第14話 天使のいる魔王城




 箒を手に廊下を歩くのは給仕服に身を包む、陶器のように艶のある肌の色白な女性。その傍らには小さな人形達がちりとりや小さな刷毛で塵や埃をかき集めていきます。

 魔王城の清掃係、ピースは自身が魂を込めた人形達とともに今日も魔王城の清掃を行います。"人形師"という特殊な魔族である彼女は、意思を持って動く人形と共に一人で魔王城を隅々まで掃除するのです。

 自身もいつも冷めた表情で、感情に乏しい様から彼女自身も人形と間違えられる事も多いピースは、いつも通りの無表情で向こうからとてとてと歩いてくる見慣れない姿を見て立ち止まりました。


 最近話題の、魔王が飼っていると言われている小さな天使。

 グダリエルと呼ばれる天使が、廊下を歩いてやってきました。


 グダリエルはピースの前でぴたりと足を止めます。


「こんにちは。」

「…………こんにちは。」


 グダリエルが挨拶をすると、ピースも無表情で答えます。

 すると、周囲の部屋や隙間からぞろぞろと人形達も出てきて、グダリエルを取り囲みました。


「コンニチハ!」


 ぞろぞろと出てきて挨拶をする人形達を見回して、グダリエルも「こんにちは」と返します。その様子を上から見下ろしながら、ピースは無表情で考えていました。


(かわいいなぁ。)


 白いふわふわの髪に、透き通るような白い肌、青い瞳に、背中の大きなふかふかの翼……天使の造形を見て、ピースは無表情でぎゅっと箒を握りしめます。


(すごい好みの造形。柔らかそう。撫でてみたい。でも、勝手に触っちゃまずいよなぁ。魔王様のペットだし。)


 うずうずとしながら、しゃがんで人形達と挨拶をして触れ合っているグダリエルをまじまじと見つめるピース。


(着せ替えとかしてみたい。それが無理なら写真とか撮らせて貰いたい。写真を撮ってそっくりな人形を作ってみたい。でも、仕事中だし。カメラ今から取りに行くのもな。ああ、いいなぁ。)


 人形としばらく触れ合った後に、グダリエルはしゃがんだままじーーーーっと見下ろしているピースを見上げます。


「ウリムベルのおへや、どこ?」


 どうやら、魔王の部屋に向かおうとしていて迷子になっているようです。

 ピースはしばらく固まりました。


(もしかして、触れるチャンスなのでは。)


 一つの小さな人形が、ぴょんと飛び跳ねて言います。


「グダリエル、チャン。ボクガ、ツレテイッテ、アゲ」


 そこでわっしと口を塞ぐようにしてその人形を掴み上げて、じたばたとする人形の顔をぎゅっと握りながら、ピースは真顔で人形達を見下ろしました。


「………………あなた達、掃除、続けなさい。」


 冷たく淡々と紡がれた言葉を聞いて、人形達はビクッと飛び跳ね「ハイ!」と答えて再び散り散りになりました。握りしめた人形もぽいと地面に放ると、その人形も「ヒィィィ」と怯えたように逃げ去ってしまいました。

 グダリエルがピースを見上げます。

 ピースは無言で手を差し出しました。

 グダリエルがその手を不思議そうに見つめています。

 そのままピースは動きません。


 しばらく双方がぽかんと固まっていましたが、やがてグダリエルがピースの掌に手を乗せると、ぎゅっと手を握り替えしてピースは歩き出しました。


 引っ張られながらグダリエルは聞きます。


「連れてってくれるの?」

「…………はい。」


 ピースはぽつりと答えます。

 クールで人形のように感情がないと思われがちな彼女は、実際のところ極度の口下手のあがり症なのです。


(うわぁ、手やわらか。というか何も言わずに引っ張っちゃった。触っちゃった。あぁ、このまま部屋に持ち帰りたい。いや、魔王様に絶対に怒られるから無理だけど。それよりあんまり喋らないと怖がられるかな。何か話題は。)


 そんな事を考えながら、ピースは気付くと魔王の部屋の傍にまで辿り着いていました。

 

 そこが魔王の部屋だと気付いたグダリエルは、ピースの顔を見上げて手を放します。


「ありがとう。」


 相も変わらず無表情でピースは見下ろします。

 ぺこりとお辞儀をひとつ、グダリエルはそのままとてとてと魔王の部屋へと走って行ってしまいました。

 魔王の部屋をノックして、魔王の部屋の扉が開くと、グダリエルは最後にピースに手を振ってきます。


 ピースが胸元まで掌を上げて、ひらひらと控えめに手を振ると、グダリエルは嬉しそうに微笑み、魔王の部屋へと入っていきました。


 ピースはしばらくぽかんと立ち尽くしていました。


(これからはカメラを持ち歩いて仕事をしよう。そうしよう。)


