第8話:村正、違和感を憶える

 四日目の朝をアワウミノクニは迎えた。

 町は普段と同じ明るい活気が満ち溢れている中で、町外れに位置する鍛冶場では絶えず鉄を打つ音が奏でられる。 


「……………」

「も、もう四日目じゃ……お主そろそろ休まねば死んでしまうぞ!」

 彼の身を案じる鍛冶師であったが、その声が村正に聞き届けられることはなかった。

 一心不乱に、赤々とした輝きを発する鉄目掛けて今日も村正は鉄槌を振るう。

 わっと四散する無数の火花をその身に浴びる彼の身体は、以前と変わらぬまま。

 食事はおろか水分さえも摂取していないにも関わらず、まるで衰えを見せていない。

 はっきり言って異常である。それは村正自身が誰よりも理解していた。


(おかしいな……)


 初日から絶えず降り続けていた腕が、ここにきて止まった。

 眼前で燃え盛る炎を前に、村正は沈思する。

 一週間という短い時間で作れるのはよくて二振ぐらいと自分でも思っていた。

 討伐するはあの酒吞童子である。鈍刀ナマクラはもちろんのこと、せいぜい良いだけでは到底太刀打ちできない。

 トウカとオボロ、彼らが前衛となって戦うであろうならば特に生半可な刀は渡せられない。

 だからせめて二振だけは完璧に仕上げてみせる。

 その気概で打っていたものだから、周囲がまったく村正には見えていなかった。

 手を止めて意識を鉄から外した時、村正はようやく現実を直視する。

 手を止めてはじめて、村正は現実と対面した。

 村正のすぐ横には、刀身がいくつも重ねられていた。

 ざっと数えただけでも二十本以上はある。


(これだけの数を、俺が本当に打ったのか?)


 当初の予定していた数よりも倍以上の刀身を前に、村正は己の問わずにはいられなかった。

 彼の自問に対する答えは、すぐにやってくる。

 答えはその刀身そのもの。茎の部分にはっきりと刻み込まれた村正の二字が何よりの証であった。


「お、お主は本当に何者なんじゃ……⁉」

「…………」

「飲まず食わずで鉄を打ち続けるばかりか、一度打てば炎がまるで生きているようにうねる! とても人間が成せる業ではない……!」

「……いや、そんなこと言われてもだな」


 身に覚えのないことをまくし立てられても、村正にはどうすることもできない。

 打っている時の記憶が実は朧気だった。

 酒吞童子をも斬れる……あの天下五剣をも超える名刀を打つ――それ以外の思考は不要である。

 魂よ燃え尽きよ、腕よ引き千切れよ、と言わんばかりに鉄を打ていた――ことまではうっすらとながらも憶えている。

 鍛冶師に指摘されて、麻痺をしていた感覚がここで蘇ったのか。情けのなく泣いた腹の虫と共に、急激な飢えと渇きが村正を襲う。


(色々と考えることはあるが……まずは、だな)


