5 ~伝承の大樹と蝙蝠の慟哭~(1)

 ケイミー達の必死の献身で、オーリィはこの村でまたもや回生を果たした。

 普通に暮らしていれば、この村では「病死」はまずありえない。生まれ変わった彼らの肉体は非常に頑強で抵抗力も強い。大きな病気などは滅多に無いのだ。だがその一方、原始的なこの村には高度な医療は存在しない。もし一度体に故障をきたせば取り返しがつかない場合もある。オーリィは肺炎の一歩手前であった。実際あの一夜の無謀な行為は、あと一歩で彼女の命を奪うところであったのだ。

 病状が治まり体調が戻ったオーリィはまず、コナマ・ケイミー両名と共に役場に赴き、長老モレノから厳重な叱責を受けた。なにしろ「首枷」刑を受けたその当日の夜のことである。いかにその刑に行動制限はないとはいえ、常識として普通は自らしかるべき期間謹慎すべきところ。それをこともあろうに自死寸前の行動で大騒ぎを起こし、しかもあの危険な嵐の中、他の大勢の村人の手までわずらわせてしまったのだ。長老としては到底甘い顔が出来ようはずもない。

「正直私は刑の期間の延長も考えたのだ。だが君はあの騒ぎを起こしたおかげで結局、刑執行の高札よりもはるかに自分の罪を村の皆に印象深く広めてしまった。残念だがこれでは、刑期終了後も長らく噂にされるだろうね。自業自得と言えばそれまでだが、それを考えて延長は今回はしないことにした。

 しかしいいかね、無論次は無い。よく心得ておきたまえ!」

 鞭打つような口調でそう決めつけると、にべもなく二人に背を向けて奥の間に下がっていく。神妙な顔つきでその背に向かって頭を下げる三人、ただし。

(あらあらモレノったら……彼は本当はこういうのは苦手な人だから)

 その場の険しい雰囲気に一番堪えられなかったのは、実は長老その人。コナマは惻隠の情を大いに催していた。

(あとで私からもう一度謝っておきましょう。それと……この間のシモーヌの一件を話し合っておかないと。坊やにも話が聞きたいわ、あの時何があったのか……

 あまり長い時間、【目を離したくはない】のだけれど)

 さて、彼女は一体何を見張っているのか?


 コナマと役場で別れた不思議な母娘は、彼女たちの家に戻って、共にため息を一つついた。

「まずは一人終わったね。ちょっと休んだら今度はメネフさんのところかな、さっき役場にいてくれたらよかったんだけど。あとはアグネスさんとか、看護婦さんたちとか、担架を使ってくれた人たちとか……今日中に全部は無理かも、だけどね」

 ケイミーはオーリィをむしろ慰めるような口調でそう言った。

 お詫び行脚。オーリィの回復したばかりの体調を考えれば無理はさせられない、だが一方、こういうことは早めに済ませておきたい、なによりオーリィの心の鬱屈を晴らしたいから。ケイミーはそう思っていたのだ。

 しかし、当然名前が挙がるはずの二人、よだか婆ァとシモーヌの名前は、ケイミーの口からは出てこなかった。いや、婆ァ一人になら何の問題も無い。本当はすぐにでも頭を下げに行きたかったし、あの人に怒鳴られたらむしろ一番気持ちが晴れるとさえ思っていたのだが。

 問題はシモーヌだった。婆ァはりんご園に居ることが多い。園に赴けばシモーヌに鉢合わせになる可能性は高い。そしてシモーヌに会えば当然、ケイミーもオーリィも彼女に頭を下げなくてはならない立場だ。

(あの人があの晩、りんご園の建物をあちこち使わせてくれたことは聞いたわ)

 だが。ケイミーには、シモーヌに対して大きなわだかまりがある。そもそも、オーリィがシモーヌを襲った事の起こりからしてそうだ。オーリィは全て自分のせいだと言う。しかしそれは本当だろうか?これまでずっと村人の良き一員になろうと努力してきたオーリィの姿を見て来たケイミーには、愛娘が何の理由も無しに一方的に相手を敵視するというのは納得がいかないのだ。「あの人にも何か後ろめたいことがあるのでは?」。裁判の時長老に詰め寄りかけたその思いは、ケイミーの中であれからずっとくすぶっていたのである。

 そして。あの夜、彼女は何故オーリィを置き去りにしたのか、園にいることを黙っていたのか。その疑問を思い出すと、ケイミーはシモーヌに素直に謝罪する気には到底なれないのだ。

(あの人には会いたくない、オーリィにも会わせたくない。何だか信じられない……あの晩だって!一度はオーリィを置き去りにしたくせに、今度は何しにりんご園に来たの?私達を追いかけて?それにあの人はメネフさんに何かした……!)

