7 ~蛇の魔女と毒虫の女王~(3)

「グノーの親方、ちょいと邪魔するよ!」

 その日、アグネスがオーリィを連れて来たのは、グノーの鍛冶場だった。彼は通常この仕事場と役場を一日おきに勤めるのだと、オーリィはアグネスから聞いていた。

 アグネスは返事を待たず戸を開けて踏み込む。鍛冶の仕事場は、今まさに仕事の佳境であった。室内に充満する熱気。扉に背を向けて座っているグノー、右手に槌、左手に灼熱した鉄をつかんだやっとこ。彼の向かい側には一人の若者がいて、彼も槌をとり、グノーと交互に真っ赤に焼けた鉄を叩いている。

「アグネスさんです」弟子の若者が、叩く手を止めずすばやくチラリと見てそう伝える。グノーからは戸口が見えないのだ。

「気が散る!外で待っておれ!大してかからん!」

 入って早々追い出される。アグネスはひょいと肩をすくめた。

「なぁに、いつも通りのことさ。親方は役場じゃ話のわかるのんきないい人だけど、ここじゃ仕事の鬼でね。ま、待つしかないってこと」

「あの……アグネスさん?なぜ?何をあの方に?」

「始まったねぇ、あんたの『なぜ・なに』!そうだよ、それでいいのさ、昨日みたいにうじうじ萎れてるよりずっといい。親方にね、ちょいと借りたいものがあるんだ……あんたを樹の上に登らせる道具をね……」

 思わせぶりなアグネス。万事単刀直入な彼女らしからぬ態度だが、この時は。

(じらした方が、このコはもっとその気になるからね。フフ、目の色が変わってきたじゃないか。その調子その調子!)

「あの?それはいったい?!」

「入れぇ!!」

 オーリィが急き込んだ瞬間、戸の中からグノーの大声。

「おっと、お呼びだよ!」

 オーリィの追求をひらりとかわし、アグネスは室内にさっと駆け込む。足がもつれてたたらを踏みながら、オーリィは慌てて追いかけた。


「よう来た。久しぶりだなアグネス。それにオーリィはここは初めてか?」

 最前の不愛想な応対とは一転、グノーは役場で見せる「のんきないい人」の顔に戻っていた。鍛冶の仕事は真剣勝負、さりながら、長老の補佐役として村人の声に親身に耳を傾けるのも己の重大な使命、彼はそう心が据わっている。切り替えが早いのだ。

「どうぞ」と、先ほどの弟子が二人にさっと茶をふるまう。こちらも手慣れたもの。

「早速だけどね」だがアグネスはその茶に手をつけない。

「親方、採掘で使った縄梯子と滑車、あれを貸してもらえないかい?しまってあるんだよね?」

 かつて、アグネスがゾルグと共に参加したという、鉄の採掘。荒れ地に埋まった「遺構」から鉄材を切り出すためには、時に深い縦穴にも潜らなければならない。そしてその為の梯子や滑車は使い捨てではなく、点検・手入れをして数年後の次の採掘まで出番を待つのだ。

「ほ?縄梯子に滑車?ふむ……確かに、ここの物置にしまってある。確かめる必要はあるが、痛んではおるまい。充分使えるはずだ。貸すのはかまわん、だが話によるな。何に使う?」

「この子が樹に登る!そのために使うのさ」

 言われたグノーも指をさされたオーリィも、共に目を丸くした。アグネスが大樹にまつわるいきさつをかくかくと説明すると。

「なるほど。オーリィ、この間広場でベンと話をした一件は、そう繋がるのか。で、お主も虫退治に参加したいと?自分の手で?ふぅむ……」

 グノーはオーリィの眼をじっと覗き込む。オーリィがこの世界に現れた時、彼女がその神秘的な両眼を開く瞬間を、初めて見たのがグノーだった。

(この娘、あの時は本当にどうなることかと思ったが。それにこの首枷、まだまだ不安なところもあるが。だが……今はいい眼をしておる)

 新入りへの「声掛け」の名人は、村一番の人情家なのだ。

「よかろう、梯子は貸してやる。ただしアグネス、お主が責任を持って先に小手調べを、練習をさせるんだ。オーリィが梯子を使えるかどうかキチンと確かめろ。オーリィ、お主も梯子が使えなかったら、このやり方は諦める。下手に意地を張って怪我でもされたら一大事だからな。わしがケイミーに蹴殺されるわい!よいな?」

