第21話 決着


最終回


この回を無失点で凌げば勝利というこの場面で、合同野球部はまたしてもピンチを迎えていた。


「すみません」

「いや、武は悪くねえよ」

「むしろよくやってくれた」


三度マウンドに集まった内野陣。

ファーストの石田武が心底申し訳なさそうに謝り、それに弟月はじめと中村拓が答えている。


この回。先頭打者を三振に抑えたのだが、続く打者に三遊間を抜けるヒットを浴びた。


その時点で1死1塁。


続く打者の打球は一塁に転がり、上手くいけば3ー6ー3、もしくは3ー6ー1のダブルプレーが狙える場面だったのだが、武が捕球する直前でボールがイレギュラー。


武はこれを体で止めた後、一塁を踏み、打者だけをアウトにした。


つまり、現在は2死2塁。


セカンドランナーをホームに返すと同点。

その前にもう一つアウトを取れば、合同野球部の勝利となる。


「過ぎたことはしょうがないっしょ!」

「徹の言う通りだ」

「・・・あと一つ。がんばろ」

「だな」


九重徹、梅月松竹、睦月王春の言葉にはじめが頷き、内野陣がそれぞれのポジションに戻っていく。


『野球はツーアウトから』

野球界隈で囁かれる、そんな言葉がある。


あとワンアウトに泣いた者。あとワンアウトで笑った者。


劇的という言葉がぴったりなドラマを、野球という存在はいくつも生み出してきた。


青春の神に、勝利の女神。

観測者は時に残酷で。気まぐれで。


悪戯好きなのであった。



中村拓目線


(はじめの緩急にも慣れきたっぽいな・・・)


相手側の打者のタイミングが合ってきたことに、焦りを覚える拓。


カウントは2ストライク1ボール。

振ってくれれば儲けものと、内角高めのボール球を要求する。


それにはじめが頷き、投球を開始。


カツン


乾いた音と共に、ふらふらと打ち上がった打球が、センター方向に飛んでいく。


不幸なことに、その打球はセカンドとショートとセンターの、丁度間に落下した。


ワンバウンドしたボールを補球した松竹が、ホームへ送球。

2塁にいたランナーは3塁で止まっており、失点は免れた。


(どうする・・・)


2死1・3塁。

2人のランナーがホームに帰ると、サヨナラ負けの場面。


もう一度内野陣を集めて相談したいところだが、この大会ではマウンドに集まるタイムは1試合に3回までと決まっており、先ほどのタイムで使い切ってしまった。


(はじめの調子を鑑みると・・・ここは勝負だな)


ここで決めると覚悟を決めて、拓は静かにミットを構えた。



弟月はじめ目線


(勝負か・・・)


拓のサインを確認したはじめは、首を振る方向をしばし迷う。


2死1・3塁で迎えた打者は、相手チームのエース。

体格の良いこの選手は打者としても一流で、王春からあわやホームランという特大ファールを打っていた。


幸いにも塁は一つ空いている。

この打者は歩かせて、次の打者と勝負という選択肢も残っていた。


(『大事な時にすぐ逃げる』か・・・)


それは、合同練習の初日に、拓から言われた言葉。

今になって、その言葉がはじめの脳裏をちらつく。


(わかってるよ)


首を縦に振り、セットポジションで構える。


パンッ


ボールがミットに収まる乾いた音。

打者はバットを振る気配を見せず、その隙に一塁ランナーが2塁へと駒を進める。


2死2・3塁。

カウント1ストライクノーボール。


ここからが本当の勝負だ。



『ボール!』


外角低めの緩い球を見逃され、1ストライク1ボール。


『ストライク!』


同じく外角低めの速球をカットされ、2ストライク1ボール。


『ボール!』


外角高めの速球を見逃され、2ストライク2ボール。


緊張感のある展開に、緊迫した空気が球場内を包み込む。


(くそ・・・)


相手の打者と走者が、顧問のサインを確認する僅かな待ち時間。

マウンド上のはじめは、うだるような暑さと自分の心の狭さに、確かな苛立ちを覚えていた。


はじめの視界に映るのは、観客席にいる生徒会役員の面々。

その中で、常盤中生徒会長の如月かんなだけが、まるでスポットライトが当たっているかのように見える。


祈るように顔の前で手を合わせる彼女の姿が、はじめの心を激しく揺さぶる。


『かんな告白するらしいですよ』

松咲花から告げられた言葉が、頭の中で反芻する。


『「K」と印字されたキーホルダー』

拓と繋がりがあって頭文字が『K』といえば、如月かんなしか思い当たらない。


『拓くんのバッグ見ましたか?』

花が言っていたもう一つの言葉が、はじめの心配を裏付ける。


(そういえばあの時も・・・)


それは生徒会選挙の前。

拓とかんなは屋上へと続く階段で密会をしていた。


更に、その時の内容をはじめが尋ねると、かんなは「それは今は言えない」と返していた。


「俺んとこに全部来いっしょ〜」


はじめの思考を遮るように、サードの徹が元気に声を上げる。

サインを確認した走者がリードを取り始め、打者がバットを構える。


気持ちの整理もままならないまま。

マウンドのはじめも、セットポジションで構えた。



中村拓目線


(今のサインやけに長かったな。何か仕掛けてくるつもりか?)


