3 ~首枷の蛇と盗み聞く蝙蝠~(1)
「オーリィ、この村の長老として、わしから君の刑を言い渡す。
…『首枷二ヶ月』。これはしきたりと古例にのっとったものである。いいね?」
あの凶行の日の次の朝。よだか婆ァはその言葉の通りオーリィの家を訪れた。そしてその傍らにコナマを伴って。
前日に婆ァがやはり役場を訪れ、長老モレノに事の次第を伝えた時、コナマはちょうどその場にいた。役場に婆ァが現れるような場合、のっけから雷の怒声を轟かせるのが普通であり、それを減らない軽口でいなすのがコナマの役どころでもあるのだが、その時の婆ァの一種神妙な顔つきにむしろ何事かとギョっとする二人。一方、役場でコナマが長老を相手に管を巻いているのは常のこと。彼女がそこにいることは婆ァにもある程度予想はついていたのだろう。静かにこう切り出した。
「おやお前もいたかい。ちょうどいい。これはお前にも伝えておかなきゃならないことだからね。あたしゃお前にも詫びなきゃならん……とんだ事が出来ちまった」
と、その場で事の次第を知ったコナマは、オーリィの出頭に自分も付き添うと申し出たのであった。
「わたしが婆ァ様にあの子のことをお願いしたのがそもそものきっかけ、わたしにも責任はあります。それと……オーリィももちろんですが、ケイミーのことがありますから」と。
オーリィが役場に引き立てられていくとなったら、ケイミーは絶対に黙ってはいない。間違いなく自分も立ち会うと言ってくるだろうが、オーリィを仮の娘として溺愛する彼女のこと、刑の執行にどれほど動揺するか、逆上するか。うっかりすると彼女の方までとんでもない事をしでかしてしまう。
「わたしが着いて行ってケイミーをなだめます。お願いします婆ァ様、それに長老」
コナマがモレノを「長老」と呼んだことなど、この二十余年間で片手に余るほどしかない。彼の地位と立場に特別の敬意を払う、その必要がある事態だと考えたからだろう。無論、彼はその申し出を了とした。
かくしてその朝、オーリィと共に役場に赴いたのは三人の女達。よだか婆ァとコナマ、そしてやはりケイミーは強引に着いてきた。
先頭にはよだか婆ァが厳粛な顔で、オーリィもそれに黙々と従う。覚悟を決めた者の神妙な態度。一方、あとに続く二人はと言えば。
「ひどいよ……こんなこと……何かの間違いですってば!!かわいそうだよ……ああオーリィ、わたしのオーリィ!!」
「落ち着いてケイミー、あなたがしっかりしなくては駄目。さぁ……」
その朝、今回起こった事件の経緯をケイミーに納得させるのにまずひと悶着、見越して早めに集まったはずの婆ァとコナマだったが、さんざんにてこずらされた。そして彼女らの家から役場までの、決して長くもないわずかの道中が終わらないのは、嘆き悲しむケイミーがしばしば足を止めてしまうから。
(思ったとおりだわね)それをどうにかコナマがなだめて、すでに数十歩先で待っている二人に追いつかせる。尺取虫のような女達の歩み。ようやく役場の前に一行が到着したのは、長老との待ち合わせの時分から大分たってのことであった。
『咎人の首枷』。太く厚い革製の首輪であった。色は真っ赤に染め上げられており、ちょうど顎下から胸元にかかる目立つ場所に、真っ黒な大きな木製の札が、家畜の鑑札かのごとく下げられている。その色彩と形の、毒々しいコントラスト。
「オーリィ、まず聞きたまえ。そもそもこの村にあっては、『犯罪』と呼ぶに値するような行為を起こす者は極めて稀だ。従って、かつて君がいた世界、むろん私がいた世界にもあったような精緻で厳格な犯罪者に対する法令や処罰規定は存在しない。
