第4話 松咲花の青春 その1


中学二年冬


学校指定のジャージに身を包んだ生徒たちが、各々の青春に打ち込む、放課後の体育館。


そんな青春の溜まり場で、松咲花はバドミントン用のネットを挟み、1人の先輩と相対していた。


「どうしたの花ちゃん?スクランブル?」

「単純に実力ですよ。あと、それを言うならスランプです」


常盤中学校の部活の内、体育館を使用するのはバドミントン部とバレー部であり、松咲花はバドミントン部のエース的な立ち位置である。


にも関わらず、ネットの横に設置された得点表は『21:15』となっており、勝利を意味する『21』は先輩女子の方を向いていた。


「何か悩みがあるなら先輩が聞いてあげるよ!」

「みどりさんに相談すると拗れそうなので大丈夫です」


一年生が持ってきてくれたタオルで汗を拭きながら、余裕綽々な先輩女子の方に目を向ける。


「みどりさんこそ受験勉強はいいんですか?」

「これでも私は生徒会長だよ。勉強なんてお茶の子そいそいだよ!」

「そうですか。みどりさんは英語と国語が得意でしたね」


皮肉を交えて言っているのだが、赤みどりはそれに気づいていない様子で、無邪気な笑みを浮かべている。


「みどりさん、もうひと試合いけますか?」

「もちろん、うけてたとう!」


「ありがと」と、一年生にタオルを返し、床に転がっていたシャトルをラケットで器用にすくい上げる。


「今度は負けませんよ」

「かかってきなさい」


一年生の手によって得点表は『0:0』に戻り、現エース対元エースの試合が再び始まった。



「はぁ、はぁ・・・。惜しかったね」


ネットの向こうで笑みを浮かべる先輩女子に何か言い返そうとするが、完全に息が上がっているため言葉がでてこない。


得点表は『25:23』を示しており、松咲花はデュースまで持ち込んだ末に惜しくも敗れたのであった。


「じゃあ、そろそろ帰るね」


息が整ってきた赤みどりが帰りの支度を始める。


外はすっかり暗くなっており、先ほどまで練習をしていたバレー部の面々は、既に体育館を後にしていた。


「あっ、そうだ」


荷物を詰め込み、後は帰るだけとなった先輩女子が、思い出したように声をあげる。


「花ちゃん最終候補に残ったから頑張ってね」

「え、もしかしてアレのことですか?」


この時期に最終候補といえば、心当たりは一つしかなかった。


「期待してるよ」

「はあ。でも、それってまだ言っちゃダメなんじゃ・・・」


先ほどまでの試合の疲れを感じさせない、軽やかな足取りで駆けていく生徒会長を、水分補給しながら見送る松咲花。


疲れ果てているはずの彼女の顔には、うっすらと不敵な笑みが浮かんでいた。


その事実に、他の部員は全く気がつかない。

それは、松咲花本人も例外ではなかった。




次の日


いつものように遅刻ギリギリに学校に着いた松咲花は、教室がいつもより騒がしいことに気付き、歩を早めた。


教室内には、既にほとんどのクラスメイトが登校しており、いくつかの仲良しグループが集まって、それぞれがある話題について話していた。


そんな中、いち早く如月かんなの存在に気づいた花は、自身の席に鞄を置き、親友の元へと駆けていく。


「か〜ん〜な!」


いつものように後ろから抱きつくと、嫌がりながらも半分諦めた様子でかんなが振り向いた。


「なんの騒ぎですか?」

「あれだよ。黒板に貼ってるやつ」


花の疑問に答えるべく、教室の一方向を指差すかんな。

その先には一枚の紙が貼られていた。


「一次投票の結果だって。私と花の名前もあったよ」

「やっぱりかんなさんも選ばれてましたかあ」

「へぇー、自分が選ばれてたことは驚かないんだ」

「なんと、私は裏ルートで既に情報を手に入れていたのです!」

「ああ、赤さんね」

「え?そっ、それはどうですかね〜」


わざとらしく口笛を吹き、誤魔化す松咲花。


それに深く言及するようなこともせず、「まぁ、いいけど」と答えるかんな。


そんな彼女のそっけない態度が物足りないのか、松咲花は捨てられた子犬のような目でかんなを見つめる。

しかし、それ以上思っているような反応は無く、絵に描いたように肩を落とした。


「かんなが冷たい!」

「花が暑苦しいんでしょ」

「うわ、ひどいです!!」

