第2話:村正、異形と出会う

 その名の通り、彼がいる森では神隠しが多発する場所として忌み嫌われている。

 子供はもちろんのこと、名のある武芸者ですらも安易に立ち寄ろうとしない場所だが、村正はまるで気にしていない。


「神隠しねぇ……人を攫ったりするにはいい隠れみのだな」


 神隠しは神仏でも魑魅魍魎ちみもうりょうの類による仕業でないと村正は知っていた。

 神隠しとは、有り体にして言えば誘拐である。

 身代金目的か、あるいは快楽的なものか。忍者が忍を育てるために攫うとも聞いている。

 どちらにせよ、人の仕業であることに変わりはない。

 千子村正せんじむらまさはもうよい大人だ。若くして鉄を打ち続けてきて未だ独り身と言う寂しい人生こそ送ってはいるものの、健全な大和男児である。

 みすみす拉致されるようなへまはしない。そんな自信があった。


「さてと……しかし、ここからどうするかなぁ」


 村正は辺りを見回した。

 鬱蒼うっそうと生えている木々が陽光を遮って、昼間であるというのに薄暗い。

 正に、今にも何かが出てきてもおかしくない。得体の知れない不気味さが森全体に流れていた。

 ここを新たな拠点としても、きっと客は寄り付かなくなってしまうのは村正も容易に想像できる。

 面倒極まりない注文をされたくはないが、如何に優れた日本刀が打てようとも、元を正せばちっぽけな人間にすぎない。

 つまり、食べていけなくなったらそこで人生が詰む。

 ある程度食べていくのに困らない程度の収入源だけは、必要不可欠なのだ。


「だとするとここじゃなぁ……」


 うんうんと村正が悩んでいた、その時。

 すぐ後ろの茂みが勢いよく動きた。

 草木が擦れ合う音に振り返った村正は腰に携えていた太刀を鞘より抜き放つ。

 彼は歴とした刀匠だ。本来であれば戦う必要もないし、重きも置いていない。

 しかし戦国時代。力ある者だけが生き残れる現代いまであるからこそ、自衛の術は身に付けておかなくてはならないのだ。


「誰だ……?」

「くっ……!」

「な、お、女……⁉」


 天井を突き破ってきた正体を見て、村正は目を丸くする。

 その女は甲冑で身を着飾っていた。群青色の仕立てがとても美しい。

 それを引き立てるように腰まで届く金色の長髪も、翡翠色の瞳も、未だかつて目にしたことがない。

 すべてが美しかった。


(こんな別嬪べっぴんさんが世の中にはいたのか⁉ いやはや、こいつは僥倖ぎょうこう……って言ってる場合じゃねぇわな)


