第2話 弟月はじめの青春 その1
遡ること十年前。
カン スポ カン スポ カン スポ
金属音とネットにボールが吸い込まれる音がリズムゲームのように鳴り響くグラウンド。
直向きに練習に励む青年たちをあざ笑うかのように、灼熱の太陽が容赦なく照りつける。
時刻は夕方であるにも関わらずこの暑さが続くのは、本日分のエネルギーを出し切ろうとする太陽の努力の賜物と言えるだろう。
我々人間からするといらぬお節介、ありがた迷惑でしかないわけだが。
「97、98・・・」
大量のボールが入ったカゴにまたがり、バットを構える後輩に向かって、先輩であるはじめが打ちやすいコースにボールを次々と放っていく。
そんな先輩の優しさを、まるで親の仇のように力一杯振り抜き、打ち返されたボールが次々とネットに突き刺さっていく。
「99、ひゃ・・・」
ノルマである100球目。
そのトスを上げる直前。『1、2の3』でいうところの『2』のタイミングで突然動きを止めてみせる。
「ちょっ、先輩早く投げてくださいよ」
後輩の武は同じく『2』のタイミングである左足を引いた状態で待機していたため、ほどなくして足がプルプルと小刻みに震えだす。
「100っと」
「うわ」
タイミングを崩された武の放った打球は、ひょろひょろとした軌跡を描いて静かにネットに収まった。
「はい、俺の勝ちな」
「もう、最後くらい気持ちよく打たせてくださいよ」
「完璧に終わると、次が大変だろ」
「それはそうかもですけど・・・」
「もう一球お願いします」という武のお願いを適当に聞き流し、ネットに入った大量のボールをカゴに入れる。
武は不満そうにしていたが、先輩に倣って辺りに散らばったボールを回収し始めた。
「さあ、次は先輩の番ですよ」
再びボールでパンパンになったカゴにまたがり、先輩であるはじめに顎で合図する武。
「あー、俺はいいや」
「またそんなこと言って。キャプテンに怒られますよ」
「大丈夫だって。あいつまだ来てないし・・・」
「おい、はじめ!」
背後から聞こえて来た存在しないはずの主将の声に、思わず背筋がピシッと伸びる。
「おっ、おう。なんだ、拓もう来てたのか」
「こんにちは!!」
『こんにちは!!』
武の挨拶を皮切りに、他の後輩たちも一斉に脱帽し大声で挨拶をする。
「おい!俺ん時は挨拶なかったろ!」
「ちわー」
『ちわー』
「ばかにしてんのか!」
腕をまくりブンブンと振り回すはじめの肩を、拓が背後から掴んで止める。
「決してバカにしてるわけじゃないと思うぞ」
「知ってるよ!」
真面目すぎる拓のツッコミになんだか恥ずかしくなり、まくった袖を元に戻す。
「それと、校長先生がお呼びだぞ」
「それを早く言え!!」
拓の真面目が故の天然ボケに律儀にツッコミを入れ、グラウンドを後にする。
「はじめ先輩って残念ですよね」
「そうか俺は可愛いと思うぞ」
「えー、キャプテン変わってますね」
背後から聞こえてくる拓と武の会話に、もう一度ツッコミを入れるべきか迷いながら。
トントントン
(ノックって3回で合ってたっけ?)
