7 ~蛇の魔女と毒虫の女王~(4)
「ばかな!これが、これがカミキリムシの巣穴の蓋だって?!これが!!」
穏やかで寡黙な森の賢者、「だんまり羊の」ベンが、常ならぬ声で叫ぶ。
「だったら……この巣穴の虫は……ありえない、こんなやつがいるだと!!」
オーリィが樹上の作業に加わり、よだか婆ァが樹下での細々した世話焼きを引き受けたことで、駆除作業はぐっと能率を上げた。巣穴の蓋を見分けることの出来る者が増えたのはこの際大きい。オーリィは梯子から離れる訳にはいかないのが若干のハンデだが、そのかわり彼女のあの「舌」はスルスルとどこまでも伸ばすことが出来る。そして巣穴のありかを相方にトントンと舌先で叩いて伝える。樹上で誰よりも自由自在なケイミーと組めば、それこそベンとゾルグの熟練コンビにも能率はおさおさ劣らなかったのである。
いや、何よりも。一人樹下で歯がゆい思いをこらえていたオーリィにとって、樹上で自ら虫退治に参加できるようになったことは、文字通り天にも昇るように晴れがましく喜ばしかった。ゆえに作業にかける熱意はチーム随一。休む間を惜しむほど。
そしてよだか婆ァの存在。はりきり屋の彼女は実に達者に働く。毎朝、夜明け前に起きて園のあの井戸から大きな水桶に水を汲み、荷車に載せて大樹の下へ運ぶ。実はそれは壮者でも少々骨の折れる作業なのだが、婆ァはむしろ嬉々として言うのだ。
「なんのこれしき!力なんぞ少々足りなくても、その分早起きして休み休みのんびり運べば。朝の散歩代わりで気分がいいわい!」
結果、現場には婆ァがいつも一番乗り。
アグネスの発案で、大樹には小さな滑車とロープの仕掛けがいくつか取り付けられた。虫を穴から追い出すために革袋に水が要るが、使えば当然空になる。捕った虫を入れておく籠はすぐにいっぱいになる。最初はそれらをいちいち樹下におりて交換していたが、時間と体力の無駄がはなはだしい。滑車で入れ物を吊り上げ吊り下げて交換すれば、皆が樹上に留まることが出来るではないか、と。
その仕掛けが整うと、地上のよだか婆ァは早速ロープを器用に操り始めた。空の水袋を受け取り、水を入れて樹上へ上げる。虫の入った籠を受け取り空の籠を上げる。くるくると実にまめな働きぶり。
そしてまた。休憩時間にはお茶汲み係となって皆の世話を焼くのだ。
そんな婆ァの顔はかつてない充足感に満たされていた。彼女は大樹に奉仕が出来ることが堪らなく喜ばしい。やがて彼女は、愛して止まない園から自らを放逐しなければならない。そう心に決めている。すなわちこれは最後の使命、だからこそ。
(大樹が、サーラ様が。あたしにこんな嬉しいはなむけを下さった。ありがたい……ありがたい!)
オーリィとよだか婆ァ、二人のそうした思いは他の仲間にも諄々と伝わり、その場はいっそうの活気を増していったのである。
かくて、順調な作業が数日ほど続いたある日。
「ヒャッホウ!」ゾルグが樹上で嬌声を上げた。「取ったぜ、大将首!女王だ!!」
その声で、彼を含む樹上の全員が降りて来た。
「む……確かに、これ、女王。やったなゾルグ」
囲繞する仲間たちに、掌の上の一匹の芋虫を見せびらかすゾルグ。ベンがそれを覗き込んでコクリと大きく頷いた。
「こ、これで一安心。一本の樹に、女王は、必ず一匹。まだ虫は、かなりいるが、こいつ、さえ、仕留めれば。も、もう虫は増えない」
ベンから厳重に注意して探してくれと言われていた、虫の女王。それはいかなる姿なのかと、オーリィは最初から気になって仕方がなかった。それが発見されたと聞いて彼女は早速食らいついた。ゾルグの掌に顔を近づけ、その虫を凝視する。
「これがカミキリムシの女王なんですの?ああ、このお尻が膨らんでいるのが?」
「ああそうさ、オーリィちゃん。卵をどっさり腹の中に抱いてやがるんだ。こうやって陽に透かしてみるとな?」ゾルグは虫をつまんで太陽にかざした。「丸い粒が尻の膨らんでるとこにゴロゴロしてんのが見えるだろ?」
「まぁ……本当ですわね、卵が沢山……おめでとうございます!大将首ですわ!!
