8 ~品評会・蝙蝠の告白~(1)

「オーリィさん。私は、人に殺されてこの村に来たのです。私の……実の娘に」

 シモーヌのその言葉に、ざわついていた会場が水を打ったように静まり返った。

「シモーヌ、お前……!」

 この村で誰よりも彼女のことを知っているはずのよだか婆ァ、だが婆ァにとってすらその言葉は驚きであった。その婆ァに向かって寂しげな頷きを返すと、シモーヌは淡々と話し始めた。

「私は、私の生まれた国では有名な、大きな私立病院の院長の娘でした。兄と私の二人兄妹。兄は父の跡を継ぐため医師に、私はその兄を助け父から受け継いだ病院を支えるために別の道を採りました。大学で経営を学び、まず、とある大手の医療機器メーカーに就職を果たしたのです。両親には何の相談もせず、そのつても使いませんでした。親の七光りでいきなり自分の病院で務めるのは、甘えにつながると思ったのです。数年そこで務めた後、今度はその会社の紹介でとある別の小さな病院に。小さな病院なら、自分が責任ある立場に就ける可能性も高い、より深く病院経営を学べる、そう考えたからです。

 ある種の魚が生まれてすぐに故郷の川を離れ、大海で育ち、また故郷の川に帰るように。すべては、いつか父と兄の病院に帰る、そのための武者修行。時が満ち、私がただの医療事務員として実家の病院の求人に応募してきたのを、父や兄が知ったのは就業して二か月も後のこと。二人とも目を丸くしていました。そして数年、わたしはそのただの事務員から、理事の一人にまで上り詰めたのです。自分の実力で、そう自負しています」

(なるほど、シモーヌらしいこった……)

 シモーヌが自らの前半生を語るその言葉。他の者が語れば、いささか順調すぎるサクセスストーリー、だが、よだか婆ァは一点の嘘も誇張も感じなかった。村でも指折りの才女、いや男女を問わず。シモーヌの様々な実務の才と意思の強さ、指導力は知らぬものとて無い。りんご園の後継はもとよりの事、次代の長老候補として度々その名が挙がる程だ。よだか婆ァも、もちろんその才を身近に肌で感じ、惚れ込んだ者の一人。だからこそ。自慢の弟子に堂々と「我こそは!」と言わせたかったのだ。その資格があると、婆ァは信じていた。

 しかし何故か、最後のギリギリの線でいつもシモーヌは一歩引く。「私の器ではありません」と……

(わけがあったんだね、シモーヌ。ようやく聞かせてくれるかい……) 

「オーリィさん、その道は、私にはとても向いていたのです。医師という命を守る重大で気高い職に就いた父と兄を、私は心から尊敬していましたし、その力になれることが嬉しかった。父の創った病院が堅実に、そして着々と大きくなっていくことに、より多くの病める方々を救うことが出来るようになっていくことに。私はその力添えが出来る自分が誇らしかった。毎日が充実していました。幸せだった」

 幸せだったと。そう言ったシモーヌの顔色には、その言葉にもかかわらず、ぬぐいがたい暗い陰があった。後悔、寂寥、悲嘆、あるいはそれら全て。

 「やがて私は父の弟子で兄の同僚だった一人の医師と人より少し遅い結婚をし、子供を二人授かりました。兄と、妹。

 上の男の子は、私の父や兄、夫と同じ資質に恵まれていました。幼いころからとても聡明で、学業優秀。自信と責任感の強い頑張り屋。彼は長じると自然に医師の道を志しました。祖父を、叔父を、父を追うように。その頼もしい姿!息子は私の誇りでした。自慢の息子を私は心の底から愛しました。深く、深く!

 でもその愛が、私の目を曇らせてしまった……愚かな私の目を。

 娘は、ね……」

 そこまで語ると。シモーヌは目を閉じて天を仰ぎ、しばし沈黙した。震える唇と肩。心中の激しい動揺を、涙と嗚咽をこらえている様を、その場の誰もが見て取れた。やがて彼女は、目を閉じたまま語り始めた。


「私の娘は、とても感性の豊かな子供でした、今思えば。花が好きで、動物が好きで、海や山や星空が好きで、美しい物語や歌が好きな子供……今思い出せば!!

 あの子はそう……絵を描くのがとても好きだった……ああ、今にして思えば!!

 でも、私にはそれが見えていなかった。いいえ違う!見えていたのに、それを認めてあげなかった!!医者の一族、その狭い世界で上だけを目指して生きて来た偏狭な私の目は、心には。人には様々な生き方が、幸せの形があることが、ちっとも見えていなかった。認めることが出来なかったのです。そう……

 クロエは、発達の遅い子供でした。オムツが取れるのも、歩き出すのも、そして言葉も。兄と比べて、周りの他の子供と比べて、明らかに何もかも遅くて、不器用で。

 そして、学校に行くようになると、それはいよいよ目立つようになっていきました。あの子はすぐに、他の子から引き離されてしまった、ついていけなくなってしまった……学業も、運動も。

 そしてね、オーリィさん、私は……そんなあの子にいつも苛立っていた……」

 シモーヌの語気が険しさを帯びる。

「私は、何をするにも、させるにも、手間ばかりかかってちっともはかどらず、結局中途半端で終わらせるしかない娘の姿に苛立ちを、怒りを覚えていました。優秀な上の子と比べて。

 勉強も人並みに出来ず、いつまで経っても絵本から卒業できず、夢の世界のようなことばかり好んで話す娘。私は見下していました。少年にして早くも自分の確固たる人生を歩き始めていた息子と比べて。

 何を教えようとしても反応が薄く、身を入れる様子もなく、結局駄目にしてしまう娘に、私は自分が嘲弄されていると感じていました。積極的で何でも挑戦し、その度に人並み以上の結果を残す兄と比べて!