などと考えながら待っていると、程なくして低い男の声が聞こえてきた。
「どうぞ」
「失礼しまーす」
ドアを開けると同時に流れ出てきた冷気で昇天しかけた心を抑え込み、平静を装って校長室の中へと入る。
「外は暑いだろ。さあ、座って」
ソファに座る校長先生に促され、テーブルを挟んで目の前のソファに腰掛ける。
額縁に閉じ込められた歴代の校長先生に囲まれ、若干の気まずさを感じていると、現校長先生がおもむろに話し始めた。
「調子はどうだい?」
「まあ、ぼちぼちって感じっすね」
校長の言う調子はピッチングの調子であると即座に理解し、はじめは正直に返答する。
校長の野球好きはこの学校では共通の認識事項であり、野球部の練習や試合の様子を度々見にきては、アドバイスをしたり差し入れをくれたりしている。
そのアドバイスは実に的確で、野球部の顧問である田辺も度々相談を持ちかけているようだった。
「今年の夏は暑いからね。練習のしすぎには注意だよ」
「俺に限っては大丈夫ですよ。拓たちに言ってあげてください」
「それもそうか」
ハハッと笑い、テーブルの上に置かれた、お菓子が山積みの茶色い器をこちらに動かしてくる。
その中からせんべいをつまみ上げ「いただきます」と一言断り口にする。
校長室にボリッと乾いた音が響いた。
「それで本題だけどね。大会に出る気はあるかい?」
「大会ですか?」
口の中のせんべいを、同じくテーブルに置いてあった冷たいお茶で流し込む。
常盤中の野球部は3年が3人と2年が3人の合計6人であり、試合に出るには人数が足りない状況だ。
一年の勧誘も頑張ったのだが、他の部に根こそぎ取られてしまったのである。
「ああ。実は丸美屋中の野球部も人数が足りないらしくてね。うちと合同で大会に出てくれないかと誘いが来てるんだ」
「なるほど」
大会にでれないとなると、引退の時期があやふやになり、なんとなくケジメが悪い。
こちらとしても願ってもない話だった。
「話はわかりました。判断は徹に任せます」
「ほう。いいのかい?」
「はい、徹あっての野球部ですから。拓もそう言ってたんじゃないですか?」
「ん?中村くんから聞いてたのかい?」
「まずはキャプテンに話すもんでしょ。それで俺に話がきたってことは、あいつが俺らに聞いてくれって頼んだんじゃないですか?」
「ふむ。その通りだよ」
「やれやれ」と少し嬉しそうに呟くと、校長はお茶を一口飲み、こんな風に尋ねてきた。
「それじゃあ九重くんが出ないといったら断っていいんだね?」
「そういうことになりますね」
同じようにお茶を一口飲むと、わざとらしく間を空けて、はじめはこう続けた。
「まあ、あいつのことだから答えは決まってますけどね」
その言葉を聞いた校長は、ハハッと嬉しそうに笑うのだった。
「じゃあ僕はこれで」
冷房に名残惜しさを感じつつも校長室に長居する気にもなれず、渋々ドアノブに手をかける。
と、その時。
「え?」
まだ回していないはずのドアノブが自動的に回り、扉が勝手に開いたかと思うと、その向こう側には1人の少女が立っていた。
「はじめくん!?」
「おう、かんなか。生徒会の仕事かなんか?」
「うん、そうだよ。はじめくんは?」
「俺は野球部の話」
「そっか」
校長室の敷居をまたいでの会話。
そのなんとも言えないアンバランスから訪れる束の間の沈黙。
その沈黙を破ったのは校長先生の一声だった。
「如月くん。例の資料持って来てくれた?」
「はい。サインをお願いします」
「ごめんね」と声をかけ、かんなははじめの横を通って校長の元へと向かう。
「失礼しました」
軽く一礼し、ゆっくりと閉まる扉の隙間から彼女の後ろ姿を眺める。
扉が完全に閉まりきるまで待って、はじめは静かに校長室を後にした。
2階の窓際に設置された休憩所。
自販機も設置されているこの場所は校内でも人気のスポットの1つであるが、放課後である今は誰もおらず、閑散としていた。
プシュッ
自販機で購入したコーラを片手に、窓際の椅子から練習に励む野球部員たちを眺める。
「これがお偉いさんの見ている景色か」
グラウンドではいつのまにか合流していた顧問の田辺が、部員相手にアメリカンノックをしていた。
アメリカンノックとは外野間を走り、ノッカーがギリギリに放った打球を捕球する練習方法であり、基礎体力と守備力の向上が主な狙いだ。
本来は冬に行うことが多い練習だが、夏に行うことで体力の底上げをしようとするのは百報譲ってまだ分かる。
が、あのノックはとてもじゃないがアメリカンではない。