でもちょっと悔しい……私も狙っていましたのに。先を越されてしまいました」
オーリィが朗らかに微笑みながら、いたずらっぽくそう言う。まんざら嘘でもない、彼女は負けん気も強いのだと、仲間たちは知っていた。
「そこはそれ、キャリアの違い……と言いたいとこだが、ぶっちゃけ運だな。
ハハ、悪ィなオーリィちゃん、今日の所はオレに華を持たせてくれ、『大先生さま』の一番弟子に!ハハハ!!」
オーリィに自慢げな笑顔で返事をかえし、片手でベンの背中をどやしながら。ゾルグはその時、得意満面だったのだが、作業を再開して間もなく。
「おいベン!それにみんな!コイツは大変だ!!」
またしても樹上に響くゾルグの大声。しかも今度は何やら慌てている。
「こんなことがあんのか?女王だ、また一匹、別の!!」
再び、樹下で一同顔を寄せての作戦会議。誰の表情も一様に困惑に染まっている。
カミキリムシの女王。一本の樹に通常一匹しかいないはずのそれが、同じ樹で立て続けに捕獲されたという、その異常事態。
「……こんな事は初めてだ。だが、確かにこれも女王、間違いない」
ベンが「静かに」語る。彼の興奮はその滑らかな語り口でかえって明らか。
「おそらく、この樹が特別なのだと思う。カミキリムシの防波堤として植えられたこの大樹、虫にとっては特別に良い環境なのかも知れない。だから複数の女王が、つまり複数の群れがこの樹に巣くっている……そうと考えるしか」
「チッ、この虫どもめ馬鹿にしやがって!」
二匹目の女王の出現にゾルグは愚弄された気分なのだろう。せっかくの大手柄にケチをつけられた、と。すっかり不機嫌な顔つきになって悪態をつく。
「棟梁、気持ちはわかるよ。でもこうなったら仕方ないじゃないか。こうなったら、もうこの樹に女王ってヤツが他にいるかも知れないってこと、何匹いるかも見当つかない……そうだろベン?」
アグネスの問いにベンは深くうなずきを返す。一同の困惑顔に、落胆の色が濃く混じりだした。だがただ一人。
「何匹いようと、女王だろうと普通の虫だろうと!根絶やしにするだけ。狩るのよ、徹底的に。それしかないわ……!」
眉一つ動かさず、オーリィはそう言い放つ。仮面のように凍り付いた顔、ただし、その両の眼には、苛烈な怒りの炎が灯っている。
(婆ァ様の愛するこの気高い大樹、それを侵し傷つける醜い薄汚い虫けら。許さない……どれだけはびこっていようと、この『わたし』が!)
