第四章:人妖入り混じりて

第24話:村正、吐き気に襲われる


 村正が大安京たいあんきょうを訪れてから、早一週間が経った。

 特に大きな事件もなく、各々が思うがままにすごしている。杏二郎のここ最近の動向は、トウカとの手合わせが多い。なんでも、この町においてもっとも強いのが彼女であるらしく、同じ女として負けるわけにはいかない、という理由であるらしい。

 トウカとしても、杏二郎の腕前は買っているので、ウチで働かないかと話を持ち掛けている光景を時折目にすることもあった。

 村正は鍛冶師だ。やることと言えば一つしかない。

 今日の空模様も、いつもと変わらない青一色。

 平穏を象徴するような空があまりにも清々しかったから――外から聞こえてきた喧騒がより過敏に反応してしまった。


「なんだ?」

「町で何かが起きたみたいじゃな……!」


 様子を窺いに外へと出た村正の目の前で、たった今惨殺が行われていた。町の方から逃げてきたであろう、エルフが異形の存在にその肉を食らわれている。

 絶望で歪めた死相も、半分以上が骨を剥き出していた。思わず目を背けたくなる。

 元凶である怪異は、依然としてばりぼり、と不快な音を奏でながら食に没頭していた。そこに村正が現れたことで、怪異は食事を止めた。


「今度は俺を食うってか?」


 怪異から見て、村正は新しい獲物にすぎない。

 食するならば既に事切れて食べる部分も少なくなってきた方よりも、新鮮さも肉付きの良さもいい方を選ぶに決まっている。

 怪物の癖にして、随分と舌が肥えている。村正は怪異の新たな一面性に関心しながらも、腰の太刀――千年守村正をすらり、と鞘から抜き放った。

 相手は巨体だ、それでいて蛇のように長い。鎧のような外殻に身を守られていて、生半可な攻撃では傷一つさえも傷付けるのは難しいだろう。

 骨さえも簡単に噛み砕いてしまえる咬筋力と、捕えたら離さない鋭い牙。身動きを封じられた時点で終わる。

 怪異――大百足が奇声と共に村正へ襲い掛かった。


(速い!)


 その巨体からは想像もできないほど、大百足は俊敏性を見せた。

 大百足の牙を村正は咄嗟に横転して避けた。


「なっ……」


 すぐに体勢を立て直した村正が目にしたのは、じゅうじゅうと音を立てて溶けている地面だった。ついさっきまで立っていた場所には毒々しい、紫色の液体が至る所に付着している。


「なんて恐ろしい毒だ……」


 人間が喰らえばひとたまりもない。

 大百足が再度、長い胴体をぐるりと回すと村正へ襲い掛かった。

 村正も地を蹴り上げる。大百足よりも早く懐へと飛び込むと、一気に太刀を横薙ぎに払った。外は堅牢に守られていても、無防備である内側を村正の太刀は容赦なく両断した。

 緑色の体液が勢いよく飛び出た。瞬く間に辺りには、耐えがたい腐敗臭に包み込まれる。ただでさえ、耳障りな奇声が鼓膜を犯しているのだ。これ以上は耐えがたく、そして大百足はまだ健在だ。

 とどめを刺さなくてはならない。

 込みあがってくる吐き気を無理矢理押し込めると、村正はのたうち回っている大百足へと素早く肉薄した。

 百足の生命力は侮れない、胴体を半分にしても生きて、一矢報いんと喰らいつこうとする攻撃性は、人間よりも遥かに小さいけれど侮れる存在ではない。

 大百足という怪物であれば、尚更のこと。


「ふっ!」


 村正は下から切先を大百足の口腔内へと一気に突き上げた。ぞぶり、と柔らかな肉を貫通する感触が手に伝わる。そこからまたしても漂う腐敗臭にとうとう耐えかねて、鍛冶師が嘔吐した。


「ってお前さんが吐くのかよ!」

「うっ……ワシもう無理。おえぇぇ……」

「人が命のやり取りをしてるって時に……!」


 しかし、そんなことを気にしている場合ではない。

 大百足は、まだ生きていた。脳を破壊されて、絶命しているはずなのに、手足はまだぴくぴくと小刻みに動いている。


(徹底的に殺す)


 そのことに村正は一切の余地を挟まなかった。

 突き刺したまま、刃を反転させてそのまま一気に斬り裂いた。

 ゆっくりと崩れ落ちる大百足。

 念のためにと首も刎ねておく。ここまでして動かないのであれば、もう大丈夫だろう。一息ついたところで、村正はすぐにでも次の問題を処理しなくてはいけないので、休んでいる暇などない。