うちのグラウンドはただでさえ狭いうえに、陸上部やサッカー部が混在するため、使えるスペースが限られているのだ。
その上、部員の足りない野球部の肩身はかなり狭い。
それに加えてノッカーの田辺は素人。
素直にキャッチボールをした方が練習になる気がする。
「はあ・・・」
机に突っ伏し、溜息をこぼす。
窓の外では空振りを続ける田辺に、「変わりましょうか?」と、キャプテンである拓が提案していた。
「エースがサボりなんてい〜けないんだ」
背後から聞こえてきたその声に、はじめは背もたれに上体を預け、そのまま椅子を傾けて声の主を探す。
逆さまになった世界には、後ろに手を組んで小悪魔的な笑みを浮かべる如月かんなの姿があった。
「サボりじゃなくて見守りだよ。木の上に立って見守る。後輩たちの頑張りを親の気持ちで見届けているんだ」
「『親』っていう字は左側が位牌を現していて、それを見る。つまりは拝む相手として親という意味になった。って説もあるけどね」
博識を交えた皮肉に返す言葉も見つからず、傾いた椅子を元に戻して、背もたれを跨ぐ形で座り直す。
逆さまから通常に戻った世界で、してやったり顔のかんなと目が合った。
「生徒会長さんは休憩ですか?」
「ううん。サボり」
あまりに堂々としたかんなのザボリ宣言は、サボりという行為を正当化してしまうような力強さに溢れていた。
その謎の説得力に思わず苦笑いを浮かべ、降参といった様子ではじめは両手を上げる。
それを見て、かんなはくすくすと笑った。
「俺の負けだな。なんか飲む?」
「奢ってくれるの?」
「生徒会長命令なら仕方ないな」
「それじゃあ、今日は買っちゃったから今度お願いね」
そう言うと、かんなは後ろで組んでいた腕を前に持ってきた。
その手には、一本のペットボトルが握られている。
完全に彼女のペースになっていることに、はじめは再び苦く笑った。
「やり方がずるいぞ、生徒会長」
「はじめくんが勝手に言い出したんでしょ」
くすくすと笑いながらはじめの隣の椅子を引き、生徒会長は何食わぬ顔で座る。
「生徒会の仕事はいいのか?」
「順調だから大丈夫よ」
「嘘だな」
「ふーん。どうしてそう思うの?」
驚いた表情を見せつつも、余裕な態度は崩さずに質問するかんな。
「校長室に入る時ノックをしなかっただろ」
「確かにしなかったけどそれがどうしたの?」
一見何の脈絡もない発言に、かんなは首を傾げる。
校長室から出る時、はじめは扉が勝手に開くまで彼女の存在に気がつかなかった。
生徒会長で優等生であるかんなが、ノックもせずに校長室の扉を開いたのだ。
「つまり、かんなは俺より先に校長室にいたと考えられるが、どうだ?」
「なるほど。うん、確かにいたよ」
「校長先生との会話から察するに、重要な書類を忘れて取りに戻っていた」
「うん。それも合ってる」
直前まで校長室にいたのなら、ノックをせずに入ってきたとしても不思議ではない。
「仕事が出来る完璧人間で有名なかんなさんが、そんなミスをするとすれば、疲れてると考えるのが妥当だ」
「疲れてなくてもミスくらいはするよ。でも正解。さすがひねくれ者で有名なはじめくんだね」
やれやれと、飲みものを口にするかんな。
それだけの行動が何だか妙に色っぽくて、はじめは思わず視線を逸らす。
その所為か、言うつもりのなかった言葉が漏れた。
「それに・・」
「それに?」
「いや、なんでもない」
「えー、なに?気になるんだけど!」
「教えてよ」としつこく迫るかんなに根負けし、はじめは口を開く。
「今日は・・んでないだろ」
「えっ?なんて?」
「今日は髪の毛結んでないだろ!」
はじめの言葉を聞くと同時に、かんなの口元が僅かに緩んだ。
「へぇー。気づいてたんだ」
わざとらしく顔を左右に動かし、髪を揺さぶる。
その動きに合わせて広がる優しい香りが、はじめの鼻腔をいたずらにくすぐった。
「ねぇ、はじめくんはどっちが好き?」
「・・へぇ?なんのこと?」
「か・み・が・た!」
まっすぐに見つめてくる彼女の瞳が、はじめの逃げ道を塞ぐ。
「・・・今日の方かな」
「ふーん。そうなんだ」
指で髪の先をくるくると巻きながら、かんながぼそっと呟く。
そんな彼女の顔がいつもより少し朱い気がするのは、若干弱まりつつある太陽の所為だろうか。
彼女の行動を予想するのに、ソファが温かかったというヒントもあったのだが、髪型以上に変態っぽいのではじめは黙っておくことにした。
「前から思ってたけど、はじめくんって頭良いよね」
「まあな」
「でも成績は普通よね」
「そうだな」
「なんで?」
「なんでって、そりゃ努力してないからだろ」