 無表情のまま、ふんすと鼻息を鳴らし、ピースは仕事に戻りました。





 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




 無数の触手をうねうねと動かし、忙しくフライパンや包丁、皿などを操りながら、コック帽を被った水色のスライムは厨房の中を蠢いていました。

 スライムの触手の一つがうねりと厨房の扉の方を向きます。何かの気配を察したスライムは、その触手をぐにんと動かし、扉を押し開きました。


 そこには白い翼を生やした女の子が立っていました。


 触手が唇のように開き、声を発します。


「おう、なんでぇなんでぇ! 見た事ねぇ面だなぁ!」


 突然喋り出したスライムの触手に女の子はびくりとしましたが、すぐにぺこりと挨拶しました。


「はじめまして。グダリエルです。」


 その名前を聞いたスライムは「おお!」と口を丸くしました。


「最近魔王様んとこに来た天使の嬢ちゃんだっけか?」

「うん。あなたはだあれ?」

「俺っちは魔王城の料理長、クックルってぇもんよ! 見ての通り、種族はスライムでぇ!」


 スライムの料理長、クックルは触手の先の口で笑顔を作ってケラケラと笑います。


「普段は魔人の姿をしてっけど、仕事の時には何かとこの姿が便利でよ! 気持ち悪くて驚かせたら悪かったなぁ!」

「ううん。ふにふにしてて気持ちよさそう。」

「そんな事言われた事のは始めてだなぁ!」


 クックルはケラケラと笑います。

 触手の一部をグダリエルとの会話に使いつつ、並行しながら料理も続けています。その料理の様子をグダリエルは扉越しからじーっと見つめました。


「お料理してるの?」

「おう! そういや嬢ちゃんも食ってたんだってなぁ! 天使の口に合ったかね?」


 グダリエルはこくりと頷き答える。


「天界のごはんよりもずっとおいしい。」


 それを聞いたクックルは、ケラケラと笑いながらうねうねと動きます。


「てやんでぇ! 魔界一のシェフたぁ俺の事よ! 天界魔界人間界どこをとっても一番なのはあたりめぇよ! そんな風に褒めたって何もでねぇぜ!」


 心なしか料理しているスライムの本体もうねうねと動いているように見えました。

 にょろりと他の触手が皿を乗せてグダリエルの方に伸びてきます。皿の上にはひとつのパイが乗っていました。


「試作中のデビルチェリーを使ったパイ、"デビルチェリーパイ"だ! 味見してみるか!」

「んあ!」


 褒めたら何かでてきました。グダリエルは迷う事なくパイを手に取りぱくりと食べます。むぐむぐと頬を膨らませ、そして幸せそうに頬を綻ばせました。


「おいしい……。」

「そいつぁ良かった!」


 ケラケラとクックルが笑い、上機嫌にうねうねと動きます。

 料理をしている他の触手もうねうねと動き、リズミカルに調理器具を踊らせました。

 一通り楽しげに踊ったクックルは、ぴたりと止まりグダリエルに触手を寄せます。


「ところで、嬢ちゃんはどうして厨房の前にいたんでぇ?」

「おいしそうなにおいがしたから。」

「食いしん坊な嬢ちゃんだなぁ。まぁ、今日の晩メシも期待してなぁ! 触手によりを掛けて作るからよぉ!」

「んあ!」


 クックルは魔王城の料理長として仕事をしていますが、基本的には配膳は他の者が担当すること、主に料理を振る舞うウリムベルが感想をあまり言わない事もあり、料理の反応を貰える事は多くはありませんでした。

 そういう事もあってか、目の前ではっきりと感想を言ってくれて、美味しそうな顔を見せてくれるグダリエルの事は気に入ったようです。


 これから度々、厨房にグダリエルが訪ねてくるようになるのですが、それはまた別のお話。






 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~






 庭の手入れをして歩く、自身も頭に赤い大きな花を咲かせる老齢の魔人がふと視線に気付きました。魔王城の廊下の窓から顔を覗かせる、白い髪の少女の姿がありました。

 老齢の魔人の手入れに興味があるのか、庭の草木に興味があるのか、じーっと覗いている少女を見て、魔人は優しく微笑みました。


「お嬢ちゃん。魔王様のところの天使さんだったかね。」


 魔人に声を掛けられた少女はこくりと頷きました。

 魔王が飼っているという天使の少女の話は既に庭師である魔人の耳にも届いていました。

 

「そこで見てないでお外に出てきて見たらどうだい?」


 天使が魔王城内を歩く事は認められていました。庭先までなら出ても良いとのお達しも出ていました。そこで魔人は天使に呼びかけると、天使はひょいっと窓から引っ込みました。

