第6話 魔界でも母は強し




 魔王ウリムベルは、天使グダリエルとの生活にもすっかり慣れてきました。

 彼女は天然でふわふわしていて常識に欠けていて、どことなく危なっかしい女の子ですが、意外と言いつけは守ります。

 彼女自身が納得がいかなければ何度でも聞き返したりして頑固になりますが、基本的には他者に思いやりのある良い子だとウリムベルは思っています。


 なんだかんだで今週を乗り切り週末がやってきました。今日は休日、魔王も業務のない日です。

 朝食を食ベ終わった後も身支度をせずに、新聞に目を通している事を不思議に思ったのか、グダリエルはウリムベルに尋ねます。


「まおー、今日のお仕事は?」

「今日は休みだ。」

「おー。」


 グダリエルは間の抜けた感嘆の声をあげました。そわそわして表情は嬉しそうに見えます。


「まおー。」

「なんだ?」

「お外に出てもいい?」


 ダメだ。……と即答せずにウリムベルは考えます。

 普段、ウリムベルの外出中は魔族に見つからないよう外に出ないように言いつけています。しかし、休日中も同じように行動を制限すべきなのでしょうか?

 他の天使達に見つけて貰うまで匿うつもりでいますが、それも先が見えません。その時までこの部屋にグダリエルを閉じ込めておくのは良い事なのでしょうか?


(それは少し可哀想か。)


 ウリムベルもできる事ならたまには外に出してやりたいと思いました。

 しかし、当然天使だと丸わかりな状態で連れ出す訳にもいきません。ウリムベルはグダリエルを見てみました。今日はこの前買ってやった水玉模様のワンピースを着ています。背中にはまるまるグダリエルの小柄な身体を包めるくらいの、大きな白い翼が見えていました。


(天使の輪っかはなくなってるから良しとして……この翼をどうにかしないとなぁ。)


 魔族に翼が生えている種族はいません。翼が生えていれば、一発で天使だとバレてしまうでしょう。グダリエルを連れ出すにはこの翼を隠す必要があります。


「グダリエル。その背中の翼はただんだりできないのか?」

「んあ? うー……むんっ。」


 口をぎゅっと結んでグダリエルが力を入れます。

 若干ですがグダリエルの翼がたたまれて背中の後ろの方に纏まりました。


「このくらい。」

「うーん。まぁ、それくらいだよなぁ。」


 当然、目に見えるくらいに翼は残っています。これではすぐに見つかるでしょう。


(服を覆っても盛り上がって隠せるものじゃないよなぁ。もっと、背中が盛り上がってても気にならないような……。)