「まあ、それは冗談にしても、花はライバルになるわけだからね」

「おおぅ、ライバル!!これは、乙女のプライドを賭けた勝負というわけですね!」

「うーん、ちょっと違うけどまぁいいや」


「もうホームルーム始まるから」とかんなに優しく諭され、花がしぶしぶ抱きつきをやめる。


それから、担任が教室に来る前に自分の目でも確かめておこうと、花は教壇の方へと歩みを進めた。




一次投票の結果、以下5名の生徒を次期生徒会長最終候補とする。


2年1組 如月かんな

2年1組 松咲花

2年2組 中村拓

1年1組 石田武

1年2組 石田文


尚、演説及び最終投票までの期間中の活動については、一切の縛りを設けないものとする。

         常盤中学校生徒会長 赤 みどり




「うっひょう、これは強敵ぞろいですなあ」


名探偵が推理を披露する時のように、顎をポリポリと掻きながら呟く。


言動はふざけて見えるものの、その目は獲物を前にした獣のように、鋭く光っていた。




松咲花は恵まれた子どもだった。


裕福な家に生まれ、習い事で始めたピアノや習字で数々の賞を取り、勉強や運動もクラス内でトップクラス。


小学生にして容姿も一際目立つものがあり、雑誌のファッションモデルの経験もあった。


小学校を卒業する頃には、自分が恵まれた人間であることを理解し、困難のない人生に退屈さえ感じ始めていた。


しかし、その幻想は中学に上がると同時に打ち砕かれることとなる。


如月かんな

中学1年生の時に彼女に出会い、松咲花の人生観は180度変わった。


容姿、勉強、運動。

どれを取っても彼女に勝てる要素がなかった。


それは、彼女にとって、十数年の人生の中で初めての完全敗北だった。


初めての自分より優れた同い年の人間を前に、中学に上がったばかりの少女の心情は、年相応に揺れ動く。


単純な嫉妬から、未知のものへの畏怖。疑問に好奇心に尊敬。


次々と生まれる知らない感情と葛藤を続けること2年弱。


松咲花の如月かんなへの感情は、自分でもわからない『何か』へと変貌を遂げていた。


その事実がどのような結末を迎えるのか。

選挙を前にした今の時点では、誰も知らない。




放課後 体育館


「ねぇ、ふみ〜。選挙どうするんですか〜?」


試合形式の練習の待ち時間。

既に後輩2人を相手に1人で3連勝したバドミントン部のエースである松咲花が、同じバドミントン部の一年生である石田文に問いかける。


彼女も、次期生徒会長最終候補に選ばれた5人の内の1人だ。


「もちろん辞退しますよ。1年から生徒会長なんてごめんですからね」

「そうですよね〜」

「というか、後輩に敬語使うのやめてくださいよ!私が言わせてるみたいじゃないですか」

「まぁ、そういいなさんなですよ。もう癖になっているでありますですよ」

「なんて不自然な日本語・・・。もういいです」


「ムフー」という音がぴったりな膨れっ面で、こちらを見てくる後輩女子。


その小動物のような愛くるしい表情を前に、気づくと花の手は、餌を頬張るハムスターのように膨れ上がった文のほっぺたを摘んでいた。


「いたた。なにするんですか!?」

「しまった!文が可愛すぎてつい!」

「もー。子供扱いしないでください!」


花と頭一つ分ほど身長の低い文が、ぴょんぴょんと跳ねて抗議する。


自分を強く見せるための行為のはずが、跳ねるたびに揺れるポニーテールがむしろ可愛さを強調していて、完全に逆効果である。


「あ、そうだ。武君はどうするんですか?」

「さぁ?まだ話していないので。でも、武も辞退すると思いますよ」

「そうでありますですか」

「もう、またふざけて」

「ふみ〜、ちょっと来て〜」


先輩女子のふざけた返事に、もう一度何か言い返そうと試みる文だったが、丁度試合を終えた部員に呼ばれてしぶしぶコートへ向かう。


その姿を、学校に向かう子どもを見送る母のような表情で見送った花は、水分を補給しながら思案を巡らせる。


文の話によれば、文とその双子の兄である武は選挙を辞退する。


候補を破棄することはルール上できないので、おそらくは演説で他の候補者に投票するように促すつもりだろう。


つまり、実質2年組3人の争いとなるわけだ。


(拓くんはどうするんだろ)


