第10話:村正、太刀合う
彼女が名乗り、村正の脳裏にはある一人の男が鮮明に描かれる。
(今……この女は何て言った?)
その男は、名前を憶えない村正に自らの名を憶えさせていった唯一の人物である。
真加部杏二郎――若くして戦国の世に名を轟かせる麒麟児。槍の名手と謳われる彼がその技を披露すれば、曰くたった一突きで十人もの兵を穿つ威力を誇るという。
かつて、村正の下にこの真加部杏二郎が訪れたことがあった。
どうか自分に見合った槍を打ってほしい――そのお願いを村正は一蹴している。何故ならば、彼もまたとんでも発注をしてくる輩の一人にすぎなかったからだ。
真加部杏二郎が求めたのは、龍さえも穿てる槍である――龍を目にしたことがないのにどうやって作ればよいというのか。
打てるはずがない。
そうして追い返した――翌朝に彼はもう一度やってきた。内容は昨日と同じ、対する村正の対応も昨日と変わらない。
そんなやり取りを、ずっと続けてきていた。
嫌でも顔も名前も憶えてしまう。
しかし、はて。村正は小首をひねった。
「おいおいお前さん、いくら何でもそんなわかりやすい嘘を吐くのはどうかと思うぞ?」
言うまでもなく、真加部杏二郎は男だ。
鍛え抜かれた筋肉は鎧のように分厚く、腕は丸太のように太くてごつい。握力も石ころ程度であれば軽々と握り潰せる。
とても目の前の女が、彼自身だと思える要素は一つとしてない。
(いちいちやかましい喋り方をするところは、まぁそっくりっちゃそっくりではあるんだけどな……)
これだけでは判断のしようがない。
「ほ、本当にござる! 信じて下され村正殿!」
「いやそうは言っても……どう考えたって無理だろ」
「ぐっ……た、確かに。だが、某は……!」
「あ~とにかく今日はもう遅いから帰って寝な。その方がいい」
「お、お待ちくださ――そ、そうだ! ならば村正殿! これをご覧にいただければ貴殿であればすぐにわかるはず!」
そう言うや否や、真加部杏二郎を語る女は背中に携えていた槍を手に取った。
「そいつは……!」
「この槍こそ、某が真加部杏二郎たる何よりの証拠にござる!」
全長はおよそ七尺(およそ二百十センチ)、左右にも穂があるそれは十文字槍という。朱漆で塗られた柄と金具で彩られた槍を見て、村正は驚きを禁じ得ない。
「……間違いない。その槍は確かにあいつのだ」
「わかっていただけましたか⁉」
「お前さん、まさか盗んだのか?」
「どうしてかような考えに至るのでござるか⁉ だから、某が真加部杏二郎にござる!」
「いや、でもなぁ……」
「ぐぬぬ……こうなってしまっては某も最後の手段に出るしかあるまい――村正殿、お覚悟なされよ!」
「は⁉」
次の瞬間、女は鋭い突きを村正へと向けって放った。
電光石火に等しき
けたたましい金属音が、夜の街に鳴り響いた。
「いきなり何をするんだ⁉」
「まだわかるか! ならば貴殿がわかるまで続けるのみ!」
女の槍が村正へと容赦なく襲い掛かる。
応戦する村正であったが、女の猛攻に成す術がない。
結果、防戦一方を強いられる。
槍の利点はなんといってもその長さだ。遠く離れた位置からでも攻撃が届く。十文字の穂も、突くだけでなく斬ることにも大変優れた造りだ。
刺突、振り下ろし――あらゆる方面から絶え間なくやってくる攻撃を、村正は紙一重で回避していた。
(この槍捌き……間違いない!)
幾度として経験してきたことのある槍だ。
記憶として脳裏だけでなく、身体も憶えてしまっていた。故に村正は一太刀も浴びていない。
「ま、待った!」
「むっ!」
刺突を太刀で大きく弾き飛ばして間髪入れずに、村正は女に制止するよう呼びかける。
「……お前は本当に、あの真加部杏二郎、なのか?」
「よおやっとわかっていただけたか!」
「その槍捌きを見せられたとあったらな……嫌でも信じるしかないだろ」
この女は真加部杏二郎だ。この事実を村正は否が応でも認めなくてはいけない。彼の槍は、彼が積み重ねてきた研鑽により生まれた槍だ。
どこぞと知れぬ輩が軽々しく真似できる代物ではない。
「しかし、本当にお前さんなのか?」
やはりまだ、村正は信じられずにいる。
いきなり男が女に変化することなどありえない。
元々が中性的であったのなら、化粧の一つでも施してやれば見間違えることもあるやもしれぬ。
真加部杏二郎は歴とした猛者である。どこを捉えても完全なる雄でしかない彼に化粧が施されれば、たちまち怪物へと変わり果てよう。
想像しただけで気持ち悪くなった。
「某も未だ信じられん……。まさか、このような姿になってしまうとは!」
「……何があったんだ?」
「……あの戦に某も参戦していた」
「あ、お前もあの戦にいたのか」
「そこで某は貴殿が死んだという噂を聞いた。もちろん信じなかった! だが、貴殿の鍛冶場ば戦火に巻き込まれて見るも無残な姿へと変わり果てていたにござる」
「まぁ砲撃を食らったからなぁ……」
「その時、某はある噂を耳にしたでござる。千子村正に似た男が帰らずの森にふらふらと入っていたということを! 某はその噂を信じて帰らずの森へと足を踏み入れた、そして気が付くと……!」
「そうなっていたと……」
じんわり、と杏二郎の瞳に涙が浮かぶ。
「喉を潤さんとして湖の水を少し飲んだ瞬間、某はこのようになってしまったでござる……何故このような仕打ちを受けねばならんのでござるかぁっ⁉」
「いや俺に聞かれてもな……」
「行く当てもなく、魑魅魍魎が跋扈する世界で某は今日まで生き抜いてきた。そしてやっとの思いでこの町へとたどり着き、村正殿にも出会えることができた! 鍛冶場後で一人の焼死体が見つかったというのが貴殿でなくて本当によかった……!」
「焼死体?」
「これもすべてご先祖様のおかげ! かような姿になってしまった某をお導き下さり感謝いたしますぞ‼」
「うるさっ! お前さんちょっと時間帯を考えて――」
「あ~ちょっといいかなお嬢さん」
ドスの効いた声が杏二郎へと掛けられた。
振り返れば、二人のエルフが立っている。今日の夜回り番である彼らの顔には笑みこそ張り付いているものの、目がまるで笑っていない。
「先程から大声で喚き槍を振り回しているエルフみたいな奴がいるという知らせがあってね……これ、君のことだよね?」
「ちょっと一緒に来てもらえるかな?」
「な、なんだ貴様ら! 某は怪しいものにござらん!」
「いやね、君さっきそこにいる人を槍で襲ってたでしょ?」
「いやちがっ……いや違わなくはないでござりまするが!」
「それじゃあ行こうか。それじゃあ我々はこれで」
「あ、うん。お疲れさん」
「ままま、待ってくだされ! 村正殿も一緒に弁明してくだされぇぇぇぇぇぇっ!」
「……はぁ。仕方ないな」
心底面倒くさそうに、村正は連行されていく杏二郎の後を追った。
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