「わたし」。オーリィの中に潜む「もう一人の彼女」、激情の高まりと共に目を覚ます魔女。戸惑う仲間達を一顧だにせずくるりと踵を返し、オーリィは大樹に向かう。慌てて後を追うケイミーが大樹の幹に取り付いた時には、オーリィはその恐るべき両腕の回転によって、既に高い縄梯子を登り切っていた。
「オーリィ!!いい加減に降りてきな!!」
二匹目の女王が発見されたあの日以来。オーリィの樹上での作業は熱心を越え、鬼気迫る振る舞いが目立つようになっていた。よだか婆ァから朝の一番のりをとって代わり、婆ァが夜明け丁度に大樹に現れた頃には、彼女は既に樹上にいる。そして虫を捕まえてくれる相方がいない朝の間、彼女は発見した巣穴の蓋に炭の小さなかけらで次々と印を打つ。自分で虫を捕まえることももちろん出来るのだが、一人では水と虫篭の交換のため梯子を降りなければならない。それが彼女にはひどくもどかしいらしいのだ。仲間が集まれば、朝一番にその日の作業の段取りのためちょっとした打ち合わせがある。その時は流石にオーリィも降りてくるのだが、いらいらと落ち着かない様は誰が見てもわかる。そしていざ解散、作業開始となれば、オーリィは容易に梯子から降りようとしない。水筒代わりの革袋に蛙を一匹忍ばせ、樹上でそれを呑む、それが食事。あとは一日中、日暮れまでほとんど休む間もなく彼女は巣穴を探し続ける。そんなありさまが2,3日。
とうとうよだか婆ァの堪忍袋の緒が切れた。その小さな体のどこを響かせるのか、婆ァの怒鳴り声は大樹のてっぺんまで轟くかのよう。さしものオーリィもはっと驚き、大人しく降りて来た。
「まったく!お前はね、その、頭に血が上ると右も左もわからなくなっちまうのをどうにかしな!いいかい、たとえお前は大丈夫でも、それじゃ一緒に働くケイミーとアグネスが堪らないよ!ちっとは頭を冷やして周りを見な!!
……大樹の事、それにあたしの事。思ってくれてるのはわかってる。有り難いがねぇ、でもそれじゃいけないよ。そうやってお前が思ってくれてるのと同じように、みんながお前のことを思ってくれてる。お前はね、どうもそこがピンと来てないようだね。だからそうやってすぐ自分を粗末にする、無茶をしちまう。いけないよ」
パッと最初に一声二声怒鳴りつけたかと思うと、その後の婆ァの言葉は深い慈愛に満ちていた。オーリィは素直に頭を垂れる。
「頑張るなとは言わないさ。ただ無茶は、無理はよすんだ。いいね?
そうさね、あたしにはお前の気持ちがわかる気がするよ。うんと昔、この村に来たばかりのあたしもね、お前みたいに空回りしてた。前の世界じゃあたしは見せ物小屋に飼われた化け物。誰もあたしのことを大切に思ってなんざくれなかった。だから人を大切に思うってことを覚えられなかった、自分のこともさ!いつも何をしてても捨て鉢でね、死んだ時もさ、いっそせいせいしてたくらいだった。ここへ来て、サーラ様やあの頃の村のみんなに命を拾っていただいて、親切に、大切にしていただいてさ。嬉しくてね。それこそろくに寝ないでがむしゃらに働いたが、ある時サーラ様に言われたよ。
「よだかや、あなたはまだ、自分を奴隷扱いしています。いけません。私はあなたの友人として、あなたのことを誰からも馬鹿にされたくありません。あなた自身からも」ってね。
あたしもこの場のみんなも、コナマやモレノ、役場の小僧だのも。昔のお前がどうだったかは知らないが、今じゃお前のことを大切に思ってる奴はいっぱいいるよ。だからみんなのためになりたいなら、まず自分を大事に、大切に思っておくれ。いいね。
……そうさ、シモーヌだって」
切々と諭す婆ァの言葉に神妙に耳を傾けていたオーリィだったが、その名を聞いて肩をピクリと震わせた。
「シモーヌ……様?」
「そうさ。あいつはね、どうやらお前のことが気になって仕方ないらしいよ。お前とあいつはどうもうまくいかない、顔を合わせればガミガミやらかしちまうがね、どっこいあいつはそれが悔しくて堪らないんだ。お前と仲良くしたい、優しくしてやりたい、そう思ってる。間違いないよ」
「……なぜでしょうか?」
シモーヌが自分に「好意」を抱いている?