 ケイミーがやや固い表情でそう思いを巡らせた時である。

「オーリィ!!いるかい?ああいた!!」

 よだか婆ァが二人の休んでいたオーリィの家に駆けこんで来たのである。何やら大慌てで、そして上機嫌な様子。

「さぁ、あたしと一緒に園に来な!!あたしがシモーヌに頼んだ、また園で働いてもらうよ、お前にやってもらいたいことがあるんだ!!」

 本人の答えもまたず、婆ァはオーリィの手を取ってグイグイと引く。

「ちょっと婆ァ様、お願い落ち着いて!どういうことなのか……」

「ええい、そんなもの来ればわかる、向こうで話す!だったらケイミーお前も一緒に来な!!」


 ややさかのぼって。

 オーリィとケイミーが役場を出ると、程なくしてすれ違いにメネフが外出から役場に戻って来た。と言っても大した用事があった訳ではない。その日、オーリィ達が長老に頭を下げに来ることはわかっていたので、狙いすましてその時間わざと席を外したのである。彼としては二人にはむしろ慰めの言葉をかけてやりたかったのだが、それでは叱らなければならない立場の長老がやりにくい、そう気をつかったのである。そして二人が帰ったのをそっと見届けて役場に戻ったのだが、すると、コナマと長老が何やら真剣な顔で用談中ではないか。

「戻ったぜ長老……おっと、婆さんあんたも来てたのか?」

「あらいい所に。坊や、あなたにも是非聞きたいことがあったの」

「わりぃな……オレも言ってやりたいのはやまやまだが、何をされたのかてんでわからねぇんだ」

 問う方も答える方も、お互い用件は読めている。聞いている長老も。

「だが何もされていないのに、よりによって君のような腕が立つ若者が倒されるなどということはありえない。何かされたはずなんだ。この際、どんな小さなことでもいいから話してみたまえ。一緒に考えてみようじゃないか」

「さぁてね……あん時オレはシモーヌに詰め寄って、ここに顔を出すなって言ったな。そしたらあいつが……何だか嫌な声で『どいて』って一言……そしたらオレはぶっ倒れちまった。そんだけなんだ、あん時起こったことといったら」

「ふぅむ」長老は一瞬考えたが、流石の彼でもこれだけでは何もわからない。彼は質問の方向を変えた。

「だったらだな……倒されたその時、君はどんな気分だった?どこか痛いとか苦しいとか無かったかね?」

「そりゃよく覚えてる。やたらと目が回ってた、体がふわふわして、右も左も上下もわからなくなっちまって。それと胃がムカムカして……ひどい船酔いみてぇな感じさ。おまけに膝は笑っちまって立てなくなるし。脳震盪かと思ったくらいだが、別にぶん殴られたわけでもねぇ」

「『船酔い』に『脳震盪』……それと、『嫌な声で』。さっき君はそう言ったな?

 そうか……それだ!

 コナマいいかね、だったらこうするんだ……メネフ、君にも一枚噛んでもらおう」


 オーリィとケイミーそしてよだか婆ァの三人は今、一本の巨木の前に立っていた。

「園に来い」。そう言ったはずのよだか婆ァが、なぜか園を通り越してあの山に向かい始めた時、二人は顔を見合わせ首を傾げた。そして園を大分通り過ぎた後、森におおわれた山、その手前にその樹はあったのだ。

 それがすなわち、園の宝とも言われる「伝承の大樹」である。だが、母娘がそうと知るのはもう少し後の事、何やらはしゃいだ様子の婆ァはそういう肝心なことを伝えるのをすっかり失念しているようだ。

「オーリィ、それにケイミー、この樹をごらん!この樹をね、これからオーリィに世話してもらうよ。オーリィ、それがお前の新しい仕事だ。わかったかい?」

「この樹を……?婆ァ様、この樹はいったい何の樹ですの?」

「あたしが世話しろと言ってるんだ、りんごの樹に決まってるじゃないか!」

「りんごの?こんな大きな樹が?」

「そうさ、大きな樹だろう?立派だろう?」

「なぜ私が?」

「お前じゃなきゃ出来ないからさ!」

 無論、オーリィはこの急な話に当惑気味であったが、その場に着いてみると持ち前の好奇心が沸いてきたのだろう、婆ァを質問責めにし始めた。それはオーリィが真剣になってきた証拠。それを知っている婆ァは喜び勇んで答えを返すのだが、興奮気味なためか以前と違ってその答えは今一つ要領を得ない。

「でも……この樹、枯れてるんじゃありませんか?葉っぱが全然無い……」

 横からケイミーが一言ポツリと言った。すると。

「バカを言うんじゃない!枯れてなんかいないよ!!この樹はちゃんと生きてる。それはあたしが知ってるんだ。シモーヌに頼んでね、オーリィにこの樹を世話させてもらうようにしたんだから!!」

「シモーヌさんが?オーリィにこの樹を?」

 それを聞いたケイミーは、途端に黒雲のような疑念にとらわれた。

 婆ァ自身がオーリィにこの樹を世話させたいと土下座でシモーヌに頼んだあの一件は、二人にはまだ伝わっていない。おまけに今日の婆ァは最前より、この人物にしては珍しくひどく興奮していて、話の脈絡が不明瞭。

