第9話 弟月はじめの青春 その3


海岸沿いの道から山の方へと外れ、奥に進むこと徒歩五分。


周りは緑に囲まれ窓からは海が一望できる。

そんな自然に寄り添うかたちで静かに佇むここ『森の林の木(通称:六本木)』は、常盤中の一部の生徒の間で人気の喫茶店だ。


ちなみに、『「森」の中にある「林」さんが営む「木」っさてん』ということで、この名前になったらしい。

苦しまぐれ感と共に愛嬌を感じるこの名前を、弟月はじめは密かに気に入っているのだった。


そして、夏休み初日のお昼時。

窓辺の隅という所謂いつもの席に座り、いつものメニューであるオムライスを注文したはじめ。


しかし、運ばれてきたオムライスは二つ。

そして、向かい合った席にはいつもと違う人影。夏休みだというのに制服に身を包んだ、石田文が座っていた。


「えーと、つまりだ。ナンパされて困ってたところに丁度俺が来たから、デートの待ち合わせという設定にして、助けてもらおうとしたわけか」

「はい、その通りです!」


胸を張り自信満々に答える文。


「でもナンパは勘違いで、本当は道を尋ねられただけだったと」

「はい、その通りです・・・」


先ほどと同じ言葉を、今度は肩を落として弱々しく答える。


学校で拓と喧嘩し、やりきれない気持ちを寄り道というかたちで消費していたはじめは、その途中でうっすらと見覚えのある後輩女子に、突然抱きつかれたのだった。


その後、詳しい事情を聞くために、行きつけの喫茶店にやってきたというわけだ。


経緯を理解したはじめは、改めて目の前に座る女の子を観察する。


(どこかで見た気がするんだけどな・・・)


