7 ~蛇の魔女と毒虫の女王~(1)
(わたしも……ああ、わたしも!あの空に登ってみたい!!)
大樹の根元で。オーリィは一人、その寂しさを噛み締めていた。
(わたしを、置いていかないで……)
「さてと、それじゃ始めるか。オレがこの辺の丸太をな、適当に鉈で割って薪をこさえるから、この庭で焚火にしてくれ。でな?この大鍋に水を入れて、これを煮る!」
「これは……土?土の塊ですわね?」
「そうさ。壁土に使う粘土だ。鍋に水を入れて火にかけたら、この粘土を少しづつちぎって放り込む。いっぺんに入れたらダメだ、ダマになっちまうからな。ある程度入れたらよくかき回して泥団子をつぶして芯まで溶かす。でな?グツグツのアツアツになるまで煮えたら一旦こっちの桶に全部あけて、また新しい水を鍋で沸かして土を煮る。この繰り返し。ここにある土の塊を全部シチューにしちまってくれ」
「なぜ土を煮るんですの?」
「消毒さ。粘土のばい菌を殺すため!だから、念入りにアツアツで頼むぜ。
その間にオレは『匂いヒノキ』の丸太を集めておがくずを作ってるから。
……っと、そうだな、先にざっと説明しちまうか?その方がいいだろオーリィちゃん?その顔じゃ!」
大樹に巣くう『カクレカミキリ』の駆除、それはいかなる作業なのか。明日の準備と言われてゾルグについて来たオーリィは、好奇心の塊のようなものであった。ゾルグの言葉の一節一節に、何故どうしてがいちいち口から出かかる。はやるその顔色を見て、ゾルグは笑いながら言った。
「虫の取っ掴まえ方は、さっき見せた通り。蓋を見つけて、こじ開けて。水攻めにして頭を出したところを、引っこ抜く!さてそこでだ。残った巣穴だが、そのままにしておくと樹が腐っちまう恐れがあるんだ。だから詰め物をして穴を塞ぐ。
まず麦わらで水を全部吸い出して、そんでおがくずを詰めて、最後に粘土のパテで蓋をする。この村は雨らしい雨はそんなに降らねぇから、粘土はそのうち乾いて固まる。そうなりゃもう安心だ」
オーリィがコクリと頷く。自分たちの今やるべきこと、そこまでは「腹に落ちた」。
「それで?ベンさんは今、山で何を?」
「木登り道具の準備!命綱だの、木登りスパイクだの。なにしろ虫共がどれだけ巣くってやがるか……あのデカイ樹を上から下まで嘗め回さなきゃならねえ。今度の仕事は長丁場だし、アイツは気合が入ってる。だから新品をこしらえてるかも知れねぇな。そうそう!ベンの木登りは本職だからな、見事なモンだぜ!……ん?」
見事な木登り、と。ゾルグの言葉に、妙にキョトンとした顔を見かわす母と娘。そして急にいたずらっぽく笑うケイミー。
「そっか!そうだよね、『木登り』かぁ!やったわオーリィ、ねぇ?」
「フフ……本職が、もう一人。楽しくなってきましたわね……!」
「?……なんだかわからねぇが、んじゃ始めるか?」
「あとこの鍋一杯分で全部だね、オーリィ。ゾルグさーん、そっちは?」
「そうだなぁ、まだちょいと足りねぇ。もう少し『匂いヒノキ』の丸太があった気がしたんだが?くそ、こんなことならもっと整理しときゃよかったぜ……」
まもなく日が落ちようとする時分。粘土を煮る作業はどうやら大詰め。女達にそれを任せている間、ゾルグはおがくずづくりに励んでいた。丸太をガリガリと削って次々と粉状にしていく……彼のあのシロアリの大顎で。
なるほど、これは彼にしか出来ない仕事のようだ。
だが、その時彼は材料の「匂いヒノキ」の丸太を探しあぐねていた。庭中に転がる無数の丸太や木切れ。それはゾルグの本業である大工仕事の廃棄物なのだが、最終処理場はいつもなら彼の胃袋。
「食っちまうんならどの木でも関係ねぇから、ついこうやってほったらかしちまうんだが……カミキリの穴に詰めるには『匂いヒノキ』のおがくずに限るんだ。
……どこだコンチキショウ!!」
おしゃべり男のゾルグ、独り言も達者らしい。庭のそこかしこに積み上げられた丸太の山を、崩しかきまわしてはわめきたてる。見かねてケイミーは言う。
「オーリィ、あとはあたし一人で出来るよ。一緒に探してあげたら?」
「そうですわね。……あの、どんな木を探したらよろしいかしら?私にも見分けはつきますか?」
「この木だ。似たようなのが他にもあるから、見た目じゃちょいとわかりにくいが、『匂いヒノキ』って言うくらいでな?嗅いでみな、ちょいとここを……」
と、ゾルグは削りかけの丸太をオーリィに差し出した。
「……あら?何だか爽やかないい香りですわね?」
「だろう?ベンが言うにはな、この香りは防腐作用があるんだと。樹が自分で自分の体を守るために作ってる成分なんだそうだ。これが目印、つーか鼻印!