 そして眼前のその樹。りんごの樹とは言われたが、葉が枯れ落ちたのか一枚も見えない。枝もあちこち枯れているように見える。こんな大きいだけでただ立っているだけの樹を「世話」するなど、何の意味があるのか。どう丹精したところで実りなど到底期待出来そうにない、むしろ今すぐにでも朽ちて倒れてしまいそうではないか。

 そこへ加えて、かねてからのシモーヌに対する不信感。

 だからケイミーは曲解してしまったのだ。

 この樹を世話することが復職の【条件】だと、【シモーヌが】決めたのだと。

「こんな園から離れて一本だけの、こんな枯れ木をオーリィに「世話」しろだなんて!あの人が婆ァ様とこの子に押し付けたんですね?!そうですね?!

 なんてこと……オーリィに何か恨みでもあるの?こんないじめ許せない!!」

 猛禽を体に宿したケイミーの、頭髪の中から突き出している鳥の冠羽。それがキリキリと立ち上がりはじめた。それは彼女が激怒している証拠。途端、ケイミーは踵を返してりんご園に向かって走り去っていった。

「……!」

 婆ァとオーリィは一瞬呆然と顔を見合わせた。ケイミーの中で何が爆発したのか即座に理解出来なかったからだ。しかしすぐに気づく。ケイミーは何かとんでもない誤解をしてひどく怒っている、その相手はどうやらシモーヌである、と。

 急ぎ追いかけようとした二人。だが、ケイミーは恐ろしく足が速い。高い樹上から狙いすまして飛び降りて兎を狩るのがケイミーの日々の生業、獣の力による恐るべき健脚のなせる業。激情に駆られている時以外は普段から挙止一般おっとりのんびりしたオーリィと、せっかちだが子供のような体格で歩幅の短い婆ァでは到底追いつかない。どんなに慌てても急いでも引き離されていく。

 そしてケイミーの姿は二人の視界から消えた。


 集会室、その出入口のすぐそばに、シモーヌ専用の机があった。

 りんご園園長としての経理その他の事務仕事。不幸な生い立ち故の教養の無さが唯一の弱みであったよだか婆ァは、シモーヌが現れる以前からそういった帳簿仕事が大の苦手だった。無論「これも先々代の長老様に教えていただいたことだから」と長年奮闘努力はしてきたものの、悲しいかな簡単な計算でもひどく時間がかかる。そこで、忙しい時はやむなく他の者に任せる時も度々。だがシモーヌが現れてからはそれはすぐにシモーヌの専業となっていった。彼女の「数字仕事の明るさ」は卓抜だったから。過去を一切明かさないシモーヌだが、経理経営の経験が豊富だったのは誰にとっても明白。おそらく前の世界で大企業にでも勤めていたのか、あるいは彼女自身が経営者だったのでは、園の人間は皆そう思っていた。そしてよだか婆ァは程なくして現場の監督を専らにするようになり、裏方のとりまとめはシモーヌの仕事となった。彼女はその意味では次代園長と目される以前から「園長代行」だったのである。

 そのシモーヌの机。それは婆ァが他の者に使わせていた頃は集会室の奥まった片隅にあった。だがシモーヌは彼女がそれを使うようになってから、今の入口の傍に移した。落ち着いて事務仕事をするには向かない場所のはずだが、

「必要な執務ではありますが、帳面ばかり眺めていては皆さんの現場の声が聴けません。それでは独りよがりになってしまいます。せめて入ってすぐのところで、来た人の話をすぐに聞けるようにしたい、気兼ねなく相談事もしてもらいたいから」

 そう言って彼女はその場所に机を移したのである。シモーヌの執務の際は部屋の扉に「執務中」の札が掛けられ、入室の前にノックをするのが一応のルールとなっていたが、それはある意味表向きの偽装。シモーヌの耳の前では、ノックのはるか前に何者かの接近はその足音ですでに感知されていて、来訪者がドアの前に立った時には、シモーヌはすでに応対の準備を済ませている。だから彼女はどんなに忙しいあるいはこみいった仕事の最中でも、来訪者の入室・面談を断ったことは無い。まずは一刻も早く話を聞くこと、それが園を預かる自分の大切な責務であると彼女は思っていた。

 その日も、昼休憩を終えて現場仕事に戻る皆に入れ替わるように、ただ一人で集会室にシモーヌはやって来た。あれこれと帳簿仕事のため、そこまではいつも通りのこと。だが机に座ってしばらくしたその時、彼女のあの耳は何者かの接近する荒々しい足音を感知した。シモーヌは一応の警戒心は持っていた。

(誰かしら?皆午後の仕事始めで忙しい最中でしょうに、こんな時に?)

 しかし急用の人間の足音はえてしてそんなものだ。そして「急用」であっても「大事件」とは限らない……そう思って。

 ノックに応じていつものように不用意に即座にドアを開いたことに、シモーヌは初めて(しまった……!)と不覚の念を抱いた。

 そこに立っていたのは、険しい形相のケイミー。(続)

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