6 ~蛇の踊り子と羊の賢者~(1)

 シモーヌが起こした「殺人未遂事件」。重大犯罪など滅多にないはずの静かなこの村で、オーリィのそれに続き立て続けに起こったこの事件は、しかしこの時一旦不問にふされ、村人には広く知らされなかった。

 無論、あの依怙贔屓を嫌うよだか婆ァのことゆえ、長老モレノにはすぐさま報告に行った。シモーヌにもしかるべき処罰を、と。だがそれは下されなかった。

 まず当の被害者であるはずのケイミーが頑強に反対した。

「元はと言えば、わたしの勘違いがいけなかったんです。あの樹をオーリィがお世話するのは、婆ァ様の方から頭を下げてシモーヌさんに頼んだこと……あの後そう聞きました。あの樹はりんご園の宝なんだって。あれを任されることが園長の一番の誇りなんだって。でもそれをシモーヌさんは、婆ァ様のお願いを聞いてオーリィに譲って下さったんだって。知らなかったんです。それで……わたし……シモーヌさんにいろんなひどいこと言っちゃって……何より……

 あの人に昔何があったのか、わたしにもよくわかりません、だけど……あの人はきっと前の世界で娘さんを亡くされた……そうとしか思えないんです。そんなあの人の前で、わたし偉そうにお母さんぶって……

 あんな悲しそうに泣く人、わたし見たことがありません。きっと深い訳があるんです。お願いします、今度のことは無かったことにして下さい!!」

 母性ゆえの今回のトラブル、ケイミーは守り慈しむ心が極めて強い。オーリィに対する保護欲が、今度はすっかり裏返ってシモーヌに向かっているのが一同の胸に迫る。

 そしてオーリィ。現に首枷の刑を甘んじて身に受けている彼女はある意味、シモーヌに対して最も声高に平等な処罰を要求できる立場のはずだが。

「わたしは悪い女です。ですからあの時、ケイミーさんにもしものことがあったとしたら……シモーヌさんへのお裁きなど問題にもならなかったでしょう。きっとこの場は、『わたし』の二度目の罪を、殺人を!どうお裁きになるかの話し合いになっていたことでしょうね」

 冷厳たる言葉つきでそう言い放って、その場の一同の肝を冷やした後。

「——けれど、お母様さえ無事でいらっしゃるなら。私はお母様の御意思を尊重いたします。あの高貴な方があの乱心、何かの間違いか、深い訳がある。お母様と同じく私もそう思います。長老様、婆ァ様、例えば。飢えて今にも死にそうな者がパンを一つ盗むのと、同じパンを、お金にちっとも困らないけれど盗みのスリルが捨てられない盗癖の持ち主が盗むのと。同じ罪に問える筈がありませんわ。そうですわね?

 私は私の悪い心、弱い心からして当然の刑を受けているのです。でもシモーヌ様はどうなのでしょう?あの方の抱えていらっしゃるご事情がわからないうちは、軽々に罰を下すべきではありません。第一……もうたくさん。

 この清らかな村に、こんな忌まわしい首枷付きの住人など!私一人で沢山でございます。二人目などいてはなりません、断じて!!」

 時には冷徹な魔女、時には慎ましくも慈悲深い聖女、そして時には誇り高き女神。オーリィはわずかの間に様々に変貌して見せる。そしてどの言葉にも人の胸に迫る力がある。すなわち一人で何役もこなす弁護団。

「なぁ長老、それによだかの婆さん、」そしてメネフはこう言うのだ。

「ズルいと思うかも知れねぇが、あん時は、集会室にはオレ達の他に誰にもいなかった。だから内緒にしておくことならいくらでも出来る……いや待ってくれ!」

 怒鳴りかけた婆ァをようよう押さえて「いつまでも、ってわけじゃない。すっかり握りつぶしちまうってんじゃなくてよ……長老、この件は一旦アンタに預かってもらうってわけにはいかねぇか?正式な処罰は、『然るべき時にあらためて』ってことでよ?」

 然るべき時、それがいつくるのか。皆が言う通りシモーヌに対する情状酌量の判断がつくまでということなら、シモーヌの告白が無い限りそれは永久に来ないことになる。メネフの言はもちろん、彼一流の「優しい詭弁」だと長老は思う。だが。

「ふむ、そうだなメネフ、そうしよう。婆ァ様、何事にも正々堂々を誓っていらっしゃるあなたのことです、御不満でしょうが……今回の場合、すぐに罪に処することがすなわち公平だとは私も思いません。それに。

