は、それを防ぐ為に魔界四天王の一角、彼の息子であるウリムベルを送り込んだのでした。
その後、ぞろぞろと魔族の一団がやってきます。
魔族の軍勢はどうやら街の周辺や、街中から集まってきたようです。
「ウリムベル様! 街に残党は残っていません! 周辺にも異常なしです!」
「ご苦労。」
ウリムベルは続いて、街の人間達の方を向きました。
「遅れてすまない。迷惑をかけたな。」
「い、いえそんな……。むしろ助けて頂いて我々は……。」
「魔族との関係から始まった事だろう。俺達の責任でもある。助けたのは当然の事だ。」
ウリムベルは続けて問います。
「こうなってはこの街で暮らすのはもう無理だろう。お前達に行く当てはあるのか?」
街は既に中央に狙われています。一度追い返したところで、またやってくるでしょう。ウリムベルにより救われたのは一時的な問題の先延ばしに過ぎません。
街の人々は顔を見合わせました。この先この街から逃れて、生きていく当てはなさそうです。
その様子を察して、ウリムベルは部下達の方を見ました。
「移住を希望する住民を保護しろ。魔界に連れて帰る。」
「え! ウ、ウリムベル様……一体何を……?」
「行き場のない住民は連れて帰る。」
「し、しかし彼らは"人間"ですよ……? 魔界では……。」
ウリムベルはぎろりと部下達を睨みます。
「人間界に帰る場所のない人間がいるのか?」
「……!」
「帰る場所がないのであれば、人間にも天使にもならせてもらえないのなら、彼らは何者なんだ?
「そ、それは……。」
「彼らは元より我らと共に生き、支え合う"同胞"だ。我らと同じ地に住めない道理が何処にある?」
その言葉は、ヤグラの胸に強く強く突き刺さりました。
「……まぁ、お前達の言いたいことも分かるぞ。大丈夫だ。全責任は俺が取る。」
「……はっ! 直ちに!」
ウリムベルは再び街の人間達の方を見ます。
「帰る場所のない者は付いてこい。生活は保障しよう。魔界に行くことを望まないものは拒んでもいい。好きにしろ。」
そう言うと、ウリムベルは再び街の人間達に背を向けました。
ウリムベルの部下達が移住希望の住民達を誘導します。住民達を助けたウリムベルに惹かれたのか、元より教会の教えや交流により異種族に抵抗はなかったのか、全ての住民が誘導に従いました。
立ち尽くし、大きな背中を見上げるヤグラ。その傍らにドロワが歩み寄ります。
「ヤグラ……わたしらも、行こう。」
「うん……ドロワ、助けてあげられなくて、ごめん。」
「そんな……無事で良かった……本当に……。」
ぐす、と涙ぐむドロワ。心底安心したような様子を見て、ヤグラは胸を締め付けられます。
結局ヤグラはドロワを助けられませんでした。ヤグラは無力でした。
救ったのはウリムベルという魔族でした。ヤグラだけでなくドロワも、街の人々もあっさりと救ってしまいました。
私も、ああなりたい。
ヤグラは、ふらりとその背中に歩み寄る。気配に気付いた赤い瞳がヤグラを見下ろした。
「……あの!」
「ん?」
「私も貴方のようになりたい! 貴方のようになるにはどうしたらいい!」
「……え?」
ウリムベルは顎に手を当てて考えます。
「俺に?」
「はい!」
「…………うーん。俺のようにってどういう事だ?」
「貴方のように強くなりたい!!!」
力も、心も、全て強くなりたい。全ての理不尽をねじ伏せられるくらいに。
そんな願いをウリムベルにぶつけます。
ウリムベルは難しい表情で考えていましたが、「強くなりたい」と聞いて、「ああ」と納得しました。
「だったら、鍛えられる場所を紹介してやる。俺のように……とはならないが、強くはなれるぞ。……それにしてもお前は右目は魔族なのに左目は人間なんだな。今気付いた。ハーフなのか?」
ウリムベルの質問に、ヤグラは答えます。
「私は……魔族になりたいです。こんな、白い目と黒い目の、中途半端な私でも、魔族になれますか?」
「魔族になるって……なるも何も、種族はあくまで生まれの問題でだな……。」
