4 ~運命の嵐と樹を抱く蛇~(2)
オーリィが担架に乗せられて役場に運び込まれたのは、夜明けと共に嵐が過ぎ去ってからのことであった。だが実は、役場を出た三人が彼女を発見したのは、遡ること数時間前の深夜。救出が遅くなったのには理由があった。
「おいいたぞ!メネフ、ケイミー、あれだ、あそこの樹の根元!!」
豹の目を持つアグネスが、やはり暗闇の中でいち早くオーリィの姿を捉えた。着の身着のまま、大雨に打たれ泥水につかりながら、樹の根元で丸めたボロ雑巾のようにうずくまっているオーリィのその姿。ケイミーは鋭い悲痛の叫びを上げながら駆け寄った。
「オーリィ!!ああオーリィ、どうして?どうしてこんなところに?!お願い返事をして!!」
身じろぎもしないオーリィに、最悪の事態を頭によぎらせる三人。ケイミーの血を吐くような声に、あとの二人は胃が凍る思いだ。だが。
オーリィの顔がゆっくりと起き上がった
「ああ……お母様……お許し……くださいませ……」
震える微かなかすれ声、血の気の無い真っ青な頬と、唇。生きていたということには少しの安堵はあったものの、早急な手当が必要なのは明らかだ。
「よぉし!とにかく話は後だ、連れて帰ろうぜ。ん?オイ、どうしたんだい二人とも?さっさと……」
そこまで言ったアグネスは、ようやくメネフとケイミーの、一刻を争うはずのこの状況にそぐわぬ奇妙な当惑顔に気づいた。
「まいったぜ……アグネス無理だ、連れて帰るのは。なんでだか知らねぇが、こうなっちまったらこのコはテコでも動かねぇ……がっちり抱き着いちまってる……!」
「はぁ?『抱き着いてる』だって?そんなもん、こっちは三人じゃないか?なんなら力づくでひっぺがせば……」
「出来ねぇんだよ、それがな」
アグネスは知らない。オーリィの左腕の恐るべき能力を。蛇と虫、村でも極めて珍しい、二つの獣の力を備えたオーリィ。その左腕に宿っているのは【抱き着いたものを決して離さないタガメの力】。凄まじい剛力なのだ。そしてそれは、彼女自身が瀕死であっても発揮することが出来る。いかなる思いにかられてのことか、今、オーリィはその力を用いてりんごの樹を抱き、放そうとしないのだ。
「オーリィ、ねぇどうして?こんなところにいたらダメだよ。お願い、その手を離して!私達と一緒に帰ろうよ?!」
「許してくださいませ……嵐が、嵐が止むまで……ここに……いさせて……!」
ケイミーの必死の説得にもかかわらず、オーリィは弱々しく頭をふりながら、それを繰り返すばかり。メネフがとうとう決断した。
「なんでか知らねぇが……仕方ねぇ!!役場にテントがあった。あれを一つ持ってこよう。『嵐が止むまで』だろう?長老が言ってたぜ、昔もこんな嵐があったが、そん時きゃ大体一晩で止んだってな。どうせ今回の嵐もあのクソッタレの山の仕業、多分やるこたぁ大体一緒だ。夜明けまで雨風だけどうにかしのげれば……
ケイミー、オレが行ってくる。応援も連れてくる。今だけここで辛抱できるか?」
「メネフさんお願い、そうして!!私のことなら大丈夫!!」
「アグネス、悪いがお前も残ってくれ。この二人だけじゃ……」
「わかってるよ!そうと決めたらとっとと行ってこい、急げよ!!」
かくしてその晩。りんご園に出来たオーリィのためだけの仮設救護所。樹にしがみついたままのオーリィ、そこに小さなテントを覆いかぶせるように設置、地面には泥水よけのすのこ。そしてすぐ傍らには担架も用意した。荷物運び・兼・担架要員の男数名の他、メネフが連れて来たのは二人の中年女。かつてオーリィを救うのに助力した看護師たちだ。到着するとすぐに、かいがいしくオーリィの容態を調べ始める。
「次は着替えだが……ケイミー、アグネス、それ!そいつに着替えてくれ、お前らもズブ濡れだからな。で、肝心のオーリィだが……そうやって嚙り付いてるんじゃ着替えは無理だ。気の毒だがこれで……」
メネフがケイミーに差し出したのは、小さなハサミ。この村では珍しい道具だが、仕立て屋の彼が特別にグノーに打ってもらった商売道具。
「オーリィちゃんの服を切ってくれ。で、ここに毛布がある、代わりにこれを体に巻いてやるんだ。その方がいくらか寒気もとれる。オレ達男連中はちょいとあっちに行ってるから。アグネス、それからお二人も一緒に頼んます。終わったら呼んでくれ」
そう言い残して、メネフと男たちはいったんその場を離れた。少し先に雨宿り出来る東屋があるのを彼は目ざとく確認しておいた。運んできたテントには何人も入れない。あぶれたものはそこを今晩の詰め所代わりにするか、そう思って下見の心づもりもあったのだが、そこに。
「オイあんた……まさか来てたのか?」
シモーヌだった。相変わらず悄然としたまま、静かに立ち尽くしている。一方メネフの顔色には、わずかに見える怒りと苛立ち。だが彼はそれを抑えて言った。
「何しに……いや、今は聞かねぇ。聞きてぇこたぁ山ほどあるけどな。だがこれだけは言っとくぜ、今はあの二人に近づくな、絶対に!これ以上の面倒は御免だからな」
「わかっています。ですが……ここにいさせて欲しいのです。これ以上は近づかない。誓うわ。だからどうか……」
(……?)