そしてもう一つ。この村は、そもそも村それ自体が刑務所のようなものだ。生活は豊かとは言えない、むしろ厳しいと言わざるを得ない。だがいかに辛くても、ここから出ていくことも出来ない。ゆえに。罪人だからといって、これ以上の苦痛や不自由を科す必要性は乏しいし、かつ与える方法も少ない。もちろん『鞭打』などは論外としてね。いかに物質的には未開のこの地であろうとも、我々は文明人の誇りは捨てるわけにはいかん。
さらにもう一つ、これは今言ったことにつながるが、貧しいこの村では、誰もが助け合って生きていくしかない。そのつながりは麗しいものではあるが、逆にそこから抜け出すことは許されない。むしろ罪人であるからこそ、他の村民のために共同生活を営む責任を、例え一時的にであっても逃避・放棄させるわけにはいかないのだ。だから『投獄』という制度も無い。普通に生活をしながら刑罰を受けてもらう。
……ここまではいいね?」
「はい」とやや伏し目がちに、しかしはっきりとオーリィが答える。
「よろしい。そこで君には、この『首枷』を今日より二ヶ月、つけたまま生活することを命ずる。いかなる場所、時間においてもだ。見てのとおり、『枷』といっても首に着けるのみ、行動を制限する鎖などは一切ないから、日常生活には支障をきたさないはずだ。『黒』の木札は重罪を現す。オーリィ、君が今回したことは『殺人未遂』。それは我々がかつていたそれぞれの世界においても最上級の重罪であったはず。それはここでも変わらない。その札の色をみれば、君がどれほどの罪を犯したのか誰もがすぐにわかる。
首枷の留め金には蝋で封印を施す。だから無断で外すことは出来ないし、それが発覚した場合は刑の期間は延長される。無論過失で破損してしまった場合はその限りではないが、その時はあらかじめ定められた証人二人を同道の上、すみやかに役場に出頭すること。証人はこの場にて、婆ァ様、そしてコナマ、あなた方に依頼したい。よろしいですか?」
「心得た」、「わかりました」。二人に否やは無い。モレノの目を見つめながら同時に頷く。
「今回の執行にあたって、その事実は役場前に高札で村民全員に通達する。こんないささか原始的なやり方だ、まさか全員は読むまい伝わるまい、と言ってやりたいが、それは逆だ。あらかじめ言っておく。この村で刑罰執行など滅多に無いこと。人には好奇心というものがある、ましてや日々の暮らしに変化の少ないこの村においては、だ。君が今回したこと、その噂はこんなやり方でもすぐに村中に伝わるだろう。覚悟しておきたまえオーリィ」
「そんな!」ここまで長老の話を聞いて、とうとうケイミーが堪りかねて叫んだ。
「それは、オーリィを村中の晒し者にするってことじゃないですか!どうしてそんな……ひどいわ!!」
「酷い……うむ、確かに酷い処置だとわしも思う。だが。いいかねケイミー、そもそも刑罰とは、押しなべて残酷なものだよ。そうでなければわざわざそれを科す意味が無い。そして言ったとおり、この村では『自由を奪う』刑罰は意味を持たない。だから一時的に『名誉を剝奪する』、それがここでの刑罰の在り方なんだ。我々がいた世界ではむしろ、極力避けられていたやり方だ。残酷だが……他に無いのだよ。
ただしだ。この刑には一つだけ救いどころもある。
彼女が二ヶ月の刑を無事に果たしたら、もう一度高札が上がる。みそぎを終えて晴れて清い身となったこともまた、広く村中に伝えられるのだ。それを宣言し証明する、皆に納得させるのもわしの役目だよ。それは約束する。
この村の住人は昔から罪人に対して寛容だ。誰もが一度死を経験したということ、そこには何かしらの後悔や未練、反省や罪の意識を伴う。ケイミー、君などは……おそらくその最たる者だ。だからわしの処罰にそうして憤慨する。しかしだからこそ!
