第19話 それぞれの青春 その4
遊馬兎球場内
「どうしたはじめ。絶好調だな」
「まあな。今日の俺は強いぞ」
5回裏も無失点で抑えたはじめが、拓と言葉を交わしながらベンチに戻る。
5回表に松咲花からあることを聞いたはじめは、それを自分なりに解釈し、ピッチングの調子をあげていた。
(俺のこと・・・だよな)
にやにやと笑みを浮かべながら、ベンチに置かれたウォータージャグのレバーを下ろす。
「ん?・・・なんだよ空か」
しかし、そこから水は出てこず、拓に「替えの水どこだっけ?」と、声をかける。
「ああ水か。確か俺のバッグの横だ」
「おう。さんきゅー」
拓の言葉を受けて動くはじめ。
「あったあった。これだな」
そのまま目当てのクーラーボックスを見つけたのだが。
「ん?これは・・・」
その時、はじめはみつけてしまった。
拓のバッグにつけられた、とあるもの。
裏に『K』と印字されたキーホルダーを・・・。
6回表
「はじめ。次お前だぞ」
「あ、ああ。わかってる」
8番打者が倒れ、今の打順は9番。
つまり、1番のはじめはネクストバッターだ。
『アウト!』
9番打者がセカンドゴロに倒れ、はじめはそのままバッターボックスへ向かう。
(どういうことだ。あのキーホルダーは確か祭りで売ってたやつ・・・)
『ストライク!』
(そういえばさっき、拓のバッグがどうこうって・・・)
『ストライクツー!』
(それに『K』って・・・)
『ストライクスリー!バッターアウト!!チェンジ!!!』
はじめのスイングは三度空を切り、合同野球部の攻撃は、この回も無得点で終わった。
6回裏
「まずいな」
マスクをかぶった拓がボソッと呟く。
この回。
はじめの投球は突如乱れ、先頭打者に出塁を許すと、続く打者が送りバントを決めた。
現在の状況は1死2塁。
一打が出れば初失点という場面だ。
「タイムお願いします」
『タイム!』
拓が先陣を切り、内野陣がマウンドに集まる。
「どうしたはじめ。何かあったか?」
「いや、すまない。なんでもない」
先ほどの件で、はじめの心は確かに動揺していた。
なるべく表に出ないように努めてはいたのだが、心が体に与える力は凄まじく、ましてやピッチングという繊細な動きに影響がでないはずがないのだった。
「サードに打たせれば俺が軽く捌いてやるっしょ」
「徹先輩じゃ不安でしょ」
「徹が不安なら俺のとこでもいいぞ」
「ちょっとたけみんにしょうちゃん!俺のとらないでよ」
「・・・僕のとこでもいいよ」
「みんな・・・」
内野陣の声を聞き、己を戒めるように、はじめが自分の頬をパシッと叩く。
「お前はうちのエースだ。頼んだぞ」
「ああ。わかった」
最後に一声かけ、拓が定位置に戻ろうとする。
「ちょっと待て」
それを、もう一人のキャプテンである松竹が引き止めた。
「あれ。試してみないか?」
「あれか・・・そうだな。やってみるか」
拓はコクリと頷いた。
(なんだ。やけに無防備だな)
セカンドランナーの相手が、合同野球部の動きに疑問を覚える。
1死2塁。一点も失いたくないこの場面。
しかし、セカンドの松竹もショートの王春もセカンドベースと一定の距離を保っており、牽制の気配は全くない。
そのことに違和感を覚え警戒しつつも、セカンドランナーのリードは自然と大きくなっていく。
(おいおい。いくらなんでも舐めすぎだろ)
追い討ちをかけるように、マウンド上のはじめが、先ほどよりもゆっくりとしたモーションで投球を始めた。
セットポジションではあるが、三盗を十分に狙えるチャンスに思える。
(走るか?いや、でもここは慎重に・・・)
そんな状況に、セカンドランナーが葛藤していると、
(・・っ!しまった!!)
