第5話 天使とお着替え
ウリムベルはグダリエルの為に服を買ってきました。これからどのくらい匿うのかも分からないので、今着ているグダリエルの白いワンピース一着では困ると考えたからです。
女性ものの服を買うのは初めてですし、グダリエルの好みは分からないので、手当たり次第に買いました。自分の好みのものから、店員にお勧めされたものまで幅広く選んでいます。
あとは、約束した留守番のご褒美としてケーキを買って帰りました。
「ただいま。」
大荷物を抱えて私室に帰ると、グダリエルはベッドですやすやと眠っていました。
「また寝てるのか……。」
よく眠る天使です。昨日も大分昼寝していましたが、それでも夜にはぐっすりと眠っていました。
ウリムベルは起こすのも悪いと思いましたが、その内夕食の時間にもなるので声を掛けてみます。
「グダリエル。」
声を掛けても反応しません。仕方なく荷物を降ろして、ベッドで横になるグダリエルの傍によります。
「おーい。」
つんつんと頭をつついてみると、うーん、と唸ってグダリエルがうっすらと目を開けました。
「おなかすいた……。おひるごはん……。」
「もう夜だぞ。……お昼ご飯?」
気になる単語に引っ掛かるウリムベル。
むくりと起きて、悲しそうな顔をしながらグダリエルはウリムベルを見ました。
「おひるごはんは?」
「お昼ご飯って……朝ご飯ではなく?」
「あさごはんはたべた……。」
「お前は昼にも食べるのか?」
「あさごはん、おひるごはん、ばんごはん……。」
「天使は一日三食食べるのか?」
「んあ……。」
ウリムベルは毎日朝と夜の二食しか食べません。
実は魔族はかなり燃費が良く、生きる為に多くの食事を必要としない種族です。その為多くても朝と夜、もっと少ない者では朝しか食事を取らなかったりします。エンゲが実際にそういった生活を送っています。
近年、人間界との交流が増えて美味しい食事が娯楽として取り入れられている為、食文化も増えつつありますが、それでも人間や天使より食事の機会は少ないです。
天使や人間の食文化にはあまり興味のなかったウリムベルは、昼食というものを知りませんでした。
「……それは悪かったな。もうすぐ夕食だから我慢してくれ。」
「んあ。」
グダリエルは納得しましたが、ウリムベルは困っていました。
今日のグダリエルはぐっすり眠っていたので空腹にも気付いていなかったのですが、明日以降も同じように眠っていてくれるとは限りません。
この天使がふわふわしていてマイペースなのはウリムベルも気付いています。仕事中にサボって昼寝するくらいにフリーダムです。
お腹が空いたら食べ物を求めて部屋の外に出て行ってしまうかも知れません。それで見つかったら大変な事になります。
(昼時はシェフもいないんだよな……参った。昼休憩を取って、何か軽食でも持ってくる、とか? ……まぁ、それでいいか。外に行ったり部屋に戻ったり忙しいが仕方ない。)
明日以降のグダリエルのお世話のプランを頭にまとめて、ウリムベルは一旦落ち着きました。
(世話の焼ける天使だ……。)
そう言いつつも放っておく選択肢はウリムベルの頭にはありませんでした。
「あっ、そうだ。グダリエル。今日はお前の服を買ってきたぞ。」
「ふく?」
先程買ってきた荷物の方に戻り、ウリムベルは包みを開けてみます。
「今着てるようなワンピースとか、他にも店員勧められたものを適当に。ほら、見てみろ。」
「んあ。」
グダリエルもベッドからぴょんと飛び降りて、とてとてと走ってきました。
しゃがみこんで、広げていく服を一緒になって見ています。
「着てみたいのはあるか?」
「まおーがえらんでくれたやつ。」
思わぬ返答にウリムベルはきょとんとしてしまいます。
魔王が選んでくれたやつ。グダリエルの言葉に深い意味はないのかも知れません。
「……俺はこういうの選ぶセンスないぞ。自分の好きなのにしたらいい。ちゃんと見て選んでみろ。」
「まおーがこれがいい、って思ってくれたやつがいい。」