中村拓

野球部のキャプテンであり、校内で唯一かんなと成績で競える秀才。

真面目な性格で人望も厚く、選挙に前向きなら間違いなく強敵だ。


「花先輩。試合行けますか」

「もちろんですよ。愛すべき後輩のためなら!」


休憩を切り上げ、声をかけてきた後輩が待つコートへと向かう。


ぐるぐると回る感情を、汗と共に流すために。




立派な家が並ぶ閑静な住宅街。

その中でも一際目立つ、お城のような造りの大きな屋敷。


その二階の窓際に位置する、中学生の1人部屋にしては広すぎる部屋で、松咲花は机に向かっていた。


「んー、どうしたもんかな〜」


背もたれに体を預け、伸びをしながら呟く。

白を基調とした清楚なパジャマから、健康的に引き締まったお腹が顔を出した。


机の上に置かれた紙には、『花生徒会長就任計画』と丸文字で書かれており、その下にはいくつかの事項を書いては消した後が残っていた。


今回の選挙の有権者は、一年生58人と二年生61人の計119名。


つまり過半数の60票を獲得すれば、当選が確定となる。


「バド部のみんなに佳穂と里穂。うーん、後は正直わからないな〜」


ペンで空中に円を描きながら、頭を悩ませる。


多くの生徒にとって、生徒会長が誰であるかということは、さして重要なことではない。


大事なことは自分が選ばれないことと、自分に不利益が生じないこと。


そして、自分が選ばれることが無くなり、選ぶ側となった今、候補者が生徒会長にふさわしいかどうかを判断する材料として、一番大切なのは今までの交流だ。


演説も一つの判断材料となるだろうが、学校という閉ざされた社会の中で、コミュニティが持つパワーは偉大だ。


同じ部活の人や親しい友人が候補者であれば、その人に票を入れる方が自然だろう。


投票結果は今までの言動の集大成。

言ってしまえば、ある種の人気投票というわけだ。


「やっぱり拓くんがキーだな〜」


紙に候補者3人の名前を書き、固定票と思われる人たちを書き込んでいく。


如月かんなと松咲花が女子生徒の票を取り合うのに対し、中村拓は男子生徒の票を総取りすると考えられる。


そして、松咲花にはバドミントン部の票、中村拓には野球部の票があるので、拓が一歩リード。帰宅部であるかんなは一歩遅れをとっているというのが、現在の状況だろう。


このように整理していくと、一年生の票が大事だと見えてくる。


候補者が実質2年生のみとなった今。3人と接点のない一年生の票を、誰が獲得するかがとても重要というわけだ。


しかし、中村拓の出方次第ではこの構図も荒れることになるだろう。


「明日、拓くんに聞いてみようかな」


机のスタンドライトの明かりを消し、座っている椅子を回転させ、後ろのベッドへ飛び込む。


数分後には、広い部屋にスースーと一定のリズムで寝息のビートが刻まれ始めた。




「来週は生徒会選挙があるからな。候補者は演説の準備をしておくように。じゃあ、日直の田中。号令を頼む」

「起立」


ズズズと椅子を引く音の後に、「さようなら」と別れの挨拶が交差する。


金曜日の放課後。学生にとっての平日と休日の境目。

日直の号令を合図に、日常は一度眠りにつく。


そんな不安定な時間帯に、松咲花はフライング気味に教室を飛び出していた。



「はじめは練習来ないのか?」

「いいか拓。自主練というのは自主的に練習するという意味だぞ。俺の辞書に自主的という言葉があると思うか?」

「それもそうだな」

「えー、はじめちゃん来ないの?」


2年2組の教室では、野球部の面々が練習への参加について話していた。


常盤中では金曜日を自主練習の日としている部活が多い。


それは、中村拓らが所属する野球部や、松咲花が所属するバドミントン部も例外ではなく、部活に参加するのは一部の部員のみであった。


「それじゃあ徹。少し投げていくか?」

「おうよ!はじめちゃんのエースの座奪っちゃうよ〜」

「お前のコントールの悪さじゃ無理だよ」

「なんだと!?後でアハーンって言わせてやるからな!」

「それを言うならギャフンだろ。俺に何する気だよ・・・」

「たのもぉ〜!!!」


貞操を守ろうとする女子のように身をよじらせていたはじめと他の野球部員のやりとりは、突如教室に現れた女子生徒の声によって遮られた。


はじめらの他に雑談していた生徒たちも合わせ、多くの好奇の目が教室の入り口付近に集まる。


「中村拓くんはいますでしょうか?」

「おい、拓呼んでるぞ」

「俺ならここにいるが」


拓が自分を指差し、来訪者である女子生徒に応えた。


「ちょっといいですか?」

「ああ、構わんが」


隣のクラスの女子生徒に手招きされ、拓が教室を後にする。


そんな青春の匂いがプンプンとする事態を前に、はじめと徹は丸くした目で互いを見つめた。


「え?なにあれ?」

「はじめちゃん!あれ、絶対告発だよ!」

「なんで訴えられるんだよ。告白だろ」