 そこでウリムベルは思い付きます。しばらくアイディアを頭で整理した後に、グダリエルの方を見ました。


「好きな色とかあるか?」

「みずいろ。」

「そうか。すまん、グダリエル。今日は外に出るのを我慢してもらえるか?」

「なんで?」

「外に出る準備をさせてくれ。そうだな……明日も休みだから、明日じゃダメか?」

「わかった。」


 グダリエルは案外素直に聞き入れました。彼女は納得いかないと駄々をこねるので、ウリムベルはてっきりもう少し粘ると思っていたのですがあっさり了承したので驚きました。

 ウリムベルが驚いている事に気付いたのか、ほんの少し不満そうに口を尖らせて、彼の疑問にグダリエルは答えます。


「まおーはやさしい。いじわるでダメって言わない。だから、ぐだは言うこと聞く。」


 一週間程度一緒に過ごしただけ、とウリムベルは思っていましたが、どうやらグダリエルからの信頼を得るには十分な期間だったようです。

 子供の成長を見ているような気分になり、ウリムベルはなんだか目頭が熱くなってきました。


「うん、良い子だ。……それと、申し訳ないけど今日も留守番を頼んでいいか?」

「…………お外に出る準備?」

「ああ。あとはこの前の着られない服を、グダリエル用に仕立てる相談をしにな。」


 この前グダリエル用に買ってきたけれど、翼のせいで着られなかった服。

 あの後色々と調べてた結果「背中から腕を生やす」種族の、しかも仕立屋をやっている魔族を見つけたのでウリムベルは相談に行こうと思っていました。

 それのついでにグダリエルの外出に必要な変装用の道具を買いに行こうとも考えました。

 留守番を言い渡されたグダリエルは、やはり駄々をこねずに答えます。


「………………さびしいけどガマンする。」


 グダリエルはしゅんと落ち込むように言います。

 なんでか自分でも分からぬままに、胸が締め付けられる思いをしながら、ウリムベルは苦悶の表情で我慢しました。


「絶対に明日には外に連れて行ってやるからな……!」


 ウリムベルはかつて初めて戦場に出た時と同じくらいに覚悟を決めました。

 そうと決まれば善は急げ、とウリムベルは立ち上がります。


 外出の為に身支度を調えたり、仕立ててもらう服をまとめようと思ったその時の事でした。


 コンコンコンとノックする音。どうやら魔王の私室に誰かが尋ねてきたようです。

 ウリムベルはこれでも魔王、魔界の最高権力者です。

 休日に誰かが尋ねてきたところで、「今はダメだ」と一言言えば相手を黙らせられるだけの地位があります。

 今回の来客に対しても、ウリムベルはキッパリと会えないと突っぱねようと思っていました。


 その来客の一声が聞こえるまでは。


「ウリちゃ~ん。私ですよ~。」


 それは女性の声でした。おっとりとした間延びした声です。

 その声が聞こえた瞬間に、ウリムベルの顔が一気に青ざめました。


「…………母上。」

「ははうえ……まおーのママ?」


 母上。そう、その声の主はウリムベルの母のものです。

 

「やばいやばいやばいやばい……!」

「まおー?」

「グダリエル! どこかに隠れろ!」

「どこか?」

「トイレ……洗面所……いや、そこは使うかもしれないか? ……そうだ、クローゼットだ!」

「くろーぜっと?」

「いいから早く!」


 今までに無いウリムベルの焦りように、なんで?と聞かずにグダリエルはとてとてとクローゼットに向かいました。


「いいか? 絶対に音を立てたり出てきたりするなよ? 見つかったらまずい事になる!」

「ん、んあ……わかった。……まおーのママ、そんなにこわい?」

「…………絶対に静かにするんだぞ?」

「んあ……。」


 グダリエルはこくこくと何度も頷きました。ばたんとクローゼットの戸を閉めます。グダリエルが隠れたことを確認すると、ウリムベルは急いで入口へと向かい扉を開きました。

 そこには緑色の腰まで伸ばした波打つ長髪に、緑色の瞳の小柄な女性が立っていました。


「は、母上……ど、どうしたんだ急に?」


 とても成体になった魔族の母とは思えない、幼い見た目のにこやかな女性がウリムベルの母親"フウリン・ナタス・ギ・ラエブ"。先代魔王の妻となった女性です。

 この少女のような可愛らしい見た目とは裏腹に、かつての魔界にて"招雷しょうらい"と呼ばれ恐れられた魔人、先代魔王"トロルベル・ナタス・ギ・ラエブ"と双璧をなす"晴嵐せいらん"と呼ばれた魔族、"風精霊"です。

 穏やかそうな笑顔とは裏腹に、かつて先々代魔王の時代にはトロルベルと共に天使や人間との争いで暴れ回り恐れられたり、魔王になったトロルベルから魔王の玉座を奪わんと争いを仕掛けたり、魔界の一角を力と恐怖で支配して"もう一人の魔王"と呼ばれるくらいに恐ろしい存在だったりしました。