 このまま訳も分からずに罪に落としてしまうことが、シモーヌを『救う』道とも思えません。オーリィの時と同じように、私にここはお任せ下さいませんか?」

「むむむ……」よだか婆ァは口ごもる。以前の世界で見世物小屋の化け物としていわれのない差別を受け続けてきた彼女は、誰をも公平に仲間として受け入れるこの村を、それゆえに誰よりも愛し誇りに思っている。人の名前を捨て、ただの「よだか」と名乗るようになったのもその証だ。だからこの村でその平穏を脅かす者には平等に罰が与えられなければならない、それが彼女の愛する村に対しての道義的な責任感。

 しかしそもそも彼女とて、感情面で言えば可愛い一番弟子を断罪などしたい訳が無い。あの悲痛な慟哭に、ケイミーに言われるまでもなく婆ァの胸も破られていたのである。

 そしてここまで沈黙を守っていたコナマが、最後にこう言って婆ァを促した。

「婆ァ様、今は誰より、シモーヌを信じましょう。彼女は強い、最後は必ず自分でけりをつけることの出来る人ですから」

 結局、一同の「助け舟」に婆ァは折れた。

「皆、すまん……モレノお前に任す。シモーヌをよろしく頼む」

 我知らず安堵のため息を漏らしながら。


「体調不良につき静養」という口実のもと、シモーヌは十日ほどりんご園に姿を現さなかった。無論それはよだか婆ァの命による「謹慎」である。だが、それに入れ替わるように園に再びオーリィが通うようになったことは、園の女達の疑念を掻き立てた。もともと園では総スカンだったオーリィのあの暴行と首枷刑の顛末、そして彼女が立て続けに起こした嵐の夜の騒動。普通に考えれば二度とりんご園に顔を出すなどありえない。それがなぜ?この際シモーヌが姿を消してよだか婆ァが園を仕切っている(それは単純にシモーヌがいなければ当然そうならざるを得ないだけなのだが)のも、女達の目には怪しく映る。婆ァがお気に入りの新入りのために、シモーヌを排斥しようとしているのでは、と。言葉には出さないがかなりの数の女たちがそう邪推し始めていた。

 そういう雰囲気は婆ァにもピリピリと伝わってくる。陰口の類が大嫌いな普段の婆ァならば即座に怒鳴り散らして詰問するようなこの場面だが、婆ァはわざと気づかないふりをしていた。下手に自分が騒げばシモーヌにまで疑いが及ぶ、そう心配してのこと。

(かわりにオーリィは余計に胡散臭く思われちまうだろうが、これまた下手に庇ってやることも出来ないしねぇ、困ったこった。

 でもあいつはまるで平気の平左って顔だがね。ああいうところは肝が太い……)


 園内のほぼ全ての女達から、疑義と嫌悪と敵意の眼差しを向けられている事。無論気づかぬオーリィではない。しかしそれはオーリィにとっては眼中になかった。それら冷たい視線をどこ吹く風とばかり、園内で水桶やひしゃくなどの道具を一人無言で調えると、園を出てあの大樹の元に通う。その繰り返しの毎日であった。 

 今日もまた、伝承の大樹の前に立ったオーリィは思う。

(当然でしょうね、あれだけのことをしてきたのだから。今更お仲間に入れて下さいなんて、わたしだって言えた義理ではないわ。そうそれに!嫌われるのも馬鹿にされるのもわたしは昔から慣れっこ。懐かしいわ、かえって居心地がいいくらい。

 そうね、わたしは——私は。ここに来てからの、村の皆さんの好意が怖かった。ありがたくて、嬉しくて、だけどいたたまれなかった。穢れた罪深い私に、皆さんが身分違いの厚遇をして下さることが切なかった。心ねじけた私には、シモーヌ様が私に向けて下さった苛立ちや怒りがむしろ心地よかった。私は——わたしはシモーヌさんに『甘えて』いたのだわ——私が家族にそうしていたように。

 でも、それがあの方を狂わせたのだとしたら……なんて恐ろしいこと。

 そう、それに私は……婆ァ様から信じていただいたことが怖い。大樹をお任せいただいたことの方が、園の皆さんの目よりもずっと怖い。

『私にしか出来ないことがある』、婆ァ様はそうおっしゃられた。でもそれは一体?こんな私に何が出来るとおっしゃるのです、婆ァ様……?)