彼女は自分の姿を見て「弟月さん」と呼んだ。

このことから面識があるはずだと考えたのだが、うっすらとした記憶の映像には靄がかかっており、思い出すことができないでいた。


そのため、話を誤魔化しつつ彼女の正体を暴こうとしていたのだが。


「先輩。何か隠し事してますか?」


ジト目でこちらを見てくる石田文本人によって、その思惑はあっさりと崩れ去った。


「私、勘だけは鋭いんですよ。大方私の名前を思い出せないとか、そんなところじゃないですか?」

「おお、凄いな!その通りだ」

「そんなにはっきりと肯定されると少し傷つきますね・・・」


悲しそうに呟きながら、文がオムライスに口をつける。

その振る舞いは一見余裕を感じるものだったが、よく見ると握られたスプーンがカタカタと震えていた。


一目惚れをしている先輩男子とお洒落な喫茶店でふたりきり。

デートと称しても過言ではない状況に、恋する乙女が緊張しないわけがないのであった。


その証拠に、少し前にトーストを食べたばかりなのに彼女は空腹を感じていた。

それは彼女が食いしん坊などといった話ではなく、緊張故に空腹メーターが狂っていたのだ。


「改めて自己紹介しておきますね。石田文と言います。生徒会役員で石田武の妹です」

「あー。そうだそうだ」


文の言葉を受け、はじめの脳内映像がクリアになっていく。

それは、半年以上前の生徒会選挙の記憶。緊張した面持ちで演説をする石田文の姿だった。


文の演説の内容は選挙の辞退であり、尚且つはじめは如月かんなと中村拓の演説に注目していたため、記憶が朧げだったことも仕方がないと言えるだろう。


「って、俺と話したことあったっけ?」

「ないですね」


きっぱりと言われ「あれ?俺なにも悪くなくね?」と思うはじめだったが、言うと面倒なことになりそうなので黙っておく。


「それにしても、武に妹がいたとはな。同級生ってことは双子か?」

「はい。その通りです」


「ふーん」と言いながら、文の顔に自身の顔を近づけるはじめ。


「ちょっ!?なにしゅるんですか!!??」

「え?言われてみると武に似てるなと思って」


驚きのあまり顔を真っ赤にした文が、「女の敵!」と、目を回しながら講義の声をあげる。


その動揺っぷりに最初は驚いていたはじめだったが、やがてその顔は緩み、クツクツと笑い出した。


そんな先輩のデリカシーのない言動を前に、文はほっぺたをぷくーと膨らませる。

その表情の中には、嬉しさのような色も混じっているように見えた。



「元気でましたか?」

「え?」


相変わらず笑い続けていたはじめだが、文の唐突な言葉に、笑いを止めて首を傾げる。


「何か悩み事があったんじゃないですか?」

「・・・どうしてそう思うんだ?」

「言ったでしょ。私、勘だけは鋭いんですよ」


実は一目惚れした人のことを知るために、相手の心情が表情だけである程度判るほどに観察していたとは言えず、適当に誤魔化して伝える。


それに対しはじめは「女子って怖えな」と、見当違いとも言い辛い感想を抱いた。


「私でよかったら、お話聞きますよ」

「・・・」


文の誘いを受けたはじめは、いつの間にか残り少しとなっていたオムライスを掻き込み、水で流し込むと。


「これは俺の友達の話なんだけどな・・・」


意味のないカムフラージュを交え、先ほどの喧嘩の一部始終を抽象的に話し始めた。



「なるほどなるほど」


はじめの話を一通り聞き終えた文は、少し大袈裟に何度か頷いてみせる。


「つまりその友達は、突然現れたライバルに危機感を覚えていたところ、親友にそのことを指摘され、気持ちが溢れ出してしまったというわけですね」

「ああ、そんな感じ・・・らしい」


あくまで友達の話として語る先輩男子に可笑しさを感じながら、文は続けてこう問うた。


「その溢れてしまった気持ちに名前を付けるとしたら、先輩ならなんて付けますか?」

「気持ちに名前かあ・・・」


文の言葉を受け、腕を組んで考え込むはじめ。


気持ちに名前を付けるというこの方法は、以前文が花に教えて貰ったものであり、文自身が救われた経験からきているものだった。


はじめはしばらくの間無言で考え込んだ後、こんな答えを口にした。


「焦り、怒り・・いや違うな。多分、嫉妬だ」

「嫉妬・・ですか・・・」


はじめの答えに思うことがあったのか、今度は文が考える素振りをみせる。


「そうか。急に現れた王春が拓に認められたことに、俺は嫉妬してたのか」


勿論、理由がそれだけではないことも、はじめは分かっていた。


エースの座を奪われてしまうかもしれないという焦り。

そのことを指摘してきた拓への、そして自分自身への怒り。


だがその感情よりも前に、はじめは王春に嫉妬していたのだ。

その事実が、はじめの心のストッパーを壊してしまっていた。


「そうか。ありがとな文!」

「えっ?あ、はい。って、どこ行くんですか!?」

「学校!」


そう言い残してテーブルに千円札を2枚置き、はじめは足早に店を出ていってしまった。


途中から友達の話という設定が抜け落ちていたことに、気がつかぬまま。



「はあぁ。緊張した〜」


残された文が大きく息を吐きながら、テーブルに突っ伏す。


「変だと思われたかな・・・」


小さなボリュームで呟かれたのは、不安の声だった。


1年以上もの間ずっと片思いしていた男の子と初めて喋ったのだ。

しかも初デートかのようなシチュエーションに、悩み事の相談。


文の心臓は終始爆発しそうなほどに脈打っていた。


(学校ってことは謝りに行ったのかな?)