高めに放られたボール球を捕球したキャッチャーの拓が、そのままの流れでセカンドへ送球。
大きめなリード。サード側に傾いた重心。
気づいた時には既に遅く、ボールを捕らえた松竹のグローブが、戻ってくるセカンドランナーの手に触れた。
『アウト!』
松竹の思惑通り、合同野球部はまたしてもピンチを乗り越えたのだった。
7回表
「うまくいったな」
「ああ。拓の送球も完璧だったぞ」
この回の先頭打者である松竹と、ネクストバッターである拓が、準備を進めながら互いを称え合う。
先ほどのプレーは事前に練習していたものであり、それをほぼ完璧な形で再現できた。
2死走者無となったことで、はじめも多少リラックスできたのか、その後の打者をきっちりと三振に抑え、お互い無失点のまま試合は7回に突入した。
ちなみに、中学野球は基本的に7回までと決まっており、この大会も例外ではない。
つまりこの回が最終回。
人数の少ない合同野球部としては、延長戦はなるべく避けたいため、この回は正念場となる。
「ぜってー出るから。続けよキャプテン」
「ああ。そっちも頼むぞキャプテン」
バッターボックスに向かう松竹に、ベンチから力強い声援が送られる。
『プレイ!』
球場に響く主審の声。
得点板に並ぶ『0』の行進。
硬直状態のまま迎えたこの回。
試合は大きく動く。
いつもよりバットを短く持ち、左のバッターボックスで構える松竹。
ミート率を上げ、なんとしても塁に出ようとする心の表れだ。
コースいっぱいに放られるボールに食らいつき、粘り続けること8球目。
カツン
少し甘く入ったボールをバットの先で捉え、打球が三遊間の深い位置へ転がる。
相手のショートがそれをバックハンドで捕球し、体を捻って一塁へ送球。
その間に、右打者よりも少しだけ短い距離を、松竹が全力疾走する。
ワンバウンドで迫るボール。
一塁ベースを駆け抜ける松竹の足。
『セーフ!』
塁審が手を横に大きく広げる。
「よっし!!」
一塁ベースに戻った松竹が、ベンチの方を向き、拳を突き上げた。
「しょうちゃん、よくやったっしょ〜!」
それに徹がいち早く応え、他の部員も歓声を飛ばす。
こうして、初回に拓が四球で出た以来。
この試合初めてのヒットという形で。
しかも、ノーアウトという理想の状況で。
希望のランナーが出塁したのだった。
「松竹のやつ。さすがだな」
続いてバッターボックスに入った拓が、ボソッと呟く。
約束通り塁に出た松竹に目を向けると、ヘルメットのつばを右手で抑えている。
(『打』か・・・)
その仕草は、拓に『打て』と伝えるものだった。
合同野球部のサインは、顧問の田辺の提案で、選手同士で行うようになっている。
現在の状況はノーアウト一塁。
送りバントや盗塁も考えられる場面だが、松竹はそれを選ばなかった。
理由は大きく分けて二つ。
一つは、松竹自身が足の速さに自信があるわけではないから。
もう一つは、拓はバントが上手くないからだ。
不器用な性格からか、拓は球の勢いを殺すのが天才的に下手くそだった。
しかし、3番打者というのは伊達ではない。
打率でいえば、合同野球部の中でトップクラスの実力の持ち主だ。
つまり、松竹のサインは拓への信頼の裏返しでもあるわけだ。
「ここで期待に応えるのがキャプテンだよな」
バットでホームベースをなぞり、松竹に『了承した』とサインを送る。
拓の目には、覚悟の色が滲み出ていた。
初球。
右打者の拓の内角を、鋭い速球が抉る。
(やっぱりな!)
