第二章:最強の鬼をも斬る
第7話:トウカ、興奮する
青かった空に上質な
既に町は眠りに就いていた。
しんと静寂に包まれた町に一人分の足音だけが静かに奏でられる。
月に見守れらながらトウカは村正の元を尋ねた。
「夜遅くまでやってくれているのか……」
まだ明かりが灯っているエルフの鍛冶場からは、リズムよい鉄打音が聞こえてくる。
酒吞童子を討伐するべく、
本来であれば彼には自分達を助ける義理なんてない。
しかし、快く引き受けてくれた。
後で相応の見返りを求めてもいない。
それは彼が生粋の鍛冶師であるからに他ならない。
千子村正という男は、ただ試したいのだ。
酒吞童子という最強の鬼に果たして自分の力量がどこまで通用するのかを実証したくて仕方がない。
それは頼もしくもあり、時に恐ろしくもある。
鍛冶屋でのやり取りを思い出して、トウカは一瞬だけ身体を震わせた。
(ムラマサは……本当に人間なのか?)
千子村正はまれびとである。
まれびとであるから、理に縛られないのかもしれない。
なんて浅はかな考察だと自分でも思わずにはいられない。トウカは自嘲気味に小さく笑った。
トウカ自身はまだ目にしたことがない。すべてオボロからの喧伝だけが、彼女が持つ唯一の情報だった。
対して興味がないからと、よくよく聞いておかなかった過去が今更ながらに惜しい。
(今度ゆっくりと爺の話を聞いてみるか……)
幼少期の頃と比べて日常会話をする機会がめっきり減ってしまった。そのことを何気に憂いていると、侍女同士の会話でトウカも小耳に挟んではいる。
これはちょうどよい機会だ。そう捉えることにした。
「む? あれは……」
「おぉ、これはトウカ様。夜分遅くに如何なさいましたか」
玄関先で鍛冶師に出迎えれたトウカは、はてと小首をひねった。
「ムラマサの様子を見に来たのだが……どうして家の外にいる?」
「…………」
「……ムラマサと、何かあったのか?」
何気なしにトウカが問うと、鍛冶師がぶるりと身体を震わせた。心なしか顔色も悪い。彼の身に何かがあったと、トウカに悟らせるには十分すぎる状態だった。
しばしの沈黙が流れた後、鍛冶師がぽつりと語り始める。
「トウカ様……ワシはあの男が恐ろしくて仕方がありません。あのような鍛冶は未だかつて目にしたことがないといってもよいでしょう」
「と、言うと?」
「奴は……鍛冶に魅入られた悪鬼にございます。刀を打つためであれば寝食はおろか己の命でさえも喜んで差し出せる……あれはそういう男にございました。本当に人間であるのかも、ワシにはわかりません……!」
「…………」
「あの男が鍛冶を始めてから今日で三日目。朝から晩まで、食事も睡眠も取らずずっと鍛冶場にこもり続けております」
「何⁉ あの日から一度も鍛冶場から出ていないというのか⁉」
「……こちらをご覧ください」
すっと、トウカの前に一振の刀が差し出された。
「今朝方に仕上がったものです」
「これが……」
|拵(こしらえ)は|黒漆太刀拵(くろうるしたちこしらえ)。飾られた金具がいい具合に黒を引き立てている。
肝心の刃はどうか。
恐る恐る、トウカは刀を鞘から払った。
「…………」
露わになった白刃を前に、トウカは言葉を失った。
「なんだ……これは」
それを言うのが精いっぱいであった。
脳が考えることを放棄してしまっている。それだけに村正が打った刃は凄まじかった。
入念に研ぎ澄まされた刃に宿る輝きは月の如し。
月光に晒せば、より一層神々しい。
「…………」
トウカは試しとばかりに、近くに生えていた竹に向かって軽く振るった。
ひゅん、と風切音の後にこんっ、と心地良い音が鳴った。トウカの一刀により竹は横一文字に両断される。
「なっ……」
更なる驚愕がトウカに襲い掛かる。
「何も……感じなかった」
斬った感触がない。
これでは虚空を斬ったのとなんら変わらない。
恐るべき切れ味である。初めての経験にトウカの身体は震えていた。
鍛冶師のように村正という男を恐れてか――否である。
何故ならばトウカの顔にはぱっと花が咲いていた。
「すごい……! 私が持っている刀よりも遥かに!」
これは紛れもなく名刀……大業物に匹敵する。それだけの代物をたったの三日足らずで仕上げたという事実に、トウカは心から称賛した。
(ムラマサは、まだ中にいるんだったな)
トウカはそっと、窓から鍛冶場の中を覗いた。
「――――」
窓を挟んだ向こう側に、村正の姿があった。
一心不乱に真っ赤に熱された鉄へと、己が鉄槌を打ち落とす。速く、鋭く、そして重い。
(すごい……まるで炎が生きているようだ)
燃え盛る炎の勢いはさながら大蛇のうねりのよう。
灼熱の炎と、無数の火花にその身を晒そうとも村正がその手を止めることは決してない。
なるほど。これでは彼が恐れてしまうのも無理はない。
鍛冶に対しての情熱は他とは一線を画している。
あれは、異常だ。常人とは大きくかけ離れてすぎている。
であればこその、この刀なのだろう。
「……また、明日くる」
「は、はい……!」
トウカはそっと窓から離れると、鍛冶師にそう告げた。
(二百年も生きておいて、まるで
年甲斐もなくはしゃいでしまったことに、トウカは自嘲気味に笑う。
いつも同じことの繰り返しだった日常に、新しい刺激が舞い込んできてくれた。
明日はどんな刀が仕上がってるのだろう。
少しばかり談話ができる時間を設けてくれるだろうか。
明日のことを今からあれやこれやと考えるだけで、彼女の心は鞠のように弾んでいく。
明日が楽しみで仕方がない。
千子村正にますます興味を抱いたトウカは、鼻歌まじりで帰路を歩いた。
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