自分の好みの服を着させるのは気恥ずかしいとウリムベルは思いました。しかし、グダリエルが一度言い出すと納得するまで聞かないのは薄々分かったので、早めに降参して一着の服を指差します。
「……これなんだが。」
水色に白い水玉模様が描かれたワンピース。何となくグダリエルの青い瞳や真っ白な髪や肌と雰囲気が合うと思って選んだものでした。グダリエルはそれをひょいと拾い上げると、とててと浴室傍の脱衣所の方へ走っていきました。
「覗かないでね。」
「の、覗くわけないだろ!」
ウリムベルは顔を赤くし慌てて否定します。
しかし、一緒のベッドに寝ようと言い出したりと男女の付き合い方に無頓着なグダリエルでも、着替えるところは見られたくないという恥じらいはあるのだなとウリムベルは意外に思いました。今までは子供のような気持ちで面倒を見ていたので、急に女の子らしいところを見てどきっとします。
しばらくすると、グダリエルが脱衣所から戻ってきました。ウリムベルが選んできた水玉模様のワンピースに着替えていました。
ひらり、とグダリエルは回ります。
ふわふわの髪と翼がふわりと靡き、ワンピースのスカートが軽く揺れました。
「……似合う?」
「…………お……うん、似合う。」
「んむ。」
グダリエルが嬉しそうににっこりと笑いました。
グダリエルに何となく似合うかも知れないと、ウリムベルは思っていました。実際にグダリエルには似合っているとウリムベルは思いました。しかし、それ以上にグダリエルのちょっとした仕草に一瞬見惚れてしまいました。
「ありがと、まおー。」
「ん、んああ……うん。構わんよ。えっと……サイズ何となく選んでたけどぶかぶかだったりきつかったりしないか?」
「んあ。せなかがちょっと大変。」
「背中?」
グダリエルがくるりと振り返ります。そして、翼を僅かにばさりと動かします。
先程くるりと回った時には翼に隠れて見えていなかったのですが、背中のファスナーが全開で、グダリエルの背中は丸見えになっていました。
「んなっ!?」
ウリムベルが凄い声をあげて咄嗟に目を背けます。
「天使ははねが生えてるから、せなかがちょっときつい。」
「んあっ!? あぁ、そうかっ! すまん! 気付いてなかった! 悪かったから、こっち向いてくれ!」
「んあ? どうしたのまおー? そっぽむいて。」
気付けば既にグダリエルは前を向いていました。
女の子の背中の素肌を見るのにすら慌てる程に、ウリムベルには免疫がありませんでした。ウリムベルは慌てて前をむき直し取り繕いますが手遅れです。
「顔が赤いよ?」
「き、気のせいだっ! そ、それより! 翼の事まで考えてなかった! これだと、背中が空いてたり服しか着れないな! 天界の服はそういう作りになってるのか?」
「んあ。はねの穴が空いてたり、せなかがない服。」
話題をそらせてほっと一息、ウリムベルは他の服に目をやりました。
「買ってきた他の服は着れそうにないな。いや、背中に穴をあけたらいけるか?」
「もったいないよ?」
「着れない方が勿体ないだろう?」
「むう。」
グダリエルは納得していない様子です。確かにせっかくの服を破いたり穴をあけたりするのは勿体ないのかも知れません。
ウリムベルもグダリエルの言わんとしている事は分かったので考えます。
「……うーん。じゃあ、こうしよう。一旦は今着ているものと元々着ていたものを着回してくれ。」
「こっちのはどうするの?」
「翼の生えた魔族というのは居ないんだが……背中から何か生やすようなやつは居ると言えば居るんだよ。そういう知り合いか、仕立屋を当たってみよう。そういう相手に相談して、グダリエル用に仕立てるのであればいいか?」
「んあ。ありがとう。」
これは納得してくれたようです。
魔族には翼の生えた者は現在確認されていません。しかし、ある種の魔族は背中から腕や角などを生やす事があります。そういう種族がどういう服を着ているのか、までは純粋な人間型である"魔人"という種族のウリムベルには分かりません。ただ、そういう相手に相談してみても良いのではと考えました。一応ウリムベルも仮にも魔王ですのでそういう種族には心当たりがあります。
