第12話 ふわふわもこもこで愛らしい




 ウリムベルは自室の前までタユタを連れてきました。


 魔王様の飼っている天使を見せて下さい、という事で、(飼っているというていにしている)グダリエルに合わせてやる為に連れてきたのです。

 タユタはウキウキしながら目を輝かせています。


「ここが魔王様の私室ですか! 始めて入れて頂けるんですね!」

「ちょっと静かにしろ。もしかしたら寝てるかもしれない。」


 タユタは慌てて口を塞ぎます。

 グダリエルは結構な頻度で寝ています。今も寝ているかも知れません。タユタを黙らせ、静かにウリムベルは先に自室の扉を開けます。

 今日のグダリエルは寝ていませんでした。ソファに座って本を読んでいます。


 ドアが開いた事に気付いて、グダリエルは振り向きます。

 途端に嬉しそうに笑って、本を置いて、てててと走ってきました。


「ウリムベル。おかえり。」

「ただいま。」


 傍にまで寄ってきたグダリエルでしたが、ドアから除く誰かに気付いてぴたりと足を止めました。

 ドアの隙間からヌッと顔を出す、にやぁと笑う左目を眼帯で隠した謎の女。


「んあ……。」


 グダリエルは怯えた様子で後退りしました。


「あ、ああ……だ、大丈夫だ、グダリエル。俺の部下だから。怖くない怖くない。」


 ウリムベルはドアを開いて、「入れ」とタユタを招き入れます。タユタはそわそわしながら、にやけ面で部屋に入ってきました。


「えーっと、こいつは俺の部下で、タユタという。」

「魔界四天王"流麗"のタユタとは私の事だ!」


 勢いよく自己紹介するタユタ。その豪快な女をまじまじと見て、グダリエルは恐る恐る口を開きます。


「……タユタ?」

「うむ! 貴様の名前は何だ!」

「……グダリエル。」

「グダリエルか!」


 すっとタユタが掌を上にして右手を出します。

 ペット呼ばわりしていた割には、自己紹介を交わした上で、握手までするようです。やはりあれは、周りを納得させるための方便だったのでしょうか。

 グダリエルは差し出された手を不思議そうに眺めていましたが、タユタの掌と顔を何度か交互に見て、恐る恐るタユタの掌の上に右手を載せました。


「うむ! えらいぞ!」


 ふとウリムベルは思いました。


(犬がお手してるみたいだな……。)


 どうしても、ウリムベルの頭から先の会議のペットの下りが離れません。

 その後、タユタはグダリエルの手をぎゅっと握って、優しく何度か上下に揺すって握手しました。これはお手ではありません。普通の握手なのです。


 グダリエルと握手をしたタユタは、ウリムベルの方を向きます。


「おやつをあげてもいいですか?」

「え? おやつ?」

「フフ……実は……。」


 ウリムベルが得意気な顔で懐からスッと袋を取り出しました。

 魔界にもチェーン展開しているドーナッツ店"モンスタードーナッツ"の袋です。


「見せて貰える時の為に買ってきたのです!」

「お、おお。」


 既に見せて貰えるつもりでおやつまで用意してくるタユタに、気が早すぎると呆れてよいのやら準備がいいと感心していいのやら。

 複雑な表情をしているウリムベルに、タユタは尋ねます。


「天使って食べちゃ駄目なものとかあるんですか?」

「食べちゃ駄目なもの?」

「いえ。母からの受け売りなので私も詳しくないのですが。犬はたまねぎとかチョコレートとかダメらしいですよ。そういう生き物として食べたら駄目なものとかないんですか?」

(やっぱりこいつはグダリエルを犬か何かと勘違いしてるのか?)


 ペットとか言いだした時点で嫌な予感がしていたのですが、改めてタユタと一対一になった機会に聞いてみます。


「タユタ。お前は天使を何だと思っている?」

「天使を、ですか? 天使は天使でしょう?」

「そうじゃなくて。どういう生き物だと思っている?」

「え、っと……生物学には疎いもので。専門家をお呼びしましょうか?」

「そ、そこまで専門的な話をしている訳ではなく。お前は、天使という生き物をどういう風に見ているんだ?」

「……『魔界の敵』とは聞かされてますね。私的してきな理由ではあまり好ましく思っていません。天界が、天使が……という事ではなく人間界の教会というものを嫌っているというだけなのですが。」


