第4話:村正、更に驚く
話を聞き終えて、村正は呆然と立ち尽くす。
彼にとってこの話は、何もかも非現実的すぎるものだった。
御伽噺の中だけでしか起こり得ない事象が実在したのはもちろんであったが、何より村正を驚かせたのは自分がそれを経験していることそのものにあった。
まだ夢を見ているのかもしれない。
試しとばかりに、村正は思いっきり自らの頬を殴る。
ばちん、と鋭く肉を弾く音の後にやってきたのは痛みだけだった。
「夢じゃ……ない」
「これはすべて現実だ。酷な話ではあるがな」
「そ、そんな……」
「……小僧、貴様の気持ちがわからんでもない。さぞ驚くだろう」
がっくりと項垂れた村正を前に、老将は彼が落ち込んでいると思い声を掛けた。どこか警戒心こそあれども、彼の言葉には確かな優しさが宿っている。
(案外優しんだな……だけど)
この老将は何やら大きな勘違いをしている。
そうさせてしまっているのは自分なので、村正はその勘違いを正さなくてはならない義務がある。
項垂れさせていた頭をばっと上げる。
「なっ……!」
村正の
「いやはや、まさか本当にこんな経験を生きている内にするなんてなぁ」
「……小僧、貴様は何も思わんのか?」
「何が?」
「何がって……まだ一番大切なことを告げていなかったが、まれびととして招かれた者はあるべき世界には誰一人として帰れんかった」
「あぁ、つまり元の世界に戻れないってことだろ? それなら別に俺は問題ない」
村正の親兄弟はとうの昔に死別してしまっている。
特に親しい友人もおらず、結婚もしていない。天涯孤独、されど千子村正という男はそれでよいと思っている。
村正がやるべきことはただ一つ、自分が納得のできる刀を打ち続けることのみ。
場所の対して問題ではないのだ。
刀を打てる環境であるのならば、どこであろうとも村正は構わない。
「絶対に元の世界に帰りたいって思ってるわけじゃないしな。それにこっちの方が寧ろ面白そうだ」
「ほぉ、面白いと……?」
「だってそうだろ。ここにはエルフやオークなんていう、珍妙奇天烈摩訶不思議な連中がいるし、きっとまだまだそういった奴らはいるんだろう」
村正の脳裏では、これまでに受けてきた無茶難題な注文が一気に甦っていた。
妖怪や神仏さえも斬れるほどの刀、この世界に身を置くことで届くやもしれぬ。
人間と言う領域を越えられるやもしれぬこの機を、村正に逃す気は更々ない。
「というわけだから、その辺りは心配ご無用。今は心が高揚して仕方がないぐらいなんだ」
「……貴様は変わった人間だな。しかし、まれびとは小僧のような人間が多かったのもまた事実。そうでなくては、まれびとが務まらんのかもしれないな」
「何やら楽しそうな会話をしていますね、爺」
「ト、トウカ様!」
「…………」
治療を終えてやってきたトウカは、美しい着物に身を包んでいた。
先の森で見掛けた彼女が勇ましき女侍なら、村正の前にいるのは一国の姫君である。
とても美しい――いや、月並み程度の言葉では彼女の美しさは収まらない。
しかしいくらない頭をひねろうとも、それ以上に形容できる言葉が思い至らない。
ともあれ。数多く女性を目にしてきたことがない村正でも、トウカが一番の美女と断言することができた。
「話は済んだのですか?」
「はい。やはりこの者はまれびとにございました。されど話を聞き終えた後でもご覧のとおり、今自身が置かれている状況を楽しんでおります」
「やはり、まれびととはこの手の類の方が多いようですね――あ、すいません。ムラマサをけなしているわけではありませんので」
「……なんかさ、さっきから喋り方違くないか?」
武装していた頃に見せていた侍としての言動はどこへ消えてしまったのやら。
声色から仕草の一つに至るまで、トウカは完璧な女性を演じている。
どちらが本当の姿であるのか、村正は気になった。
侍としての顔が本来であったのなら、やめさせる次第である。わざわざ己如きに気を遣う必要はないと村正は考えていた。
「戦場だと気が張ってしまって、あのように自然となってしまうんです。武具を纏うと……何故でしょうか。こう、魂がいきり立つような……」
「なるほど。まぁその気持ちはわからんでもない」
「……ともあれ、改めて私を助けていただきまして、本当にありがとうございます」
「たまたまだ。あそこにお前さんがいたらか俺はそうしたまでだよ。だから気になさんなって」
「ですが助けられたことには何ら変わりません。今日は是非ここでゆっくりとなさってください。お食事などもすぐにご用意いたしますので」
「飯は普通に助かるな。何も喰わずに逃げてきたから、腹ぺこぺこなんだ」
「では、爺はお先に。小僧、くれぐれもトウカ様にご無礼のないようにな」
「そこまで節操なしに見えるのか俺は……ん?」
老将が部屋から出ていった後、村正はふとトウカの視線に気付いた。
先程から右隣の空間ばかりをじっと凝視している。
村正の隣には誰もいない。
あえて言うのだとしたら、村正の太刀があるだけ。