(一日三食、翼があるから服も縛られる、天使というのもなかなかに面倒臭い種族だな。)
面倒だと思いつつも、話し下手なウリムベルが、参考になる魔族や仕立屋に当たろうと思うのは何故でしょう。
ウリムベル本人はそんな事を疑問にも思っていなければ、その答えにも気付いていませんでした。
「そういえば、約束してたご褒美にケーキも買ってきたぞ。」
「けぇき?」
「なんだ、お前はケーキも知らんのか。夕食のあとで食わせてやろう。」
その時、丁度魔王の私室の扉がノックされました。
部屋に女性ものの服を広げて、グダリエルも思い切りそこにいる状況での突然の来訪者に思わずウリムベルはびくりとします。
急いで服をまとめて抱えて、あわせてグダリエルも抱えると、脱衣所の方に急いで向かいます。
「どうしたのまおー?」
「誰か来たから隠れてろ! 静かにしていろ!」
「んあ……。」
なんとか急いでドタバタとグダリエルがいた痕跡を片付けると、大急ぎでウリムベルは来客に対応します。
来客は秘書のエンゲでした。
~~~~~~~~~~~~~~
エンゲはウリムベルが怪我をしていると思い込み、治癒魔法の魔法石を持ってきました。ウリムベルは別に怪我などしていないのですが、割れた窓に血が付いていたと聞いてハッとしました。
あれだけ派手にガラスに突っ込んでおいて、グダリエルが怪我をしていない等という事はあるのでしょうか。
もしかしたら怪我をしていて、本人が怪我をしている事に気付いていないだけかもしれません。あのふわふわした天使なら普通にあり得そうです。
そこで魔法石を素直に受け取ると、部屋に戻ったウリムベルはすぐに脱衣所に放り込んだグダリエルの元に向かいました。
「グダリエル! すまん、少し確認したい事が!」
そのまま勢いよく脱衣所の扉を開くウリムベル。
勢い余って彼は咄嗟に飛んできたグダリエルの声に反応しきれませんでした。
「あっ、だめ!」
扉が開くと、下着姿のグダリエルが背中を向けていました。
グダリエルは着替えているところでした。せっかく買ってきてもらった新品の服なので、今日は元々着ていた服を着て、また明日着ようと思ったからです。
そんな着替え途中のところに、ウリムベルは飛び込みました。
「………………!」
ウリムベルが絶句します。
「……………。」
背中を向けたまま、グダリエルも沈黙しています。
やがて、静寂を破るように、グダリエルが口を開きました。
「…………あの……みないで?」
「ごめんなさいっ!」
ウリムベルはすぐに扉を閉じました。
事故のようなものですが、見てはいけないものを見てしまいました。ウリムベルの顔はかつてない程に真っ赤です。
脱衣所の扉の先ではごそごそと音がしています。
扉越しにウリムベルは恐る恐る声を掛けました。
「あ、あの……誠に申し訳ありませんでした。」
「………………みた?」
「見てません!」
実際後ろ姿を思い切りみたのですが、見たとは言えません。ウリムベルは咄嗟に嘘を吐きました。もう必死です。
しばらく気まずい沈黙が流れます。
「…………ごめんね。もらった服は明日着ようと思って着替えてた。」
「こ、こちらこそ突然入って申し訳ありませんでした。」
「…………確認したいことってなに?」
どうやらグダリエルの方から話題を変えてくれたようです。
ほんの少し一安心して、ウリムベルは改めて心配していた事を聞きました。
「あ、あの……どこか怪我をしていないか?」
「えっ。」
驚いたような声が扉の向こうのグダリエルから返ってきました。
「…………やっぱり……みたの?」
震えるような声が聞こえます。
その声の違和感はウリムベルにもすぐ分かりました。
何故、こんな震えた声を出すのでしょうか。いつもはのんびりとした声で喋るグダリエルには似合わないか細く震えた声です。
ウリムベルはこんな声を一度聞いたような覚えがありましたが、思い出せません。
ただ、「みたの?」という言葉から、ウリムベルはなんとなく察しました。
(……あっ! もしかして、裸を見たから怪我してるのに気付いたと思われてるのか!?)