「ありがたいねぇ、流石親方、話が早い!……いただきます!ふぅ、美味い、お弟子さんの淹れてくれたこの茶!あたしは猫舌だから冷めるのを待ってたんだ」

 一息で飲み干して、アグネスは椅子から立ち上がった。その時すでに。

 オーリィは早くもドアを開けて、戸口で立っている。待ち遠しそうにもじもじと体をくねらせて、そして。

 テーブルの上の、オーリィのために淹れられた茶は、口をつけられていなかった。


「さささ、【大先生さま】、お茶をどうぞどうぞ!」

 その時ベンは困り果てていた。羊の瞳をしょぼしょぼと所在無さげに瞬きしながら、もじもじと肩をゆすっている。

「お、俺……そんなに偉くない、です、どうか……やめて……」

「いぃぃぃぃぃぃぃんや!あなたは大樹の救い主、名医の大先生さま。どうかご遠慮なさらずに、このババアをあごで使ってくださいまし!

 ……お肩でもお揉みいたしましょうかいな?」

 午後の小休憩、大樹から降りて車座になってくつろいでいる一同の間で、チョコマカと世話を焼く小さな体の老女。他でもない、あのよだか婆ァだ。

 大樹の救済・再生を生涯の使命と誓いながら、これまで長年手がかりすら掴むことの出来なかったよだか婆ァ。その原因が判明し、害虫駆除作業が始まったとなれば、婆ァとしては当然、居てもたってもいられない。が、初日、二日目は「お邪魔になっては……!」と、歯を食いしばって我慢していたのだという。

 三日目の今日で、それもとうとう限界。このよだかも何か一つお役に立たねば、サーラ様にあわせる顔が無い!その一心で。その朝、よだか婆ァは夜の明ける前から一番乗りで大樹の下で皆を待ち受けていたのである。

 そして作業となると。オーリィとアグネスが不在の中、地上の雑用係だったはずのケイミーからとっとと仕事を奪い、水桶を運び、虫篭を用意し、茶を淹れる。

「ええい、このひよっこ!お前はね、樹に登れるんだから!下でグズグズしてないで、【大先生さま】達のお手伝いをするんだよ!」

 そう。婆ァにとってベンは【大先生さま】。彼女の心の中で、今やあのサーラと並ぶ大偉人、大恩人。その端女となって仕えるのが嬉しくてたまらないという風情。

 だが謙虚で腰の低いベンにとっては、よだか婆ァのその大仰な敬意がたまらなく居心地が悪い。相手は村の最古老、自分にペコペコ頭を下げさせるなど、彼にしてみれば申し訳ないにも程がある。へどもどしている様子に、ゾルグは言う。

「いいじゃねぇかベン、こうなったら年寄にゃ好きにさせてやれよ。それでこの婆さんは嬉しいんだから、ドンと構えて世話になれ。それが敬老だよ、敬老!」

「そうそう!お弟子さん、あんたいいことを言ってくださった。敬老!敬老ですぞ、大先生さま!」

(いやまぁ、確かに最初にオレが自分で『ヘッポコ弟子』とか言ったが、この婆さんには、すっかりベンのお弟子にされちまったな)

 クスリと苦笑いを漏らしつつ、それも悪くないと思うゾルグ。ベンは彼にとっても親友であり恩人だ。普段森にこもって誰からも褒められることなどないベンが、人に賞賛されている姿は自分事のように鼻が高い。

(それにまぁ、この達者な婆さんが下の仕事をしてくれりゃ、ケイミーも上に上がれる。いいことづくめだ。ただ、オーリィちゃんのやることが無くなっちまうが……)

 と、ゾルグが軽く首をひねって思案顔になった、丁度その時。

「ようみんな!今日は済まなかったね。だけど!いい知らせがあるよ、これで戦力大幅アップだ……なぁオーリィ?」

 アグネスに腰をどやされながら、あらわれたオーリィの顔は戦意に紅潮していた。


 最初に、オーリィは彼女独自のあの巣穴探索術を皆に披露した。

「こいつはまいった!こんな手があるとはな、なぁベン!」

「む、すごい……」

 長年の経験、今でこそ容易に巣穴を見つけているベンだが、それが本当は簡単では無いことは彼が一番よくわかっている。この虫の存在を初めて知ったのはほんの偶然のきっかけ。木登りに使うスパイクが巣穴に刺さったからだ。だがその後、自分の眼で巣穴の蓋を樹皮の上で自在に判別できるようになるまで、彼は実に数年を要していたのだ。

