第13話:村正、後悔する

 七日目の朝を迎える。

 雲一つない快晴を見やれば実に清々しい。心穏やかにもなるところではあるが、生憎と本日の心模様は荒れている。


「いよいよだな……」


 とうとう、酒吞童子討伐戦の日を迎えた。

 トウカの指示の下、この作戦に参加した面々は朝早くより鍛冶場付近にて身を潜めている。

 時間までは指定されていなかったので、敵がいつ攻めてくるかは誰にもわからない。

 戦いの前に極度の緊張によって体力が消耗してしまうことだけが懸念されたが、現状これよりも妙案はなかったので実行せざるを得ない。


「酒呑童子……か。どんな奴なんだろうな」

「ふふっ……ふふふっ……」

「……おい杏二郎。お前さんさっきからいつまでその槍を眺めているんだ? いい加減しつこいし……後ちょっと気持ち悪いぞ」

「しし、仕方ないでござろう。それだけ某は嬉しいのでござる!」


 一緒に待機することになった杏二郎は、茂みに身を潜めてからというものの、ずっと己の得物ばかりをニヤニヤと眺めていた。

 昨晩、村正がなんとか間に合わせた彼女の槍である。

 元々あった槍を基礎にして打った十文字の穂は、またしても自身が納得できる代物とは成りえること叶わなかった。

 要望をだけにきっちりと応えた、相手を満足させるだけの代物には仕上げられても、心がまるで満たされない。

 それはさておき。

 十文字槍――大千鳥村正おおちどりむらまさを愛おしそうに撫でる杏二郎の瞳が、かつての彼からは想像もつかないほどに艶めかしい。

 じらすようで、されど愛情をこれでもかと込めて愛でる姿はさながら愛する物との逢引を楽しむか如く。

 そんな彼の姿に、村正はついぽろっと口にしてしまった。


「こんな時に聞くべきじゃないのはわかるんだが――お前さん、好きな奴とかいるのか?」

「ななな、何を急に……! そそそ、某は武士……侍にござる。色恋沙汰に現を抜かすような暇など……!」

「いやでもな、お前さんが飲んだって言うあの池の水、好きな相手がいなかったら効果がないらしいぞ」

「なっ……!」

 ここまで話し終えた後で村正は、あっ、と間の抜けた声をもらした。


(しまったな……つい気になって聞いてしまったぞ)


 未だ酒吞童子が現れる気配はなし。

 今回のために選抜された兵士ら含めトウカも岩の如くじいっとその場で待機をしているが、村正はどこまでいっても鍛冶師である。

 剣の心得ならば多少はあるも、戦場での心得については皆無に等しい。鉄を打つのが生業であるのに、兵法などを学んでなんの意味がある。

 従って退屈を紛らわせたくて、口を滑らせてしまった。

 村正からの指摘を受けたことで、杏二郎の顔は見る見るうちに赤らんでいく。


(な、なんでこいつ……こんなに可愛いんだよ)


 白く健康的な肌にほんのりと赤らみが帯びた杏二郎に、村正は奇しくも可愛いと思ってしまった。元々男である彼……彼女に対して。

 可愛い――この事実から目を逸らすことは、村正にはできなかった。確かに、女となった真加部杏二郎はとてつもなく可愛い。

 エルフへと転身したことも、その要因の一つとして含まれよう。だがここ最近、それだけでないことに村正は気付いていた。


(こいつ……なんか、どんどん女っぽくなってきてるんだよなぁ)


 それは昨日――村正が大千鳥村正を完成させた時のことだ。


「できたぞ。ほれ、これがお前さんの槍だ」

「おぉっ! こ、これが……某の‼」

「声うるさっ! まぁいい、ほれよ」

「おぉぉっ! あ、有難き幸せにござる村正どのほぉ!」

「あ、馬鹿!」


 嬉しさのあまり、足元にあった道具に気付いていなかったらしい。蹴躓けつまずいてこけそうになる杏二郎を、村正は慌てて支えた。


「きゃっ……!」

「へ? あっ!」


 なんとか杏二郎が転倒するのだけは防いだ。

 故に、身体を支えた際に彼女の乳房をがっつりと掴むようになってしまったのは不慮の事故である。決して故意によるものではない。村正は慌てて杏二郎の体制を直してやると、慌てて離れた。


「す、すまん! わざとじゃないぞ!」

「む、無論! そ、某もわかっているでござる……」

「……ッ!」

 胸をそっと隠す仕草と、ほんのりと赤らめたこの時の杏二郎は紛れもなく、女としての貌をしていた。


(なんでこいつ、こんなに色っぽいんだよ。おかしいだろどう考えたって……元々男なんだぞ⁉)