「そーそー、それだよ!キャプテンってモテるんだな〜。俺がキャプテンになればよかった・・・」


心底悔しそうに語る徹を尻目に、2人が去っていった方を眺め、なにやら思案するはじめ。


「徹、見にいくか」

「え?それはダメでしょ」

「そうか。じゃあ1人で行ってくるわ」

「やっぱり行くっしょ」


こうして、弟月はじめと九重徹の2人は、中村拓と松咲花の密会を尾行することになった。




屋上へと続く階段の踊り場


常盤中の屋上は立ち入り禁止となっているので、この場所には滅多に人が来ない。

3年間を通して一度も訪れないという生徒も少なくないだろう。


来訪者といえば、愛の告白に挑む者や部活をサボろうとする者くらいだが、今日は自主練の部活が多いため、後者の姿も見当たらない。


そのような事情も考慮した上なのか、人気のないその場所に、たった今、2人の男女が訪れた。


「それで用ってなんだ?」

「えーとですね。実は聞きたいことがありまして」


堂々とした態度の男と、そわそわと落ち着かない様子の女。


側から見れば、想いを告げるその瞬間にしか見えないが、真相は違っていた。


「選挙のことなんですけど。ずばり、中村くんは生徒会長を目指してますか?」

「なんだそんなことか。そうだな。興味はあるが野球部のこともあるからな。選ばれたならやる。そんな感じだ」

「なるほど。では、投票日まで特に活動はしない感じですか?」

「そうなるな」


フムフムと納得するように頷き、松咲花は状況を整理する。


中村拓の出方が分かったことで、彼女なりの戦術が固まった様子だ。


「了解です。ご協力ありがとうございました!」

「それだけか?」

「ええ!参考になりました」


「では!」とペコリとお辞儀をし、軽くスキップを踏むような足取りで、踊り場を後にする。


取り残された拓も、花の言動を不思議に思いつつ、自主練に向かうため数秒遅れて動き出す。


その様子を観察していた二つの影が慌てて消え去ったことに、拓と花は全く気がついていなかった。



拓と花の密会現場から、見つかることなく逃走に成功したはじめと徹は、空き教室に身を潜め息を整えていた。


「はぁ・・。結局なんだったんだ?」

「まじで謎っしょ」


盗み見したは良いものの距離が遠く、会話の内容までは聞き取れなかったようだ。


「でも、あの嬉しそうな足取り。告白に成功したのか?」

「え!?あのたくみんがオッケーしたってこと!!??」


はじめの考察と呼ぶには根拠が薄すぎる発想に、徹が感嘆の声を上げる。


ちなみに『たくみん』とは、徹だけしか呼んでいない拓のあだ名である。


「まあ、あくまで可能性の話だ」

「くそー!俺がキャプテンになっていれば!」

「お前に可能性の話はまだ早かったな」


まるで機械のように、物事を0か1でしか判断できない徹にとって、先ほどの出来事は告白として受理されたらしい。


「じゃあ、俺は帰るわ」

「俺も帰るっしょ!」

「ん?自主練はいいのか?」

「あ!忘れてたっしょ」


どうやら記憶容量も一つしかないらしい。


「じゃ、行ってくるっしょ!」と駆ける友人を見送り、弟月はじめも空き教室を後にする。


しかし、その足は生徒用玄関とは別の方向へ向かっていた。




日付は12月1日。

外では雪こそ降っていないが、冷たく乾いた風が、道行く人たちの身体を容赦なく突き刺している。


そんな天気の中。常盤中の生徒は、気休め程度の暖房設備が急遽用意された体育館に集められていた。


『それでは、これより第28回生徒会選挙及び演説を執り行います。候補者の皆様は壇上にお上りください』


現生徒会長である赤みどりのアナウンスに合わせて、他の生徒たちの横に並んでいた候補者たちが、次々と壇上へ歩みを進める。


ちなみに、生徒会の歴史は30年以上あるのだが、選任の特質上、選挙が行われない年もあるため、今回が第28回目の選挙となっている。


そんなことはさておき、赤みどりが真面目に進行役をこなしているのは、場をわきまえているからなのか、それ以外の理由からか。


その答えは、彼女の横に立つ女子生徒が握っていた。


「いい?余計なこと言うんじゃないよ」

「わかってるよ。それより約束はしっかり守ってね」

「はいはい。ちゃんと手伝うから」


自由奔放な性格の赤みどりは、正式な生徒会役員を1人も任命していなかった。

それでいて、バドミントン部エースと生徒会長という二足のわらじを履きこなしていたのだ。


そんな激務に耐え切れた背景には、放送委員長である青りんごの存在があった。


赤家と青家は昔ながらの関係があり、小さい頃から交流のあった2人は、幼馴染と呼ぶべき関係だ。


その幼馴染の手を借りることで、この一年、赤みどりは生徒会長としての役目を遂げることができたわけだ。


そして今回も「元彼と復縁ができそうだから余計なことを喋って幼馴染の私の品を落とすな」という制約の代償として、生徒会引き継ぎ業務を青りんごに手伝ってもらっているのだ。