このぐらいの丸太があと半分もあればいいんだが……どうだいオーリィちゃん?」
せっかくだからと頼んでみたものの、匂いで丸太を判別するなど素人には難しいだろう、ゾルグはそう思っていた。ところが。
「そうですわね……ええと……この匂い……」
「?」
ゾルグがオーリィの口元を見て目を見張った。両唇の間からチョロチョロと見え隠れする【蛇の舌】のようなあの器官。オーリィは丸太の削り口を口元に近づけ、そこで二又の先をパタパタと仰ぐように動かす。空気を攪拌しているのだ。
「私、匂いなら鼻で嗅ぐよりこれで感じた方が良くわかりますの。
……覚えたわ。そうね……この木は違うわ……これでもない……これは?
ゾルグさん、この木はいかがですか?」
「当たりだ……やるなオーリィちゃん、こいつは驚いた!」
かつて、糧の飢えによってオーリィが死の境にあった時。
あの時も、オーリィの体内で目覚めた獣の力は、この器官で自らの生命の糧である蛙を探してうごめき、そして差し出された干し蛙の粉末を探り当てた。
それ以来の経験で、オーリィは嗅覚と味覚に関しては、本来の自分の人間の鼻や舌よりもこの器官を頼りにするようになっていた。
「お料理以外でこれを使うのは久しぶりですけれど、お役にたちまして?」
「サンキュウ!ハハハ、あとはオレがコイツを粉にしちまえば今日の仕事はおしまいだ!二人ともお疲れさん!」
どうやら粘土を煮る作業も終わった様子。ゾルグは次の日の朝の待ち合わせを約束して二人を帰した。
粘土の桶を小さな荷車に積み、おがくずを詰めた麻袋を担いで。ゾルグ達三人が大樹の下にたどり着いたのは、朝焼けの空がようやくオレンジから水色に染め変えられた時分。そして、ベンはすでに一人でそこに佇んでいた。
「待たせちまったか?」
「気にするな。俺は、この樹、よく見たかったから、は、早くに、来た」
その朝のベンのいで立ち。蓬髪の頭を布でキリリと包み、二の腕も脚も厚い布の紐でしっかりと巻き締め、蹄の足に合わせた爪付きの下駄のような履物。ゆったりした装いの昨日とは打って変わった「完全装備」だ。節くれだった手で大樹の幹を撫でながら、はるかに高い梢を見上げるその視線の真剣さ。すでに彼の心は戦闘態勢であることが、オーリィとケイミーにも充分うかがえる。ベンの様子を頼もし気にちらと見て、ゾルグも早速自分の身支度にかかった。ベンが山から持ってきて、彼の足元に置いている袋を勝手に開き、中から取り出したものを同じように身に着ける。その間二人はお互いに一言も無い、いつもの慣れた手筈なのだろう。その間に。
「ふ、二人とも、よろしく、た、頼む」
あいかわらずベンは誰に対しても腰が低い。先にそう挨拶された二人は慌てて挨拶を返す。
「まず、命綱を降ろす。あのてっぺんから。俺が登る。見ていてくれ」
「命綱?そっか、危なくないように!だったらベンさん、」
