第4話 秘書の心、魔王知らず




 魔王秘書エンゲ。

 メガネとスーツが似合うクールなビジネスウーマンです。

 実はこの"エンゲ"という名前、彼女の本名ではありません。エンゲというのは代々魔王に仕える使用人一族に与えられる名前であり、仕事上のコードネームのようなものです。彼女には別の本名がありますが、魔王城で仕事をする中では魔王秘書に就任した際に与えられたエンゲという名前しか使いません。

 エンゲの一族は使用人として、今では秘書として活動するにあたり、幼少時より厳しい教育を受ける事になっています。今のエンゲもまた、幼少時より厳しい教育を受けて優れた事務能力やホスピタリティを身に着けました。


 今の時代では身の回りの世話はそれぞれ担当する者に任せられます。主に魔王業務上の補佐のみを行うようになりエンゲは秘書という事になりました。これは先代魔王から変わった慣習であり、それ以前は身の回りの世話まで全て請け負っていたようです。どういった経緯からそういう事になったのかは、先代エンゲ……今のエンゲの母からはついぞ聞かされませんでした。


 それでも、エンゲは業務外でも魔王に気を遣います。

 

 過保護にも見られがちですが、気を遣うというのは、世話を焼くという意味ではありません。あくまで魔王としての業務の補佐として、業務に影響が出ないように、魔王のコンディションを万全に保つのです。


 たとえば、"あの日"から魔王の様子がおかしい事は、目下エンゲが対応しなければならない問題のひとつです。


 外から割られた窓。何かを部屋に隠しているウリムベル。そこから、エンゲは「魔王は窓を破って部屋に飛び込んだ"何か"を隠している」事を推察しました。


 ウリムベルの私室には割れたガラス以上の手掛かりはないので、エンゲは当日中に"何か"が衝突した窓の外側を探りました。

 窓の外には複数の"白い羽"が落ちていたのを確認して既に全て回収済みです。

 エンゲがわざわざ全ての"白い羽"を回収した理由は「魔王が"何か"を隠したがっているから」です。"何か"の痕跡を隠すために周囲は念入りにチェックしました。

 

 この"白い羽"は何なのか。エンゲはこれが"何か"の一部と考えます。"白い羽"を持つ生き物……心当たりは複数ありますが、この時点ではまだ"何か"と仮定します。


 当日中にウリムベルは食事を二人分用意するようにシェフに指示を出しました。翌日以降は言葉を濁していましたが、食器も二人分用意するようにも指示しました。これはエンゲとシェフ、配膳係しか知らない事です。何故ならエンゲが口止めしたからです。


 "白い羽"の持ち主についてエンゲは考察しました。

 まず、羽を持つ生き物として想像できるのは鳥でしょう。しかし、鳥では余程大きな個体でなければ、分厚い魔王私室の窓ガラスは破れません。

 食事を二人分用意するようにしたのは、それが生き物であり未だに生きている事の証明でしょう。その後食器の用意も依頼したのは、それが「食器を使う生き物」であるという事です。この時点で鳥は選択肢から外れます。


 "何か"は窓を破れる大きさを持ち、"白い羽"を持つ、食器を使える生き物。


 ここまでで既にエンゲには"何か"の正体におおよその察しはついていましたが、一方でそれを疑う部分もありました。仮に"何か"がエンゲの想像する"それ"だとして、ウリムベルがそれを匿う理由が分かりません。


 しかし、そんな疑問点を霞ませるように、今日の定例会でウリムベルが見せた反応が答えを示しました。

 ウリムベルは「天蓋の損傷」と「天使の痕跡」というワードに露骨に反応しました。

 ここまで来たら理由は分からずとももう分かります。


(魔王様は、"天使"を匿っている。)


 そこまで気付いた上で、エンゲは魔王に言ったのです。


「魔王様が黒と言えば、白でさえも黒になる。」


 ウリムベルが天使を匿う理由は分かりませんが、状況証拠から匿っていると仮定した上で、エンゲは「天使は魔族の敵だから匿うべきではない」などとは言いません。魔王ウリムベルが望むのであれば、種族の対立など関係無く、ウリムベルの意思を尊重する……それがエンゲの魔王に対する立ち位置です。