よもやと村正が太刀を取れば、トウカの視線もその動きを追従する。
やはり、トウカはこの太刀が気になるらしい。
「俺の刀に興味があるのか?」
「あ、すいません。これでも武家の娘、幼少期から武芸の稽古をしてきたものですから、どうしても気になってしまって……」
「なるほどな。まぁいいぜ、大したもんじゃないが見たいのなら見てくれ」
「あ、ありがとうございます!」
嬉しそうに太刀を受け取ったトウカ。
わくわくとしているのが手に取るようにわかる挙措に、村正も思わず苦笑いを浮かべる。
三寸ほど太刀が抜かれた――次の瞬間。
「……ッ‼」
子供のように好奇心に満ちた
目を限界まで見開いて太刀を見つめている。
まるでこの世のものでもない
「ど、どうかしたのか?」
「これは……この太刀はムラマサが打ったのですか?」
「あぁ、俺は鍛冶師だからな。鍛冶師が自分の刀差しとかなきゃいつ襲われるかわからないご時世だからなぁ」
「……す」
「す?」
「素晴らしいですッッッ‼」
「うおっ! きゅ、急に大声を出すなよな!」
「まさかこのような素晴らしい一振をお目にすることができるなんて!」
「お、おう……」
興奮冷めやらぬ様子でひたすらに称賛するトウカに、村正は照れ臭そうに頬を掻いた。
褒められて嬉しくない、と感じる人間はまずおるまい。
「何事ですかトウカ様! 小僧、貴様……まさかトウカ様に手を出したのか⁉」
「いやいやいや。まずはよくこの状況を見てから判断してくれないか?」
トウカが騒いだものだから、老将が慌ただしくやってきた。既に彼の手には刀が抜かれている。
酷く誤解だ。斬らんとする勢いの老将に、村正は冷静に対処した。
「……はぁ、またいつもの悪く癖ですかトウカ様」
刀を手にはしゃいでいるトウカは、老将の存在にまったく気付いていない。
今に始まったことではないらしい。
同時に彼女のそれはこの老将の悩みの種でもあるようだ。
気になった村正は老将に尋ねた。
「いつもこうなのか?」
「トウカ様は幼少期の頃からとにもかくにも、刀や槍といった武器が大好きなお方なのだ。その好きが高じて今では五指に数えられるほどの実力まで身に付けてしまわれた」
「それは普通にすごいな」
「しかし、その所為で今までタワラ家の剣術指南役兼お世話係としてお仕えしてきた我の立場が……! 小僧、貴様に我の気持ちがわかるか⁉」
「いや、知らんがな。というか理解したくもない」
「くっ……トウカ様、爺は……爺は悲しいですぞおぉー‼」
そう言って老将は再び部屋から出て行ってしまう。
嵐が訪れたかのような気分だ。
げんなりとした顔でトウカを見やれば、頬をほんのりと赤らめている。
ようやく落ち着いたらしい。
「えっと……すいません」
「いや気にするな。それだけ夢中になれるってのはいいことだと思うぞ。それに俺も悪い気はしなかったからな」
「で、ではこれほどの刀をどうやって打たれたのですか⁉ あれほどの代物を二百年生きてきましたが一度として目にしたことがありません!」
「それはだな……ん?」
返された太刀を納刀していた村正の手が、ぴたりと止まる。
(今、この女はなんて言った?)
聞き間違えだろう。村正がそう思うのも無理はない。
もし事実だとすれば、とてもじゃないが笑えた話ではない。別嬪さんだ、という認識も村正は改めなくてはいけなくなる。
恐る恐る、村正はトウカに尋ねた。
「あ~……とだな、トウカ? もう一回言ってくれるか?」
「え? ですから、このような刀を私は二百年間生きてきていますが目にしたことがない、と」
「そうそれだ――二百年?」
「あ、言い忘れていましたね。我々エルフを始めとする他種族は人間と違って長寿なんです。中でも特に長寿であるのがエルフ――爺だってあの見た目ですけど、先日千歳を迎えられたばかりなんですよ」
「……マジかよ」
聞き間違えだろう。村正がそう思うのも無理はない。
もし事実だとすれば、とてもじゃないが笑えた話ではない。別嬪さんだ、という認識も村正は改めなくてはいけなくなる。
恐る恐る、村正はトウカに尋ねた。
「あ~……とだな、トウカ? もう一回言ってくれるか?」
「え? ですから、このような刀を私は二百年間生きてきていますが目にしたことがない、と」
「そうそれだ――二百年?」
「あ、言い忘れていましたね。我々エルフを始めとする他種族は人間と違って長寿なんです。中でも特に長寿であるのがエルフ――爺だってあの見た目ですけど、先日1000歳を迎えられたばかりなんですよ」
「……マジかよ」
人を見た目で判断するのはよくない、とは言うがこれは誰だろうと彼女の真の年齢を看破できやしない。
世の中には、まだまだ自分が知らない世界がある。これから先もっと学んでいかなくてはならない。
無知ほど愚かなものはない。
村正はそのことを、しかと魂に刻み込んだ。
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