 なんやかんやいがみ合ったり共闘したりしている内にトロルベルと惹かれ合い、結婚するまでに至り、今では王妃としてすっかり丸くなりました。


 フウリンはうふふとお上品に笑いました。


「出てくるのが遅かったですね~。えっちな本とか隠してましたか~?」

「そんなもん読んでる訳ないだろ!」

「うふふ~、はいはい。」

「……そんな冗談を言いに来ただけではないのだろう?」


 フウリンはウリムベルの魔王就任に合わせて先代魔王トロルベルと魔王城から出て行き別居にて暮らしています。普段は魔王城に来る事はなく、顔を合わせる事も少ないです。たまにウリムベルが電話で呼び付けられる事もあるのですが、直接フウリンがウリムベルの元を訪ねる事はほぼありませんでした。

 わざわざ魔王城に来て、ウリムベルの元に来たのだから何か用事があるのでしょう。

 案の定というべきか、フウリンはにまりと笑いました。

 この笑みは何かを企んでいる時の笑みです。ウリムベルは幼少時から見てきたので知っています。


「ウリちゃんは最近、お食事は部屋で取っているみたいですね~?」

「ど、どうしてそれを!?」

「ママは何でもお見通しなんですよ~? ……本当はシェフのクククさんが教えてくれたんですけどね~。」


 母は先代魔王の妻であっただけあり、城内の魔族とはかなり親しいのです。ウリムベルは知らなかったのですが、何か変化があると情報は自然と彼女に流れていくのです。

 グダリエルの為に部屋で食事するようにしていた事までは、シェフにも伝わっていません。そこまではバレていないとは言え、グダリエルに絡む話が出たのでウリムベルは一瞬びくりとしました。

 しかし何故、そんな話を聞いたからと言ってわざわざ会いに来るのか?

 まさか気付かれたのか? 

 そんな不安に追い討ちをかけるように、フウリンは更に話を続けます。


「それと、最近だとお掃除も部屋に入れてないみたいですね~?」

「…………!」


 確かに、今までは部屋の掃除を清掃係に任せていましたが、グダリエルが来てからはそれを止めています。そこまでフウリンには伝わっていたようです。

 食事を部屋で取る、掃除を部屋に入れたがらない、それに気付いているのです。


「全部ママにはお見通しですよ~。」


 フウリンは得意気に言いました。


(……まさか、バレてるのか?)


 グダリエルを、天使を部屋に匿っている事。誰にも教えていない秘密に母は気付いている?

 母は思いきり天使とも争っていた事もありました。天使との争いが少なくなった今の世代の魔族以上に天使への敵対意識は強いでしょう。


(もしもバレていたら……?)


 何をし出すのかウリムベルにも分かりません。

 父と結婚してすっかり丸くなったと言われるフウリンですが、実際はウリムベルの幼少時にも過去の暴虐を垣間見せる事がありました。落ち着きはしましたが、かつての狂犬の牙はまだ抜けていないのです。


 ―――天使を守る為に母を止められるのか?


 ウリムベルは一瞬戸惑いました。


 ―――そこまでして天使を守る意味があるのか?


 自分がどうして、あの恐ろしい母に刃向かってまで、天使を守る事考えているのか、ウリムベルには分かりません。


「今日、ママが来た理由、分かりましたよね~?」


 それでも、ウリムベルは覚悟を決めました。

 グダリエルを守る為なら、母にでも刃向かってやろうと。





 フウリンは後ろから箒を取り出して、さっさと床を掃くジェスチャーをして、にっこりと笑いました。


「お掃除に来ましたよ~♪」

「………………は?」

「ほら、お部屋でご飯食べて、掃除も入れてないんじゃお部屋が汚れてるでしょ~? どうせウリちゃん、自分でお掃除できないのママ知ってますからね~。」

「………………えっと。」

「部下をお部屋に入れたくない理由があっても、お部屋は綺麗にしなきゃダメですよ~。ほら、ママなら入ってもいいでしょ~? だからお掃除してあげますね~♪」


 拍子抜けでした。


「えっちな本でも集めるようになったんですかね~? それで誰も部屋に入れたくないとか? 文字通りおかずを……。」

「違うわ!」


 グダリエルを隠す為に清掃係をしばらく入れていないので、噂を聞きつけたフウリンは身内として掃除をしに来ただけでした。

 ウリムベルは思い出します。そう言えば、昔から掃除好きで、無理矢理部屋に押し入っては掃除をされたものです。

 

(……なんだ、掃除しにきただけか。良かった。バレてな……)


 ウリムベルはハッとしました。


(よくねーだろ!)


