第9話:村正、再会する

 微睡の中を漂っていた意識は、突然に現世へと帰還を果たす。

 村正が目を開けて、真っ先に見やったのは漆黒の空にぽっかりと浮かぶ白い月だった。

 冷たくもとても神々しく輝く月を視界にしばらく収めていて、村正は慌てて飛び起きる。


「夜……ッ⁉」


 ほんの二刻ほど眠るはずが、遥かに時がすぎている。

 辺りはしんと静まり返っている。時折聞こえてくるのは木々の間をすり抜ける心地の良い夜風の音と、ほうほうと梟の鳴き声のみ。


「……あ~くそ。完全に寝過ごしたな」


 やってしまったと村正は頭を掻きながら立ち上がる。

 長時間の睡眠によって、眠気はすっかりと消失した。おまけに身体も軽い。充分な休息が取れただけでも、よしとすることにした。


「さてと……これからどうするべきやら」


 覚醒してしまった村正の夜は今からが長い。

 横になってみようものの、眠気がやってくることは当然なかった。

 話し相手の一人でもほしいところではあったが、この時間帯である。自分の欲を満たしたいがために関係のない者を巻き込む、というのも気が引ける。

 しばらく悩んだ末、村正は町へと向かうことにした。

 大層な理由なんてものはさらさらない。

 夜の散歩――要するには暇潰しである。

 村正が町に着いた頃には、日中の活気は鳴りを潜めていた。


「まぁ当然っちゃあ当然だわな」


 夜遅くまで起きている自分が悪い。

 町中をしばらく徘徊してみるものの、結局誰かと出会うことはなかった。


「……本当に困ったな」


 どうしたものかと村正は沈思する。

 朝を迎えるまでのやるべきことがまるでない。

 仕方なく村正は鍛冶場へと戻るしかなかった。


「どうするかねぇ。また刀でも打つか?」


 朝を迎えるまでの時間をどう潰すかをうんうんと悩んでいると、たったった、と足音が村正の耳に届けられた。

 音がするのは前方から。誰かがこちらに向かってきている。数は一人、走行音に混ざって聞こえてくる金属が擦れ合う音から、甲冑を纏っているのだと推測できる。


「こんな時間に誰だ?」


 運よく自分と同じような境遇者に出会えたというのに、いざ人がいるとわかるや否や、村正は警戒心を露わにする。

 ただの散歩であれば、わざわざ甲冑を着込む必要もあるまい。武装をしっかりと整えて町を徘徊する理由となると、悪い方法ばかりが思い浮かんでしまう。

 だんだんと近付いてくる音に、村正はじっと前方を見据えた。

 やがて、足音の主が村正の前にその姿を晒し出す。


「女……?」


 月夜に照らされたのは、一人の女であった。

 まだ若い。二十歳を迎えてはいないだろう。トウカらのように尖った耳をしているが、長髪は金色ではなく赤を宿していた。目も碧眼である。


(エルフ……じゃないのか?)


 彼女がエルフであるかどうかはともかくとして。村正はまず、やってきた女に対して色々と言及したい欲望に駆られていた。


(なんなんだ、その格好は……)


 あれを甲冑などとは認めてはならない。

 赤を主体とした着物の上から袖、手甲、と装着こそしているが胴に関しては村正は怪訝な眼差しを向けた。

 まず、胸元が大きく乱れている。ざっくり言うとあれは自ら乳房を丸出しにしているも同じ。

 それだけであれば単なる痴女でしかないが、鉄板が彼女の胸の形に添うようにしてしっかりと隠している。

 それでも、村正から見やれば痴女であることになんら変わりはなかった。

 おまけに袴も短い。肘よりも上にある丈では、少しでも動けば秘部が丸出しになろう。

 これは、とんでもない輩に遭遇してしまった。彼にそう思わせる女と、村正は不幸なことに目が合ってしまった。

 本能が告げる。


(これはまずい……)


「そ、そこの御仁ごじんお待ちくだされ!」

「げっ……」


 逃げようとした村正に、女が制止をかけた。

 恐る恐る、村正は振り返る。

 息を切らし駆け寄ってくる女。蒼き瞳は涙で潤んでいる。あたかも旧友と再会を果たしたと言わんばかりの挙措に、村正は身震いを起こさざるを得ない。


「えっと……俺に何か用かな?」

「な、なんという奇跡! まさかここで貴殿と再会を果たすことができようとは!」

「いや悪いけど俺はお前さんのことまるで知らないんだが……人違いじゃないか?」

「そ、そんなことはござらん! 某は以前何度も村正殿の元をお尋ねしたことがありまする!」

「えぇ……?」


 女の言葉に、村正は彼女へと向ける眼差しを強めた。


(いやいやいやいや、そんな客いなかったぞ……)


 村正は名前こそ憶える気はないが、顔だけはしっかりと記憶している。その自信をもってしても、この女に関する情報だけが一つも該当しない。

 つまり、女は嘘を吐いている。村正には揺るがない自信があった。

 すると、合点が言ったとばかりに女が手を打った。


「た、確かに。貴殿にしてみればこのような姿をした女子を見たこともないでござろうな……。某とて未だ頭が混乱しているでござる」

「えっと……本当にどちらさん?」

「……信じてもらえぬことを承知で、改めて名乗らせていただく――某の名は、真加部杏二郎まかべきょうじろうにございまする!」

「……は?」


 間の抜けた声を思わずもらしてしまう。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る