 ならば目ではなく、臭いで。無論それはオーリィの特殊な獣の力があっての事だが、その奇抜な発想にベンは素直に目を剥いて驚きを露わにしていた。

「さぁて、そこでだ」アグネスが切り出す。

「せっかく巣穴が見つけられてもこのコが樹に登れないんじゃダメだ。

 そこで、これだ!」

 二人が荷車で運んできたもの、縄梯子と滑車。

「ケイミー、あんたがいいな。済まないがこの滑車をさ、樹の上のどっか頑丈そうな枝に仕掛けてきてくれないかい?んで、このロープを垂らしてきてくれ」

 車を挟み、上下に大きな鉤の付いた滑車。それを受け取ったケイミーは、疑い深く首をかしげてアグネスを見返した。オーリィが樹に登る。如何なる方法かはさておき、愛娘に危険があることではと、彼女は不安顔。

「フフ、大丈夫だよケイミー、心配すんな。実はね、さっき二人でちゃあんと練習してきたんだから。あんたも見たらびっくりするぜ?このコの木登り。どうだい?」

 あんたも見たくないかい、と。アグネスは視線でケイミーを促す。そして。

「お母様!どうかお願いします、私を、大樹の空に行かせてくださいまし!」

 その言葉は絶対の駄目押しだった。ケイミーはもはや返す言葉もない、弾かれたように大樹に駆け寄って幹に飛びつく。背に担がれた滑車は鉄製の頑丈なもの、そして腰にぐるぐると巻き付けた一本の太いロープ。だがその重さをケイミーはものともしない。あっという間に大樹の上から三分の一程の高さにたどり着いた。

「そうだね、梯子がそこそこ重いから、丈夫な枝じゃないと支えられない。その辺の枝がいいね、太さがある。上の鉤を枝にひっかけて。車にロープをかける!ちょいと押さえててくれ、あたしも上がる!」

 樹上に上がったアグネスは、懐から分銅のような重りを取り出した。

「コイツをロープの端に結んで、で、ロープを手繰ってゆっくり下におとす、と……いいね!おおい、ベン、ゾルグ、その梯子をロープに結わえて……」

「皆まで言うな!こうだろ?んで、オレとベンで反対側を引っ張る!いくぜベン!」

 滑車によって、縄梯子はするすると樹上に巻き上げられていく。

「来た来た……よしつかんだ!で、この梯子を滑車の下の鉤に引っ掛けて、っと!」

 大樹の幹を這うように下げられた縄梯子。採掘で用いられて来たそれは見るからに頑丈で、オーリィの体重を支えるには充分そうだ。

「よし、準備OK……オーリィ!さっきの通りだ、みんなにみせてやれ!!」

 カツカツと、はやる心を抑えながら、オーリィは梯子に取り付いた。

 アグネス以外の全員が息を呑む。

(見たところ、仕掛けはしっかりしている。あの滑車とこの梯子なら切れたり落ちたりはしないだろう。枝もいい。だが……?)

 ベンは胸中で思う。

(本当に登れるのか?縄梯子、あれは不安定なものだ。使うのは見た目ほど簡単ではない。体重を支えるのにもかなり力が要る……いや、それに、それ以上に……)

 もう一つ、彼にとっては当然の、ある重大な疑問。そしてさらに。

「何だぁ?オイオイ、オーリィちゃん、あんた梯子の使い方知らねぇのか?!」

 オーリィの奇妙な所作。左腕を梯子段の間に深く突き入れる。そう、肘の内側で梯子にぶら下がっている格好だ。

 こりゃ止めた方が、と焦る顔のゾルグに、オーリィはちらと振り返って落ち着いた顔で軽く頷きを一つ。

「……そっか……いいんだよ、オーリィ、アナタならそれでいいんだよ!」

 樹上で見つめるケイミー。彼女の猛禽の眼は遥か下のオーリィのその姿を鮮明にとらえている。ゾルグとは逆に、その顔にこみあげるのは、期待。

 一呼吸。

 オーリィの体が宙に飛んだ。地上にいた三人にはそう見えたのだ。ぐいと左腕を引き絞ると彼女の体はそれだけで高く跳ね上がる。伸びあがった右手が梯子の上の段をつかむ。つかんだはずだ。だがその動作は目にも止まらない。理屈としてそう動いているはず、だが速すぎて見えない!そうして右手が手繰り寄せた段にオーリィは深々と左腕を挿し、体を引き上げる。

