第15話 それぞれの青春 その2
大会当日
「忘れものはないかい?」
「大丈夫だよ」
「試合観に行くからね。頑張りなさいよ」
「ああ。行ってくる」
靴紐をきつく結んだ中村拓が立ち上がり、母に見送られながら家を後にする。
久方ぶりのユニフォームに身を包み、手入れの行き届いた野球用具をバッグに詰め込んで。
「ん・・・武か?」
「キャプテン。おはようございます」
ドアを開けると、家の前で自分のことを待つ一人の後輩。石田武の姿があった。
キャプテンとして、拓は集合時間よりも随分と早く家を出たのだが、どうやら武はそれよりも早い時間から待っていたようだ。
「どうしたんだ。言ってくれれば俺が迎えに行ったのに」
「いや、俺がこうしたかったんで」
「そうか」
「じゃあ行くぞ」と先導する拓の横に、武が慌てて駆け寄る。
「こうやって一緒に学校に行くの久しぶりですね」
「そうだな。小学生ぶりか」
暑さのなかに爽やかさも併せ持つ夏の早朝。
朝日によってできた二つの影が、常盤中を目指して闊歩する。
大会は球場で行われるのだが、常盤中の部室から備品を運ぶため、一度学校に集まる手筈なのだ。
「なあ、武」
「なんですか。キャプテン」
「俺のことをどう思う?」
「なんですかその質問」
怪訝な目で拓のことを見る武。
しかし、その顔にふざけた様子はなく、武は答えを探すため思考を巡らせる。
「そうですね・・・やっぱりお兄ちゃんですかね」
「兄か・・・」
武の言葉を受け、拓が考え込む。
「キャプテン?」
武が心配そうに尋ねると、真面目な顔をした拓がさらに質問を重ねてきた。
「俺が弟だったらどうだ?」
「弟?それって・・・」
武の中で一つの仮説が生まれる。
そして、それは拓のある変化のおかげで確信へと変わった。
「やっぱりそういうことですか」
「気づいたか。それで・・・どうだ?」
少し不安そうに尋ねる拓。
彼のバッグにつけられた、『H』と印字されたキーホルダーが、拓の歩くスピードに合わせて擦れ、音を奏でる。
「キャプテン・・・いや、拓くんなら大歓迎ですよ!」
朝日に照らされた武の眩しいくらいの笑顔。
その笑顔に照らされて、拓も恥ずかしそうにうっすらと笑みを浮かべる。
先輩と後輩。兄と弟。弟と兄。
特異な関係性を持つふたりの少年の影は、少しだけ足を早め、夏の朝の町を歩み進むのだった。
「よう、拓に武。遅かったな」
学校に着いた中村拓と石田武は自分の目を疑った。
部室の前には、ヘルメットにバットにキャッチャー防具一式。
試合に必要な全ての野球用具が、それぞれ専用のバッグに詰められていたのだ。
「はじめ・・・。お前がやったのか?」
「見りゃ分かんだろ。俺以外誰がいんだよ」
そして学校にいる部員は、今来たばかりの拓と武の他に、ただ一人。
つまり、二人の目の前にいる弟月はじめが、誰よりも早く学校に着き、準備を一人でこなしたことになる。
「先輩。成長したんですね・・・」
「おい武。なんだよその言い方」
武が涙ぐむ手振りを見せて、はじめがそれにツッコミを入れる。
「おはよー。たくみんにたけちゃん。・・・って、はじめちゃん!?」
欠伸を噛み殺しながら学校にやってきた徹が、はじめの姿を見て目を見開き、「俺もしかして遅刻!?」と慌てふためいている。
「どいつもこいつも失礼だな。俺の顔がそんなに珍しいかよ」
「だってこんな早くにはじめちゃんがいるなんて。朝に元気のないアサガオくらい珍しいっしょ」
「誰が元気のないアサガオだよ!」
はじめと徹が、いつも通り会話のキャッチボールをしていると。
「はじめ早いな!今日は雪でも降るんか?」
「はじめ・・・早起き・・・不吉・・・」
梅月松竹と睦月王春が、それぞれ同じような感想を述べながらやって来た。