 まずは遺体の処理。そして、返り血をたっぷりと浴びてしまった己自身をどうにかしてやらないと、町にいけない。

 何十と川の水を頭からつま先まで被り、ようやく匂いがなくなった頃。村正は町の方へと向かった。


「――、こいつは酷いな……」


 町も酷い有様であった。

 まるで台風が過ぎ去ったかのように家々が荒らされている。大百足が発する異臭をどうにかせんと、あちこちでお香が焚かれていた。うまい具合に中和されているから、鼻呼吸もまだ苦しくない。

 あちこちで呻き声が聞こえてくる。

 声がする方を見やると、ベニヤ板へと乗せられた怪我人が次々とトウカの屋敷へと運ばれていくのが見えた。

 トウカと、杏二郎は無事だろうか。

 彼らの後に続いて、村正もトウカの屋敷へと向かう。


「怪我をしている者はどんどん遠慮せずに入ってほしい! 自力で動ける程度の怪我であれば右の座敷、そうでないものは左の座敷まで運んでくれ!」

「トウカ!」

「おぉ、ムラマサ。貴様も無事だったか」


 現場の指揮をこなしているトウカには、傷一つ見られない。流石だと感心する一方で、もう一人、この場にいないについて、村正は尋ねる。


「……杏二郎の奴は?」


 よもや、そんなことがあるはずがない。あれほどの武人が早々に、たかが大百足如きに遅れを取るわけがないのだ。

 あの馬鹿はどこにいる。不安がぬぐえぬまま村正は落ち着かない心を紛らわせるように辺りにも目を配った。


「落ち着けムラマサよ。キョウジロウならば無事だ、というかピンピンしている。今は川の方へ向かっているはずだ。何せ……な」

「……あぁ」


 安堵すると共に、村正は首肯した。

 大百足による被害は死んだ後からが一段と酷くなる。いつもならば甘い香りがするトウカも、この時ばかりは近付き難い異臭を漂わせている――どうやら、たっぷりと返り血を浴びてしまったようだ。


「お、おい! 私とて乙女だぞ! 臭いを嗅いで露骨に嫌そうな顔をされるとさすがに傷付くぞ!」

「あ、す、すまん……」

「くっ……私だって、本当は一刻でも早くこの身を清めないのだ。それぐらい察しろ……この馬鹿め」

「悪かったって……」

(つい顔に出してしまった……)


 すっかりへそを曲げてしまったトウカは、そそくさと怪我人たちの元へと行ってしまった。追いかけて謝罪をしたところで無意味であろう、そう悟った村正は時間を置くことにした。時が経てば、この謝罪にも少しぐらいは価値あるものとなってくれるはずだ。

 村正は屋敷を後にすると、トウカに教えてもらった川へとすぐさま向かった。

 近付くにつれて、勢いよく水しぶきが上がる音が聞こえてくる。そこには幾度となく耳にした声もしっかりと混ざっている。


「おおおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」

「……あいつは何をしてるんだ?」


 川に出て早々に、村正は呆れ顔で溜息を吐いた。

 一人の若い娘がものすごい勢いで遊泳している。足が水を叩けば、どん、と水柱が上がり、数多の雫が空から降り注がれる。


(道理で……川からこんなに離れているのに辺りが水びだしになってるのか……)


 無事であることに安心はした、が元気すぎるのも考え物である。やかましいことこの上ないし、その被害を現在進行形で遭っているから迷惑極まりない。

 注意してやろうと村正が川へと近づいた時――


「ん? おぉ村正殿!」


 気配察知に長けているから、水中であろうと杏二郎であればすぐに対応ができる。付け加えてその気配が誰のものかすらも、一度対峙しているならば的中させられる彼女だ。先に声を掛けられてしまった。


「ってお前さん、また……!」

「え? あっ……!」


 またしても全裸姿を恥ずかしげもなく男の前に晒された。

 いい加減、女子であることを本気で認識した方がよい。村正はすこぶる、そう思った。

 これがまだ自分であるからよいものの、何も知らない者からすれば女性としてはしたないし、最悪の場合相手を勘違いさせてしまうことだって十分に起こりえよう。

 起こりえるだろうが、何事もなしに襲い掛かれるかは別物で。杏二郎を簡単に手籠めにできる女、として誤認して挑めば命はない。この点に関しては、村正もあまり心配はしていなかった。


「はぁ……とりあえず服を着ろ、服を」

「そ、そうでござるな……」


 いそいそと着物を纏ったのを確認して、村正は深い溜息を吐いた。

 

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村正は今日も異世界にて鉄を打つ 龍威ユウ @yaibatosaya7895123

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