少し冷静になってきた脳で、はじめの先ほどの言葉から行動を予測する。


「・・・って、あれ?」


その途中で文は思い出す。

自分も生徒会の集まりに行く途中であったことに。


「しまった!!今、何時!?」


慌てて時計を確認する文。時刻は『13:30』を指し示していた。


この時間なら遅刻は確定だが、作業はまだ終わっていないだろうとの推測の元、文も学校へと駆け出した。


「すみません。お会計お願いします!」

「あいあい。嬢ちゃん大変だったね。代金は1000円でいいよ」

「え!?いいんですか?」

「彼氏と別れ話だったんだろう?失恋は辛いからねえ。あんまり落ち込むなよ」

「いや、違いますよ!」

「隠さなくていいんだよ。私にも娘がいるからね。この間も・・・」

「すみません。急いでるんで!」


先ほどのはじめとのやり取りを見ていたマスターの林に何やら勘違いをされたらしいが、説明する暇もないため、お金を支払い店を後にする。


「うわっ・・あっついなあ」


店内との温度差で外が地獄のように感じる。


様々な感情の起伏があった喫茶店内だったが、その外では真夏の太陽が変わらず照りつけていた。




常盤中校舎二階


喫茶店から走って学校に戻ってきたはじめは、安全確保と息を整える為にスピードを緩めて、生徒会室へと続く廊下を歩いていた。


「うわ!?」


その途中にある男子トイレから突然現れた人影に、考え事をしていたはじめは身を仰け反らせて反応する。


「ん?はじめ?」

「拓・・・」


心の準備が整い切れていなかったはじめと、いつも通りの無表情でハンカチで手を拭く拓。


2人の間に気まずい空気が流れる。


「えー、なんだ。その・・・」


慣れていないこともあり言葉を濁すはじめだったが、やがて口を一文字に結ぶと、覚悟を決めたような顔つきで切り出した。


「さっきはごめん!」


珍しく背筋を伸ばしたはじめが、綺麗に腰を曲げ謝罪する。


「王春の投球見て焦ってさ。お前の指摘も的確で。なんか自分が情けなくてさ・・・」


想いを吐露する親友を前に、拓はハンカチをポケットに仕舞い。


「俺こそすまなかった」


これまた綺麗なお辞儀を披露した。


「お前のことは分かってるつもりなんだがな。ついあんな言い方をしてしまった。俺の方がキャプテン失格だ」

「いやいや全部俺が悪いんだ。お前は何も悪くない。俺がエース失格だ」


頭を下げたまま互いに謝罪し合うふたり。


文のおかげで冷静になったはじめは、拓の言葉はチームの為、ひいては自分の為であったと理解していた。

拓のことは理解しているつもりだったが、嫉妬という感情が邪魔をして、視野を狭くしていたのだ。


「松竹の言う通りだ。俺は周りが見えてなかった。明日みんなにも謝るよ」

「そうか。それなら一緒に土下座でもするか」

「は?なんでだよ?」

「なんだ。土下座は嫌か?」

「ちげーよ。なんでお前も謝るんだよ」

「ピッチャーが暴投したんだ。キャッチャーが取りに行かないとだろ」

「なんだよその例え」


互いに顔を上げて見合わせ、はじめは盛大に拓は静かに笑う。


夏休みの初日。

合同練習の初日でもあるこの日に起きた、はじめと拓の初めての喧嘩は、僅か2時間ほどでその幕を下ろしたのだった。




「くそ。自業自得とはいえ、徹に頭を下げる日が来るとはな」


生徒会の仕事がまだ残っているらしく、生徒会室に戻った拓と別れたはじめは、階段を下りながら明日の謝罪について思考を巡らせていた。


「弟月さ〜ん」


踊り場に差し掛かった頃、階段の下から自分のことを呼ぶ声に気づき目を向けると、額に汗を浮かべた石田文の姿があった。


「これ、貰ってください!」


踊り場まで駆け上がり、はじめの元へとやってきた文。


学校まで走ったきたのか、息は上がり顔は火照った女の子が渡してきたのは、少しシワができた千円札だった。


「現金を渡して告白とか聞いたことないんだけど」

「ちっ、ちがいますよ!!」


慌てて首を振る文の姿は実に可愛らしく、左右に揺れるポニーテールに合わせて、はじめの心も揺さぶられる。