 意識を現界へと帰還させたところで、村正はもう一度杏二郎の方を見やった。

 わずかに顔を俯かせ、かと思いきや上目遣いでちらちらと村正の顔色を窺ってくる。乙女である。かつての武将としての真加部杏二郎の姿は、影も形もない。


「そ、某は……!」

「いや、この話は後でしよう。こっちから振っておいてなんだが、今するような話じゃなかったな。すまんかった」

「い、いえ! その……村正殿は、やはり気になるでござるか?」

「ま、まぁ……まったく気にならないって言えば嘘になってしまうが。でもいいよ、お前さんだって色々と悩むところがあったんだろ。そいつを俺に無理に話さんでもいい」

「村正殿……某は!」

「……むっ!」


 口を開こうとした杏二郎に、村正は手で制す。

 鍛冶場へと誰かがやってきた。

 数は十人。身形も容姿もすべてバラバラであるが、唯一共通しているのは頭部に角を宿していること。

 鬼である。そして先頭に立って歩いている鬼こそが今回の標的で間違いなかった。


「酒呑童子……」


 日本三大妖怪に数えられし最強の鬼を前にした村正の頬からは、一筋の冷や汗が流れた。


「あ、あれが酒呑童子……まさか女であったとは」

「あぁ、そいつについては俺も驚きだ。しかもかなり美人だぞ」

「…………」

「おいやめろ。穂先で背中を突っついてくるな。なんなんだよいきなり……!」

「いえ、なんだか無性に腹が立ったもので……」

「訳がわからん……」


 嫉妬を孕んだ目線に村正は小首をひねった。


(しかし……本当にきれいな女だな)


 酒吞童子が美しい女だった、この驚愕的事実に村正はもう一度じっくりと見やる。

 黒紫の着物で着飾り、銀色の髪は白刃のように美しい。ただ瞳は生命の源たる血のように赤々としていて、彼女らが人間でないということをありありと伝えているように、怪しく輝いていた。

 酒呑童子と、彼女率いる鬼が鍛冶場の中へとどんどん近付いていく。

 ふと、村正は他所に眼をやった。

 待機しているトウカ、オボロと目が合う。

 トウカが静かに頷いた。戦いの合図である。


「放て!」


 彼女の発した一斉によって、矢の雨が酒吞童子らへと降り注ぐ。数にして何十という矢だ、防ぐ手立てもなければやり過ごせそうな遮蔽物も辺りにはない。

 されど、そこは鬼。人間であったなら全滅させられたものの、彼らはまるでびくともしない。まず分厚い筋肉によってやじりが貫通するどころか、突き刺さりさえしなかった。

 酒吞童子に至っては、手にした扇子で叩き落としてしまっている。

 弓矢による奇襲は失敗におわった――最初からこのような結果になることは百も承知。左右から一気に攻め入ることこそが、今作戦の本命であるのだから。


「突撃せよ!」


 トウカの号令に、五十の兵が雄たけびを上げて鬼らへと向かう。


「へぇ、奇襲ッスか。こいつは随分と派手な出迎えッスね」

「酒呑童子! 貴様の悪行もここまでと思え!」

「おんや。アンタは確かタワラノトウカって名前ッスよね。となると、あの鍛冶師……やっぱりチクッたッスかぁ。まぁしゃーないないッス。売られた喧嘩もこっちが売った喧嘩も、みーんなアチがいただくッスよ!」

「皆の者かかれぇぇぇぇっ‼」


 エルフと鬼による乱戦が始まった。

 鬼の武器は、鉄製のこん棒に始まり槍、大太刀などなど。種類は豊富である。

 さりとてトウカもオボロも、二人に続く兵らも引きはしない。例え自身の体躯よりも倍はあろう相手でも、彼らの顔は自信で満ち溢れている。

 何故ならば彼らの手には村正の刀があるのだから。


「ナ、ナンダァ⁉」

「オ、オレサマノ棍棒ガ叩キ切ラれチマッタ!」

「オレノモダ!」

「す、すごい! なんて切れ味なんだ!」

「これなら鬼の強固な身体も斬れるぞ!」


 攻撃が通じるとわかった瞬間に、兵らの士気がぐんと跳ね上がった。攻め時である。トウカもこの好機を逃すような愚行は冒さない。

 トウカが高らかに刀を掲げて号令をかける。


「今だ! 全員一気に攻めろ!」

「オ、オ頭! コノママダト……!」

「ふ~ん、こいつはちょっと意外ッスねぇ。まさかここまで実力を身に付けてたなんて……しゃーないないッス。お前ら、下がってるッスよ」

「なんと⁉ あれだけの数を一人で相手にするつもりでござるか!」

「……まずいぞ!」


 部下の鬼らを引き下がらせて、酒吞童子が進軍する兵ら前に立った。ふぅ、と一息して手にした扇子をばっと開いたかと思った――次の瞬間。

 全身の肌がぞくりと粟立つ。村正の行動は極めて速かった。身構えていた杏二郎を半ば強引に引っ張って地面に伏せた。

 ほぼ同時。いくつもの断末魔が上がった。

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