 部屋を掃除されて、クローゼットまで覗かれたら……?

 そう、今隠しているグダリエルが見つかります。

 これじゃバレるのと同義です。危機は去っていなかったのです。


「じゃ、入れてくださいね~。」

「え……えっと……今日はちょっと用事があって……。」

「じゃあ用事に行っている間にお掃除しときますよ~。」

「そうじゃなくて部屋でやる事が……。」

「じゃあ用事している周りでお掃除しときますよ~。」

「集中したいというか……。」

「音も気配もなくしてお掃除しますよ~。ママは風精霊なので、そういう隠密行動はお手のものなのです!」

「…………あの……その……。」

「大丈夫ですよ~。どんな性癖でもママは息子を見捨てませんから~。」

「エッチな本隠してる訳じゃないって言ってるだろ!」

「じゃあ大丈夫ですね~。お邪魔しま~す。」

「おい待て!」


 捕まえようとするウリムベルの手をひらりとかわして、フウリンは易々とウリムベルの部屋に侵入しました。先程の会話で言った通りに、風を操る風精霊故に、音や気配を消した隠密行動や高速移動はお手の物です。歴代最強の魔王であっても捕まえるのは一苦労です。


 バン!とドアを開け放ち、ウリムベルの私室に侵入したフウリンは、キッと目つきを鋭くして部屋をクイックイッと見回しました。


「……ウリちゃんが隠してそうなところは……。」

「エッチな本を探す方が目的になってないか!?」


 慌てて後を追い掛けて後ろから掴み掛かって捕まえようとしますが、フウリンは風の流れからウリムベルの気配を読んでひらりとかわします。無駄に風精霊のスペックを活かして妨害を回避すると、右人差し指をぱくりと咥えます。

 そして、ウリムベルをひょいひょいと躱しながら、軽く湿らせた人差し指を目の前に立てると、魔法を発動させました。


「"風読み"ッ!」

「そこまでするか!?」


 ヒュウ、と穏やかな風が部屋中に吹き渡ります。魔法"風読み"風を走らせ、空気の流れから周囲の地形や敵を探知するマッピング魔法です。フウリンは魔法を使ってまで本気でウリムベルの部屋のえっちな本を探しに来ています。


「……どうやら風の届く範囲にはそれらしいものはないようですね~。定番のベッドの下はハズレ、と。」

「悪ふざけはそこまでにしろ!」

「ママはいつでも本気ですよ~。」


 フウリンは詠唱を始めます。風を部屋に走らせ、細かい塵などを巻き上げていきます。軽く戦場みたいになっているウリムベルの部屋の中で、親子の追いかけっこが始まります。


「掃除をするんじゃなかったのか!?」

「掃除もしてますよ~。ついでに、息子の性癖を探りに来ただけです~。」

「どうしてそんな事を!?」


 ひらりとウリムベルをかわして、フウリンはふぅと溜め息をつきました。


「ウリちゃん、全然浮いた話がないじゃないですか~? ママは孫の顔が見たいのですよ~。」

「それと今の奇行に何の関係が!?」

「好みの女性のタイプを探って、お見合いとか組んでみようと思って~!」

「余計なお世話すぎる!!!」


 両腕で飛び込むように掴みに掛かるウリムベルを、背中を向けた状態からのバック宙でウリムベルの頭を飛び越しながらフウリンがかわします。大きく飛び込んでバランスを崩しつつも、ダン! と右足一本でブレーキを踏み、凄まじいスピードでウリムベルも急激に切り返します。まるで舞う木の葉のように、ウリムベルをかわすフウリンの動きも大したものですが、それを追い掛けるウリムベルの動きも常人離れしています。

 追うウリムベルと、かわしながらエッチな本を探すフウリン。アクロバティックエロ本探しは次第に加速していきます。


 遅れを取っているように見えるウリムベルでしたが、実のところ彼も駆け引きを行っています。

 常にグダリエルが隠れるクローゼットには意識を向け、フウリンの意識がそちらに向きかける度に素早く詰め寄り意識を逸らしていたのです。それ以外は若干スピードを緩め、敢えて泳がせているのです。


(よし、うまく誘導できている……!)


 しゅたたん、と本棚の前を駆けながら、本のタイトルを流し見て、フウリンは高らかに「うふふ」と笑います。


「ウリちゃん……随分と鈍ってますね~。魔王のデスクワークで運動できてないんじゃないですか~?」


 フウリンが今度はデスクの方に向かって行くのを見て、ウリムベルは捕まえようとせずに加速し追い越すとデスクを守るように立ちました。


「おや~? 随分とそこが大切なようですね~?」

「…………くっ。」


 わざとらしく「くっ」と言ってますが、別に焦っていません。ウリムベルはデスクに見られてまずいものは隠していませんが、とりあえずそれっぽく誘導しているのです。じりじりとデスクの前に立つウリムベルににじりよるフウリンは、目の前で印を結びます。


「"瞬身しゅんしん"。」


 発動するのは"瞬身"、フウリンが得意とする高速移動の風魔法です。ウリムベルの目にも止まらぬ速さの魔法です。これを誘うのがウリムベルの狙いでした。

 見つかっては困るものに対して、この"瞬身"を使われるとウリムベルには止めようがありません。そこで、見られても困らないものに狙いをつけさせました。

 そして"瞬身"は連続して使えないという弱点があります。その隙をついてフウリンを捕獲しようというのがウリムベルの作戦です。


 ヒュッ! と風を切るような音と共にフウリンの姿が消えました。最前線を退いて尚、驚異的な速さです。

 ウリムベルが身構えデスクの方に意識を集中します。フウリンが"瞬身"を解いてデスクの中を見たチャンスを逃さないように。







「………………?」


 少し経ってもフウリンはデスクの前に現れませんでした。


「しまっ……!」


 そこで、ウリムベルは気付きます。

 ウリムベルもまた、フウリンによって誘導されていた事に。

 フウリンは、ウリムベルがデスクを守っている演出をしている事を見抜いた上で、敢えて自分がデスクを狙っている演技をしたのです。そしてフウリンの隙を狙おうと身構える、ウリムベルの隙を逆についたのです。

 フウリンの狙いは別にありました。最初に風で探りを入れた時点で、ゆっくりと"それ"を見る為の時間を稼ぐ方法を探したのです。

 ウリムベルは咄嗟にクローゼットに目をやりました。

 それが大きなミスでした。


「…………これって、女の子の服ですよね~?」


 声がしたのはベッドの脇でした。「女の子の服」、それを聞いてハッとします。

 フウリンが狙っていたのは「ベッド脇に置いていた紙袋」だったのです。それに入っているのは、ウリムベルがグダリエルの為に買ってきた女性ものの服……それを紙袋から引っ張り出して、フウリンはまじまじと見つめていました。


「あっ! そ、それは……!」

「これはなんですかね~?」


 にやにやしながらフウリンがウリムベルを見ています。


「もしかして、"好きな女の子への贈り物"……だったり~?」

「ちっ……違っ……!」

「もう~! ウリちゃんったら隅に置けないんだから~! 随分と小柄な女の子ですね~? エンゲちゃんではないんですね~。」

「う……おお……!」


 まんまとしてやられました。すっかりフウリンはウリムベルに彼女ができたと思い込んでいます。ウリムベルにはこの女性ものの服を持っている嘘の理由が思い付きません。

 ウリムベルが言葉に詰まっていると、ぴょんぴょんとスキップしながらフウリンは続けます。


「ママにも紹介してくださいね~♪ 可愛い子かしら~? う~ん、楽しみっ♪」


 もう彼女がいるって事にした方がいいのかな……などとウリムベルは考えました。別に紹介しなければいいし、なんならあの後別れたとでも言えばいいのかもしれない。そんな事を考えて気を抜いていたウリムベルは見落としていました。