その後ろには丸美屋中の2年組が、更にその奥には常盤中の2年組の姿も見える。
「早起きは三文の徳って聞いたのに、眠いし疲れるしボロクソ言われるし、損しかねえじゃねえか」
「そんなことはない。少なくとも俺は嬉しかったぞ」
「お前に嬉しがられても一文の得にもなんねえよ」
拓の言葉を受け、そんな風に吐き捨てるはじめだったが、その顔はどこか嬉しそうであった。
「みんな揃ってるみたいだね」
「校長先生。おはようございます」
『おはようございます!!!』
グラウンドにやってきた校長先生に、元気よく挨拶する野球部員たち。
「今日はいよいよ大会だね。私も後から観にいくからね」
「はい。ありがとうございます」
中村拓が代表として受け答えをし、他の部員たちも帽子を脱いで、耳を傾けている。
校長先生はそんな部員たちをぐるりと見回すと、「うんうん」と深く頷き、言葉を続けた。
「皆良い顔をしてるね。試合が楽しみだ」
満足気に話すと、今度は辺りを見渡してこう呟いた。
「まだ着いてないみたいだね」
丁度その時。
ブゥーン、というエンジン音と共に、グラウンドにマイクロバスが侵入してきた。
「皆さん揃ってるようですね」
マイクロバスの運転席側の窓がゆっくりと開き、そこから顔を出したのは、野球部顧問の田辺だった。
「部活動用の予算が少し余っていたのでね。野球部の為に借りたんたんだよ」
バスを背景に、校長先生が事情を説明する。
「田辺せんせーバス運転できるんすか!?」
「はい。大型免許を持っているので」
「スゲー!かっこいいっしょ!!」
褒め称える徹の言葉を受け、田辺が満更でもなさそうに照れている。
「校長先生ありがとうございます」
「なんのなんの。試合頑張ってね」
「はい。必ず勝ちます」
校長先生へのお礼を終えた拓が先陣を切り、部員たちが次々とマイクロバスに乗り込んでいく。
「それじゃあ行きますよ」
「「「おー!!!」」」
運転席から発せられた田辺の掛け声に皆が反応し、マイクロバスがゆっくりと動き出す。
校長先生の笑顔に見送られながら、合同野球部は常盤中学校を後にした。
遊馬兎球場外
常盤中からバスに揺られること約30分。
今回の大会の開催地である遊馬兎球場に到着した合同野球部の面々は、マイクロバスを降り、球場内へと向かっていた。
「うえー。酔ったっしょ〜」
「車酔いで大袈裟だな。大丈夫か?」
「俺の四半規管はめちゃ弱っしょ〜」
「なるほど。お前のその変な感覚は四次元的思考だったわけか」
ふらふらとした足取りの徹に、拓が博識混じりのボケツッコミをするが、誰も理解ができず、それ以上言葉を挟む者は現れなかった。
一応解説しておくと、人間には車酔いなどの原因となる三半規管という平衡感覚を司る器官があり、これは「前半規管」「後半規管」「外半規管」という3つの半規管の総称で、それぞれが「X軸」「Y軸」「Z軸」のように三次元的な回転運動を感知することができる仕組みになっている。
これに対し、「W軸」も加えた『四半規管』。
つまり、徹の突飛な言動は、四次元的な思考によるものだったのか。と、拓は言いたかったのである。
「うえー。これも田辺せんせーの運転が荒いせいっしょ」
「え、私ですか!?」
話を振られた田辺が、助けを求めて他の部員たちに視線を送るが、助け舟は来なかった。
どうやら、田辺の運転が荒かったのは事実らしい。
「そんな・・・。免許返納しようかな」
露骨に落ち込む田辺と、婉曲に落ち込む拓。
そんな二人を先頭に、合同野球部一行は着実に歩みを進める。
「あっ、拓くん。おはよ」
男ばかりのむさ苦しい集団に、透き通った声が投げかけられる。
その声の正体は、常盤中生徒会長 如月かんなであった。
