第11話 中村拓の青春 その1


知っているか知らないか。

それは、物事を判断する上でとても重要な材料となる。


なにかを欲するのはその価値を知っているからだし、偏見が生まれるのはその価値観を知らないからだ。


中途半端な知識は先入観を生み、深すぎる知識は時に行動を制限する足枷となる。

適度な知識は常識を型取り、思考をその内に留めさせる。


そして、中学生の中村拓はあることを知っていた。真偽はともかく知っていた。


果たして、その情報は彼の行動と心情にどのような変化をもたらしたのか。


これは情報と願いの狭間で格闘を続けた、一人の少年の物語である。




生徒会室


「ふみ〜!よくぞご無事で!!」


一学期に消化しきれなかった雑務をこなすため、夏休み初日に集まった生徒会役員の面々。


そこに遅刻という形で合流した石田文に、同じく生徒会役員の一員である松咲花が抱きつく勢いで駆け寄る。


そんな先輩女子を闘牛士のようにさらりと躱してみせると、文は残りのメンバーに向けて謝罪を始めた。


「すみません。遅れてしまって」

「大丈夫だ。問題ない」


それに応えたのは、書類に目を通しながら同時に何やら書き込んでいる野球部主将兼生徒会役員。

先ほど親友と和解したばかりの中村拓だった。


「ちょっとキャプテン。文に甘すぎじゃないですか?」

「そうか?別に普通だが」

「そうですかねー」


そんな拓と親しげに話すのは、石田文の双子の兄であり、中村拓とは従兄弟関係にあたる生徒会役員。

野球部でもあり次期キャプテン候補の石田武だ。


「みんな!はじめくんが差し入れくれたよー」


そんな面々を束ねるのが、常盤中生徒会長。

飲み物を掲げて屈託のない笑顔を見せる、如月かんなであった。


「はじめ先輩が?」


先ほど拓とはじめが和解したことを知らない武が、驚いたように拓の方を見る。

それに「もう大丈夫だ」と応じると、拓はグラウンドの方に目を向けた。


「明日、徹に頭を下げるのか・・・」


野球部と交代で練習に入ったサッカー部を眺めながら、明日のことを少し憂鬱に感じる拓だった。



「武はこれで・・・あっ、花先輩の分忘れました」

「え!?そんな・・・」


本気で悲しそうな表情をする花を見て、文が「むふふ」と笑い声を漏らす。


「冗談ですよ。はい」

「私の純情を弄ぶなんて・・・。文の人でなし!ちび!」

「今ちびって言いましたね。もう花先輩にはあげません!」


一度差し出した飲み物を再び仕舞う文。

お預けを食らった花は、おもちゃを没収された子どものように切ない表情を浮かべる。


「うー。文が意地悪します。後輩が反抗期です。かんな慰めてください!」


どさくさに紛れて抱きつこうとしてくる花を、文と同じく闘牛士のように華麗に躱すかんな。


花の抱擁は虚しく宙を切り、行き場を失った両手を交互に見つめて、悲しそうに肩を震わせる。


そんないつも通りの光景を眺めながら、中村拓はある考えを巡らせていた。


それは生徒会選挙での出来事。


最終候補者が出揃った後、拓はかんなから二つの事柄を告げられていた。


一つは、かんなを想う女子が存在すること。

もう一つは、かんなには別の想い人がおり、その気持ちに応えられないこと。


この内、かんなを想う人物が石田文。かんなが想う人物は弟月はじめであると拓は予想していた。


文に関してはかんなの情報操作によるミスリードであったが、はじめの方は拓のキャッチャーとしての洞察力が活かされた見事な考察だった。


その証明として、先ほどはじめが学校に来ていることをかんなに伝えると、何食わぬ顔で生徒会室を抜け出し、はじめに会いに行っていた。


そしてあの日、かんなはこうも言っていた。


『私が生徒会長になったら、拓くんの望む方向に進むと思うの』と。


その結果、拓は生徒会役員となり、そこには想い人である文がいた。

当然一緒にいる時間は多くなり、拓が望む方を向きはしたのだが。


「拓くんはコーヒーです」

「ああ。ありがと」


用件を済ませると、そそくさと自分の席に戻る文。


二人の心の距離は未だに修復できてはおらず、望む方向に進んではいなかった。


(このままではいけないな・・・)