 フウリンがスキップして移動した先がクローゼットの前であった事に。


「それじゃあ、ごたいめ~ん♪」

「んなっ!?」


 フウリンは勢いよくクローゼットの扉を開きました。

 得意気に振り返り、フウリンは不敵な笑みを浮かべます。


「ママは気付いていますよ。ウリちゃんがクローゼットから私を遠ざけようとしていた事に。ママが来た時にドタバタと慌てていた事に。クローゼットの中から誰かの息づかいが聞こえる事に。……そして、部屋に置かれた女の子の服……ここから導き出される答えはひとつです。」


 ばさりとクローゼットの服が掻き分けられました。


「ウリちゃんは、彼女ちゃんと部屋にいたッ! そして、ママに見つからないように彼女ちゃんをクローゼットに隠したッ!」


 ウリムベルは膝から崩れ落ちました。母の方が一枚も二枚も上手だったのです。完全敗北です。

 

「んあ……!」


 クローゼットの中で膝を抱えて丸まっていたグダリエルが、怯えた表情でフウリンを見上げます。

 その姿を見たフウリンが凍り付きます。

 グダリエルの存在が母にバレました。もうおしまいです。

 物語はここで終わってしまうのでしょうか。





「かわいい~~~~~~~~~!」


 甲高い声で「きゃ~!」とフウリンが叫びました。


「……………………えっ。」


 天使と戦ってきた母フウリン。彼女がグダリエルを見たら、天使は敵だと冷酷な判断を下すのかと思っていたウリムベルには想像もしていなかった言葉。

 フウリンはがしっとグダリエルを抱え込み、ひょいと軽々とクローゼットから引っ張り出して、ぎゅ~~~っと強く抱き締めておりました。


「かわいい~! 羽も髪の毛もふわふわ~! やだ~~~! ほっぺたもちもちする~~~!」

「んあ~! んあ~!」

「真っ白で綺麗ね~! かわいい~! いや~~~!」

「んあ~~~!」


 グダリエルが抱き締められながら撫で撫でもふもふすりすりされています。嫌がる猫みたいに鳴きながら抵抗していますがフウリンからは逃れられません。


「ちょ、ちょちょちょ……ちょ、ちょっと待て。」


 ウリムベルは未だパニック状態でしたが、少し落ち着いて考えます。

 フウリンが、かわいいと言いながら、グダリエルを愛でています。

 泣きそうなグダリエルを見て、ようやく状況を整理したウリムベルが急いで傍により、フウリンを捕まえます。


「い、いいいい、一旦落ち着け! 嫌がってる!」

「あっ、ごめんね~? あまりにも可愛かったから興奮しちゃった~。」

 