 美しい女は手傷を負っていた。

 纏っている甲冑も至るところが酷く損傷している。

 女でありながら彼女もあの戦場にいたのだろうと察するのに、そう時間はいらなかった。

 そして女の後ろで、またしても茂みが独りでに激しく揺れる。その音に女の顔が一瞬で強張った。


「くっ……もうここまで追ってきたのか⁉」

「なんなんだ……?」

「そこの貴様! 早く逃げろ、ここは危険だ!」

「いやそりゃわかるけど……」

「ん? なんだ、こんなところに人間がいやがるぜ」

「……は?」


 彼女を追っていた者の正体に、村正は間の抜けた声をもらしてしまう。

 茂みを掻き分けて現れたのは人間ではない。

 鎧兜こそ人間と同じように纏ってこそいるものの、外観は完全に人非ざる者である。

 灰色の肌に血のような赤いまなこ。醜悪な顔はさながら――豚だ。

 人語を理解し、二足歩行はおろか武器まで使う豚などという存在も、村正は一度として見たことがない。

 妖怪――頭の中に突如として浮かんだこの言葉に、思わず村正は納得してしまった。


「げっへっへ。それじゃあ、そろそろ」

「おい人間。死にたくなきゃテメェはそこで大人しく見てな。まぁ混ざりたいのなら俺達が使用した後でいいぜぇ?」

「くっ……オークの分際で!」

「そのオークの分際にここまで追い詰められてるのはどっちだろうなぁ?」


 豚の妖怪――オークというらしい――が女へとゆっくりと近付いていく。

 普通に踏み出せばよいものの、じりじりと時間を費やしているのが実にいやらしい。女に抵抗が無意味であることを理解させるために、オークはわざとじらしているのだ。

 女は立っているのがやっとなほど傷を負っている。

 手にしている刀も半ばから折れていて、最早使い物にならない。腰にある小刀で、怪物の群れをどうにかできるとも考えにくい。

 つまり、彼女は今絶体絶命の危機に瀕している。


「おい俺様が一番だからな!」

「じゃあ俺二番で!」

「おいふざけんな! 俺が次に決まってんだろ!」

「く……来るなオークめ! 私に……私に、触らないで……!」

「急にしおらくしくなりやがったな――俺らに喧嘩を売ったことを後悔――」

「はいそこまで」

「ギャブンっちょッ⁉」


 村正が振り下ろした太刀がオークを一刀両断する。

 奇妙な断末魔と共に左右に分かれた仲間の姿に、他のオークが村正に剣を向けた。


「て、てめぇ! いきなり何をしやがる!」

「こんなことをしてただで済むと思ってんのか⁉」

「やれやれ……訳のわからない注文はされるわ、家壊されるわで散々だな今日は……」

「あぁ!?」

「下がってろよお嬢ちゃん。お前さん怪我してるだろ?」


 溜息混じりに愚痴を吐いて、村正は女の前に立った。

 助ける義理が村正にないように、助けられる義理もこの女にはない。

 村正は鍛冶を生業としている。

 どんなに極悪人だろうと金と、ほんの少しの常識があれば立派な客だ。逆にいかに菩薩のように心優しき者であろうと金がなければ商談には断固として応じない。

 優しさだけで食っていけるほど、世の中は甘くはない。

 いつの時代も、皆生きていくだけで精いっぱいだ。

 この思想に基づくならば、村正がやろうとしているのは明らかに矛盾してることとなる。

 オークと対峙する村正に、女が困惑した面持ちで尋ねた。


「あ、あなたは……⁉」

「まぁ、ちょっと名の知れた鍛冶屋だよ。さっさと安全な場所に逃げな」

「な、何を言って……!」

「調子に乗りやがって……死にやがれやぁぁぁぁぁぁっ‼」


 オークの一匹が村正に襲い掛かった。

 振り翳られた刃が振り下ろされる――ことはなかった。


「な、なんだ⁉」

「矢⁉ くそっ、どっから撃ってきやがる!」


 木々の隙間を縫うように無数の矢がオークへと飛来する。

 空を斬り裂く白銀のやじりが彼らを捉えることはなかった。

 目で追うだけのみならず、避けてしまえる身体能力も驚くべき点であるが、村正の関心は太い木をも穿ってしまった矢の方に向いていた。

 オークが撤退し、村正が矢を回収してまじまじと見ていると、次々と影が女の前に降り立った。


「ご無事ですか! トウカ様!」

「お、おぉ! 爺よよく来てくれた!」

「まったく……あれほど独断専行をされてはなりませんと、何度も仰っているではありませんか‼」

「うっ……それは、その、申し訳ない」

「……とりあえずご無事でよかった。ところで、あちらにいるのは?」

「あ……」


 背後で成されている会話に、村正はまるで意に介さない。


「一見すると単なる鏃だな。でも造りは普通に比べると大分いいが、これで木をぶっ飛ばせるほどの威力が出せるとは思えない……」


 村正はやじりの考察で頭がいっぱいだった。

 そこに、先の女に肩を叩かれてようやく村正は思考を中断する。

 もっとも、その顔にはわずかなりにも不機嫌さが滲み出てはいたが。


「……何か用か?」

「その……さきほどは助かった。礼を言う」

「別に礼がほしくてやったわけじゃない。っていつの間にかお前さんの仲間までいるみたいだな、それじゃあ気を付けて帰れよ」

「ま、待ってくれ! どうか礼をさせてほしい。このまま帰ったとあってはタワラ家末代までの恥。どうか一つ、ここは私の礼を受け取ってはくれないか?」

「ん~……本当にいいんだけどなぁ――それじゃあ、ここは一つご厚意に甘えさせてもらうとするか」

「是非そうしてくれ――申し遅れた、私の名前はタワラノトウカという」

「タワラノ……ん? タワラノ?」

「私の名前がどうかしたか?」


 眉をしかめた村正に、トウカが小首をひねる。


「……いんやなんでも。俺は村正……千子村正って鍛冶師だ」

「鍛冶師か⁉ これも何かの縁、一つ手を貸してはくれないか?」

「え?」

「トウカ様。まずはここを離れましょう。お話はお屋敷へと戻られてからで」

「そ、そうだったな! では皆の者屋敷へと戻るぞ!」


 トウカの号令に応と兵士らが答える。

 森の中を行軍する中、村正は一人沈思していた。


(タワラノ……珍しい苗字だが、たまたまなのか?)


 トウカの性に、村正は憶えがあった。

 彼女の性に纏わる伝説はあまりにも有名で、弓の名手と言えばかの名手――那須与一なすのよいちと並ぶ武士といっても仔細なし。だからこそ一致していることが偶然だと、村正はどうしても思えなかった。

 彼女の言動や部下らを見やるに、所縁ゆかりがある人物やもしれぬ。


(ひょっとすると……とんでもない大物を助けちゃったか?)


 先行するトウカの後姿をしばし眺めていると――彼女に動きがあった。並走していた老将が慌てた様子で咎めている。


「なりませぬトウカ様! ここで兜を外されては危のうございます!」

「平気だ爺よ。このトウカ、流れ矢で討ち死にするほど軟でもなければ弱くもない。何十……いや何百本と飛んで来ようと、すべてこの太刀で切り払ってみせよう」

「そう言ってやられかけてただろ」

「うぐっ……!」

「き、貴様⁉ なんと無礼な!」

「いやだって、事実だしな」


 ボロボロになっている姿では、いまいちに説得力も欠ける。

 だから純然たる事実を村正も口にしたにすぎない。配慮が欠けているやもしれぬが、彼女はただの女子ではない。どう言った経緯があるかは村正のあずかり知るところではないが、戦場に出れば誰もが等しく兵士だ。そこには女も、子供も関係ない。


「よ、よいのだ爺……よいから、本当に……ぐすっ」

「ト、トウカ様! 大丈夫ですぞ! 何があろうともこの爺がお守りいたしますので!」

「うん……ありがと……」


 半べそをかいたトウカが、兜を脱いだ。

 隠されていた金色の髪が完全に露わとなる。


「……え?」

「ん? どうかしたのか?」

「えっ? いや、その……なんだその耳は⁉」


 放った一言に、彼には一様に怪訝な眼差しが向けられるが、村正はそれどころではない。

 兜を脱いだカルナーサの耳は、やじりのように鋭く尖っていた。

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