 それは何もエンゲだけに限った事ではないだろう、とエンゲは考えます。


 魔王ウリムベルは歴代でも最強の魔王と謳われ、畏敬の念を集めています。

 彼が「天使を客人として招いている」言えば、それに逆らう魔族などいないのです。それくらいに絶対的な存在として、ウリムベルは魔族のトップに君臨しています。

 しかし、ウリムベルはそんな強要はしないでしょう。

 これは彼の美点でもあり、欠点でもあります。

 それは彼自身の「自信の欠如」から来る問題であり、エンゲはその"理由"を知っています。その理由はエンゲが口添えしたところで解消されるものではないので口出しはしません。しかし、それならせめて、ウリムベルの言葉には力があることを説明しようとして濁した助言をしました。


 ウリムベルには助言の意図は伝わらなかったのですが。

 少なくとも直接的に伝えた「何かあったら言って下さい」という嘆願も、恐らくは通じていないのでしょう。それはウリムベルの信頼が得られていない自分の責任であるとエンゲは割り切り、自分なりの問題解決に動く事にしました。




 今日、業務を終えたウリムベルは変装して街に出向いています。その後ろを見つからないようにエンゲは尾行します。出かける際に何やら隠し事がある素振りを見せたので、"今隠している事"と関連があると思い様子を探りに来たのです。


 ウリムベルが入ったのは服屋。そこでどうやら女性向けの服を見ているようです。変装のグラサンをくいとあげつつエンゲは考えます。


(女性もの……匿っている天使は、女性?)


 そこでエンゲはハッとしました。ひとつだけ疑問であった事。

 「どうして敵である天使を魔王であるウリムベルが匿っているのか?」

 

(これは…………"恋"!?)


 エンゲの脳内にハッキリと浮かび上がるヴィジョン!

 ある日、私室で休んでいた魔王ウリムベル。奥手で恋とは無縁の口下手な男。

 そんな彼の元に、ある日空から天使が落ちてきた

 天使を見た魔王ウリムベルは、あろう事か敵である筈の天使に一目惚れしてしまう! 本来であれば見つけ次第捉えるべき彼女を守ってやりたいと思うようになる!

 彼は密かに天使を匿う事になる! これは魔王と天使の禁断の恋!


「そんな……魔王様が……あの奥手なウリムベルが……そんなの……。」





 エンゲは心の底から叫び声をあげました。


「推せるッ!!!」


 エンゲの趣味は少女漫画です。こういう異種族間の禁断の恋とかは大好物なのです。

 さらりと魔王様をウリムベルと呼んだエンゲ。実は魔王に仕える事は幼少から決まっていたので、ウリムベルとの付き合いはかなり長いのです。それこそ昔はウリムベルの事を弟のように思っており、魔王となるまでは姉のように彼に接しておりました。

 たまにウリムベルの傍らによくいる女性という事で、魔王城の同僚から恋愛感情はあるのかと茶化されたり、ウリムベルの母"フウリン"からも「エンゲちゃんがウリムベルのお嫁さんになってくれたらいいのに~」とか言われたりもしますが、エンゲはウリムベルを弟くらいにしか思っていません。

 ちなみに、エンゲの好みのタイプは俺様系の強引な男です。




 不器用に店員を話をしながら服を選んでいるウリムベルを見ながら、エンゲはグッと拳を握りました。


(影ながら応援してるわ……ウリムベル。)


 ウリムベルが選んでいる服のサイズをチェックして脳内に刻み込んでから、そそくさとエンゲは立ち去ります。謎は全て解けました(エンゲの中では)。これ以上探りを入れる意味はないと考えたエンゲは、独自に動き始めます。


(ウリムベルと天使の恋を成就させる為に……。)


 それはそれは、余計なお世話でした。





  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~





 業務と魔王のストーキングが終わり私室に戻ったエンゲの元に、魔王城の門番から連絡が入りました。


「弟さんが来られていますよ。届け物だそうです。」


 エンゲはすぐに門へと迎えに行きます。

 門には小柄な少年が待っていました。瞳の色はエンゲと同じ金色です。


「あとは私の方で面倒を見ますので。お疲れ様です。」


 門番に頭を下げて、エンゲは少年を自室へと案内しました。


「……で、"その姿"で来るのはどういう事ですか?」

「突然でごめんね、エンゲさん。」


 ふふ、と大人びた表情で笑う少年。

 

「天蓋の損傷の報告だよ。」

「……何か不都合でもあったのですか? ノーム。」


 少年はエンゲの弟ではありませんでした。

 魔界四天王の一人、"霧幻"のノーム。普段はもやが掛かった霧のような巨体の怪物のような姿をしていますが、今のノームは幼い少年にしか見えません。ノームが手のひらで目を三秒ほど隠してから手を外すと、瞳の色は金色から赤に変わっていました。