野球において相手のサインを盗み見する行為はマナー違反とされているため、捕手の拓は視線を地面に落として次の作戦を練っていた。


しかし、相手のサインを伝える時間がやけに長く感じ、拓はそのことに違和感を覚えたのだった。


(この戦況で仕掛けてくるとすれば・・・もしかしてあれか?)


2死2・3塁。

相手からすると、点を取らなければ敗北というこの状況。


(だとすれば、ここは・・・)


拓の中で一つの可能性が浮上する。


全ての状況を整理し終えた拓が、導き出した解に従って、はじめにサインを送る。


(気づいてくれ。はじめ!)


エースへの信頼と期待を込めて。



弟月はじめ目線


(高めのボール球だと・・・)


拓のサインを受け、はじめの中で苛立ちが膨らむ。


カウントは2ストライク2ボール。

ここでボール球を見逃されると、フルカウント。


投手としては、ボール球が許されるか許されないかで、天と地ほどの余裕の差が生まれる。

さらに、高めのボール球は先ほど投げたばかりで、見逃される可能性が非常に高い。


四球も視野に入れた作戦とも考えられるが、勝負を選んだ拓が急に逃げ腰になるとは思えない。


試しに一度首を横に振ってみるが、拓のサインは変わらなかった。


『エース失格だよ』


かつての拓の声が脳内に響く。


(やればいいんだろ。やれば)


拓のサインに、半ばヤケクソで頷くはじめ。

その最中も、はじめの中では疑念と焦燥が渦を巻いていた。


そんな不安定な心情を抱え、はじめがモーションに入る。


その瞬間。


(しまった!そういうことか!)


はじめの動きが徒競走のスターターピストルであるかのように。


二人のランナーが、一斉に走り始めたのだった。



(ホームスチール、いや、エンドランか!)


『ホームスチール』

ホームへ盗塁する行為であり、2ストライクのこの場面で仕掛けてくる可能性は極めて薄い。


『ヒットエンドラン』

エンドランと略されることもあり、投球と同時に走者は走り、打者はどんな球でも打ち返す策である。

今の戦況を鑑みると、こちらは十分に有り得た。


モーションに入ってから、ボールが指から離れるまでの僅かな時間。

既に余裕のないはじめの脳がフル回転する。


拓のサインの真意に気づいていなかったはじめは、高めの際どいコースに球を投げようとしていた。


相手の作戦がヒットエンドランなら、打者のスイングが届かないところに投げる方が得策だ。


(クソ!拓を最初から信じていれば・・・)


相手の作戦に気付いていたであろう拓のことを、最後の最後に信じきれなかった自分に、最大の苛立ちを覚える。


今からでも外すしかない。

最終的にその結論に至ったはじめだったが、ほんの一瞬だけ遅かった。


「あ・・・」


握られたボールが、はじめの感覚よりも少しだけ早く、自身の指から離れていく。


ボールはそのまま、飛び上がる拓の頭上を虚しく通り過ぎ。


後方のバックネットに突き刺さった。



「はじめちゃん!ホーム!」

「え?」


徹の声で我に返ったはじめが、ホームに走る。


投球と共にスタートを切っていたサードランナーは、既に生還。

打者も振り逃げで一塁に向かっている。


最も問題なのはセカンドランナー。

こちらも投球と共にスタートを切っており、既に3塁へと進んでいた。


そして、この遊馬兎球場にはある特徴があった。

本塁からバックストップまでの距離が、他の球場と比べて長いのだ。


『ゴー!ゴー!!』


相手のランナーコーチが腕をブンブンと回し、それを見たランナーがサードベースを蹴る。


「はじめ!」


遅れて拓がボールを拾い、ホームにカバーに入ったはじめに投げる。


ヘッドスライディングでホームに帰ってきたランナーの手と、拓からボールを受け取ったはじめのグローブが交差する。


ザー


立ち込める砂埃。判定を待つ静寂。


『セーフ!セーフ!!』


無情にもグローブからこぼれ落ちたボール。

湧き上がる歓声。


この日、この時。

弟月はじめの青春は、音も立てずにゆっくりと。


その幕を閉じた。

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