文に貰ったコーヒーを飲みながら、向かいの席に座る彼女の姿を眺める。


自分の気持ちに応えてほしい。

その気持ちが無いと言えば嘘になってしまうが、拓にはそれ以外に危惧していることがあった。


それは文がかんなに告白し、失敗すること。


それは、文がかんなに好意を寄せているという前提から間違っているのだが、そのことを疑わない拓にとって、それは何より阻止したい案件だった。


というのも、今から一年以上前。

文に告白しフラれた拓は、心に相当な深手を負ったのだ。


感情が表情に出にくい拓が、鈍感な徹に心配されるほど分かりやすく落ち込んだ。


あんなに辛い思いを、文にはしてほしくないというのも、拓の本心であった。


かといって、今の拓に何かができる訳でもなく、今日もいたずらに時間だけが過ぎていく。


(ブラックはさすがに苦いな・・・)


コーヒーのほろ苦さが、喉から全身へと流れていく。


こうして、中途半端な情報による先入観に囚われたまま。


卒業までのカウントダウンは、刻一刻と確実に進んでいくのだった。




翌日 常盤中グラウンド


ベンチの前で円陣を組む2校合同野球部の中心には、常盤中野球部のキャプテンとエース。中村拓と弟月はじめの姿があった。


「それで話ってなんや」


昨日の喧嘩からまだ一夜しか経っていないからか、丸美屋中のキャプテンである梅月松竹が厳しい表情で問いかける。


「ああ。話なんだが」


拓はそこで間を置き、横にいるはじめと顔を合わせると。


「「すまなかった」」


同時に帽子を脱ぎ、勢いよく頭を下げた。


突然の謝罪に九人九様な反応をみせる部員たち。

その中でも徹は、口をポカンと開けて放心している。


「昨日の俺の行動はエース失格だと言われても何も言い返せない。この合同チームのエースは王春。お前に譲るよ」

「俺もだ。このチームのキャプテンは松竹。お前がやるべきだ」


尚も頭を下げ続けるふたりに他の部員は何も声をかけることができず、重たい空気が円陣内に充満する。


そんな気まずい沈黙を破ったのは、拓に名前を出された梅月松竹だった。


「お前ら。それ本気で言っとるんか?」

「ああ。本気だ」


即答する拓に、松竹は「やれやれ」と困ったように両手を上げると、続きの言葉を吐き出した。


「いいか。キャプテンやエースっちゅうんは、只の肩書きやない。チームの奴らから『そいつにならついて行ける』『そいつになら任せられる』そう思われて初めてなれるもんやろ」