「で、どうしたんだ?」

「マスターが代金を撒けてくれたので、余りを返そうと思って」

「さすが林さん。太っ腹だな。それなら、それ今日のお礼ってことで貰っといてよ」

「え?そんなのダメですよ」

「いいから、いいから」


渡そうとするはじめと、それを頑なに拒む文。

ふたりの間で野口さんがもみくちゃにされる。


「ん?そういえば、文も生徒会役員だよな?」

「そうですよ」

「ってことは、もともと学校に来る予定だったのか?」

「そうなんですよ。生徒会の仕事の為に家を出たことすっかり忘れてて」

「じゃあ、生徒会への差し入れ兼お詫びってことで飲み物でも買うってのはどうだ」

「はあ。弟月さんがそれでいいなら」


こうして、くしゃくしゃになった野口さんと共に、はじめと文は休憩所に向かうことになった。



「拓くんはコーヒー・・っと」


ゴトン。と、音を立てて落ちてきたコーヒーを文が拾い上げる。


休憩所へはじめと共にやってきた文は、生徒会役員の人たちの好みである飲み物を自動販売機で次々と購入していた。


「最後は弟月さんですよ」

「俺の分も余ったのか。それなら・・コーヒーを貰おうかな」

「弟月さんもコーヒー好きなんですね」

「まあな」


拓の分がコーヒーであったため、はじめは張り合って同じものを飲もうとした。


「あ、ブラックしかないですけど大丈夫ですか?」

「・・・やっぱコーラで」

「見栄張ったんですね」

「ああ、そうだ。張り倒してやった」


「むふふ」と笑いながら、購入したコーラをはじめへと手渡す。


「仲直り。上手くいったみたいですね」

「分かるか?」

「ええ。良かったですね」

「ああ、文のおかげだよ。ありがとな」

「いえいえ」


はじめが4人分の飲み物を器用に両手で持ち、残りの2人分を文が持って生徒会室へと向かう。


「今日から文師匠って呼んでいいか?」

「嫌ですよ。落語家みたいじゃないですか!」


会話のキャッチボールをしながら歩くはじめと文。


観客席とマウンドほどあったふたりの心の距離は、たったの1日で驚くほどに縮まっていた。



「あれ?はじめくんと文ちゃん?」

「おー、かんな。久しぶりだな」


生徒会室の入り口付近。


生徒会に差し入れを持ってきたはじめと文は、ちょうど生徒会室から出てきた生徒会長、如月かんなと鉢合わせしていた。


「風邪はもういいのか?」

「うん。はじめくんの言う通り疲れてたみたい」

「そうか。きつい時は頼れよな」

「そうだね。何かと理由をつけてサボろうとしない人を頼るね」

「誰だそいつ。最低だな」

「だよね。それより、今日はやけにご機嫌だね。良いことでもあった?」

「まあな」


間髪入れずに行われる高度で高速な言葉のキャッチボール。

まるで、長年バッテリーを組んでいる投手と捕手のような信頼を感じるやりとりに、新人である文は黙って見守ることしかできない。


(なにこの気持ち・・・)


その事実が、文の心に小さな違和感を植え付ける。


「文ちゃんが遅刻なんて珍しいね。何かあった?」

「え?あー、えっと・・・」

「俺が助けたら逆に助けられたんだよな」

「あっ、はい。そんな感じです」

「なにそれ」


目を細め、かんなが2人を交互に見る。


「ふーん。まあいいや。それ、もしかして差し入れ?」

「ああ。かんなの復帰祝いも兼ねてな」

「今思いついたでしょ」

「バレたか」


「じゃあ、有り難く貰っとくね」と、はじめから飲み物を受け取り、かんなは文を連れて生徒会室へと戻る。


「残りのメンバーにもよろしくな」

「うん。伝えとく」

「師匠も頑張れよー」

「あっ、はい。ありがとうございます」


2人を見届けたはじめも、生徒と共に夏休みに入った学校を後にした。



一度合流した青春の川は、再び枝分かれし、それぞれの想いを乗せてゆっくりと流れ始める。


その先に大海が広がっていることを信じて。

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