心の中でガッツポーズを決める拓。
拓はこの試合中、同じポジションである相手の捕手をずっと観察していた。
その結果、相手捕手の癖のようなものを見抜いていた。
その癖とは、投手に向けてサインを出す前。
その時点で、要求するコースの方へ体を動かすというもの。
そして今回。相手捕手は、そのタイミングで、拓にとってインコースとなる方へ動いた。
そのことを横目で確認した拓。
さらに、投手が首を縦に振ったことで、読みは確信へと変わる。
カンッ
(しまった。少し遅れたか)
予想通りの展開に力んだのか、それともここにきて相手投手の球速が上がったのか。
振り遅れた打球がライト方向へと飛んでいく。
遅れたといっても最後まで振り抜いたため、球足は非常に速く、ヒット制の当たりだ。
が、
『アウト!」
当たりの良さが逆に仇となり、捕球したライトが一塁へ送球。
拓はそのままアウトとなった。
「・・・すまない」
「後は俺に任せるっしょ!」
ベンチに戻る拓に、続く4番の徹が元気に声をかける。
拓は落ち込んでいるが、彼の動きが全て無駄に終わったわけではなく、その隙に松竹は2塁へと駒を進めていた。
1死2塁。
得点圏にランナーを進め、合同野球部のチャンスは続く。
カキン
徹がスイングしたバットはボールの下を擦り、勢いをそのままに、回転するボールがバックネットへ突き刺さる。
これは余談だが、遊馬兎球場の本塁からバックストップまでの距離は長い。
コロコロと転がるボールを相手側の控え選手が拾い、主審は腰の入れ物から新しい試合球を取り出して、投手へ投げた。
「あっ、靴紐っしょ」
「え?」
「違った。タンマっしょ」
『タイム!』
主審に断りを入れ、解けた靴紐を結ぶ為しゃがむ徹。
「ここまで長かったっしょ」
足元に蝶をつくりながら、ボソッと呟く。
思い出される一年の春。
自分以外に野球部に入部を希望する同級生はおらず、途方に暮れていたあの頃。
必死の勧誘の結果、弟月はじめと中村拓が入ってくれた。
それから後輩も加わったが、先輩たちが引退し、チームは6人に。
1年生の勧誘も虚しい結果に終わり、引退を考えていた一ヶ月前。
丸美屋中の梅月松竹や睦月王春らが加わり、こうして大会に出ることができた。
そういった一つ一つの事象が繋がり、軌跡となって今がある。
「もう大丈夫っしょ」
『プレイ!』
靴紐をきつく結び直し、バットを力強く握り直して、徹が構える。
その構えは、先ほどまでの緊張が消え失せ、実に自然体でリラックスしたものだった。
「どうりゃあぁ!」
吠えながらスイングされたバットはボールの芯を捉え、ライナー制の鋭い当たりが、左中間の深いところへ飛んでいく。
あらかじめ深めに守っていたセンターが追いついた時点で、セカンドランナーの松竹は既に3塁を蹴っていた。
「ゴーです!ゴーゴー!!」
ぐるぐると手を回すランナーコーチをチラリと見て、松竹がホームへ一生懸命に走る。
ボールはショートへ中継され、そのままホームに送球しようとしたのだが、その動きは直前で止まった。
理由は明白。
その時点で、松竹が既にホームベースを踏んでいたからだ。
「うおおお!」
セカンドベースに滑り込んでいた徹が立ち上がり、ベンチの方を向いて吠える。
「徹。よくやった!」
「先輩。かっこいいです!」
その雄姿に、拓と武が珍しく目を輝かせて、声援を送る。
「先輩!先制点ですよ先制点!」
「うん。凄い試合だね。ねぇ花」
観客席で、試合の行く末を見守っていた生徒会役員たち。
興奮気味の文がかんなに話しかけ、かんなが花に話を振る。
「・・・花?」
「え?ああ、そうですね」
しかし、花の返事はどこか浮かないものだった。
歯切れの悪い親友の姿に微かな違和感を覚えるも、試合は終盤も終盤。
かんなの視線は、直ぐにグラウンドへと戻った。
7回裏
『0』ばかりだった得点板に、初めて掲げられた『1』の数字。
それは最終回の表の位置で、今はその裏。
つまり、この回を凌げば合同野球部の勝利となる。
「ボールバック!」
拓の合図で最後のアップは終わり、盗塁を想定した拓の球を、2塁ベースに入ったショートの王春が捕り、それをマウンドのはじめに向けて送球する。
「・・・頼んだよエース」
「任せろよエース」
回ってきたボールを右手の掌の中で弄んだ後、自身のグローブに力強く投げ入れ、空を仰ぐ。
「青いな・・・」
どこまでも広がる青い空。
観客席で応援する生徒会役員の心情も。エースに期待するナインの気持ちも。プレッシャーに押しつぶされそうなはじめの心理も。
その全てがあくまで他人事であるかのように。
青い空の中を大きな白い雲が優雅に泳ぐ。
「すー・・・。はぁ」
自然の偉大さから勇気を受け取るように。
大きく深呼吸をしたはじめが、拓のミットを静かに見据える。
『プレイ!』
心のしこりをその最奥に閉じ込めた弟月はじめの。
常盤中丸美屋中野球部の青春を守るための最後の戦いが、始まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます