第14話:村正、鬼を斬る

 村正が急いで体制を立て直した時には既に、そこには地獄絵図が広がっていた。


「こ、これは……!」

「…………」


 数も武器も、圧倒的に上回っていた兵が横たわっていた。誰一人として動こうとしない。生命の源たる赤い血は、やがて大きな血溜まりをそこに成した。


「たった一撃で……」

「……そうだ。トウカ! オボロ! 生きてるか⁉」

「わ、私達は無事だ!」

「抜かりないわ小僧! だが……」

「いやいや、あっと言う間に劣勢ッスねぇ。大丈夫ッスかぁこんな状況で。たった四人でアチに勝てるんスかねぇ」

「くっ……き、貴様よくも!」

「……酒呑童子殿!」

「あん?」


 杏二郎が酒吞童子と対峙した。

 誰だと言いたげである最強の鬼に、彼女は高らかに名乗りを上げる。


「某の名は真加部杏二郎! 最強の鬼である貴殿に一騎打ちを申し込みたい!」

「おっととぉ、こいつはなかなか異性のいい女がきたsッスねぇ。あ~でも、なんか男みたいな名前ッスね」

「……訳あって某、このような姿になり申した。されどこの杏二郎、例え姿形が変わろうとも我が槍は絶対不変! いざ、尋常に勝負!」

「あ~アチこういう熱血系の人ってなんか苦手なんスよねぇ。もっとこう、フリーダム的な? のんびりしている人の方が好きなんスよ。例えば……」

「……え? 俺?」


 酒吞童子と目が合って、村正は辺りを見回した。

 兵は全員倒れているし、目の前にいる杏二郎に目線を合わせてないのは遠くからでもよくわかる。

 トウカとオボロはどうか。そんな淡い期待は、酒吞童子の背後にその姿を見つけたことで呆気なく崩れた。

 赤い瞳に捉われた村正は、ごくりと生唾を飲み込んだ。

 手が震えている。全身から嫌な汗が出て止まらない。

 さしずめ、今の己は蛙に睨まれた蛇も同じ。


「……ははっ」


 村正は不敵な笑みを小さく浮かべた。余計なことに思考が裂けるだけの余裕はまだ残っていてくれた。


(落ち着け……臆するな俺)


 戦場と近しい関係である以上、幾度として危機に晒されてきた。時には今日で死ぬとさえも覚悟した。

 だが、千子村正はまだ生きている。今日という日まで生き延びてきた。

 臆するな。そう自らに言い聞かせて、村正は太刀を抜かんと手を伸ばす。


「貴殿の相手は某にござる! 余所見をしないでいただきたい!」


 杏二郎が地を蹴り上げた。

 電光石火の刺突が酒吞童子の首を狙う。


「もう! アンタはアチの好みじゃないッス。下がってるッスよ」


 扇子で正面から刺突を受け止めた。


「て、鉄扇⁉」

「へぇぇ、アチの鉄扇結構特注品なんスけど、刃毀れ一つしないなんてかなりいい槍を使ってるッスね」

「無論! この槍……大千鳥村正は、そこにおられる世紀の刀匠、千子村正殿が打たれた物! 鈍刀ナマクラと侮られるなよ酒吞童子殿!」

「へ~! この槍ってアンタが作ったんスかぁ。いや驚きッスよ」

「……そいつはどうも」


 そう話し掛けてくる酒吞童子に、笑みをもって返している村正のそれはとても険しい。

 この瞬間でも、杏二郎の攻撃は続いていた。


「うぉぉぉぉぉぉぉぉっ‼」

「アンタ、確か……ムラマサって言ってたッスよね? 人間なのにここにいるってすごいッスねぇ」

「…………」


 刺突の雨を鉄扇一本ですべて打ち落とし、その間にも暢気に話しかけてくる。


(化物め……!)