 唐突に冷静になってフウリンがグダリエルを放します。すると、チャンスとばかりにグダリエルはばたばたと地面を四つん這いで走って、ウリムベルの後ろに隠れました。


「まお~~~! まおーのママ怖い~~~!」


 グダリエルがウリムベルの服にしがみついてぴーぴー泣いています。


「ウリちゃん、その子天使よね? 何処で会ったの? しかし隅に置けないわね~。ちゃっかりこんなに可愛い彼女を部屋に連れ込んでるなんて。」

「ちょ、ちょっと待て! ちょっと待てって! 彼女とかじゃないし!」

「んも~! 彼女の前で彼女じゃないなんて可哀想じゃない! 別に照れなくていいのよ~? まだ内緒にしたいならママ黙ってるから!」

「そうじゃなくて! 一度説明させろ! 黙って聞け!」


 変な誤解を解くために、ウリムベルは最初からフウリンに経緯を説明する事にしました。




 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




「―――という訳なんだ。」


 話を一通り聞き終えて、フウリンはようやくにやけ面でなく、真面目な表情になりました。


「なるほど~、うん、大体分かったわ~。」

「本当に分かったのか?」

「お迎えがくるまでグダちゃんの面倒を見てあげてるって事でしょ~?」

「本当に分かってくれたんだな。」

「でもグダちゃん可愛いし、ワンチャンあったりしない?」

「ない!」


 冗談なのか本気なのか分からない事を言っていますが、フウリンも話を理解してくれたようです。


「ぶ~。ノリ悪いわね~。」

「はぁ……もう疲れた……。……しかし、母上。意外に怒らないんだな。」

「いいえ! ママ怒ってます!」

「えぇ……?」


 ぷんすかフウリンが怒るフリをします。本気で怒っていないのはそのわざとらしい態度から分かります。


「女の子と同じ屋根の下にいるのにいやらしい雰囲気にならないウリちゃんに怒ってます! ママははやく孫の顔が見たいんです!」

「グダリエルに変な事を吹き込むな。」

「半分冗談よ~。怒らないで~。」

「半分ってなぁ……。」


 フウリンはクスクスと笑います。そして、今度は真面目な表情になります。


「ええ、半分本当よ。ママは怒ってます。」


 急な切り替えにウリムベルはぎょっとしました。


「ウリムベルが、私が天使を嫌うと勝手に思い込んでること。」

「…………!」

「私は確かに戦争の経験者よ。でも、天使だからって嫌わない。私が戦っていたのは"天使という種族"じゃなくて"私と対立していた天使"だもの。天使をみんな同じになんて思ってないわ。……それに、"喧嘩"したくらいで天使まるごと嫌いになるなら、私は魔族も人間も大嫌いって事になるじゃない。」


 ウリムベルは天使と戦争していたフウリンは天使を嫌っていると思い込んでいました。しかし、彼女は種族ごと天使を嫌っている訳ではないようです。言われてみれば、とウリムベルは気付きます。確かにフウリンが過去戦った事のある相手は天使に限りません。魔族とも人間ともたくさん戦ったと聞いています。

 そもそも、今ではラブラブな旦那、先代魔王トロルベルも元々は玉座を巡って争った相手なのです。"戦争"を"喧嘩"と言うのは軽すぎるように思えましたが、フウリンにとってはそのくらいの認識なのでしょう。