 実際、大樹の世話といい手入れといっても出来ることがほとんど無いのだ。まず樹の周りの雑草を刈り、水を撒く、そして?健康な樹であれば枝葉の剪定なども出来ようが、それは摘み取り折れる「枝葉があっての話」ではないか。あとはここ数日、穴があくほど樹の様子を観察するばかり。

 しかしオーリィは所詮、一月ばかりのわずかな間、婆ァから果樹の手入れの初歩の初歩を学んだだけ。

(今の私が見てわかるようなことが、婆ァ様に、婆ァ様のお師匠だったサーラ様に、その他代々の過去の園長様方にわからないはずが無い。そう、シモーヌ様だって。確かにあの方は伝承をお受けにならなかった、でもあの方のことですもの、きっと気になって何度もここに足を運ばれたことはあるはず。婆ァ様がご自分以上のりんご作りの名人と口を極めてお褒めになるあの方に、何も見つけられないはずが無い。

『隠された秘密』。婆ァ様は私にそれを『えぐりぬく眼』があるとおっしゃった……何故です婆ァ様、私の眼のどこにそんな力が……?)

 オーリィがため息をついたその時、やってきた者がいた。

「オーリィ!……どう?何か……わかった?」

 ケイミーである。兎猟師の彼女は普段は麦畑の周りで害獣駆除も兼ねて兎や大鼠を狩っているのだが、その狩にかかる時間はいつもまちまち。朝から日暮れまでねばってもボウズの時もあれば、半日でその日の必要な獲物が捕れてヒマが出来る時もある。そんな時はそのまま麦畑で、あるいは他の野菜の畑などで農作業の手伝いをするのが常だが、それは彼女の自由裁量。ここ数日の「娘」の仕事ぶりが気になって仕方がなかったのであろう、空き時間の出来たその日、初めてオーリィに声を掛けに来たのだった。

「それが……何も」

「そう……そうだよね、難しいよね」

「婆ァ様のお泣きになるお顔があんまり切なくて、ついお受けしてしまった大役ですけれど……どこから何をしたらいいか、まるで見当がつかないんですの」

「う~ん……あたしも力になってあげたいけど……困ったよね。前の世界ならさ、樹の病気に詳しい人とか、専門家がいたんだけどね。樹木医っていうのかな?だれかそういうさ、聞ける人がいればいいのに……わからないことはさ……」

 その時。オーリィがその奇怪な両眼をくわと見開いた。

「『人に聞く』……!!それだわ……それですわお母様!こんな私にも、出来ることが一つあった!!

 お母様、是非力をお貸しくださいませ!あなたがいて下されば……あの時のように、『最後までやり通せる』……是非!!」

 オーリィが突然何を思いついたのか。驚きはしたものの、根問いするようなケイミーではない。即座に力強く頷いて娘の手をとる。そして二人は大樹の前を去った。


 次の日。村にいくつかある大通りの一つ、そのやや端に。オーリィとケイミーの姿があった。彼女らの背後遠くには、あの荒れ地への絶望の出口。今いるそこは、ようやく家々がまばらに立ち始める実質上の村の端だ。向かう先は村の中心、村にいくつかある大通り(と言っても道幅は知れたものだが)は、ほぼ全て最後には役場に達するように走っており、この道も例外ではない。

「この辺りからでいいですわね。大分寂しいところですけれど、網は広くかけた方が、ね。それに練習にもなりますから。度胸試しにはこの位の所の方が」

「うわ……あたし緊張してきちゃった……ホントにやるのオーリィ?」

「もちろん。だって、私には——わたしに出来るのはこんなことだけ。『誰もやらないような馬鹿げた方法』だけ。それしか無いなら、やるだけ!」

 その場の二人のいでたちは甚だ奇妙であった。オーリィは大きな毛布をマントのようにすっかりまといその身を覆っている。それも常ならない姿だが、見えている顔はどうだろう?その派手で奇抜な、極彩色の化粧。自慢の長い紫の髪には、これまた極彩色の紐やリボンがいくつも結ばれ、あたかも何かの祭礼の飾りのよう。

 一方ケイミーはと言えば、両手に鈴のたくさんついた棒。見れば服のあちこちに同じような鈴が縫い付けてある。

「昨日の打ち合わせ通り。お母様はわたしに合わせてにぎやかに鳴らして下さいな。笑顔をお忘れなく、ね?では……始めますわ!!」

 オーリィはマントの前を大きく開いた。その隠されていた姿。

 身に着けた衣類は、わずかに胸を隠す巻き布と丈の極く短い腰巻のみ、それも様々な色にまだらに染められたもの。手足にはこれまた紐やリボンが怪鳥の羽の如く結ばれ、そしてもちろん、首にはあの禍々しい咎人の真っ赤な首枷。人の左半身と、鱗におおわれた爬虫類の右半身を、極彩色の装飾で飾られたその姿。

 さながら。荒れ果てた村境に現れた、美の怪物。

「さぁ皆さま!お聞きくださいませ、しばしお目を、お耳をお貸しください!このわたしのひと時の楽しいショウに!!」


 オーリィが市場で歌い始めたのは、この日から後のこと。

 その日響いたその歌声が、村の歌姫の最初の歌声であった。(続)

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