ヤグラの目を見たウリムベルは、何やらはっとした様子でした。
「……ま、まぁ、魔族は見た目に拘らないし、お前が魔族だと名乗ったら魔族なんじゃないか?」
空気を読んだのか、今ひとつ煮え切らないウリムベルの言葉。
その言葉が、ヤグラを救う事になるとは、ウリムベル自身も思っていませんでした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
―――時は流れて。
ここは魔界東部、異形街。魔界でも奇妙な見てくれの者が流れ着く異形の街。
異形街五番区には「良く当たる」と評判の占い店"導きの館"があります。
女店主はなんと人間ですが、どんな魔族も彼女の言葉を有り難がって、今では異形街の外からも客が訪れます。
カランカランとドアを開き音が鳴ります。店主は座り疲れたのか、伸びをしながら言いました。
「悪いなぁ。今日の営業はおしまいなんよ。予約は取っとるから、そこの台帳に名前書いてまた来てな。」
「随分と繁盛してるようだな。お疲れのところ悪いが、占って貰いに来た訳じゃないんだ。」
店に来たのは黒髪を高い位置でひとつに括り、眼帯をつけた女でした。
その姿を見た店主はふぅと溜め息をついて頬杖をつきました。
「またヤグラかぁ、今日はなんなん?」
「またとは何だ。私は占いじゃなくて相談にきたんだ。それと……今の私は『人間のヤグラ』ではなく、『魔族のタユタ』だ。いい加減覚えろ。」
「覚えてるけど言い換えるのめんどいんよ。」
かつて黒い右目を持ち、右目を眼帯で隠して人間として生きていた少女ヤグラは、今では白い左目を持ち、左目を眼帯で隠した魔族のタユタとして生きています。
かつての恩人ウリムベルに紹介された道場で、ただひたすらに力を磨き続け、いつの間にか少女はどんな魔族にも引けを取らない女剣士となっていました。
魔族と違って魔法は使えないハンデを背負いながら、剣一本のみで戦い、その魔法が如き剣さばきから呼ばれた異名は"流麗"。
かつて少女が憧れたウリムベルは今では魔王の座についています。そして、ウリムベルの魔王就任と合わせて、タユタはかつて憧れた彼と同じ魔界四天王の座にまで登り詰めました。
ウリムベルは覚えていないのでしょう。かつて保護した人間の少女が、今では立派に魔族の幹部として自分に仕えている事に
気付かれなくてもそれでいいとタユタは考えます。何故なら、あの時魔界四天王ウリムベルに憧れていた人間の少女はもうおらず、今居るのは魔王ウリムベルを尊敬する魔族の女剣士しかいないからです。
ヤグラはタユタという魔族になれたのです。ウリムベルが言った通りに、魔族だと名乗り続けて。
タユタが尋ねた占い師は、かつて"巫女"と呼ばれた女です。
巫女のドロワは魔界へと移り住み、今でもタユタと良き友人でいます。
「実は、魔王様が何やら不穏な気配を感じ取ったようでな。壊れた天蓋と、天使の痕跡。ここから何が想像できると思う?」
「別に相談に乗るとも言ってないんやけどなぁ。しかも話が急すぎる。」
「……相談に乗ってくれないのか?」
「……そんな捨てられた子犬みたいな目すなや。……あーもう分かった。聞いたるからもっと詳しく話してーな。」
以前よりも憎まれ口も増えましたが、これもより気心の知れた仲になったからなのでしょう。
ドロワのもとに多くの人がお話に来るようになった今でも、昔した約束と同じようにタユタは時折お忍びでドロワのもとに来て話しています。
普段の業務の話や些細な世間話、あとあまりにも多すぎてドロワも辟易としている魔王様のお話。そして困った時には助言を求めにやってきたりもします。
「気心の知れたとか、そういうこそばゆいもんでもないんやけどね。」
「ん? 何の話だ?」
「こっちの話。んで、なんなん今回は。」
これは、人間と魔族、白と黒の間で
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