 そしてね。

 その私の息子は、いつも娘に優しかった。足手まといな妹の世話に、時間を割くのをちっとも惜しまなかったのです。大事な試験を前にして、何かにむずがる妹を人形遊びであやしていたこともあった……私は!

 このままでは、息子の人生が駄目になってしまう、娘のせいで!

 ……そう思ってしまったのです」


(覚えてる。お母様はいつも言ってたわ……)

 お前の不品行が家名を汚し、兄の出世の妨げになる、と。兄妹がまだほんの子供だった頃から、事あるごとにオーリィは母にそう責められてきた。それがかえって彼女の反発心をあおることになり、オーリィの素行は悪化する一方だったのだが。

(わたしがわたしの思うように生きようとすると、いつもそう言われた。『何故わたしだけが』、いつもそう思っていたわ。悔しかった!だからわたしは、あの優しいお兄様にまで噛み付くようになった……)

「私は」シモーヌの言葉が続く、「上の子のために、娘をどうにかしなければならないと思ったのです。だから。私は娘に、これからお話するような、ひどい仕打ちをしてしまった……それこそ、地獄の極卒のようなひどい仕打ちを!

 ……ああでも!私は本当に『息子のために』と思っていたのでしょうか?私はただ、出来の悪い娘の存在が気に食わなくて、でも娘を愛せない自分を母失格だと許せなくて!そしてそのどちらも認めたくなかったから、自分に対する言い訳のために息子を利用していたのでは……?もう私にはわからない、わからないのです……」

 シモーヌの言葉に対して、鏡写しのように湧いてくる、オーリィの疑念。

(わたしは、お母様の嘘が見え透いてると思ってた。わたしの事が嫌いだから、気に食わないから、お兄様をダシに使って私を責めるんだと、そう決めてかかってた。

 でも……もしかしてお母様は【最初は】本当に、お兄様のことを思って?ああ!)

 自分と母は、どこで食い違ってしまったのか。何がきっかけで、本当はどうだったのか。それはあまりにも遠いおぼろげな記憶。

 オーリィはいつしか、地に両膝をつけていた。目くるめく思いに立っていられなかったのだ。傍らで、これまた固唾を呑んでシモーヌを見るケイミーの肩にすがりつく。


「……少しお話がそれました。皆さん、どうか続きを聞いてください。

 上の息子は、順調に成長してある時、全寮制の有名な、優秀な私立学校に通うことになりました。家を出ることになったのです。

 いいえ。息子にその学校を勧めたのは私なのです。その学校なら、その上にさらに優秀な医学校がある、そう言って。それは嘘ではありませんでした。そして言ったのです。『一度自分の家を出るのはいい経験になりますよ』と。

 息子は全く疑いません。私の意見を素直に喜んで、受験に合格し、そして家を出て行った……私の狙い通りに。

『あの子の目さえなければ。私がクロエを好きなように出来る』。

 そう、私の悪だくみの通りになったのです」

 わたしの場合は。オーリィは思う。

(家を出されたのはわたしの方だった。規則の、躾の殊の外やかましいので有名な、お嬢様学校に無理矢理進学させられた……裏口から、お父様のお財布の力で。

『この家にいるからあなたはわがままに甘えてしまう。外に出るのはいい経験です。この学校で立派な淑女になりなさい、我が家の家名にふさわしい淑女に』

 でもわたしはそこでも散々悪さをしでかした、挙句に退学させられた!

 けろっとした顔で帰って来たわたしを、お母様は、苦虫を嚙み潰した顔で迎えてくれたのを覚えてる……

 あの時お母様は、わたしをお兄様から引き離そうとしていたのかも。わたしがあまりにお兄様を責めるから……わたしがそうやってお兄様に『甘える』から!)

 シモーヌと実の母。考え方もやる事も、少しづつ違っていながら、実は似ている。

 では、シモーヌから見た自分は?彼女の娘と比べて、どう映っているのか?

(そうだ、この人は言ったわ。『自分は娘に殺された』って。わたしはお母様が憎くて仕方なかったけれど、そこまでは行かなかった。そうなる前に!

 お母様の方が、あの飛行機事故で先に死んでしまったから……)

 この人の場合は?いったい何が?

 オーリィはじりじりとしながら、シモーヌの言葉を待つ。

(ああ、まだるこしい!あなたはいつもそう、昔から……!)(続)

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