 魔人は余計なお世話だったかな、と思い、苦笑してから仕事に戻りました。




 そこから少し遅れて、魔王城の玄関の扉が開きました。


 そして、無表情な給仕服の女に連れられて、天使の少女が顔を出しました。

 丁度玄関近くで作業をしていた魔人とぱったり目が合います。


「……おやおや。」


 天使の少女はどうやら外に出て来たようです。

 出口がどこだか迷っていたのか、出てくるのに時間が掛かっていたようです。

 少女を連れてきたのは、魔王城でも素っ気ない事で知られるピースという清掃係の人形使いの魔族でした。


「ありがとう。」


 天使の少女はピースに御礼を言うと庭に出てきました。

 無感情かと思っていたピースが、迷子の天使をここまで案内してくれた事に老齢の魔人は少し驚きつつ、寄ってきた天使の少女に微笑みかけます。


「こんにちは。」

「こんにちは。」

「私は庭師のレネドラゴ。君は?」

「グダリエル。」


 挨拶を交わし、庭師のレネドラゴは顎から生えた髭……ではなく根っこに手を添えました。グダリエルは物珍しげにレネドラゴを見上げています。


「頭にお花が咲いてる。」

「妖花という種族でね。変かな?」

「ううん。綺麗。」

「そうかい。嬉しいねぇ。」


 レネドラゴはしゃがみこみ、グダリエルと視線を合わせて微笑みました。レネドラゴがふと入口の方を見ると、何やらピースがカメラを構えてパシャリと一枚写真を撮ります。

 なんだあれ、と思いましたが、そのまま何事もなかったように真顔で城に戻っていくので、深く追求はせずにグダリエルの方を見ました。


「お花が好きなのかい?」

「んあ。」

「だったら、好きに散歩するといいよ。分からない事があったら言ってごらん。私は仕事をしているから、いつでも声をかけていいよ。」

「んあ。」


 レネドラゴは再び庭の手入れに戻ります。すると、後ろからとことことグダリエルがついてきました。花の世話や木の手入れなどをしている様子を見て、移動するとまたとことこと付いてきます。

 気になったレネドラゴはグダリエルの方を見ました。


「私の仕事が気になるのかい?」

「んあ。」

「見ていて面白いものでもないと思うんだけどねぇ。」


 苦笑しながら、レネドラゴは仕事を続けました。


「このお花を知っているかな?」

「ううん。しらない。」

「これはスズランという花だね。」

「鈴みたいな形してる。」


 仕事をしながら、何気なく花のことをレネドラゴは話します。グダリエルはしゃがみこんで花に顔を寄せています。

 そのあとに、立ち上がってきょろきょろと辺りを見回したグダリエルは離れた花壇を指差すと、レネドラゴを見上げて言いました。


「あれはチューリップ。」

「へぇ。よく知ってるねぇ。」


 とろんと抜けた表情をしているグダリエルでしたが、心なしか得意気に見える顔をしていたので、微笑ましく思いながらレネドラゴは褒めました。


「知ってるかい? チューリップは色で花言葉が変わるんだよ。」

「はなことば?」

「おや、花言葉を知らなかったかな。」


 レネドラゴはチューリップの花壇へと歩いて行きます。グダリエルも後に続きました。


「お花には、それぞれメッセージが込められているんだ。たとえば、この赤いチューリップなら『愛の告白』とかね。愛の告白をする時なんかに送るのにぴったりだよね。」

「へぇ~。」


 興味深そうにグダリエルは赤いチューリップを見つめています。

 そして、振り返って尋ねました。


「色が違うと変わるの?」

「白いチューリップは『失われた愛』だったかな?」

「同じチューリップなのに?」

「確かに意味がまるで違って聞こえるね。それも面白いところだね。」


 レネドラゴは先程のスズランの花壇の方を見ます。


「スズランだと『純潔』だったかな。色々な花にそれぞれの花言葉があるんだよ。」

「おもしろいね。」

「興味を持って貰えて良かったよ。私も全部覚えている訳でもないんだが……今度花言葉の図鑑でも貸してあげようか?」

「いいの?」

「今日はないけどこれからは持ってくるよ。気が向いたらまたおいで。」

「んあ。」

 

 嬉しそうに笑ったグダリエルに、レネドラゴも笑い返しました。

 グダリエルは立ち上がり、ふと視線を横に逸らします。その視線をレネドラゴが追いました。どこかの花を見ているようです。

 グダリエルは再びレネドラゴを見上げて、尋ねます。


「"エミアテージュ"の花言葉ってなぁに?」


 レネドラゴは少し驚いて目を丸くしました。


「おや。"エミアテージュ"を知ってるんだね。魔界にしかない花なんだけどね。」


 魔界にのみ咲く小さく青い花、"エミアテージュ"。

 以前にグダリエルが庭先で、ウリムベルから貰った花です。

 全ての花に花言葉があるのなら、あの時貰ったエミアテージュにも花言葉はあるのでしょうか。グダリエルはふと気になったようです。


「"エミアテージュ"の花言葉は魔界では有名だよ。花言葉は……」





 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~





 ウリムベルは書類に目を通しながら、ふと秘書のエンゲに尋ねました。


「城内でグダリエルは変な目で見られていないだろうか。」


 エンゲはやれやれと首を振りつつ答えました。


「先々日は財務のイェノムにお菓子を貰っていましたよ。先日は厨房でクックルから試作のお菓子を貰っていました。あと、清掃係のピースから飴を貰って写真を撮られていましたね。」

「なんか知らんうちにめっちゃ餌付けされてないか?」

「それだけ馴染んできてるんでしょう。」


 ウリムベルはそう聞いて安心しました。どうやらグダリエルは魔王城に馴染んできているようです。

 魔王城に勤める者達が特別図太いのか、それとも魔族がそうなのか。できれば後者であればいいのにと願いつつ、ウリムベルは今日も書類仕事に勤しみます。




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