例え婆ァの言葉であっても、それはオーリィにとっては納得できない。ケイミーを襲ったあとでの、シモーヌのあの奇怪な嘆き。確かにシモーヌは自分になんらかの執着心をもっているらしい。理屈ではわかる。だが彼女の感情が納得を拒む。
急に硬く強張ったオーリィの表情に、婆ァは切なげに答える。
「さぁてね、あたしもそれが知りたいんだがね……いいさ、呑み込めないなら今はそれで。でも心のどっかにしまっておきな。
今いるかどうかはわからないがね、シモーヌはあれからちょいちょい「聞きに」来てる。大樹とあたし達の様子を、お前のことを、ね。顔を出したらまた妙なことになっちまうって、遠慮してるんだろうがね。
……さ、仕事に戻りな」
オーリィはサッと周囲を見渡す。だが彼女の眼にはシモーヌの姿はどこにも映らない。今はいないのか、あるいはどこかの物陰に身を潜めているのか。
ため息を一つ、オーリィは再び梯子に向かう。そのため息にどこか寂しげな響きが伴っているのを、見送る婆ァは聞き逃さなかった。そして独り言つのだ。
「そうさオーリィ、お前だって、本当は……なぁシモーヌ、いるんだったら顔を出しな。あたしがいれば大丈夫だろう?オーリィも……会いたがってるんだからさ」
「今日ももうすぐ日が落ちちゃうね。そろそろ降りようか?」
「はい、お母様」
よだか婆ァの諭しが効いたのだろう。ケイミーが引き上げを促すと、オーリィは素直にそう返事を返した。そして器用に梯子を操って、二、三段も降りたその時。
「……え?」
オーリィの視線が、大樹の樹皮のある一転に釘付けになった。
(臭うわ……でもどうして?)
オーリィはその時、あの不思議な「舌」を口の中に収めていた。にもかかわらず。
梯子段を滑り降りるその途中で、あの虫の臭いを嗅ぎつけたのだ。
(『あれ』を使わなくても、虫の臭いが、巣穴の蓋の臭いが分かる。でもどうして?こんなにハッキリわかるの?ここだわ、この辺り……)
「どうしたのオーリィ?」
「ええ、ちょっとここが気になって。お母様、少しお待ちになって……」
オーリィは早速「舌」を伸ばし始める。だが。
(……臭い!おかしいわ、この辺り全部巣穴の臭いがする)
オーリィが感じ取った「この辺り」。それは掌程度の面積の丸い樹皮の一部。虫の巣穴なら通常は指一本の太さ程度のはずだが。
オーリィは懐からへらを取り出して、樹皮のその部分をえぐった。いつもなら一掻きでポロリと蓋が落ちるはずだが、へらはずぶりと深くもぐり、しかも巣穴の壁を突く手ごたえも無い。すなわち、蓋の裏にある穴が大きすぎる!
オーリィはザクザクとへらを動かし始めた。数回突いてもへらは手応えなく蓋の裏の大きな空間に突き刺さる。樹皮に出来た大きな「裂け目」。オーリィはへらをしまい、その裂け目に直に指を入れて蓋をはがした。
彼女の手に残った、「巨大」な巣穴の蓋。そしてその裏から出現した、大人の腕が悠々と入る程の「巨大」な穴。
「うそ……」ケイミーが声を失う。
「ベンさん!皆さま!大変、これをご覧になって!!」
「ばかな!これが、これがカミキリムシの巣穴の蓋だって?!これが!!」
穏やかで寡黙な森の賢者、「だんまり羊の」ベン。彼が声を荒げるところなど、数年来の親友のゾルグも聞いたことがなかったが。オーリィからその巣穴の蓋を手渡され、巣穴そのものを目の当たりにして、今、ベンは常ならぬ声で叫ぶ。
「だったら……この巣穴の虫は……ありえない、どんな奴だとしても、所詮昆虫じゃないか!いくら何でも大きすぎる、生き物としての常識を超えてる!こんなやつが……いるだと?!」
「あの、もしかして……もしかしてですけど?この穴にいるのが、この樹の虫たちの本当の『女王』……?」
ケイミーのその言葉に、一同がゴクリとつばを呑む。刹那。
「狩りましょう!ええ、わたしが狩るわ!!わたしに考えが、武器がある!!」
オーリィの眼には、またあの苛烈な炎が灯っていた。
「やらせて、わたしに!!」(続)
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