 フウリンは正座して、姿勢を正します。


「ウリムベル。あなたの母上はいつだってあなたの味方です。そのつもりでいたのは私だけ?」

「…………いや。」


 ウリムベルも姿勢を正しました。

 母、フウリンはいつだってウリムベルの味方です。それはウリムベルも知っていました。

 父トロルベルは堅物で、とても厳しい王でした。幼少時から今に至るまで、ウリムベルがずっと苦手意識を持っているくらいに。

 そんな中でウリムベルの逃げ場になり、いつでも優しく慰めてくれたのは母のフウリンでした。

 親離れしたつもりになって、ウリムベルは忘れていました。

 ウリムベルはフウリンに向かい合い、頭を下げます。


「ごめん。」

「トロルベルにも部下達にも言い辛いなら黙っています。受け入れられない事もあるでしょうしね。」

「……うん。」

「私はその秘密をもう知りました。困ってるなら私に言いなさい。私にできる事なら助けになるから。」

「……うん。」

「あなた達二人の交際に文句があるやつは〇してでも従わせてあげるから。」

「……うん。……いや、うんじゃないわ。そんな事してくれなんて言ってないから。」

「半分は本気なのよ? 孫の顔も見たいし、グダちゃんなら可愛いから大歓迎だし。」


 どこまでが本気なのか、いつの間にか悪戯っ子のような表情を浮かべて、フウリンはクスクスと笑っていました。

 続けて、フウリンはひょいと横に顔を動かし、ウリムベルの後ろに隠れるグダリエルを覗き込みます。


「グダちゃ~ん? さっきはごめんね~? 怖がらないででておいで~?」

「んああ~……!」


 ウリムベルの背中からちょっとだけ顔を覗かせて、ウリムベルが威嚇する猫みたいになっています。珍しい反応をちょっと可愛いと思いつつ、ウリムベルは少し横にずれました。


「グダリエル。もう大丈夫だ。」

「……んあ。」


 ウリムベルに諭されると、素直にグダリエルは前に出ました。警戒していますが、フウリンと向き合っています。


「グダちゃん。ここに暮らしていて困る事はない?」

「……まおーがいろいろしてくれるから、困らない。」

「早く天界に帰りたいと思う?」

「…………………………。」


 グダリエルは黙りこくってしまいました。その反応にはウリムベルも戸惑います。

 ウリムベルはグダリエルがすぐに帰りたいのだと思っていました。魔界に落ちてしまった事自体、ただの事故だったのですから。元居た場所に帰りたいと思うのは当然の事だとウリムベルは思っていました。


 フウリンは黙りこくっているグダリエルの頭にぽんと手を置きました。一瞬びくりとするグダリエルでしたが、その手が優しく頭を撫でている事に気付くと、肩の力を抜きました。


「うん。分かったわ。じゃあ、魔界は嫌じゃない?」

「……わかんない。けど、魔界のごはんはとってもおいしくて好き。」

「うんうん。」

「まおーもやさしいから好き。」

「あらあら。」

「まおーのママは怖い。」

「まおーのママも怖くないのよ~? 優しいのよ~?」

「まおーも怖いって言ってた。」

「…………ウリちゃん?」


 ウリムベルが目を逸らしました。

 てっきり怒るのかと思いきや、ふぅ、と溜め息一つを挟んでフウリンは立ち上がります。


「ウリちゃん。もっとちゃんとグダちゃんとお話しなさい。そうね、どこかお出かけでも行けばいいかもね。」

「え?」

「まおー、今日準備したら、明日おそとに連れてってくれるって約束した。」

「そうなの。よかったわね~グダちゃん。」


 にっこりとグダリエルに笑いかけた後に、フウリンはウリムベルの顔を見ました。笑いはない、真面目な表情でした。


「あなたは本当は何がしたいのか。きちんと考えなさい。その結果、グダちゃんの為に何かをしてあげたいと思ったのなら。何が一番グダちゃんの為になるのか。きちんと考えなさい。その場その場で取り繕って嘘を重ねる事が本当に正しいのか。きちんと考えなさい。」


 ウリムベルの胸にその言葉はちくりと刺さります。

 彼にはフウリンの言っている事に、後ろめたい感情がありました。


「あなたはとても臆病で、とても優しい子だから。誰かの事をいつだって気にしてしまうけれど。少しはあなた自身の気持ちと向き合いなさい。分からなくなったら、困ったら、私に話してくれてもいいから。」


 そう言って、フウリンは優しく笑いました。


「…………あと、女の子の着替えを買うのはいいんだけど、下着も用意してあげなさいな。」

「あっ。」

「自分で買うのは大変でしょう。そういうものはママが買ってきます。いつでも言いなさいな。」

「……うん。ありがとう。」

「じゃあ、ママは帰りますね~。」


 フウリンはひらひらと手を振りながら部屋から出て行きました。

 バタン、と扉が閉じると嵐が過ぎ去ったような疲労感を感じながら、ウリムベルは「はぁぁぁ」と深く息を吐いて腰を落としました。

 結局、フウリンに対して抱いていた危機感は取り越し苦労だったようです。むしろ理解を示されて、手助けまでしてくれると言ってくれました。


「……敵わんなぁ。」


 ウリムベルはすっかり疲れてしまいましたが、明日にはグダリエルとの約束があります。準備の為に出かけなければと立ち上がります。


「……出鼻を挫かれたけど、これから明日の準備に出かけるから。グダリエル、留守番できるな?」

「んあ……。鍵は閉めていってね……。」

「お、おう……。」


 グダリエルはフウリンにトラウマを抱いたようです。



 何はともあれ一時は終わりと覚悟した突然の母の来訪でしたが、物語はまだまだ続きます。




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