 幻影魔法に長けたノームは姿形を自在に変える事ができるのです。この能力からノームは人間達と応対する物理的な入口を持つ北部の管理者に選ばれました。人間相手に魔界の入口を隠す役割を持っています。


 ノームがエンゲの弟として来るのは、秘密裏にエンゲに報告したい事がある時です。


 姉への届け物と称して持ってきたカバンの中から、ノームは紙束を取り出しました。


「鑑識結果も書面にまとめてあるけど簡単に口頭で。天蓋の損傷は子供が入れるくらいの大きさの穴だった。"何かが斜めに体当たりして穴を開けた"ように見える。ここ最近"例の流れ星"が多数観測されている事もあり、『流れ星が落ちてきて穴を開けて、流れ星自体は天蓋に衝突した衝撃でその後すぐに消失した』。『何者かの攻撃などの意図した損壊ではない」…………というのがだね。」


 表向きという部分をノームは強調して言いました。


「そして、ここからは書面には書いてない。メモにも取らないでね。」

「……それが本題ですね。」


 ノームがこの姿でエンゲを尋ねるのは、他の四天王や魔族、魔王に知られては困る内容を秘密裏に相談する時です。

 魔王を過大評価しがちで暴走しやすい真面目バカ、タユタ。あまり難しいことを考えない筋肉バカ、ガラク。魔王への忠誠を持つか怪しい保守的で斜に構えているチナシ。

 彼らとは違いエンゲと直接の交流があり、魔王には"恩人"として恩義を感じているノームは、"魔族の立場"よりも魔王やエンゲに対して利のある動きを心掛けています。そんなノームにエンゲも四天王随一の信頼を寄せています。


 ノームは本題に入りました。


「まず、ひとつ。天蓋の損傷の傍に"天使の痕跡"があったよ。」


 エンゲには心当たりがあります。既にウリムベルが天使を匿っている事は確信しているので、恐らくその天使が魔界に入った時の痕跡であるとすぐに分かりました。特には驚かずに話を聞きます。


「これを知られるとチナシあたりが天使の攻撃だと騒ぎ出すかと思ったからね。痕跡は回収して、ボクが秘密裏に保管してる。部下にも口止めしてるよ。まぁ、チナシもチナシで違う痕跡を見つけたみたいだから、遠からず動くかもしれないけどね。」

「そうですか。良い判断です。ありがとう。」


 チナシは過激派で天使との戦争に積極的な意思を見せています。一方で、ノームは穏健派で今の冷戦状態が続く事を望みます。不要な火種を持ち出さないというスタンスなのでしょう。


「あとはタユタも勝手に気を回して、的外れな答えに辿り着くかも知れないね。それはボクが見張って、面倒にならない方向に誘導しておくよ。……それとは別に、エンゲさんに誤解を与えたくないから"ボクの考え"も言っておくよ。」

「誤解?」


 エンゲが何を誤解すると思われているのか、今ひとつ分からずエンゲは聞き返しました。


「発見した"天使の痕跡"だけど、"天使の輪"の欠片と"天使の羽"だった。」

「……"輪"、ですか?」

「うん。チナシやタユタは"天使の痕跡"という事で『天使の攻撃だー』とか先走りそうだけど、"輪"まで落としているところを見るに……ボクは"攻撃"というより"事故"なんじゃないかと考えてる。」


 天使には共通した特徴があります。

 頭に浮かぶ光る輪っかと、背中に生えた白い翼です。


「"天使の輪"は天使の力を秘めた機関とも言われている。これを欠けさせる事なんて考えられないからね。"天蓋の穴"は、この輪の持ち主が、何らかの事故で開けてしまったものではないかな。…………こういう点では"余計な誤解を与えないように"意図的に書面の報告は省いているけど、『これは天使の攻撃ではない』という見解に嘘はないね。」


 ノームの分析は的確だとエンゲは考えます。それと同時に、「欠けた天使の輪」という部分で別の心配を覚えました。

 ウリムベルが匿う天使は、天蓋に衝突して、"天使の輪"を割ってしまったのではないか?

 天使として重要な機関を壊した天使は、果たして元気なのか?

 怪我でもしているのではないでしょうか?