才能とやる気。
この合計値が高い人が、その分野において好成績を残す。
才能は努力で補えるかもしれないが、努力はそうもいかない。
努力ができるのも才能の内とはよく言ったものだ。
才能とやる気は必ずしも比例関係にあるとは限らない。
これがはじめの持論であった。
「努力って大変だもんね・・・」
「なんか言ったか?」
「ううん、なんでもない。そろそろ行かなきゃ」
「そうか。頑張り過ぎないように頑張れよ」
「うん。はじめくんはもっと頑張りな」
嬉しそうに笑いながら、かんなが席を立つ。
それから「そうだ」と、なにかを思い出したように呟き、はじめに向かってこんなことを尋ねた。
「校長室でお茶飲んだ?」
「え?ああ、飲んだけど」
かんなの疑問の声に合わせて、校長室での映像が脳内に広がる。
確か、せんべいで乾いた喉を潤すため、校長室に置かれていたお茶を飲んだはずだ。
「あれ、私の飲みかけ」
「は!?」
さらりと告げられた衝撃の事実に思わず素っ頓狂な声をあげる。
その様子を見た彼女は、くすくす笑うとこう続けた。
「嘘だよ。あれ拓くんの」
「なっなんだよ」
校長先生は大会の件ではじめより先に拓を招いていた。
お茶はその時に出されたのだろう。
ということは、校長室のソファが温かかったのも、拓の温もりが残っていただけかもしれない。
勝手に期待しておいてなんだが、裏切られた気分になったはじめであった。
かんなははじめの反応に満足したのか「じゃあね」と、生徒会室の方へ向かう。
「おーい!飲みもん忘れてんぞー」
机に置かれたままになっていたペットボトルを見つけ、かんなに向かって声をかける。
「もういらないからあげる。飲んでも良いよ」
彼女はこちらに目もくれず、スタスタと歩いていった。
先ほどまで如月かんなが確かに口をつけていたペットボトル。
これを飲めば、いわゆる関節キスということになってしまう。
罪悪感と好奇心が、はじめの脳内で葛藤を始める。
(かんなが飲んでいいって言ってたしな)
休憩所にゴクリと唾を飲む音が響く。
葛藤の末、震える手でペットボトルの蓋を回そうとしたのだが。
「って、空じゃねぇか!」
それと同時に中身が入ってないことに気づき、思わず大声でツッコミを入れてしまった。
やりきれない気持ちになり、はじめは空のペットボトルをゴミ箱に向けて投げる。
綺麗な放物線を描いたペットボトルはゴミ箱のフチに当たり、床をコロコロと転がり、はじめの足元まで戻ってきた。
「エース失格だな」
ペットボトルを拾い上げながら呟いたはじめの言葉は、誰もいない休憩所に虚しく吸い込まれていった。
如月かんな
彼女は、常盤中学校の生徒会長であり、成績優秀・容姿端麗の日の打ち所のない優等生だ。
それに合わせて小悪魔的な態度が男心をくすぐり、学校一のマドンナとしてその地位を確立している。
かくいうはじめも、中学に入学してすぐに彼女に惚れ、気づくと目で追っていた。
そんなパーフェクトヒロインである如月かんなに近づくためにはどうすればいいのか。
そのひとつの解として彼が思いつき実行したのは、彼女に負けない肩書きを持つことだった。
当時の一年生の彼女は、生徒会長という肩書きこそ無かったが、それでも『持たざる者』であるはじめからすると、まさに高嶺の花であった。
如月かんなに負けず劣らずのインパクトがあり、自分が持てる可能性がある肩書き。
その条件で絞り込んだ時、真っ先に浮かんだのが野球部のエースだった。
少年野球の経験があったはじめは、同級生が初心者の集まりであればエースの地位を確立する自信があった。
しかし、経験者が多いとそうはいかなくなる。
(まずは様子見といこう)
中学校に入学したばかりの彼は、そんなことを考えていた。
中学一年 春
「弟月はじめだっけ?野球興味ない?」
そんなある日、同じクラスの1人の男が声をかけてきた。
彼の第一印象はパリピだった。
はじめが最も嫌う人種だったが、おそらく野球部員である彼は重要な情報要員になると判断し、話を続けることにした。
「野球部員の勧誘かなにかか?」
「なんでわかったの!?」
「いや、普通そう思うだろ」
「すげー!はじめちゃん天才じゃん!!」
彼のオーバー過ぎるリアクションに苦笑いを浮かべるが、彼はそれに全く気づかず、輝いた目をこちらに向けてこう続けた。
「今日の放課後、見学に来てね」
バッチリとキメ顔でそう言い残すと、彼は次の勧誘へと旅立っていった。
「おい!ちょっとまてよ」
「そこの真面目そうな君!野球興味ない?」
「って、聞いてないし・・・」