 抱いたものを決して離さない、タガメの左腕。

 恐るべき速さで抜き手を繰り出す、蛇の右手。

 この村でも極めて珍しい、二つの違った獣の力を備えたオーリィが、その力を連動させた、奇跡のようなその技。滑るような動きで梯子を上っていく。

「速ぇ!!うそだろ……足を使ってねぇぞ!腕だけで上がれるのかよ!スゲェ!!」

「ああ、す、すごいな……」

 ベンの驚きはしかし、ゾルグとは違う点にあった。

(彼女は、恐ろしくないのか?揺れる梯子が、あの高さが……まるで躊躇が無い!

 あの胆力、長年樹の上で働いて来た俺以上だ……確かに、すごい!!)

 そしてついに。オーリィは、ケイミーとアグネスの待つその梯子の最上段にたどり着いた。ケイミーの差し出した手と、オーリィの伸ばした手が、一つに繋がる。

「オーリィ!すごいよ、アナタはすごい、私のオーリィ!」

「ああお母様……ようやく来れた、あなたと同じ空の上に!私は一人じゃない!」

「オーリィ……」そして。見上げるよだか婆ァが食いしばった歯の隙間から呻く。

「選ばれたんだねぇ……お前は……神様にじゃない、悪魔でもない、この大樹に!

 うらやましいねぇ、でもうれしいね。あたしを超える弟子が、もう一人。

 ……なぁシモーヌ、聞こえるかい?ああそうさ、どっかで聞いてるんだろう?」

 婆ァのその呟きは、風に乗って消えていく……


 その日の日暮れまでの時間、オーリィはベンと組んで作業の手順をみっちりと教わった。他のメンバーが帰り支度を始める中、二人だけで樹上に残って。

「……と。これでひととおりわかったね?ただ、君は自分で虫の巣穴を探せる。だから明日からはケイミーかアグネスと組んでもらって、虫を捕まえるところまで君がやって、穴を塞ぐ作業をもう一人にしてもらえばいい。

 これからは一人が交代要員として、二人組で二チーム同時に上がれる。確かに能率アップだ。頼もしい。

 ただ、巣穴探し係には一つ、覚えておいてもらいたい大切なことがあるんだ」

 熱心なオーリィの指導にベンも同じく熱が入る。その口調は極めて流暢。

「何ですの?」

「カミキリムシの【女王】。この樹のどこかにいる。そいつを早めに、確実に仕留めたいんだ。この虫は……」

 ベンは言う。カミキリムシの幼虫の姿をしているが、実は全く違う生き物。

「それはこの間言った通りだ。『全く違う』というのは根拠がある。我々が以前の世界で知っていたカミキリムシというのは……見たことがあるかい?細長い体で触角の長い甲虫の一種だ。だがここの、この虫は違う。この虫は一匹の雌が芋虫の姿のままで卵を、仔を生むんだ。そんな『カミキリムシ』など前の世界にはいない。

『ネオテニー』なのだろうか?成虫にならずに、幼虫の姿のままで性成熟するらしい。そしておそらく単為生殖。その一匹だけでどんどん仔を増やす。ゾルグに聞かれると気がひけるが、そう、シロアリの女王のような個体がいるんだ。今この大樹の、どこかに!

 わかるね?そいつを見つけなければキリがないんだ。いつまでたっても虫退治が終わらない。だから確実に見つけて、しとめる!

 とはいえ、女王の探し方に上手いコツがあるわけじゃない。ひたすらコツコツつぶしていくだけなんだが……女王はその名の通り、他の虫よりも少し大きい。逆に言えばその程度の違いしかないからやっかいなんだが……だからオーリィ、虫を捕りながら、この虫は、この巣穴は何か違う、おかしいというのが見つかったら、俺に教えて欲しい。大切なことと言ったのはそのことだ」

「……わかりましたわ。女王を見つけて確実に殺す、ですわね。そのために、変わったことがあったらすぐにお伝えする……」

 その時。伝えたベンも、頷くオーリィも、予期していなかった。

 大樹に巣くうカミキリムシの【女王】……

 その、おぞましい姿を。(続)

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