第11話:村正、牢獄にて目覚める

 朝日を迎えたと共に、けたたましい声が村正を叩き起こした。


「起きろムラマサよ!」

「ん……」


 ぼやけた視界に声の主を捉えれば、村正は大きな欠伸と共に挨拶を返す。


「あぁ、おはようさんトウカ……」

「聞いたぞ。もめ事を起こして拘置場にいると聞かされた時には私も驚いたぞ」

「それについては、俺の所為じゃないんだがなぁ」

「む? ではどうしてここにいるんだ?」

「それは……ほれ」

「ぐごぉ~ぐががぁ~!」

「な、なんだあの女子は……⁉」

「まぁ主に、あいつの所為でな」


 向かいの牢獄で大鼾をかいている女に、トウカが困惑の意を示した。

 サラシで一応は隠されてはいるものの、その豊満な乳房をも出している。女として礼節の欠片さえもない、大胆不敵と言えば聞こえはよかろう。

 やっていることははしたない、の一言に尽きるが。


(でもまぁ、元が男なんだよなぁ……)


 誰しもが美女であると評価を下そう彼女……いや、彼が元々ごつい男だと知った時の反応がいささか気になるところではあった。


「あの女は誰だ? いったい何があったのだ?」

「まぁ簡潔に話すとだな、あいつは俺がいた世界での知り合いになる……んだろうな」

「何? それではこの女子も貴様と同じまれびとということか?」

「そうなるんだろうな。だけど、こいつは元々男なんだ……信じられないだろうけど、」

「なんだと?」

「なんでも、喉が渇いたからってことで湖の水を飲んだらしい。そうしたらあんな風になってしまった、だそうだ」

「まさか……転心池てんしんいけの水を飲んだというのか?」

「転心池?」

「あぁ、ここからそう遠くない場所にある池だ――」


 時は遥か昔まで遡る。

 ある村に一人の男がいた。特に何かに秀でているわけでもなく、どこまでも平凡であったが持ち前の優しさから村人達から大変好かれていた。

 だが、男にはどうしても明かせない秘密があった。

 それは、恋をしていること。同じ村に住む者に彼は想いを寄せていた。

 しかし、この恋が結ばれることがないのを男はわかっていた。何故ならばその相手とは彼と同じく男なのだから。

 想いを告げられるまま、時間だけがいたずらに流れていき――ついに、想い人の結婚が決まった。もちろん相手は女性である。

 自身の恋が結ばれないことを嘆いた男は、入水自殺を試みた。すると池の中から女神が現れて、男にこう告げた。


「――想い人の姿を思い描きながらその水を飲めばお前は生まれ変わることができる、と」

「それで、その後は……?」

「池の水を飲んだことで女となったその男は、想い人に告白したとあるな――結末までは記されていないが」

「…………」


 背中に冷たいものが走り抜けていく。

 村正は顔をどんどん青ざめさせていった。

 トウカの話は真実である。その証拠は今もがぁがぁと大鼾をかいている元男である彼が動かぬ証拠だ。

 だからこそ、悪寒に村正は身体を打ち震わせる。


(こいつ……いったい誰に想いを寄せているんだ?)


 考えただけでも、ゾッとする。

 如何に美しい女へと生まれ変わろうとも、元が男である事実だけはどう足掻こうとも曲げられない。

 過去を知っていたならば尚更のこと。せめて彼に想いを寄せられている誰かが初対面であることを村正は切に願った。


「ん……」

「あ、起きた……」

「ここ、は……そ、そうだ!」

「よぉ起きたか」

「む、村正殿! 某は何故このような牢獄に捕らわれているのでござるか⁉ そ、それに貴殿も……い、一体何が!」」

「……ったく。相変わらず騒がしい奴だなお前さんは」


 喚きたてる杏二郎に村正は溜息を吐いた。


「とりあえず、ここから出るぞ。作戦決行までもう時間はあまりないのだからな」

「違いない」

「ま、待たれよそこの御仁! 某も……!」

「話は一応聞いてはいる。貴様はムラマサと知り合いだそうだな。けれど、聞けば貴様はムラマサに突然槍で襲ったそうだな?」

「そ、それは……!」

「まぁ待ってくれトウカ。杏二郎、ちょいとばかり手伝ってくれないか? お前さんの返事一つでここの釈放ももちろん、お前さんに槍を打ってやる」


 訝しげな眼差しを向けるトウカを無視して、村正は交渉を持ち掛けた。

 もっとも、この交渉に差して価値がないことは最初ハナからわかりきっている。杏二郎がどのような答えを出すかを村正はわかりきっていた。


「無論だ! この杏二郎、村正殿の頼みとあらば例え火の中であろうと水の中であろうと向かう所存! ましてや某の槍を打ってくれるのであれば尚のこと!」


 案の定の結果に思わず笑ってしまう。

 再三千子村正が打つ槍がほしい、とやってきた男だ。

 槍の存在をちらつかせてやれば、この男ならば簡単に釣られてくれるだろう。予想は見事に的中……最初ハナから予想するまでもなかったが、ともあれ。


(これで強力な助っ人を手に入れられたな)