「聞きたいことは山ほど」。メネフにすれば当然の話だ。彼もアグネスも、シモーヌが黙っていたことで大雨の中さんざん無駄に走り回らされた。いや、アグネスはともかく自分は構わない、それは「役場の便利屋」である自分の仕事だ。だがオーリィに何かあったら?ケイミーはどうなる?そう思えば彼の腹は当然煮えるのだ。ところが、シモーヌのその時の表情は彼に全く別の感傷を抱かせた。
(どうなってんだ……こうして見ると、この人はそっくりだぜ……)
かつて。役場前の広場で彼が対峙した時の、オーリィのあの顔。
(オレが『殺してやる』っつって騙した時の、あのオーリィちゃんの顔だ。忘れもしねぇ……あの時のショボンとした顔そのまんまだ……)
責める気持ちが失せた。
「……ならいい。いや、この園はあんたのホームグラウンドだ。いっそ都合がいい。何か必要なものの手配を頼めるかも知れねぇな。これ以上一々役場に戻っちゃいられねぇから。そん時はよろしく頼むぜ?」
「わかりました。何でも言ってください」
「取り敢えず一つ。みんなで交代で休むのに、いい場所はねぇか?ここでもいいかと最初は思ったが、ふきっ晒しだからな。もっといい場所がありゃぁ……」
「集会室なら椅子やテーブルもあります。熱い飲み物なども用意できるでしょう。ただオーリィさんを看るのには少し遠い……雨宿りだけなら、すぐ近くに道具小屋が」
「よし、両方案内してくれ。担架持ち要員で来てくれたこいつらは今すぐには仕事は無ぇ、集会室とやらで仮眠でもしてもらって。オレやアグネスやあの二人は小屋の方を使わせてもらおう。あんたもな。ケイミーはどっちみちオーリィの傍を離れっこねぇから、その道具小屋とやらにゃ来ない、あんたとも顔を会わせずに済む」
「わかりました。集会室も道具小屋も自由に使っていただいてけっこうです。ただ……私はここがいいのです。約束通り二人には顔を見せないようにしますから、ここに居させて下さい」
オイオイあんたもか?と。メネフは少々呆れつつも、しかし話せば話すほど、
(似てる……)
「なら自由にしてくれ。いや、そもそもここはあんたの縄張り、許可をもらうのはどっちかと言えばオレ達の方だったな……オレみてぇな若造が役場の用を笠に着て、ついデカイ面して申し訳なかった。世話になりますぜ」
と、おしまいにはすっかり態度が軟化し、あまつさえ頭まで下げていたのは、シモーヌにオーリィの面影をどうしようもなく重ねてしまったから。
「では案内しましょう。まず集会室から、他の皆さんもどうぞ」
オーリィの、そしてオーリィから離れようとしないケイミーも含めた二人の見守り役として、その時はアグネスがテントにいた。メネフと看護師たちは道具小屋で休憩中、そしてシモーヌは一人、あの東屋にいるのだろう。アグネスはメネフに知らされていたが、シモーヌが今このりんご園にいることは当然、二人には秘密。
「言うまでもねぇが……シモーヌにも気をつけてくれ。こっちには来ない、そうは言ってたものの、あの人を信用しきるわけにはいかねぇ。どうも様子がおかしいぜ……ひょっこりテントに顔を出しちまうかも知れねぇから」
「面倒だねぇ、だったら自由にしろなんて言わなきゃいいのに。ま、心得とくよ」
そんな打ち合わせが最初に交わされて後、交代制で休憩に入ることになり、今はアグネスがテントに残っているのだ。
「ケイミー、あんたもそんな姿勢でずっとそのままだけど、大丈夫なのか?」
テントの中は今、オーリィとケイミー、そしてアグネスの三人。相変わらず樹の根元にしがみつき毛布にくるまれたオーリィを、ケイミーはその背中から覆いかぶさるように抱いていた。
「ええ、案外平気です。ほら、あたし半分鳥でしょう?これきっと、卵を抱いてる格好だから。慣れてるんじゃないかな?」
「そういうモンかねぇ?」