そこまで言い終わると、視線を常盤中の2年組に向ける。


「こいつらはお前らのことを信じてここまでやってきた、違うか?」


石田武をはじめとする2年組は顔を見合わせると、拓とはじめの方を向き直して、深く頷いてみせた。


「そういうわけや」


松竹は強張っていた表情を緩め、拓とはじめの方をじっと見つめる。


「・・・松竹の言う通りかもな」

「・・・ああ。そうだな」


その言葉を待っていたと言わんばかりにニカッと笑うと、松竹はこんな提案を始めた。


「これは俺の希望なんだが。ダブルキャプテン・ダブルエースってのはどうだ?」

「ダブルキャプテン?」

「ダブルエース?」


松竹から発せられた初めて聞く言葉に、常盤中野球部のキャプテンとエースが、それぞれ不思議そうに聞き返す。


「ああ。キャプテンもエースも一人じゃないといけない決まりはないだろ?」

「まあ、確かにな・・・」

「それはそうだが・・・」


松竹は得意げに笑うと提案を続ける。


「勿論、決めるのはみんなだ。反対な人はいるか?」

『・・・・・』


松竹の問いかけに声を上げる者はいない。


「よし決まりだな」

「ちょっとまったー!」


松竹の可決を遮る形で大声を上げたのは、深刻な顔をした徹だった。


「その提案に異議ありっしょ」

「徹・・・」


珍しく神妙な表情に、拓は不安そうに声を漏らしたのだが、


「俺だけ称号ないじゃん!!」


徹の言い分は心底どうでもいい内容だった。


「そんなことだろうと思ったよ・・・」


はじめも呆れたように呟く。


「確かにそうだな。それなら『ダブルトール』ってのはどうだ?」

「だぶるとーる・・・。めっちゃかっこいいっしょ!!」

「それでいいのか徹・・・」


松竹のテキトーな提案をあっさりと受け入れた徹を見て、拓が呟く。


「まあ、あれが徹だからな」

「それもそうか」


はじめと拓が呆れたように笑う。

そんな二人の様子を見て、残りの面子も笑いだす。


「私がいない間にいろいろとあったみたいですね。雨降って地固まる、といったところでしょうか」


ベンチに座り様子を伺っていた顧問の田辺が、なかなか良いことを言っていたのだが、その声は徹の遠吠えによって掻き消されてしまった。


両の目から溢れ出しそうな雨を堪えて、田辺は優しく微笑んだ。




それから、常盤中と丸美屋中の合同野球部は練習を積み重ね、個人としてもチームとしても着々と力をつけていった。


3週間という短い期間ではあったが、一つのチームとして形を成しており、ダブルキャプテン・ダブルエースという異色の構成が見事にハマったようだ。


そして、八月も半ばに差し掛かった今日は、合同野球部最後の練習日であった。


「「「ありがとうございました!!!」」」


整備を終えたグラウンドに向かって、一列に並んで礼をする11人の若人たち。


雑談を交えながら部室へと戻る部員たちの中で、キャプテンの一人である拓は、エースの一人であるはじめに、ある話を持ちかけていた。


「はじめ。今日の祭りに行く予定はあるのか?」

「祭り?あー、常盤祭のことか」


常盤祭。

とある神社の近くにある広場で行われる地元の祭りで、毎年この季節に開催される。


今年の開催日は8月15日。

つまり今日の夕方からであった。


「予定がないなら、生徒会のメンバーと一緒に行かないか?」

「へぇー。かんなたちが来るのか」


これは昨日の晩のこと。

以下、生徒会役員のグループメッセージの内容である。


花:明日の常盤祭みんなで行きませんか? 19:12

かんな:祭りかあ。いいかもね 19:15

花:ですよね〜。他の人はどうですか? 19:16

文:私も行きたいです 19:20

拓:俺も行こう 19:20

武:それなら僕も 19:23

花:お!全員参加ですね! 19:25

花:そういえば、みんなでお出かけなんて初めてじゃないですか? 19:25

かんな:うん。確かにそうかも 19:26

文:楽しみですね 19:26

花:みんなの初めて貰っちゃいますよ〜 19:26

花:それじゃあ5時に現地集合でお願いします! 19:30


その下には、かんなや文の可愛らしいスタンプが続いていた。



「何の話してるっしょ?」


コソコソと話すはじめと拓の元へ、徹が無邪気な笑みを浮かべて駆け寄る。


「今日の祭りに行かないかと思ってな」

「おお!祭り行くっしょ!!」


事情を聞いた徹が「祭り来れる人〜?」と、他の部員に声をかけて回る。


「なんだ祭りがあるのか!?」

「まつり・・・いきたい」


それに松竹や王春も興味を示し、それならと2年組も次々と参加の意思を声にする。


「拓良かったのか?かなりの人数になるぞ」

「ああ問題ない。大人数の方が楽しいからな。それに、ずっと同じメンバーで回る訳でもないだろ」

「そうか」


昨日の生徒会役員のグループメッセージの後、拓は個人メッセージにて、『野球部も祭りに誘うように』という指示をかんなから受けていた。


かんなの狙いははじめだろうという推察のもと、拓ははじめを先に祭りに誘ったのだが、参加人数が増えたとしても問題はないだろう。


「それじゃあ、来れる人は5時に現地集合で頼む」

「わかったっしょ」

「りょうかいだ」

「・・・わかった」


拓の呼びかけに3年組が三者三様な返事をし、2年組も全員が頷いて合意を示す。


「なんだ全員来れるのか」

「こりゃまた大人数になったもんだな」


こうして、合同野球部と生徒会役員。

合計14人の夏祭り行きが決定した。

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