 意外とまともな返答がきました。

 「聞かされている」という事は、タユタ自身の主義主張としてはそういう認識ではないのでしょう。その上で、タユタ自身でも好意的には思っていないようです。

 ウリムベルは更に聞きます。


「お前は"だらだら亭"の店主についてはどう思う? 彼女達も天使だろう?」

「え? 何を言っているんですか魔王様。アベリエルとリベリエルは魔族ですよ。」

「え?」

「見た目がああですが、あいつ等は魔族です。誤解されがちなんですがね。」


 ああ、とウリムベルは理解しました。

 彼女達は天使です。しかし、天界にも人間界にも居場所をなくしたところをタユタに救われたのだと言っていました。そんな彼女達を、情けだけではなく、タユタは本当に魔族として迎え入れているのでしょう。

 猪突猛進の真面目バカかと思いきや、意外と思慮深いのだな、とウリムベルは感心しました。


「悪い。余計な事を聞いた。」

「いえ! 誤解なさるのも仕方ありません! 本当に天使に瓜二つですし! 私も最初見た時は本気で天使と思ったくらいで!」

「……うん。」

「魔王様の教えがなければ、天使と誤解したままだったかも知れません!」

「……うん?」


 何か教えたかな?

 こいつ、本気でアベリエルとリベリエルが天使に似てるだけの魔族だと思ってないよね?

 タユタが理解できずに、理解したら頭おかしくなるのではないかと想い、真実を知ってしまうのが怖いのでウリムベルはスルーしました。真実は闇へと葬られました。


「……えっと、天使が食べちゃダメなものだっけ。別に何でも食べられると思うが。」

「駄目ですよ魔王様! 犬なんかは食べたら死んでしまうものとかもあるんです! 飼うなら正しい知識を身につけないと!」

「お、おお……す、すまん。」


 なんか怒られました。

 しかし、言っている事はあながち間違って無いので、ウリムベルも反論できずに誤ります。

 天使の食べてはいけないもの。それを考えずに食事を与えていましたが、魔族にとっては大丈夫だけれど天使にとっては毒になるようなものはあるのでしょうか。

 グダリエルに聞いても分からなさそうだと思ったウリムベルはふと思い出しました。



 ウリムベルは以前に受け取った連絡先に電話を掛けます。

 "だらだら亭"の店主、アベリエルとリベリエル。グダリエルと同じ天使なら何か知っているかも知れません。


「もしもし。ウリムベルだ。」

『あっ、魔王様! す、すみません、そちらにタユタ様が言ってませんか?』


 電話を取ったのはリベリエルでした。相手がウリムベルだと知った瞬間に気まずそうな声になります。


「来てるぞ。」

『何かペットがどうとか無茶苦茶言ってませんでした?』

「言ってたぞ。」

『も、申し訳ございません! 私達も訂正しようと話したのですが全く聞き入れられず……!』


 どうやらタユタに話したせいで暴走した事を気に掛けていたようです。

 ウリムベルは苦笑いしながら応えます。


「いや、もう解決したからいい。……それより聞きたい事があって。」

『な、なんでしょう?』

「天使が食べちゃ駄目なものってあるか?」

『天使が食べちゃ駄目なもの、ですか?』

「ああ。魔族は食べるが、天使にとっては毒になるようなものはないか?」

『私の知る限りでは魔族も天使も食べられるものは同じですよ。』

「ドーナッツとか大丈夫か?」

『大丈夫ですよ。』

「すまん。恩に着る。」

『いえ。気軽に何でも聞いて下さい。』


 電話を切ります。そして、そのままタユタに言います。


「天使も魔族と食べるものは同じでいいらしい。」

「じゃあ、あげてもいいですか? 一応、チョコレートとかは怖いと思って、プレーンにしたんですが。」

「大丈夫だ。」


 タユタはドーナッツの袋を開きます。どうやら中央に来てから買ったようで比較的できたてに近いのか、芳ばしい香りがふわりと漂いました。

 その香りを嗅いだグダリエルが、ぴくりと反応します。

 タユタの取り出したドーナッツをじっと、興味津々に見つめています。


「それなぁに?」

「ドーナッツは初めてか? 甘いお菓子だ。欲しいか?」

「ほしい。」


 グダリエルは目をきらきらさせています。

 タユタはフフフと得意気に笑います。


「まぁ、待て。」

「んあ……ちょうだい……。」

「そう悲しい顔をするな。まずは手を洗ってからだ。」


 タユタはウリムベルの方を見ます。


「洗面所をお借りしても宜しいですか!」

「あ、ああ。あっちだ。」

「ありがとうございます! グダリエル! 手を洗うぞ!」


 ウリムベルが洗面所を指差すと、タユタはドーナッツの袋を置いて、グダリエルの手を引いて洗面所へと向かいました。

 洗面所の方からタユタの大きな声が聞こえます。


「違う違う! こうやって、もっと丁寧にだな……!」


 どうやら手洗いの指導をしているようです。

 姉妹を見ているようだと少し微笑ましく思いながら、ウリムベルはソファに腰掛けます。やがて、手洗いを終えたタユタとグダリエルが足早に戻ってきました。

 タユタはドーナッツの袋を取ります。そして、中からひとつ取り出すと、グダリエルの前にぶら下げました。


「これがドーナッツだ。」

「……天使のわっかみたい。」

「そうだな! グダリエルの頭にはないけどなんでだ?」

「割れた。」

「そうなのか!」

「はやくちょうだい。」

 

 待ちきれない様子のグダリエルが手を伸ばします。


「少し待て。まずは座れ。」

「んあ。」


 タユタに言われてグダリエルはソファに座りました。

 ふとウリムベルは思いました。


(犬がおすわりさせられてるみたいだな……。)


「立ってものを食べるの行儀が悪いことだ。……まぁ立ち食いの店とかもあるから、全部が全部ダメとは言わんが……ここは魔王様のお部屋であって、立ち食いの店ではないから座って食べなきゃダメだぞ!」

「んあ。」


 ペットの下りがあったせいでどうしてもウリムベルにはそういう風に見えます。

 これはおすわりではありません。ただ座って食べろというだけなのです。


「座ったからはやくちょうだい。」

「まぁ、待て。」

(犬が待てされてるみたいだな……。)


 これは待てではありません。ただそわそわしているグダリエルに慌てるなと言われてるだけです。


「魔王様のお部屋を汚しちゃダメだぞ。落ち着いて、ゆっくりだ。」

「落ち着いてるからはやくちょうだい。」


 グダリエルは全然落ち着いていません。そわそわしています。

 その様子を見て、やれやれと呆れて、タユタはようやくドーナッツをひとつグダリエルの前に差し出しました。


「よし。食べていいぞ。」

「あむ。」


 グダリエルはそのままドーナッツに噛み付きました。


「こら、手で持って食べろ。」

「んあ。」


 グダリエルはドーナッツを手に持ちました。もくもくとしばらく味わうと、やがて幸せそうに頬を綻ばせます。


「おいしい……。」

「口に合ったようでよかった。」


 タユタはうんうんと頷きながら笑って、グダリエルの頭を撫でました。


(……駄目だ。……タユタのせいでどうしても犬みたいに見える。)

 

 眉間に指をぐっと押し当てて、ウリムベルは気を取り直しました。

 好きだと告白みたいな事までした女の子を犬みたい、ペットみたいと思うわけにはいかない、と思い直します。


「魔王様、お疲れですか?」


 タユタが心配そうに聞きます。


(お前のせいで疲れてるんだよ。)


 そう思いましたが、「ああ大丈夫だ」と適当にあしらうと、タユタはドーナッツの袋を差し出します。


「魔王様もおひとつ如何ですか。魔王様のお口に合うかは分かりませんが、一応多めに買ってきましたので。」


 タユタの差し出したドーナッツを見て、魔王は思います。

 このタユタという部下も決して悪気がある訳ではないのです。魔王を異様に慕ってきたり、勝手に暴走して厄介事を持ち込んだりしますが、善意からしている事なのです。

 あまり邪険にするのも良くないと思ったウリムベルは、ドーナッツの袋に手を入れました。


「いただくよ。ありがとう。」

「…………!!! はい!!!」


 とても嬉しそうにタユタが笑います。

 その傍らでグダリエルが言いました。


「ウリムベル。手を洗わないとだめだよ。」

「え?」

「あっ、そうだなグダリエル。魔王様、手を洗わないと駄目ですよ。お腹を壊します。」

「……あ、ああ。分かった。」


 グダリエルとタユタに言われて、ウリムベルは手を洗いに行きました。

 ペットを飼っている事を言い出せないでいる(勘違い)ウリムベルにそれを明るみに出す機会を与えたり、天使の食べ物に気をつけるようにと忠告したり、手を洗うようにと注意したり、タユタはそういうところは遠慮なく物申すようです。

 母親みたいな事言うんだな、と思いながらも、ウリムベルは手を洗い終え、席に戻ります。


「グダリエル、もう1個いるか?」

「もういっこいいの?」

「たくさん買ってるからな! ほれ!」

「んあ……! ありがとう!」


 タユタはもう1個ドーナッツを与えているようです。


「タユタ、だいすき!」

「そうかそうか。それは嬉しいんだが、口にものが入っている時は口を開けて喋るなよ。飛び散って汚いからな。」

「んー!」


 嬉しそうにドーナッツを頬張るグダリエル。タユタが母親みたいな注意をしながら、グダリエルの頭を撫でていました。


(完全に餌付けされてる……。)


 ウリムベルがそんな事を思いながら席に戻ると、タユタが預かっていたドーナッツを差し出します。それを受け取りウリムベルも食べました。

 ドーナッツを頬張りながら、ウリムベルは思います。

 

(しかし、タユタも面倒見がいいんだな。)


 ウリムベルはタユタを暴走しがちな面倒を見られる側の立場かと思っていましたが、意外にもグダリエルに見せる顔は面倒見のいい姉のようです。

 タユタに笑顔を向けているグダリエルを見ながら、ウリムベルは思いました。 


(……結果論とは言え、こうなったのは良かったのかもな。)


 タユタの勘違いから明るみになったグダリエルの存在。

 天使として嫌われるかと思いきや、そんな事もなくこうやって良い関係を築けていて、グダリエルも嬉しそうならそれはそれでいいのかも知れません。


「タユタ……もいっこ、だめ?」


 既に二個目のドーナッツを食べ終えたグダリエルが、更にタユタにおねだりしています。上目遣いで物欲しそうに見られたタユタは、やれやれと袋に手を入れます。


「ちょっと待て。程々にしておけ。晩ご飯食べられなくなるぞ。」


 ウリムベルはそこで止めました。

 タユタもそれを聞いて、「あっ」と気付いた様子で、申し訳なさそうに袋を閉じます。


「……それもそうですね。すまん。グダリエル。もうおしまいだ。」

「んあ……。」


 グダリエルがしょんぼりとしてしまいます。そして、しょんぼりとした目でウリムベルの方を見ました。


「ウリムベルのけちんぼ……。」


 その一言はウリムベルの胸にグサッと刺さりました。

 しかし、これはグダリエルの為です。ウリムベルは心を鬼にして「駄目だ。」と言い張りました。

 タユタが「こら」とグダリエルの頭にぽんと手を載せます。


「そんな事言っちゃ駄目だぞグダリエル。魔王様はお前の為に言ってるんだからな。」

「うー……。」

「魔王様にごめんなさいしな。」

「……ごめんなさい。」


 しゅんとしてグダリエルは言いました。

 タユタのお陰で悪者扱いで終わらず済んで、ウリムベルの胸の痛みも少し和らぎます。


「すまんな、タユタ。」

「いえ。出過ぎた真似をしましたね。」


 タユタはそう言って席を立ちます。そして、ウリムベルに歩み寄ると、ドーナッツの袋を差し出しました。


「そろそろお暇させていただきます。これ、ご迷惑でなければ残りもどうぞ。」

「すまんな。あとでグダリエルといただくよ。」

「あっ……いえ! お喜び頂けたようであれば光栄です!」


 タユタからドーナッツの袋を受け取るウリムベル。感謝の言葉を告げると、タユタは照れ臭そうにしてから、嬉しそうに笑って背筋をピンと伸ばした。

 そのあと、少し照れ臭そうな表情に戻って、ウリムベルの顔色を窺うようにして尋ねます。


「あ、あと……もしご迷惑でなければ……。」

「ん? なんだ?」

「…………また、グダリエルにおやつを持ってきても構わないでしょうか?」


 またグダリエルに会いに来たいという事だろうか、グダリエルが思ったよりも気に入ったのだろうか、そういう風にウリムベルは受け取りました。


「いいぞ。」


 ウリムベルは快く認めました。

 タユタは再び背筋を伸ばして、嬉しそうに声を上げます。


「有り難う御座います!!!」


 そんなタユタに、グダリエルは歩み寄ります。


「タユタ、かえっちゃうの?」

「ああ。」

「……またあえる?」

「また来るぞ! おやつを持ってな!」


 その返事を聞いて、グダリエルは嬉しそうににっこりと笑いました。

 かがんで視線を合わせた後にグダリエルの頭を優しく撫でて、タユタもにっこりと笑い返しました。

 笑顔を交わし終えると、タユタはすぐに背筋を伸ばして立ち、キリッとした普段の表情に戻ってウリムベルに頭を下げました。


「では、失礼致します!!!」


 タユタは足早に魔王の私室から立ち去ります。

 結局これといった問題もなく、タユタとグダリエルの会合は終わります。

 グダリエルも懐いたようで、新しい友達?ができたようです。


 天使を置いている事は反感を買うのではないか。そんな不安を感じさせない今日の出会いは、少しウリムベルの考え方を変えました。


 いずれはこれを魔界全てにも広められるのだろうか。


 そんな事を考えながら、ウリムベルは名残惜しそうに扉を見ているグダリエルの横顔を見ていました。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る