引き止めようと発したはじめの言葉が、彼の耳に届くことは無かった。
「キャプテーン。新入部員連れて来ました!」
「おい!まだ入るって言ってないだろ!」
「右に同じ」
放課後。仕方なく野球部の見学に来たはじめ。
面子ははじめと彼を誘った九重徹、そして同じく徹に誘われた同じクラスの中村拓の3人だ。
徹にキャプテンと呼ばれていた上級生は、はじめたちの様子を見て事情を察したのか、カッカと高らかに笑うと、ベンチに座るように指示を出した。
「徹は練習に混ざれよ」
「もちろんです!キャプテン!」
徹が先輩たちの元へ勢いよく駆けていくと、ベンチははじめと中村拓の2人きりとなった。
同じクラスではあるが入学してから日も浅く、話したこともないため気まずい空気が流れる。
沈黙に耐えかねたはじめは、手頃な話題である野球経験の有無について尋ねることにした。
「お前経験あるの?」
「いや、童貞だ」
「そっちの経験じゃねえよ!」
「そうか、それはすまない」
初めての会話であり表情も変わらないため、彼の真意はイマイチ掴めない。
どうしたものかと頭を悩ませていると、彼の方から会話を進め始めた。
「野球の経験はあるぞ」
「そう、それだよ!ポジションは?」
「キャッチャーをしていた」
「そうか」
(順調に行くとこいつとバッテリーを組むのか)
未来の女房役になるかもしれない隣の男を眺め、深く溜息をつく。
「どうした?老後の心配か?」
「ちげぇよ!だとしたら早すぎだろ!」
「ああ、冗談だ」
相変わらずの無表情で語る中村拓。
グラウンドでは、投げてきた相手にボールを打ち返すトスバッティングをしていた九重徹が、ホームラン級の打球を放ち、大声で「すみませーん」と叫んでいた。
「はぁ」
不安要素しかない野球部の同級生たちに、はじめは入部するべきかどうか頭を悩ませるのであった。
中学三年 夏
「どうしたはじめ。老後の心配か」
「ちげぇよ。熱中症の心配だよ」
いつもより球が走ってないだとかで、神妙な顔持ちで冗談を言ってくる拓。
あれから時は流れ、晴れて野球部のキャプテンとエースになった2人。
夕刻にも関わらず熱すぎる視線を送ってくる太陽にうんざりしながら、ブルペンと呼ぶにはボロすぎる施設でピッチング練習をしていた。
2年の3人組は、投げる者と打つ者と捕る者に分かれ、それらを交代しながら練習している。
アメリカンノックで心身共に疲れ切った顧問の田辺は、その様子をベンチに座って眺めていた。
「みんな!大会に出れるぞぉ!」
そんな野球部の元へ、補習で遅れていた騒がしい男。
九重徹が、慌てた様子で走ってきた。
「拓!はじめ!聞いてくれ!!」
「大会に出る話だろ」
「なんだよ、知ってたのか!?」
「ああ、校長先生から聞いた」
これでもかというほどに興奮していた徹が「なんだよー」と、拗ねた様子で地面を蹴る。
「その様子だと了承したみたいですね」
「当たり前じゃないですか!」
顧問の田辺が「いたた」と重い腰を上げ、拓に集合をするように呼びかける。
「集合!」
「「「「おす!」」」」
キャプテンの号令に、はじめ以外の部員が気合いの入った掛け声を返した。
「俺まだ5球くらいしか投げてないんだけど」
ちょっとした文句を垂れながら、はじめもピッチング練習を切り上げ、円陣へ向かった。
「3年組は知っていると思いますが、今度の大会に丸美屋中の野球部と一緒に参加することになりました」
「ほんとですか!」「おお!」「やりましたね!先輩!」
田辺の思いがけない発表に、2年組の3人が思い思いの感想を口にする。
「そして、この大会を最後に3年生は引退となります」
その後に続いた言葉を受け、ザワザワと話していた後輩たちは一気に静かになった。
「なに暗くなってんだよ。他の部活の奴らはもう引退してんだ。受験生は勉強しないとな」
「そうだな」
「そういうことっしょ」
3年組の言葉を受け、2年組の表情が徐々に柔らかさを取り戻す。
大会といっても全国に繋がる大きな大会は既に終わっており、今度の大会は地元の小さな大会だった。
故に出場する学校は全国に行けなかったチームと、3年が引退した新チームが主なはずだ。
引退の時期を見失った3年組からすると、潮時として最適だといえるだろう。
「大会は1ヶ月後。来週からは丸美屋中の生徒も合流します。気合い入れていきましょう!」
「「「「「「おす!」」」」」」
実に野球部らしい元気な声がグラウンドに響いた。
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