 村正は内心で愚痴をこぼした。

 今更すぎる話でもある。


「もう、さっきからアンタうるさいッスよ」

「ぐああぁっ!」

「杏二郎!」


 鉄扇による鋭い一打が杏二郎を宙に跳ね上げた。

 その高さは軽く八尺は超えている。

 人間とは斯様かように飛べるものなのか。村正が呆気に取られている間にも、杏二郎は木に激突した。


「ぐ……うぅ……」

「へぇ、まだ生きてるッスかぁ。一応手加減したんスけど、普通だったら今ので即死ッスよ。アンタなかなかやるッスねぇ、点数にしたら……三十点ッスかね」

「ぐっ……そぉっ……!」


 杏二郎はまだ、生きている。そのことに安堵の息が自然とこぼれ、されどあの状態ではもうまともに戦えまい。

 貴重な戦力がまた一人失った現状に、村正はついに太刀に手を掛けた。


「おぉっ! 今度はアンタが相手をしてくれるッスか?」

「……先に言っておく。俺の攻撃を避けた時点でお前の勝ちだ」

「……それ、どういう意味ッス? もしかして作戦かなんかッスか?」

「いいや、そのまんまの言葉さ。俺は剣術家じゃないからな、真似事はできても真に極めている相手にゃ敵いやしないだろう――だがら一撃だ。この一撃にすべてを込める」


 村正はついに太刀を抜いた。

 この日のためだけに打った一振が、その白刃を露わにした時。酒吞童子の顔色ががらりと変わった。

 悠然と振る舞っていた彼女には明らかな動揺が示されている。村正に……いや、村正の太刀に恐れをなしていた。

 酒吞童子を斬る――村正の強き思念を宿すこの刀。まだ名を付けていなかった。

 一応の名は決まっている。

 その名を正式につけるには、酒吞童子を斬ってからで遅くはあるまい。


「な、な、なんスかその刀は! なんで、そんなものが……!」


 激しく狼狽しているのは酒吞童子だけではない。

 彼女の仲間である鬼達もどよめきを起こしていた。


「…………」


 村正は静かに太刀を構えた。上段の構え、切先は天に掲げられるようにまっすぐと伸ばす。

 刀匠である村正に剣の心得は一切ない。道場に通うという手もあったが、彼が振るうべきは鉄槌であって刀にあらず。よって必要なしと判断し、好き勝手に自分なりのやり方で自衛の術とした。

 あくまで自衛である。生粋の剣士に挑もうものなら、勝敗は火を見るよりも明らかと断言できよう。

 だが、天は村正に二物を与えた。


「疾っ!」


 鋭く、短い呼気と共に村正は地を蹴り上げた。

 どんと地面を踏み鳴らし、間合いを瞬く間に詰めると太刀を一気に打ち落とす。

 村正の剣は、一太刀に全身全霊ぜんしんぜんれいが込められている。

 避けられたらこうする、防がれたらこう攻める――余分な思考は一切ない。


「…………」

「……ふむ。まぁ、及第点ってところか?」


 白刃に付着した血を振り落とす。

 再び美しい白銀を見せた刃には、不敵な笑みを浮かべた村正が映し出されている。

 彼の視線の先には、トウカとオボロがいた。

 二人とも唖然としている。

 この惨状を見やればそれも致し方ない。


「な、なんという威力……!」


 立ち上がれるまでに回復した杏二郎が、開口一番に驚いた。

 酒吞童子も鬼も、この場にはもういない。

 否、白くて細いきれいな右腕だけが残されていた。


(どうやら逃げたらしいな……)


 仕留めるつもりで打った、のに仕留め損ねたのは単に己の腕が未熟であるのが原因である。この事実を受け止めて、けれどもやってくる達成感に村正は頬が緩むのを抑えずにはいられなかった。


「たったの一振りで、あの酒吞童子はおろかすべての鬼を斬り伏せただと……?」

「あのような強力な魔力を帯びた刀を、未だかつて爺も目にしたことがありませんぞ!」

「さすがは村正殿にござる。よもや最強の鬼を斬ってしまわれる日本刀を打てるのは、貴殿しかきっとおるまい!」

「……とりあえず、こいつの名前は決まったな」


 酒吞童子を斬った刀――童子切村正どうじきりむらまさを、村正は誇らしげに見つめた。

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