村の皆にも同じような『赦し』の心がある、そう信じて欲しい。どうかね?」
到底承服しかねる。一度顔に塗られた不面目を、咎人の烙印をそう簡単に晴らせる消せる訳がない。これからずっとオーリィはこの村で肩身の狭い思いをしなければならないのではないか?ケイミーの顔はそう言っていたが、口には出さなかった。諄々と説く長老の言葉に含まれた誠意を否定し踏みにじるほどまでには、彼女も逆上はしていなかった。長老の立場も気持ちもわかる。しかしなおも憤りは治まらない。ケイミーは矛先を変えた。
「……あの人は?シモーヌさんはどこにいるんです?こんな時はあの人も顔を出すのが当然じゃありませんか?!確かに『被害者』かも知れないけど、『一方の当事者』です。オーリィの刑が決まるこんな大事な時に雲隠れだなんて……
まさか、何かあの人にも落度が、疚しい所があって!それで逃げてるんじゃないんでしょうね?!」
「ケイミー、落ち着いて頂戴。『シモーヌも同席すべき』、それはね、確かにその通りかも知れないわね、他の場合だったら。でもね……」
今度はコナマが長老に代わって諭し始めた。
「あなたも朝、婆ァ様の話を聞いたでしょう?オーリィはあの人に会うと……人が違ってしまうって。ねぇケイミー、今ここにいるオーリィの顔をよくご覧なさい。とっても真剣に反省している顔。わたしには、この子のその気持ちは決して嘘じゃないってわかる。でもね、多分。あの人に会って変わってしまう、出てきてしまうという『もう一人のオーリィ』も、この子の本当の姿なんだと思う。
オーリィはとても感受性の高い娘、それはあなたにもわかると思うけれど。そんなこの子は子供時代のつらい思い出のせいで、心のどこかが子供のままで止まってしまっているの。そして理性のコントロールの効かない乱暴で見境の無いその心が、何かのスイッチで顔を出してしまう。その一つが、シモーヌだった。わたしにはそう思えるのよ。
オーリィのそういう心の傷はね、ケイミー、癒せないとは言わないわ。でもきっと時間がかかる。今すぐに出来ることは、大切なことは、それを刺激しないようにしてあげること、それだけよ?
今こうして、正々堂々正直に罪を償おうとしているこの子を、彼女に会わせたら何もかも水の泡。それは何よりこの子の、『今ここにいるこのオーリィ』の気持ちを傷つけることになるわ。どう、ケイミー?」
「シモーヌなら」と、こんどはよだか婆ァ。
「ここに来るなと言ったのは、あたしだ。あたしが止めたんだ。オーリィの裁きについてはモレノにまかせろと、あたしからそう言って納得させた。今はあいつもね、オーリィを恨んでいる様子もないし、これ以上事を荒立てるつもりはないんだよ。それはあたしが保証する。
シモーヌもオーリィもあたしの弟子だ、どっちもね。一番弟子だろうと新米だろうとあたしにとっちゃ変わらない。だからどっちにも依怙贔屓はしない。オーリィが正直にこうして罰を受けに来たんだ、シモーヌにもこれでキッチリ手打ちさせるし、もし嘘や隠し事があったらあたしが許さない。それじゃダメかい?」
シモーヌはむしろ、オーリィを「恐れている」。依怙贔屓はしないと言いながら、婆ァはそのことだけは口にしなかった。
(疚しいところ、心の傷、もう一人の自分……そりゃぁどうやらシモーヌも同じだ。あの顔色はただ事じゃないからね。何かあるんだよきっと。ただそれを探るにゃぁ時間が要る。だから、シモーヌも今は無駄に刺激しない……許しとくれケイミー、屁理屈でお前をごまかしてるようなもんだが、あたしの言う『依怙贔屓無し』ってのはね、そういうことなのさ)
婆ァの内心の思惑はともあれ。長老に続き、かつて大恩を受け誰よりも敬慕する二人に説かれては、ケイミーも舌鋒を収めざるを得なかった、憤懣やるかたない顔色に変化はなかったが。
しかし今度はオーリィが口を切った。
「ケイミーさん、いいえ、お母様……今はどうかそう呼ばせてください。今度のことは全て私のせい、弱くて恩知らずな私のせいなのです。
そう、この村にこの世界に生まれ変わった私は、あなたの愛によって新しい命を吹き込んでいただいたようなもの。今はあなたが私の真実の母……
元の世界の私の母は……今は過去の私の記憶の中に眠っているだけ。そう、もはや幻なのです。紙に描かれた絵のようなものなのです。だのに私は。
何の関係もない、ただお姿が似ているというだけのこの世界のシモーヌ様に、いもしない幻の母の像を重ねて。あの方をひどい目に合わせてしまい、お世話になった婆ァ様にもご迷惑を掛け、挙句の果ては!こうして真実の母であるあなたを悲しませてしまっているのです。
この罪は私のもの、私が償わなければなりません。そしてどうか、私に償う機会をお与えしていただきたいのです。お母様、あなたの愛に報い、再びあなたに愛されるべき資格を取り戻すために……」
「資格も何もそんなの無いよ!!」と。オーリィの言葉を涙目で聞いていたケイミーは弾かれたように叫んだ。
「あたしは!アナタのお母さん!!アナタがどんな子だろうと変わらないの!!
