(問題編3)怪奇! 30キロおじさん

 窓子ちゃんは綺麗に洗われた黒髪をゆるく纏めていて、薄くて柔らかそうな素材でできた草色のパジャマを身に着けていた。その胸が普段より少しだけ小さく見えて、パジャマの生地は二点を中心に少しだけ張り詰めてて、夜は着けないで寝る派なんだなとか意識してだめになりそうだった。


 ちなみに私はナイトブラ派。正直まだ要らないと思ってるけど、お姉さんが勝手に買ってきたやつを言いつけ通りに着けている。


「もう遅いし寝よっかー。もうトイレ済ませた?」

「うん。……でもまだ、あんま眠くいかも」

「じゃあ灯りだけ消しておしゃべりしよう。おばあちゃん起こさないようにだけ気を付けてさ」


 窓子ちゃんはそう言ったけど、部屋の灯りは完全消灯じゃなくて豆球になった。隣に敷かれた布団には窓子ちゃんが横になっていて、柔らかに微笑みながらこちらを見ている。その輪郭を豆球の熱っぽい光が捉えていて、綺麗だな、って思った。


 気の利いた喩えなんて思いつかなかった。窓子ちゃんが窓子ちゃんとして、いま私の隣で純粋に綺麗だ。


「花火、ちゃんと見れて良かったねぇ」

「うん。スターマインも見切れてなかったし」

「最後のほうの小さくてたくさんで可愛いやつだっけ? 私あれ好きー」


 窓子ちゃんは両手の指をもにょもにょ動かした。スターマインのジェスチャーなのかもしれない。かわいい。


「おばあちゃんもね、洗い物しながら、花火が綺麗だったって、何度もね……ふぁあふ……」


 窓子ちゃんの声がとぎれとぎれになって、ふにゃふにゃのあくびが聞こえてきた。もうかなり眠そうだった。私も普段なら目を閉じている時間帯だけど、この状況が頭をすっかり冴えさせている。


「……ちょっと暑いね」


 窓子ちゃんはそう言って、枕元に立っている扇風機のスイッチを入れた。首の角度を調整して、首振りスイッチを押す。ちょうどいい感じの風が流れはじめ、窓子ちゃんは満足そうだ。