 村正から知る中で、杏二郎は一騎当千の武人である。

 酒呑童子討伐戦においての戦力に、村正はいささか不安を憶えていた。

 オボロとトウカを除いて真のつわものと呼べるに早々しい武士は、果たしてここにどれだけいるか。それを自らに問うてみた時に、誰一人として思い至らなかった。

 まだ村正が出会っていないだけかもしれない。

 募集をすれば、ひょっとするととんでもない猛者が応援に駆けつけてくれる可能性だって考えられよう。

 戦力が多いに越したことはない。


「簡潔に言うぞ――俺達はある相手と戦をしなきゃならん。相手はあの酒呑童子……この国の鍛冶師の家族を攫って莫大な身代金を要求してきているのが現状だ」

「なんと⁉ 酒吞童子……それは真にござるか!」

「信じられないだろうけど、とりあえず事実だ。それに向けて俺達は準備をしているってわけだ。さっき言った条件っていうのは、この作戦を手伝ってくれること――どうだ?」

「まさか日本三大妖怪が一柱、酒呑童子と刃を交える機会が訪れようとは……――某も是非! その戦に加えていただきとうにござる!」

「決まりだな」

「おいいいのか?」

「心配しなさんなってトウカ。こいつの実力は俺が保証する――釈放してやってくれ」

「…………」


 杏二郎の牢獄が解放される。


(これで少しは戦況がこっちに傾いてくれるといいんだが……)

「いやぁ、ようやく出られたでござる。やはりお天道様を浴びると気持ちいでござるなぁ」

「…………」


 身体の筋肉をほぐしている杏二郎を見やるトウカの視線は、心なしか鋭い。

 まだ彼を信頼していないのは、無理もない。

 こればかりは杏二郎自身が、彼女から信頼を勝ち取らぬ限りはどうにもならない。

 その機会は、突然にもたらされた。


「キョウジロウ、と言ったな?」

「はっ。某が真加部杏二郎にござるが……貴殿は?」

「私はタワラノトウカという。キョウジロウよ、少しばかり私と手合わせをしてくれないか?」

「えっ?」


 この申し出には杏二郎のみならず、村正も驚いた。

 ここで起こり得る可能性を危惧して、村正はトウカへ物申す。


「おいトウカ、もうすぐ戦があるって言うのに万が一のことがあったらどうするんだ? いきなりやってきた奴を警戒するのはわかるが、それなら酒吞童子と戦う時に出も――」

「すまないなムラマサ。貴様はこの男……いや、今は女だったな。女を信頼しているだろう、けれど私は信頼していない。信頼できない相手を参列に加えるなど、私にはできない」

「…………」

「だから私が直々にこの女と太刀合う。真の仲間に相応しいかこの目で見極めさせてもらう」

「……貴殿が望むのであれば、某も受け入れよう。その仕合、見事勝ってみせようぞ!」

「おいおい……」


 トウカの申し出を、杏二郎が受諾した。

 両者の間で激しく飛び散る火花に、村正はがくりと項垂れた。 

 一度火がついてしまった杏二郎は誰にも止められない。根っからの武人であるこの男……いや、女は強き者と相まみえるのが何よりも好んでいる。

 戦いに喜びを見出して、一部では戦闘狂などと恐れられている事実さえも嬉々として受け入れる、大変酔狂な武士であるのだ。

 こうなってしまった以上、村正は二人を……主に杏二郎を止める術はない。

 できることは、ただ一つ。


(どうか当日で差支えが出るようなことが起きませんように……)


 二人の無事を心から祈ることだけだった。


「ではいこうか」

「その前に! 某らにはまずやらねばならぬことがあるにござる!」

「なんだ?」

「まずは朝餉あさげにござる! 腹が減っては戦ができぬと古くから言うでござろう! あぁ某好き嫌いはない故、その辺りは安心されい」

「こいつ……」


 要するに飯を食わせろ、とこの女は言っている。

 初対面の相手にもずけずけと要求する様は、どこか清々しいものがあった。相変わらず、この女は異世界に身を置こうとも何も変わらない。己という己を貫く姿勢に、さてトウカがどう反応を示すのやらと村正は恐る恐る横目をやった。


「……ふっ、面白い奴だな」


 笑っていた。怒りなどは一切混ざっていない。

 心から真加部杏二郎に対して、トウカは笑みで返した。

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