 ウリムベルは天使が怪我をしている事に気付いていないのでは?

 せっかくのウリムベルの初恋の相手(エンゲ予想)が、その怪我が原因でどうにかなってしまったらまずいのではないか?


 悲恋はエンゲの趣味ではありません。これは何とかせねばなりません。エンゲはウリムベルのように顔に出さないように心掛けつつ、今はノームの報告に集中します。


「次に、天蓋の穴だけど……書面には『斜め』に"何か"がぶつかってきたと書いたのは言ったよね?」

「はい。」

「その穴の痕跡から"何か"の入射角も鑑識に調べて貰ったんだよ。その結果"何か"はそのまま進むと『魔王城の魔王様の私室付近に墜落する』ことが分かった。」


 これにはエンゲも少しどきりとしました。


「そして、魔王様の部屋の窓を外から見たけど……窓が割れてた。これはエンゲさんも知ってるよね?」

「ええ。うっかり割ってしまったそうですよ。」

「なるほど。やっぱり魔王様は『隠してる』んですね。」


 ノームは特に感情もなくさらりと言いました。その言葉を聞いたエンゲは、ノームには余計な駆け引きや嘘は要らないと判断しました。

 額に手を当てて、エンゲはふぅと息を吐きます。


「配慮ありがとうございます。これはここだけの話にして下さい。」

「……昨日の『天使の痕跡』の話に魔王様が動揺してたのは、つまり"そういう事"ですね?」

「実は私も詳細を把握している訳ではないのですが、状況証拠を見るに私もそうだと考えています。」

「…………何をお考えなのか。まぁ、そのお考えが何であってもボクは尊重するつもりです。『隠したい』という意図まで含めて。」


 ノームの言葉は、エンゲと意図と同じものでした。

 こうしてエンゲに秘密裏に相談に来るように、エンゲもノームも互いに一定の信頼を寄せています。

 その信頼に答えるように、エンゲはひとつ隠していた情報を提示しました。


「私も何をお考えかまでは分からないですが、お相手の天使は"女性"みたいですよ。」

「えっ。」


 ノームは意外そうな反応をしました。


(これを聞けばノームも魔王様の恋に気付くでしょう。)


 対するノームは、今ひとつピンと来ない様子でした。

 その反応にエンゲは違和感を感じました。ノームは「えっ? "女性"だから何?」みたいな顔をしています。

 全然ピンと来ない様子を見て、エンゲは「はは~ん」と気付きます。


「……ノームもまだまだお子様ですね。」

「……まぁ、見た目的にはお子様だし、エンゲさんより若いかも知れないけど。えっと、どういうこと?」

「大人の話です。」

「は、はぁ……。」


 ノームは実は若い魔族です。他の四天王や治める土地の魔族達に舐められないように普段は本来の姿を隠していますが今の子供の姿が本来の姿で、幼体から成体の中間くらいの年齢です。

 色恋沙汰はまだ分からないのだろう、とエンゲは思いました。子供にはこの話は早すぎたのでしょう。


 ノームは考えます。


(ボクはてっきり魔王様は単に巣から落ちた鳥を可哀想と思って拾ってやった……くらいの感覚でいるのかと思ったんだけど……まさかエンゲさん、色恋沙汰だと思ってる? あの奥手な魔王様が?)


 ノームは考えを整理して思い出しました。


(あ~……そういえばエンゲさん"そういうの"好きだよなぁ。)


 実は過去に"そういうの"でエンゲきっかけで色々あったのを思い出して、ノームは大体エンゲの"思い込み"が何なのかを理解しました。こちらの子供のほうがまだ冷静に『魔王はどういう性格か』を考えられているようです。

 エンゲの考えが夢を見すぎと思いつつ、ノームは考えました。


(……まぁ、魔族と天使が結ばれるなんて事があれば、しかもそれが魔族の代表魔王だったら……長年の魔界と天界の争いに影響のある素敵な事だとは思うけど。)


 そんなノームの心中など知らず、エンゲはノームにやれやれと言いました。


「ノームも大人になれば分かりますよ。」


 きっと、エンゲはお節介起こす……そう考えつつもノームは「ははは」と苦笑しました。


「まいったなぁ。その内分かるといいんだけど。」


 どっちが大人なのか分かりません。


「今ひとつ分からないけど、魔王様が隠したいならボクは知らない振りをするよ。余計な邪魔が入らないように情報は隠しもするしね。それと……タユタは見張っておくよ。どうせまた問題を起こすから。」