ケイミーがすかさずアピールを始めた。
「それ、あたしにやらせてくれませんか?あたし実は、木登り自信があるんです!」
「?」
彼にとっては意外なその申し出。口の重いベンが返事を返す間もなく、着替えに気を取られていたゾルグが問いただす間もなく、ケイミーは大樹の幹に飛びついた。
ケイミーの木登り。彼女の足、猛禽類の巨大な鉤爪と、それを支え動かす強靭な脚の筋肉。その力で幹をがっしりと掴みぐいぐいと登る。腕は気持ち程度の支えか、方向調節用に過ぎない。あっという間に大樹の半ばまでたどり着く。そこははや、彼らがこの世界で暮らしている小さな家を、3つ程積み重ねた高さか。
「どうですか?今度は降りますね!それっ!」
言うや否や。両手を放し、足の爪だけで樹の幹に掴まり、背中をエビぞりに、そこから樹を蹴って頭を地面に向けて真っ逆さまに落下!
「うわぁ!!」
ゾルグが慌てて叫んだその直後。
「……っと!ジャジャーン!どうです、あたしの木登りの腕前!!」
地面間際でくるりと宙返り、あっさりと着地。
「おいっ!!……無事……なんだな?驚かせやがって!どうなってんだお前?!」
「エヘヘ、驚きました?あたしも木登りなら本職なんです。実はこうこう……」
と、びっくり仰天顔のゾルグに自慢げに説明しかけたケイミーだったが、
「ベンさん?ベンさん!しっかり、しっかりして下さいませ!!」
今度はオーリィの一種悲痛な声。一同慌てて駆け寄る。見れば、ベンはその場にしりもちをつき、大きな両手で顔を覆い、「おおう、おおう」と息も絶え絶えなうめき声。小柄ながら屈強なその肩も丸まった背中もガタガタと熱病のように震えている。
「お、落ちた、あのこが……落ちた……おおお……」
どうやら、ケイミーが「転落」したことが余程ショックだったらしい。彼の精神は、最後の「着地」の瞬間を見届ける前にオーバーヒートしてしまったのだ。
「ベン!落ち着け、大丈夫だ大丈夫だ、ケイミーなら無事だ、ちゃんと生きてる!」
「ベンさん!あたしならここにいますから!!」
「あああ……よ、よかった……」顔を塞いでいた両の掌をおずおずとずらして、目の前にケイミーの顔を見たベンは、震え声のままようやくその言葉をもらした。
「む、昔、見たこと、あるんだ……仲間が樹から落ちて……だから……
で、でもよかった、君が……無事で……」
足腰が立たなくなるほど脅かされたというのに、ケイミーの軽率をベンは決して責めない。ごめんなさいごめんなさいと、涙目で謝り続けるケイミーに、むしろベンはなぐさめ顔で笑うのだ、震えの未だ止まらない唇を不器用に動かして。
(ああ、なんという……心清らかな方……!大樹の救い主にふさわしい聖者……)
その時。オーリィは確かに、ベンのおおらかさ優しさに感じ入っていた。しかし。その思いとは同時に、でも、と。彼女の胸に迫ってくるのは、奇妙な「寂しさ」。
(なのに、私は?)