「フフ、そんな気がするだけですけど。でもあたしもこうしてるとあったかいし、きとこの子もあったかいから。それにね?なんだか楽しいんですよ」
「楽しい?」
「ええ。この子は多分今……ちょっと卵に戻っちゃったんですよ。あたしに心を開いてくれる前の。この村に来ていろんなことがあったから、頑張ってたけど、辛い事とかもたくさんあったんだと思うんです。それで殻の中に戻っちゃった……だけどアグネスさん、この卵はね、『孵すと必ずいい子が生まれる卵』。それはもうわかってるんですもん、あっためるのはワクワクしませんか?」
「そういうモンかねぇ……って、ハハ、あたしゃこればっかりだ。面白いなケイミー、あんたは。それになんつーかこう……面白い母娘だな」
「でしょう?あたしも前に思ったんです。この子の方があたしよりずっと大人っぽいし、実際年上だし。でもあたし達こういう風になっちゃったんです。
あたしは、昔から子供が好きで、学校の先生になりたくて。で、結婚したら子供は三人くらい産んじゃおうかなーなんて思ってた……どっちもダメになっちゃいましたけど。この子は、子供の頃から家族のみんなとうまく行かなくて、しかもみんな事故でいっぺんに亡くなっちゃったんだそうです。だからずっと優しいお母さんが欲しかった……『響き合った』ってことだと思うんですよ。
ちょっと変わってるなって自分でも思ってますけど、でもこの方があたしにはしっくりきちゃうから。この子もきっとそうだと思うし」
「変わってるよ、けど悪くないね。アリかナシかで言えば大アリ。あんたたちはそれでいいんだよ、きっとな。『自分の心のままに生きる』っつーかさ?」
「そう、『心のまま』……今夜のこのことで、たくさんの人に迷惑かけちゃいましたし……アグネスさんにも。それは後で、二人でみんなに謝ってくつもりです。ただ今だけは、この子の思ってることをやり遂げさせてあげたいなって。きっとこれには訳があるんです。それもちゃんと聞いてあげたい。この子が本当は何をしたいのか、どんなこの子になりたいのか、聞いて励ましたり、力を貸してあげたり……もちろんダメなことは叱ってあげないといけないなとは思いますけど、その前にまず、って。
どうでしょう?あたしのこういうの、甘いですかねぇ?」
「んー、あたしもガキなんか育てたことないしね、偉そうには言えないけど……そこらはまぁ、場合次第に加減次第ってとこだろ?何でもヨシヨシってのはどうかと思うが、例えばさ、本人もやっちまったって、へこみまくってるところへ追い打ちってのも。それじゃ子供をぶっ壊しちまうから。
いいんじゃねぇか?ママさん道もさ、勉強しながら覚えていくモンなんだと思う。最初から『これしかない』なんていうのは無ぇんだよ。そいつが一番マズイ。今聞いてると、あんたは少なくとも『自分が間違ってるかもしれない』ってのは頭に入ってる。だから今もあたしに聞いてみた。そこさ、肝心なのは。
もっともさ、もちろんあたしにゃ大したアドバイスも出来ねぇけど。今日見てたが、あんたはここの婆さん連中とホント、仲がいいんだから。迷ったらあの婆さんたちに聞いてみればいいんじゃないかい?色々教えてくれそうだよ」
「そうですね、『自分で分からなければ人に聞く』ですよね。そっかぁ……」
お互い無聊を慰めるため、ケイミーとアグネスが交わしていた、ある意味たわいもないその会話。しかし。
ケイミーの腕の中で、オーリィはそれらを全て聞いていた。その頬にホロホロと涙を流しながら。
(……お母様……!)
そして東屋で、シモーヌもそれらを全て聞いていた。その歯を、砕けんばかりに食いしばりながら。
「私だって……!!」(続)
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