「おう。みんなも来てくれたんだな」
「はい。応援頑張りますよ〜!」
「・・・うん」
その後ろには、同じく生徒会役員である松咲花と石田文の姿があった。
「どうした文?やけに大人しいな」
「え!?そんなことないですよ!」
ブンブンと首を横に振り、否定する文。
その動きに合わせて、ポニーテールが右往左往している。
猫がいればきっと飛びついていることだろう。
「・・・あ」
そんな彼女の視界の片隅に、とある物が映り込む。
それは中村拓のバッグにつけられた、例のキーホルダーだった。
「文?大丈夫か?」
「はっ、はい!大丈夫!!おーるおっけーです!!!」
先日の常盤祭での出来事を思い出したのか、頬を朱く染めて早口で喋る文。
テンパったまま「頑張ってください!」と言い残すと、観客席の方へ駆けていった。
「全く。中村くんも隅に置けませんなあ」
常盤祭での一部始終を見ていた花が、「このこの〜」と、拓を煽る。
拓はいつもの無表情のまま、文が向かった観客席の方を眺めていた。
「はじめくん頑張ってね」
「おう。まあ観とけよ」
拓と花と文がわちゃわちゃとしている横で、はじめとかんなは静かに会話をしていた。
ちなみに徹は「酔い覚ましてくるっしょ〜」と、後輩に肩を担がれながら先にベンチに向かっていた。
「今日勝ったら明日もあるんだっけ?」
「今日2試合勝てたら、明日決勝だな」
今回の大会に出場するのは全部で8チーム。
試合はトーナメント方式で行われ、今日中に1回戦と2回戦があり、勝ち残った2チームが明日決勝戦を行う予定だ。
つまり、今日負けた時点で合同野球部は解散。
3年組は引退となる。
「まあ、とりあえず一勝だな。噂じゃ初戦の相手が優勝候補らしい」
「そうなの?」
「ああ。全く、拓もくじ運ねえよな」
対戦カードは前日のくじ引きで決まっており、合同野球部からはダブルキャプテンによるじゃんけんの結果、拓が代表としてくじを引いていた。
初戦の相手である産理文中学校は、全国への切符を後一歩で逃したチームであり、今回の大会の優勝候補だと専らの噂だ。
「おい、拓にはじめ。早く行くぞ」
「しょうちゃん・・・やきもち?」
美少女と会話する二人に嫉妬する松竹が、拓とはじめに球場入りを急かす。
それに従い、はじめが会話を切り上げる。
「じゃあ行ってくる」
「あっ・・・」
「どうした?」
「いや、なんでもない。頑張って」
「ん?おう、さんきゅ」
言い淀むかんなに少しの違和感を覚えたはじめだったが、時間も無いため、仲間を追うように球場へと向かった。
「よし、俺も行くか」
はじめが球場入りしたのを見て、拓も後に続こうと歩き出したのだが。
「中村くん。ちょっと待ってください」
その足は、花の一声によって止められた。
「ん?なんだ?」
「これ、落としましたよ」
そう言って花が渡してきたのは、例のキーホルダーだった。
「おう。すまない」
「いえいえ。大事にしてくださいよ」
「ああ。わかってる」
受け取ったキーホルダーをバッグにつけ直し、拓がはじめたちの後を追いかける。
「花?どうかした?」
「・・・いえ、なんでもありません。行きましょう」
何やら思い詰めたような表情を浮かべていた花。
それに気づき声をかけたかんなだったが、観客席へ駆けていく彼女の背中を見て、「考えすぎか」と思い直した。
青春という名の茨の道を、様々な靴を履いた若人たちが歩み続ける。
サイズが合わなくなった靴。左右で種類がばらばらな靴。靴紐が解けたままの靴。
歪な形の靴の踵を踏んで、今日も必死に歩む。
その先にある『何か』を求めて。
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