……そうだ、そうだよ……あたしも忘れてた。アナタを助けたあの日から、あたしはアナタのお母さん、お腹を痛めたわけじゃないけど……
長老様、お願いがあります!!その『首枷』、あたしがオーリィに着けてあげたいんです。お願いします!!」
長老は無言のまま視線でケイミーに話の先を促す。ケイミーが続けた。
「あたしは手品とか使えないし、傍で長老様に見ていただければ、インチキとかしません。どんなオーリィでもこの子はあたしの子供です、この子のことはどんなことだって認めてあげたいんです。だから……この子が自分で悪い事をしたって言うなら、それも認めて!ちゃんと叱ってあげるのがあたしの役目なんです!!
……あたしこそごめんねオーリィ、間違ってたよあたし……アナタの気持ちを全部わかってあげて、受け止めてあげなきゃいけないんだよ、お母さんなんだもの……
だから長老様!!」
「よろしい」長老は即座に返した。いたって平静な顔を装っていたが、それは裁判の厳粛のため。ケイミーの殊勝な言葉に会心の笑みを抑えるのに苦労したのが、その時の彼の本音だった。
「ではケイミー、刑の執行を君に命ずる。首枷の付け方を教えよう。いいかね、掛け金が3か所、ここをこうして止める。絞め具合の調整はこうだ。言ったとおり、この刑は身体的に苦痛を与えるのが目的では無い。だからきつく締める必要は全くない。むしろ隙間が出来るくらい緩く止めてやりなさい。そうすればそこから布で肌を清めることも出来るはずだ。封印はわしが施す。わかったかね?」
「はい!さぁオーリィ、こっちに来てそこで後ろを向いて」
「お願いします、お母様……」
ケイミーは椅子に掛けたオーリィの背後に首枷を持って回り込む。一瞬辛そうな表情になったものの、ケイミーは頭を一つ横に振って未練を振り切ったように、思いのほか大胆な手つきでオーリィのうなじに首枷を回し、掛け金を止めていった。神妙にうなだれて、じっとそれを待つオーリィ。やがて三つの掛け金を全て止めると、ケイミーはオーリィの首筋に抱き着いた。はらはらと涙に頬を濡らすケイミーを、コナマがこれまた抱きかかえるようにしてそっとオーリィから引き離すと、長老が代わってオーリィの背後に回り、首枷と首の隙間に木の破片を差し込み、熱が伝わらないようにして留め金に溶けた蝋をかけ、押印した。
「以上でオーリィに対する刑の執行を完了する。高札は今日中にあらためて後程。オーリィ、今日より二ヶ月、刑をしっかり務めること。日々を心静かに心正しく過ごすこと、それがこの間の君の唯一の義務だ。
……よい母の期待を裏切ることなく、むしろ!見事に報いたまえ。いいね?」
「ありがとうございます」と、母と娘は同時に応えた。頷きあうコナマとよだか婆ァ、そして長老。刑の執行という険しい場面でありながら、一同の顔にはその時、爽やかな色さえあった……
だがもう一人。姿を隠してこの裁判に立ち会っていた者を除いては。(続)
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