そう気付いた途端に慌ててウリムベルは声をあげました。
「ち、違うぞっ! き、昨日窓をぶち破って落ちてきたから、もしかしたら怪我してるのかな、って気になっただけだ! 丁度今来た秘書が、怪我してないかと言って突然気付いてな! 別に俺は全然お前の裸なんて見てない!」
必死過ぎます。
「…………落ちてきて……けが……。」
それを聞いた後のグダリエルの声からは震えがなくなっていました。
なにやらぽつりぽつりと何かを呟いています。
「んあっ!?」
聞いた事のない飛び跳ねるような素っ頓狂な「んあ」が部屋の中で聞こえました。
バン! と勢いよく開く脱衣所の扉。
「んがッ!?」
扉の前に立っていたウリムベルが顔を強打しました。顔を押さえて悶え苦しむウリムベル。そのウリムベルを見下ろして、いつにない深刻な表情でおろおろしているグダリエルが聞いた事のない大きな声をあげました。」
「なくなってる!」
「痛つつつ……! な、なくなってる?」
「わっか!」
グダリエルが頭の上を指差しています。
"輪っか"と聞いたウリムベルは、ふと気付きました。
そういえば、天使という種族の特徴としては背中の翼と頭に浮かぶ輪っかがあげられるといいます。
今まで全く気付いていなかったのですが、グダリエルの頭には天使の輪っかがありませんでした。
グダリエルは泣きそうな顔で声を荒げます。
「なくなっちゃった……! どうしよう……!」
「も、もしかして、輪っかを落ちた時になくしたのか!? 本当はもともと着いてたのか!?」
「んあ……!」
「どこか痛くないのか!?」
「いたくはない……。」
「その輪っかがないと何か困るのか!?」
しばらくグダリエルが黙りました。泣きそうな顔が考えているような顔に変わります。考えているような顔が悩ましげな顔に変わります。そして最後に悩ましげな顔がいつものぽかんとした表情に変わると、グダリエルは答えました。
「…………別にこまらない。」
「えっ。」
「なくなっててびっくりしたけど、別になくてもこまらなかった。」
「び、びっくりさせるなよ……。」
「むしろ、あたまの上でじゃまだったくらいかもしれない。ないほうが楽かもしれない。」
「えぇ……。」
拍子抜けな答えでした。一大事かと思っていたウリムベルは気が抜けました。
「他にどこも怪我してないか?」
「んあ。どこもいたくない。」
「……どうにも心配だな。ちょっと見せてみろ。頭とか本当は切ってたりしないか?」
ウリムベルが手招きすると、グダリエルは素直に寄ってきます。ウリムベルはグダリエルの頭を手で持ち、そのままぐいと頭を下げさせました。もふもふの髪の毛を色々と探ってみますが傷などはありません。
(やっぱりエンゲの言っていた血痕は気のせいだったのか? それとも、天使の輪っかって血とか出るんだろうか?)
気のせいならばいいのだが、そう思いつつウリムベルは魔法石をひとつ取り出しました。
「多分大丈夫だが、流石にあんな事故があったら心配だからな。念のため治癒魔法をかけておくぞ。」
「んあ。」
指で摘まんだ魔法石を強く握ってパキンと割ると、淡い光がグダリエルの頭に降りかかりました。これで治癒魔法が掛かります。怪我をしていたら治るでしょう。
「……うーん、これでも輪っかは治らないか。」
「んあ。別にいいや。」
お気楽なグダリエルの返答にやれやれと呆れつつ、ウリムベルはようやく一安心しました。
ふぅと一息ついたウリムベル。そんなウリムベルをじっと見ているグダリエル。
グダリエルはじーっとウリムベルを見つめながら聞きました。
「本当にみてない?」
「み、見てません!」
思わぬ不意討ちにウリムベルは跳ね上がりました。
グダリエルはその様子をじろりと初めて見せる表情で見つめると、お腹に軽く手を当てました。
まるで疑っているような目にびくりとしつつ、グダリエルのお腹に当てた手に気付いたウリムベルは咄嗟に話題転換します。
「は、腹が減ったんだよな? よ、よし! すぐに飯を呼ぶから待ってろ!」
慌ててグダリエルに背を向けて内線を取りに行きました。
その様子を見たグダリエルは、ふぅと安心したように息を吐き、面白そうにくすりと笑いました。
見られなくてよかった。
グダリエルは心の中でぽつりと呟きました。
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