「でも、ケイミーが、て、手伝ってくれる、のは、助かる」
出だしこそ彼女のハリキリが空回りしてつまずいたものの。駆除作業が始まると、ケイミーはあっという間に仕事の要領をつかんだ。巣穴の蓋を探し当てることだけはできないが、他の作業をベンまたはゾルグと手分けして受け持ち、次々と虫を捕まえては、穴を塞いでいく。樹上に慣れていて、しかも両手を自由に使えるケイミーはこの際うってつけの人材だった。
「俺とゾルグ、だけでは、こうして交代で、や、休むことも、出来ない。本当に助かる……オーリィ?」
その時、樹上ではゾルグとケイミーがペアとなって作業を進め、ベンは樹から降りて休憩に入った。その彼をオーリィは茶でもてなしていたのだが、彼女の浮かない顔を見て、ベンは持ち前の穏やかな労わり顔で黙って問う。
「ベンさん。私にも、他に何が出来ないものでしょうか……」
無理ですわね、と。自ら返事をつぶやくオーリィに、ベンは申し訳なさげに頷く。
そう。オーリィはよだか婆ァから大樹を託された張本人であり、大樹を救いたいという情熱に於いては誰にも劣らない。それはベンにもよくわかっていた。しかし。
彼女は樹に登れない。
虫を水責めにするため、オーリィは園から大きな水桶を大樹の元に用意した。そしてそこからあの水筒代わりの皮袋に水を入れ、樹に登る者に渡す。空になったら袋を受け取り詰め替える。確かに必要な作業ではあるが、いかにも役不足。
(私も上がりたい、お母様やお二人のいる、あの高い空の上に……でもこの私は、所詮卑しい蛇。地を這うのが定め……)
いざ本番となったこの時、オーリィは役立たずの自分をそう卑下し、嘆いていたのだ。
そこに突然。
樹上からケイミーが飛び降りてきた。そして降りるなり、何かを地面に吐き出して七転八倒!苦しさ満面にえずいている。
「うえっ!!ぺっぺっ、臭ぁい!!」
「どうなさいまして?!」
「それが……うええ……臭!ゲホゲホ!」
「やれやれ」と、続いて降りてきたゾルグが呆れ顔で、
「さっきの飛び降り騒ぎもそうだが、どうもお前はやることが突拍子もなくていけねえな!止める間が無ぇんだから……いやな、コイツ、あの虫を急に食いやがってな」
ケイミーの体に宿る鳥の悪い癖。悪食で大喰らい、食欲を刺激されると止められないのだ。その時手にしている生き物を何でも口に入れてしまう。
「だって……何だか見た目がプリプリして美味しそうだったし……うえっ!ゾルグさんが言ってたから、『枝が甘い』って……この虫ももしかしたらって思ったら我慢出来なくなっちゃって……でも!一口食べた瞬間は確かに甘かったんだけど、噛みしめたら、なんかすっごく嫌な臭いがして……おえぇ……」
「さ、最初に、言っておけば、よかったな。俺も、あの虫を焼いて食べようと、したこと、ある……臭くてダメ、とてもじゃないが……」
動物性の食物に乏しいこの世界。昆虫は貴重なタンパク原であり、種類によっては頻繁に食卓に供せられる。そしてべンは言う、自分の元いた世界ではカミキリムシの幼虫は美味であった、と。
「有名な昆虫学者が、そう手記に残していたんだ。だから俺も前の世界で試した。確かにあれはちょっと乙なものだった。だがこの世界のこの虫は……」
そこまで言って、文字通りの苦虫を噛み潰したような顔付きで怖気を震うベン。
「俺はこれをカミキリムシと呼んでいるが、実は怪しいんだ。俺はこの虫の【成虫】を見たことが無い。何年も【羽化した姿】を探しているんだが……この芋虫の姿のままでは、森で樹から樹へ移ることなど出来ないはずなんだが……どうしてもわからないんだ、見つからない。この虫は【カミキリムシの幼虫のようなもの】、全く違う生き物なんだ」
いつの間にか流暢になっていくベンの言葉。オーリィは興味深げに聞いていた。そう、彼女は確かにその話に真剣に耳を傾けていた。しかしその一方、ある一点、ある一言が彼女の関心を鋭く惹いていた。
(【臭い】……あの虫が?)
オーリィの胸に広がる、正体のわからないもどかしさ。
(虫の……臭い……)(続)
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