 村正は鍛冶師の方へ顔をやった。


「悪い……なんか先に食わせてくれるか?」 

「…………」


 明らかに怯えている彼に村正は苦笑いを返した。


 そうして用意された食事を村正は胃の中へと納めていく。

 握り飯と水、とても質素シンプルな献立ではあるものの、空腹に苛まれている今の村正にとってはご馳走である。

 山を成している握り飯を一つ取っては頬張り、水で流し込んでいく。さながら獣じみた食べっぷりが、鍛冶師を余計に警戒させてしまった。


「いや流石に人もエルフも食べるつもりはないから」

「…………」


 柱の陰から一向に出てこようとしない鍛冶師に、村正は内心で大きな溜息を吐いた。

 そうこうしている内に、村正は山のようにあった握り飯をあっという間に平らげた。

 胃も満たされて、水を啜ろうとしたところに一人の来客者が現れる。


「失礼する」

「おぉトウカか。おはようさん」

「ト、トウカ様!」

「おぉ、朝早くにすまないな。それと……こ、これは⁉」

「お察しの通り、すべてそこにいる人間が打ちました。ワシが手伝えることなど、最初から何もなかったのです……」

「なんと……⁉」

「…………」

「ムラマサよ、貴様は本当に何者なのだ……?」


 どかどかとやってきたかと思えばこの質問に、村正は小さな溜息をもらした。

 何度もしてきた質問だ、嫌気も差してくる。

 何者であるかと聞かれても、村正が出せる答えは一つしかない。


「だから、何回も言ってるだろ? 俺は鍛冶師だってな」

「それが信じられないからこうして尋ねておるのだ――見よ、貴様自身が打ち出したこの刀身を」

「……何?」

「この刀身にはどれもこれも霊力に匹敵する魔力が込められている……。確かに霊力を宿した鉱石を用いればその手の物を打つことは可能だ。だが、これは――」

「ちょっと待ってくれ。霊力とか魔力とか言ってるけど、それってなんだ?」


 知らない単語だ。

 魔力なる単語をさも当然とばかりに言い放つトウカであるが、村正にはなんのことだかわからない。

 いよいよ、新しい知識ばかりで頭が痛み始めてきた。

 これから先のことを思うと、卒倒しないかが不安である。


「そうか……貴様は魔力を知らなかったのだな」

「なるべく簡潔に頼む」

「ふむ……ではわかりやすく説明するとだな――」


 トウカの講義が始まった。

 わかりやすく、と彼の要望を汲み取ったトウカの説明は、村正でも容易に理解できるものであった。

 この世界に存在する魔力と霊力。

 自然により生成されたものを霊力と呼び、人体にて自発的に発生させる生命エネルギーを総称して魔力と、トウカは説明した。

 二つの異なる点は、その力の純度にある。


「霊力は自然が長き時間を成して誕生したものだ、それ故に取れる数には限りがある。希少度の高さから高値で売買がされていて、見つければ数年は遊んで暮らせるだけの金が得られるだろう」

「へぇ……」

「一方で魔力は元を正せば生命力だ。体力と精神力が安定している限りはいくらでも生み出せる――が」

「霊力には遠く及ばないってことか」

「そうだ。どれだけ優れていようとも、所詮我々はこの大自然には勝てないということだ」

「なるほど……で?」

「で? ではない! 貴様が打った刀にはどれもこれも霊力に匹敵するほどの魔力が宿っていると私は言ってるんだ! どんな素材を……いや素材の問題ではないな。どんな方法を用いたのだ⁉」

「お、落ち着けって!」


 胸倉を掴んで前後激しく揺さぶられた村正は、必死にトウカを宥めた。一見華奢であるというのに、ものすごい力の持ち主であることもわかってしまった。


「す、すまない……」

「い、いや……いい。けどなぁ、どうやったって言われたって、俺は普通に刀を打っただけだぞ?」


 こればかりは、村正もどうしようもない。

 村正が刀に用いた材料はすべて基礎である玉鋼のみである。強いて言えば良質なものを厳選しているぐらいであるが、それ以外の素材は一切使用していない。

 確かに、この鍛冶場にはトウカが先に言った玉鋼とは異なる鉱石があったのも村正は知っている。

 されど、刀を打つのに不必要なものであると即座に判断したため、鍛冶師にも詳細を求めることなかった。

 これが村正が出せる答えのすべてである。

 あるがままの事実を告げて、しかし納得のいっていないトウカからは怪訝な眼差しが向けられる。


(俺にこれ以上どう答えろって言うんだよ……)


 村正は肩を竦めた。


「……だが、本当に見事な出来栄えだ。これならばきっと酒吞童子にもこの刃が届こう」

「あぁ、ちょっと待ってくれ。そこにあるのはトウカのじゃない」

「何? 私用にあるというのか……?」

「まぁな。お前さんのは……ほれ、ここだ」


 村正はトウカに一振りの刀を渡した。

 トウカの体躯から使いやすさを考慮して村正が打った一振の太刀。刃長はおよそ二尺一寸(約六十三センチ)、最大の特徴は片手で扱うことを想定した片手打ちである。


「最初にトウカが持っていた刀を見た時、片手で扱うのが得意なんだろうなって思ったんだ」

「あの時のことを……憶えていたのか?」

「まぁな。それで、今回打ったのも片手打ちに仕上げてみた――どうだ?」

「……違和感がまるでない。最初からずっと手にしてきたかのような感覚すらある。それに……軽い!」


 試しとばかりにトウカがその場で刀を華麗に操れば、白刃は銀光を引いて空を斬り裂く。

 その音は心地良ささえ感じるほどに。村正の顔にも満足の色が浮かぶ――がすぐに渋い顔へと打って変わった。


(ふむ……あれもイマイチだったな)


 トウカに合わせることを前提した刀であるので、それで言えば十分に目的は達成できたと言えよう。

 されど一刀匠として見れば、まだまだ完全には程遠い。

 ともあれ、これで村正がやるべきことは終えた。

 まだ三日はあるし、やろうと思えば後少しぐらいならば刀も打てる。

 村正もそうした気は山々だったのだが、如何せん今は何よりも眠気が勝っていた。異が満たされて助長してきたのも大きい。


「悪いトウカ……俺はちょっと休むわ」

「お、おいムラマサ……!」

「んじゃ、おやすみな……」


 ごろり、と寝転がると村正はそのまま意識を手放した。

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