候補者が次々と壇上に上る様子を眺めながら、青りんごが口を開く。


「ねえ、今度家に来なよ。生徒会長お疲れ会しよ」

「なに!?急な優しさが怖いんだけど」

「失礼だな。純粋な善意なんだけど」

「それなら、りんごの復縁祝いも追加だね」

「うわ!みどりの場合、優しさが怖いを通り越して気持ち悪いんだけど」

「ひどい!けど、いえてる」


互いに見つめ、笑い合うふたり。


新しい世代の暴風が荒れ狂う少し外では、活動を終えつつあるそよ風が優しく吹いていた。



『では、早速演説を始めていきたいと思います。最初は1年生の石田武くん。よろしくお願いします』


壇上に用意されたパイプ椅子に座る最終候補者の5人。

その内、赤みどりに呼ばれた武が立ち上がり、壇上中央に置かれた演台へ向かう。


その姿を同じくパイプ椅子に座って見ていた松咲花は、膝の上に置かれた拳をぎゅっと握りしめた。


花はこの1週間、獲得票を増やすため地道に活動を続けてきた。


仲の良い友達はもちろん、部活の合間を縫って他の部活に挨拶に向かい、面識のない生徒たちへのPRも行った。


一方、花が知る限り、如月かんなや中村拓は目立った活動を行っていない。


このままいけば、1番の鍵を握ると思われる1年生の票は、松咲花に流れるはずだ。


花の計算では、この演説でよっぽどのことが起きない限り、自分が当選する手はずだった。


『ありがとうございました。次は2年生の松咲花さんです。よろしくお願いします』


石田武と石田文が他の候補者に投票してほしいという旨を伝え、次はいよいよ花の番だ。


「・・よしっ」


小声で呟き、少し緊張した様子の花が演題へと向かう。


緊張故に、隣に座るかんなの意味深な笑顔に気がつかぬまま。



『私、松咲花に清き一票をよろしくお願いします!」


花の演説を締める言葉を合図に、体育館にパラパラと拍手の音が響く。


花の演説は、良く言えばお手本、悪く言えば当たり障りのないものだった。


しかし、現生徒会長が特殊な性格の持ち主ということもあり、生徒たちにとって普通で真面目という印象はプラスに働く結果となった。


勿論、これも松咲花の作戦の一部である。


昨日までの活動で認知度を高め、今日の演説で好印象を植え付ける。


これにより、二年生のことを良く知らない一年生は、他の候補者よりは多少知っている真面目な花に票を入れやすくなるという魂胆だ。


「花、よかったよ」

「ありがと。かんなも頑張ってください」


パイプ椅子に戻る花に、次が出番のかんなが声をかける。


『次は如月かんなさんです。よろしくお願いします』

「じゃあ、いってくるね」

「はい。ファイトです」


交代で演台に向かうかんなを笑顔で見送る花。

それに応えるように、かんなも薄く微笑む。


しかし、その奥に座る中村拓からは、二人の目が笑っていないように見えた。



「こんにちは、如月かんなです。私は赤生徒会長と違って長い話が嫌いなので、簡潔にまとめて話していきたいと思います!」