「ええ。お願いします。」

「あとはチナシだね。あれも見張るし牽制はするけど、魔王様周りで動き回るようならエンゲさんの方で何とかしてよ。"天使が絡むなら"あいつはタユタよりも面倒臭い。他種族への敵対意識が特別強い上に、相手が"天使"となると自分の管轄だから勝手に責任を感じるだろうからね。」

「まぁ、彼は嗅ぎ回るでしょうね。分かりました。そこは対処します。助かります。」


 ノームの見解と、大方自分の見解が一致している事、その上で対策も打ってくれると聞いてエンゲは安心します。ノーム本人とその配下は隠密行動や調査、裏工作に長けており、彼が"見張る"と言えばあらゆる動きが筒抜けになるでしょう。


「また何かあれば報告するよ。」


 そう言うと、ノームは再び目に手を当てて、瞳の色を変えて立ち上がりました。

  



 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




 魔王の私室がノックされます。

 部屋の中からドタドタと慌ただしい物音が聞こえて、しばらくしてから中から声がしました。


「だ、誰だ!」

「エンゲです。」

「……こんな時間に何の用だ?」

「お渡ししたいものが。」


 エンゲが扉の外からそう言うと、少し間を置いてからウリムベルが顔を出しました。扉からすぐに出て、隠す様にバタンと扉を閉じます。あまりにも何か隠しているのが分かる露骨な反応です。


「わ、渡すって何を?」


 エンゲは一つの小箱を手渡しました。


「これは?」

「治癒魔法の魔法石です。今日買ってきました。」


 魔法というのは魔族が扱う不思議な現象を引き起こす力です。

 魔族によって適正があり、個々に使える魔法、使えない魔法があります。

 魔法石というのは魔法を封じ込めた特殊な石で、石を割る事で適正がなくても魔法を扱えるものです。たとえば、エンゲが手渡した治癒魔法の魔法石は、魔法を砕くことで治癒魔法を一度だけ使えます。


「何でこんなものを?」

「魔王様は治癒魔法は使えませんよね?」

「それはそうだが、何で治癒魔法を?」

「昨日割った窓で指を切ったりしてないかと思いまして。」

「窓で?」

「随分と派手に割れていたので、怪我をしていないかと気になりまして。」

「いや、怪我はしてないが……。」


 ウリムベルは察しが悪いです。エンゲはふぅと溜め息をつきました。


(輪っかが割れてる天使が、怪我をしていない訳ないでしょうに。その位気付いてやりなさいよこの男は。)


 エンゲが治癒魔法の魔法石を買ってきたのは、怪我をしているであろう天使の為です。さりげなく、ウリムベルが怪我をしていると思っているていで渡そうと思ったのですが伝わりません。

 仕方なく、エンゲは嘘を吐くことにしました。


「おかしいですね。確かにような気がしたのですが。」


 そう言うとようやくウリムベルはハッとしました。


「それは本当か?」

「うろ覚えですね。魔王様が昨日今日と平然とされていましたので何事もないのかと思ったのですが、どうしても気掛かりだったので。気のせいであればいいのですが。」

「…………痛っ!」


 そう言うとあからさまにツメを指に刺して、ウリムベルは指先から血を流しました。


「今言われて気付いた……確かに指が切れていた。悪いな。有り難く頂こう。」

「(わざわざ自分で怪我しなくてもいいのに……。)はい。どうぞ。一応五個入りのものを買っていますが、余ったら自室に保管しておいてください。(買ったのが一個じゃなくて良かったです。)」


 エンゲは小箱をウリムベルに手渡します。これで天使と、無駄に今怪我したウリムベルの怪我は治せるでしょう。


「夜分に失礼しました。では、私はこれで。」


 頭を下げてエンゲは足早に去ります。

 ノックした時に慌てていたという事は、ウリムベルは天使と交流していたのでしょう。エンゲはこれ以上邪魔をするつもりはありません。


「エンゲ。」


 そんなエンゲの背後から、ウリムベルの声が掛かりました。

 振り返ると、ウリムベルは言いました。


「有り難う。」

「………………いいえ。」


 お礼を言ってウリムベルは自室へと引っ込みました。


「世話の焼ける魔王ですね。」


 少し嬉しそうに微笑んで、エンゲは私室へと戻っていきました。

 魔王はまだ知りません。自分に影ながら味方してくれている者が居ることを。



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