 そのまま布団に戻るのを見て、ああ今お礼言うタイミングだったかな、と気付いた。


 私は他人と一緒に眠る経験が少なくて、だから野外活動なんかも苦手だった。ただ、あれはクラス全員で雑魚寝だから雰囲気で紛れ込めていい。

 ただ今は二人きり、しかも気になっている一個上の先輩と一緒。おまけにその人の実家だ。布団に入ってから眠るまでの正解がずっとわからない。


「ねぇねぇ、もっとおしゃべりしようよー」

「でも窓子ちゃん、すごく眠そうだよ」

「ねもいからおさべりするのー。脱落するかんじでねるの」


 もはや口調もふやけてきていた。天狗様の正体の話をしてあげるつもりだったけど、このぶんじゃ聞いたところで朝まで覚えてないだろう。


 そのうとうとした顔が年上なのに子供っぽくて可愛くて、私は手を伸ばして隣の布団に乗ってる窓子ちゃんの頭を撫でた。髪がさらさらしていて気持ちいい。


「あ。やったなー?」


 窓子ちゃんはにやりと笑って、ごろんと寝返りを打って私の真隣にきた。ちかい、と思った瞬間、窓子ちゃんは私の顔を自分の胸に抱き寄せた。


 窓子ちゃんは私の顔を自分の胸に抱き寄せた。


「――ふすっ⁉」


 パジャマ越しに触れた窓子ちゃんの胸は、わずかに汗ばんでいて蒸れた匂いがした。鎮まっていたぎとついた熱が再び目覚めて、お腹の底で渦を巻く。


 けれどそれは、またすぐに鎮まってしまった。


 なんだか、泣きそうになったから。


「よーしよしよし。いいこだねぇ」


 それはきっと、お風呂で窓子ちゃんに抱いたものとはベクトルの違う欲求だった。胸に抱かれて頭を撫でられることでしか、満たされない何かだった。


「……深瑠姫ちゃん、暑い? これ」

「うん、ちょっと。でもなんか、落ち着く……」

「じゃあこのままでいよっか」


 しばらくの間、扇風機が回る音と、私たちが息をする音だけが聞こえていた。


 ときおり遠くで車が走った。知らない鳥が数秒だけ鳴いた。


 そして、私の頭にも眠気のもやがかかり始めたとき――窓子ちゃんが「あっ」と声を出し、体勢を変えた。私の顔から窓子ちゃんの胸が離れてしまう。


「そうだ。ねぇ深瑠姫ちゃん、この辺りでちょっとだけ有名になった、全然怖くなくてまぬけな怪談があるんだけど、ききたい?」

「えー、どんなの?」


 ちなみに私はホラーに耐性がある。お姉さんはそういう小説も貸してくるから。


「んーとね、『恐怖の30キロおじさん』」

「あはっ、なにそれ。怖くないって言ってるのに、恐怖、ってついてるし」

「でも本当に怖くないんだよー」




 窓子ちゃんの言うことには、30キロおじさんは窓子ちゃんが幼稚園に通っていたころまで存在していた妖怪らしい。生息地はこの辺りで、今みたいに寝ているときに現れたという。


 それは普通のおじさんの声で、少し怒ったようにこう叫ぶのだという。


『30キロだぞーー!』『気を付けろよーー!』『30キロだからなーー!』

 

 それから、よくわからない数字を羅列して叫んだこともあったという。とにかく30キロをアピールし、声が止んだと思ったらまた不意に叫びだし、それを何度か繰り返したのちに、完全に静かになって消えるらしい。


「――でね、近所に絵の上手いおばあさんが住んでて、その人が30キロおじさんの想像図を描いたの。30キロって、普通のおじさんの半分くらいの体重でしょ? だからガリガリの見た目で、頭の真ん中だけハゲてて。すごく面白い絵だったけど、私そのころ、小さかったから。ちょっとうろ覚えかなぁ」


 窓子ちゃんが祖母であるせっちゃんに話を聞いたところ、30キロおじさんは毎日現れる訳ではないらしい。しばらくやってこない日が続くと、近所の人は冗談で心配してみせたこともあったとか。


「そんなことある? 近所迷惑なんだし、居ないほうがいいじゃん」

「あはは、深瑠姫ちゃん淡泊だ。でも実際は、ちょっと愛着湧いちゃうのかもね」


 けれどある時期を境に、30キロおじさんは本当に現れなくなってしまったのだという。それは丁度、地域の開発が進んだ頃と重なったらしい。


 草木が刈られて道路も舗装されたから住む場所が無くなってしまったとか、土地が少し豊かになって体重が増えたから30キロおじさんではなくなったとか、それっぽい噂がたびたび流れたそうだ。


 しかし、30キロおじさんは少しずつ忘れ去られてしまう。もとより少しうるさい以外の害はなく、もちろん利益をもたらすタイプの妖怪でもなかった。彼はたびたび思い出されてはぽつぽつと語られ、再び忘れられていく……。




「なんか……ほんとにまぬけな話だね」

「でしょー?」


 天狗様の言い伝えとは違い、30キロおじさんにはこれといった教訓めいたものは感じられなかった。そして、見間違えによって姿を認識された天狗様に比べると、30キロおじさんは実在性が高すぎる。聞き間違えなんて起こりにくいだろうし、近所の人にも知れ渡っているのだ。そういう存在が居たことは確かだろう。


 いや、というか……。


「それ、普通のおじさんが叫んでただけでしょ」

「んー、なんのためにー?」


 そう言われると返す言葉がなかった。自分の体重を言いふらすことになんの意味があるというのだろう。あまりにも少ないことをアピールしたかったのだろうか。


 私がぐるぐる考えはじめた、そのとき。


「すぅ……すぅ……」


 語るべきを語り終えたからだろうか、窓子ちゃんはとうとう眠ってしまった。口がちょっとだけ開いていて、そこから寝息がもれている。伏せられた睫毛が長かった。


 数センチ前にある胸が、その呼吸に合わせてゆっくりふくらんではしぼんでいく。それを見ながら、いいよね? と思った。許可は得ている。


 けれど、すぐには行動に移さなかった。窓子ちゃんが起きちゃうのは少しだけ困る。私は枕元に置いてあったスマホに手を伸ばし、画面を限界まで暗くした。それから、私の誕生日と同じ数字に設定してあるロックを解除する。


【お姉さん】寝顔の写真でも撮るのかい?

【お姉さん】悪い子だね


 ……ちがうっての。


 私はお姉さんに30キロおじさんの詳細を書いて送った。それから、おやすみ、と一言追加してスマホを閉じる。


 それから、窓子ちゃんに向き合った。


 どきどきは、していない。




 その夜私は、窓子ちゃんの胸に顔をうずめて眠った。

 とても幸せな夢を見たはずなのに、内容は憶えていなかった。





(解答編に続く)







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る