『ちょっと!』


赤みどりのツッコミに、体育館の至る所からくすくすと笑い声が聞こえてくる。


(うまい・・・)


その姿を後ろから眺めていた松咲花が、かんなの手腕に思わず唸る。


学校内での共通認識である、言ってしまえば周知の身内ネタ。

それを演説の冒頭に持ってきことで注目を集め、話が短いと宣言することで、だれつつあった全校生徒の心を掴んだのだ。


「えーと。私が生徒会長に選ばれた暁には、2つのことをお約束します」


「えーと」の部分で笑い声が止むように促し、先に「2つ」と具体的な数字を述べることで、生徒の集中力低下を防止する。


「1つ目は生徒会役員についてですが、私に票を入れてくれた人からは選出しません!」


かんなの発言に「おー」と反応を示す生徒たち。


(その手があったか・・・)


自分に不利益が生じないこと。

多くの生徒が危惧する可能性の一つを、事前に潰しておく。


誰に票を入れるか迷っているなら、少しでもリスクが少ない方に入れたいと思うのが自然だろう。


「そして2つ目ですが、来年の生徒会選挙は完全な立候補制とします!」


先ほどの2倍ほどの大きさの、特に1年生のものと思われる「おー!」が、体育館を包む。


生徒会の引き継ぎ方法はその年の生徒会長に一任される。

その理不尽なルールに不満を持つ生徒は少なくないはずだ。


そして、来年の今頃。そのルールに翻弄されるのは、今回の選挙で鍵を握る1年生なのだ。


「以上です。私如月かんなに投票お願いします!」


一礼する如月かんなに、盛大な拍手が送られる。


その様子を、松咲花は苦い顔で観察していた。


(うーん。まずいな・・)


かんなの演説によって、花に傾きつつあった一年生の浮動票がかき乱された。

これによって、二年女子と一年生の票を花とかんなが取合い、二年男子の票を拓が総取りするという構図に戻ったわけだ。


部活のアドバンテージを含めても、戦況は良くて五分といったところだろう。


『最後は中村拓くんです。よろしくお願いします』

「はい」


悩み顔で状況を整理している花の前を通り、拓が演台へと進む。


「すまないな」

「え・・?」


目の前でボソッと呟かれた拓の意味深な発言に、花が疑問を口にする。


その言葉の意味は、この後すぐに判明することとなる。


「中村拓だ。俺を支持してくれたみんなありがとう。だが、俺は生徒会長になるつもりはない」


体育館内に疑問の声がポツポツと漏れる。

1週間前に聞いたこととは180度違う拓の発言に、花の脳内のクエスチョンマークも合わせて増加する。


「それでだな。俺に票を入れてくれるつもりだった人は・・」


続く言葉に、花を含め、拓の演説を聞いていた全校生徒の驚きの声が体育館に響いた。


たった一人、壇上のパイプ椅子に座る如月かんなを除いて。

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